4.イヴァンと少女と、KAWASAKI ZEPHYR(ゼファー)1100
「ミリー、どうしたんだよ。ボケッとして。そこまで忙しいなら、クリスマスツリー作りのお遊びはもう止めにするけど」
むっつりとしたキースの表情に、あ~あ、もういいや的な気持ちが溢れている。すると、ミルドレッドは大慌てで、
「な、何も止めるなんて言ってないじゃない。やるわよ、やってあげるわよ!」
相変わらずの上目線。すねた顔でもめちゃめちゃ可愛いんだけどね……この娘が自分に好意を持っていてくれてるのは分かってるし、何とかしなきゃと思う気持ちは俺にだってある。しっかし、手を伸ばそうとするとはねつけてくるし、どうすりゃいいんだよと、キースは、半ば途方にくれてしまった。
「えーと、なら、最初の飾りは何にする。ミリーから、どうぞ」
「……クリスマスツリーを飾りつけるっていうんなら、やっぱり、最初は、一番上の星”☆”でしょ。これにはね、ちゃんと意味があるのよ。クリスマスツリーの天辺につける星は、元々は東方の三賢者が、その今まで見たこともないような綺麗な光に導かれて救世主の元にやってきた”ベツレヘムの星”、それは、イエス・キリストがこの世に誕生する始まりの象徴なんだから」
「へぇ! そんな解説がつくとは思わなかった。さすがは、”歩く蘊蓄”の異名を持つミルドレッド」
思わずふくれっ面を和らげて微笑んだお嬢様。
キースは、その笑顔に、少しほっとした気分で、黄金色に似せたクロームイエローの絵具をしぼり出した。
”☆”を、もみの木の一番上に描こうとした時、ふと絵筆を止める。
ちょっと、その”賢者を導いてくれた綺麗な星”と目の前の少女がダブって見えてしまったからだ。
最初にキースがミルドレッドと出会った時は、彼女はまだ12歳の小学生で、彼は露店で絵を売るだけのしがない17歳だった。
自分が賢者だとは天地がひっくり返っても言えないが、超セレブでキラ星のごとく輝きを放ったその小学生との出会いが彼をピータバロ・シティ・アカデミアに導き、大変な思いもしたのだけれど、いつかは世間に認められる画家になりたいと思う夢へと近づけてくれたのだ。
本当にここに至るまでには、色々な事件や出会いが山ほどもあった。そして、思い出すと辛いことも……。
……辛いことも。
突然、テンションを下げてしまった青年画家。
「キースっ、何、ボケっとしてるのよ。次は、あんたの番でしょ」
「……」
今度はミルドレッドが眉をしかめる番だった。ミルドレッドは、青年画家がぼんやりと目を向けた中庭に視線を移すと、また頬を膨らませた。
彼の心に空いたままの穴。
それを塞ぐために、今、こいつが、一番優先していることっていったら、自分にプロポーズすることではなくて、あの中庭に止めてあるバイクを乗りこなすことなのだから。
にわかに心に沸上がってきたヤキモチめいた気持ち。ああ、駄目駄目、こんなことだから、私はいつまでたっても、”大人の女”になれないのよ。
脳裏にお色気たっぷりだった女教師の姿が浮かぶ。
騙し合いだったとしても、イヴァンだってあの女とは、あんな事もこんな事もやっちゃたみたいな……(ミルドレッド視点)いっぱしの情事の相手として扱っていたではないか。ミルドレッドはしばし自己嫌悪に陥ってしまった。とはいっても、大人っぽく見えても、彼女はまだ15歳で、そこが、キースがあと一歩を踏み出せない理由でもあったのだ。
「ねぇ、キース、イヴァンは、何であのバイクをここに残していったのかしらね。到底、あんたには乗りこなせそうもないあんな大型バイクを」
「……知らねえよ。でも、言っとくけど、今じゃ少しは俺だって、あのバイクを動かせるようになってるんだからな」
相変わらずの歯に衣きせぬお嬢様の言いっぷりに口を尖らせたが、
「でも、あれは、あいつの遺品みたいなもんだから、きちんと乗ってやらなきゃ駄目な気がするんだ。ミリー、あのバイクの後部座席に一番多く乗って、一番多く、あいつに助けてもらったお前になら、その気持ちって分かるだろ?」
漆黒のKAWASAKI ZEPHYR1100。そう、かつて、ぶっちぎりのスピードでロンドンの街を走り抜けたあのバイクの後部座席にミルドレッドは格別の想いを持ち続けている。
真摯な琥珀色の瞳を真正面から向けられたお嬢様は、彼の問いに素直に頷かずにはいられなかった。
けれども、彼らは知らなかったのだ。その漆黒のバイクの後部座席が、まったく別の少女の想いを今でも背負っていたことを。