3.12月25日が終わる前に
「はぁ、あったかい」
招き入れられたアトリエで暖炉に手をかざし、ミルドレッドは、ほっと息をはいた。
それにしても、超セレブで学園の男子に大人気の私が、
なんでクリスマスに、
あんな物陰に潜んで、
こんな貧乏画家のアトリエを覗くようなストーカーまがいのことをしなきゃならなかったのよ!
漆黒の瞳から浴びせかけられる、非難ごうごうの視線。それがものすごく痛い。
「そ、それはそうと、ミリー……、今日って、クリスマスなんだよなっ」
「ああ、そういえば、そんな日もあったかしら~。忘れてたけど」
さっきまで、窓の下で恨めしげに叫んでたくせに。
「まぁいいけど……ちょっと、これを見て。これは、まだ、未完成なんだけど、色々と描きくわえて、今日中に仕上げなきゃいけない絵なんだ」
「今日中に」
「うん」
首を傾げながらも絵のこととなると、少女の眼差しはとたんに真剣になる。そうこなくちゃと、キースは、描きかけたキャンバスをくるりと手前に回した。
「……樅の木! クリスマスツリーね」
キャンバスいっぱいに描かれた常緑の針葉樹。
グラスグリーンの瑞々しさと、マカライトグリーンの宝石色が、真白なキャンバスの上で、鮮やかに溶け合っている。
「キースが描いたのね。相変わらず綺麗な筆使い。でも、それって、クリスマス用なのに、飾りが一つもついてないわ」
「うん。この絵を完成させるのは、ミリーと一緒にって前から心に決めてたから」
「えっ」
心臓がとくんと音をたてた。だが、お嬢様は首をぷるんと横に振った。変な期待は禁物だ。こいつは、たいしたことのないことに、時々ものすごく(無意識に)思わせぶりな台詞を吐く。いつもそれに踊らされて、私は馬鹿を見てるんだから。
だが、困惑のお嬢様をさらに惑わすように、青年画家は、
「でさ、いいことを思いついたんだ。この樅の木の絵に、お互いが思いつく最高に合うオーナメントを順番に言っていって描き足すんだ。それで、”俺たち二人で”極上のクリスマスツリーをこのキャンパスの上に完成させるっていうのはどう」
くわんと彼の足元で、パトラッシュが”いいね!”と言いたげに鳴いた。
”俺たち二人で”
思わせぶりな上に、相棒の中型犬までが共謀している。
持っていた絵筆をペインティングオイルの壺につけながら、笑ってうなづき、こちらに視線を向けた彼の琥珀色の瞳が眩しすぎる。
ミルドレッドは焦った。
「は、はぁぁっ、今や、シティ・アカデミアの経営にまで関わりだした私が、この”忙しい年末”に、”こんな場所”で、”こんな貧乏画家”とお絵かき? ば、馬っ鹿じゃないの。何、悠長なこと言ってんのよ」
「……」
……その”忙しい年末”に、”寒風の中庭”から、”貧乏画家のアトリエ”を1時間以上も覗ってたのは、どこのどいつだよ。
キースはむくれた。ここで、ミルドレッドが”うん!”と言ってくれたら、彼も上手く自分の気持ちをまとめれそうな気がしていたのに。ついでだから言っておくが、貧乏貧乏と、それが枕詞みたいになってしまっているが、今ではキースの描く絵にだってそこそこの高値がつくようになってきているのだ。
そりゃ、カーンワイラー家の資産と比べりゃ塵みたなもんだろうけど。
ミルドレッドは、閉口する青年画家に目を向けて、自分の毒舌を呪わずにいられなかった。せっかくのクリスマスを台無しにしたいわけじゃないのに。何でいつも私は……馬鹿馬鹿馬鹿と。
気づまりな沈黙から逃れたい一心で、視線を中庭の方に向ける。すると、窓の下に止めてあった黒塗りのバイクが目に入ってきた。
kawasakiゼファー 1100
体育系にはほど遠い青年画家が、筋トレまでして、乗りこなそうとしている大型バイク。
その元々の持ち主は、ミルドレッドにとっても忘れることのできない人物だったのだ。
イヴァン・クロウ……
背徳の香りをぷんぷん撒き散らしているわりには、キースとミルドレッドが困った時には、いつも助けてくれた男。けれども、彼は愛車だけを残してこの世から消えてしまったのだ。
イヴァン、何で、消えちゃったのよ。あんたがいなくなってから、キースとだって、喧嘩ばかり……。
彼がいてくれたことで、キースとミルドレッドは、互いの行く道が同じであることに気がついたのだ。
”泣くな。そして、さっさとバイクの後ろに乗りな。俺がシティ・アカデミアまで送っていってやるから”
彼の優しげな言葉を思い出すと、ミルドレッドは哀しくなってしまった。
もう1度、乗りたかったな。
あの漆黒のゼファーの後部座席に。
不思議と彼に会った後は、毒が抜けたように心が軽くなったのだ。
未完成のままで、仕上げられるのを待っているクリスマスツリー。
ミルドレッドと同じように困惑した表情でアトリエに立つ青年画家が持つキャンバスの中で、マカライトグリーンの葉が鮮やかに輝いていた。




