17.きっと奇跡が起こるから
聖夜の空に突然、現れた闇の主。それと同時に黒雲の中から稲妻めいた笑いが起こった。
”私は、破壊者。破壊するものが消えぬ限り、私はいつでも、降臨する。それが、神が生まれた祝祭の日。洗礼の水で清められた聖なる場所であっても!”
キースは燃え始めたもみの木から逃げることもできず、枝にしがみついたまま、おそるおそる上を見上げた。町を飲み込もうとする悪魔の攻撃は、純白の羽が起こした風でかろうじて阻止されていたが……。
こ、怖すぎるよ。あ、あれって映画で見た「天使と悪魔」のポスターと同じ顔じゃないか……。
漆黒の雲の中にぱっくりと開いた真赤な口が見える。3D映像どころか4D? いやいや、これは映画やポスターじゃないぞ。ホンモノの悪魔は、視覚で感じる以上の悍ましく、傲慢で、禍々しいオーラを放ちまくっていたのだから。
町は、恐怖に凍りつき、見動きする者は一人もいない。動いているのは、もみの木とピータバロ大聖堂が吹き上げる火の粉だけなのだ。それらは漆黒の空に立ち上る血吹雪のような赤だった。ぞっと背筋が寒くなる。頼みの綱の天の白羽も火の勢いに巻き込まれて除々に姿を失い始めている。
燃える町、流れる血、それを食おうと待ち構える悪魔の舌。
ヤバい……このままだと、ピータバロの町は真っ赤っ赤になっちまう。
赤は赤でも、そんな恐ろしげな赤は、絶対に絶対に使いたくも見たくもないよ!
青年画家は震えながら、ちりちりと痛む首筋に手をあてた。イヴァン・クロウ! 奴は何やってんだよ。理由は分からないが、この何時、ついたかも知れない傷が疼く度にあのヤバくて頼りになる男が、近くにいることが分かるのに……。
これまでも、色々な窮地を切り抜けてきたけれど、相手は悪魔なんだぞ。あああ、こういう場合は、どうすればいいんだろう。
大混乱すると、妙に下らない事が脳裏に浮かんでくる。無駄だと分かっていたけれど、キースはとりあえず、声を大にして空に叫んでみた。
「悪霊退散!」
”はははははははは! 小物が! 陳腐な戯言を”
空から即座に返ってきた返事。
小物……だよな。
そりゃそうだ。この”超大物悪魔”にあの”超小物のエクソシストの神父”からの受け入りの台詞を言ったって、効くわけないんだ。
けどっ、このまま、ピータバロの町を終わらせるわけにはゆかないんだよ!
* *
「ちょっと待てよっ! 僕の守備範囲はそんなに広くないんだからっ」
ピータバロ大聖堂の祭壇の横から聖ミカエルの肖像画を引っぺがし、鐘楼のある2階へ駆けあがってゆくミルドレッド。燃える天井から彼女の上へ大量の火の粉が降り注いでくる。その後方からティルは、最大限のオーラを解き放って、それらを吹き飛ばす。
「待てないわよ! キースをあんな化物に食われてたまるもんですか!」
キースって、イヴァンがゼファーを託したあのお兄さんか?
彼の背中の温かさを思い出して、ティルは不思議な想いに首を傾げた。
どんなに守られてたって、自分の力くらいでは炎の熱さまでは抑えきれない。それなのに、無鉄砲に炎の中を前進するこの娘といい、イヴァンといい……
何で、あのお兄さんをみんなして好いてるんだろ?
それは、暗い世界に身を委ねてきた小悪魔には、よく分からない感覚だった。けれども、胸にぽっと灯った希望の灯がその気持ちを高ぶらせた。
”きっと奇跡が起こるから”
ティルの意識がミルドレッドの体を乗っ取ったのは、そんな言葉が浮かび上がった瞬間だった。




