日常1
声が、叫びが、悲鳴が翔ける。
薬莢や、血や、命が飛ぶ。
これは戦争で、ここは戦場。
右手には剣が、左手には盾が。
どちらも鉄の重みを兼ね備えており、
多くの重みが体に乗る。
残念なことに、俺の瞼は開いており、
反対に、友の目も開いてはいるが、光はない。
元居た世界では阿呆とも思えるほどに“平和学習”とやらを受けたが、
今こうして戦禍の中に身を浸していれば、勝手に身に染みてくる。
あぁ、あれ程までに無駄で、かつ優しい時間はなかった。
今の子供らも、一度や二度くらいは人を殺したほうがいいだろう。
疲れのせいか、絶望からか、ふと目を伏せってしまった。
その視線の先には、あろうことか“戦場に咲く一輪の花”。
ここに咲いているからには、当然ここで流れた血を吸って咲いたのだろう。
それなのに、自分だけは白いままでいるその姿は
俺の瞳には皮肉にしか映らず、たまらず踵で踏みにじった。
晴れた空の下で、醜く姿を変えた元“それ”は、
今の俺の様を体現してくれたようで、
これまたたまらぬ程に、酷く滑稽であった。
俺は、自嘲気味に光のない笑みを浮かべるしかなかった。
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ふわりとした陽気に三度寝を誘われるが、
痛いほどに乾燥した喉に我慢ならず、不安定な足取りで水場へ向かう。
目の帳を下ろしたままで水道の蛇口を捻りつつ、空をまさぐる。
ひんやりとしたコップらしきものを掴み、中ほどまで注いでから音を立てて飲み下す。
少し塩素の匂いを残した水が、通った先々を潤してくれる。
お陰で芯から目が覚めた。
ガラスのコップをそっと流し台に置いた後、両の手を天に掲げて大きく息を吸う。
そして今更ながらに自分が寝起きであることに気づく。
同じ動きが習慣化してしまえば、考えずとも体が動くというもの。
自分の計画性が誇らしくもある反面、
一度一度自分で考えながら動くことが減ったことが少しだけ寂しくもある。
朝から無駄に感傷に浸りつつ、自慢の木製置時計に目をやる。
......あれ、今日会議だったよね。
一応7時半に家を出るはずだが、かの時計君は7時と5分を指している。
自分の計画性が誇らしくもある反面、
どれだけ現状がヤバいかどうかが分かってしまい、かなり焦っている。
どうしよう、残り25分...あっ24になった。
(今日くらいはベースメイクだけでいいかな?
でも雑だったら雑だったできっと何か思われるんだろうし.....)
まっっっっったく、今の世の中、男尊女卑がなくなっているなんて言うが、
細かなことは何にも変わっていないじゃないか。
例えばメイク。
ピッチリやれば「おぉ、気合入ってんね(笑)」とか思われるし、
雑にやれば「メイクぐらいちゃんとやれよ」とか思われる。
最近じゃぁ世のおじ様たちまでもメイクしだしたりして。
余計に女性が見比べられるじゃん。やめてよ、ほんと。
それに加えて、可愛いって世間で言われているのをやれば、
その後直ぐに、マツコとかのマスメディアが「あれはブス」とか言うし。
はぁ。
とか思っている間に洗顔、歯磨き、そして何とか無難メイクの完成。
手短に髪を梳いてから、適当にハーフアップに纏める。
鏡で顔の両面を確認し、よし、と頷いてワイシャツに袖を通す。
ここまでで約15分。
自分の俊敏さに敬服しつつ、やることはやっていく。
朝の能天気お姉さんの挨拶に答える代わりにTVの電源を切り、
もう一度、よし、と今度は声を出しローハイヒールに足を通す。
出るときに時計を確認したせいで、余計に不安な心持ちでバス停に向かうことになった。
かつかつと軽快に踵を鳴らしながら、内心でタイトスカートの可動域の狭さに悪態を突く。
逸る心に対して身体が嘲笑ってくるが、
自分の若さに全力で賛票を送ってから、気持ち大きめに足を踏み出す。
どうやら一本遅れに間に合ったようだ。
視線を巡らせば、自然、溜息が出る。
平日の公共交通機関は、座席どころか通路にまで人が溢れている。
タバコ臭いおば...お姉さんに顔をしかめつつ、窓の外を眺める。
途中、お年寄りに座席を譲る、清く正しい社会の含蓄物を横目で流し見ながら、
蚊が鳴くような小さな声で、中島美幸の「ファイト」を口ずさむ。
隣に立った、清く正しい青年が訝しむような眼をスッと、一瞬だけ向けてきた。
そのせいか、何故か少し頬が熱くなった。
風邪かな、恋かな、恥辱かな。
そして何故か脳内で星野源が恋を歌い始めた。
まじかぁ、これがこいかぁ。
27年の生涯でまさかの年下への初恋。
ふざけたことを脳内で描きつつ、時間を流していると
乗り換え先の駅が見えてきたため、戯れを一旦切り上げてちゃんとバスから降りる。
たった二駅のために国鉄を利用させてもらっている。
どうやら電車も一本遅れに間に合ったようで、
階段を駆け下り、大量に人が出てきた扉に入る。
その時に扉の横側を陣取る人と目が合ってしまった。
(...ていうか邪魔なんですけど。)
心の中で悪態を突きつつ、自分も反対側を陣取る。
今更ながらに右手にスマホを装備し、
ほぼ無意識的にロック解除、からのTwitter展開。
流れるように自身のルーティーンをこなし、
さして面白くのない4コマ漫画に思わず口元を緩め、
また新しく結婚の報告をしてくる芸能人に舌を打つ。
たったの二駅はまさしくあっという間で、
私が洗濯物を干し忘れていたことに気づき、アッといっている間であった。
くそぅ、雨降らないかな。
× × ×
事務所の扉を開けば、楽しいお仕事の始まりだ。
なんとなんと、残業からお持ち帰りまでのフルコース&タイムカード無し~真っ黒い背景を添えて~
この部屋のボスである課長から、直々にお渡しされる真っ赤な書類。
限りなく見難い文字で説明書きが乗っている。
汚い更紙のお品書きを見て、本日二度目の溜息を吐く。
天国のじっちゃんの名に懸けて仕事を完遂してやりたいが、
残念ながら楽しい快楽殺人事案ではなく、
いったって平和な先輩の尻拭いだ。
血は見ないが泣きを見るだろう。
秒針に急かされつつ、会議の時間まで、必殺サイレントブラインドタッチをお見舞いする。
何故か昨日の最後30分程のデータが消えていたが、まぁいいや。
数十分前よりも確実に老けた顔を晒しながら会議に出席し、
首をフリフリすることが得意な先輩たちに案を惜しみなくひけらかす。
なかなか縦にフリフリしないエセペコちゃんたちに青筋を浮かべるが、
残念なことに私の仏フェイスはまだ3分の0.5残っているので我慢する。
更に、私の残基は二回変身を残しており、さらにさらにリバーシブル機能も付いている。
どうだ、なかなかに我慢強いだろう。
たまに暴発するのは見逃してほしい。
どっと疲れた。
ああぁぁぁあああ、ちかれた。
ホントに、誠、マジのガチでヤバみざわ。
語彙の低下は許して候。
× × ×
昼休みにコンビニへサンドイッチを買いに行った。
ついでに近くの公園のベンチに腰掛け、そこで食べることに。
この毎日食べている228円のサラダサンドはほんとにおいしい。
食リポは得意ではないが、この素晴らしさは是非とも世に知れ渡らしたい。
まず、見た目が艶やかで楽しい、それでいて食をそそる新鮮なかほり。
次に、唇に触れた瞬間のパン生地のふわっと感じる甘味。
歯を立てた瞬間に、シャキッと音を立てる瑞々しいレタス。
その先から流れ入る優しいトマト果汁。
そしてトドメのワイルドハム。
完璧なバランス・調和、素晴らしい栄養量、最っっっ高の満足度。
うん、なんか落ち着けた。
両膝をパンと手のひらで打ち鳴らして立ち上がり、
少し軽くなった足を回して事務局へ戻る。
(.....? なんだろ。もしかして地面揺れてる?)
妙な違和感を覚え、視界の端から端を確認する。
あたりは完全な無風で、当然、木々も静かに佇んでいた。
それが、なんでか不気味に映った。
ふと落とした視界の先で、左手に持つスマホのディスプレイが
休憩時間を大幅に過ぎていることを示していた。
ひゅん、と、胸の奥に冷たい風が一筋通り、額に汗が浮かんだ。
憂いと焦燥を顔に滲ませて歩を急く。
(最近こんなのばっかな気がする。)
激しく落ち込みつつ、出来るだけ前向きな溜息をつく。
既に切り替えを終え、言い訳が脳内で飛び交う。
(う~ん。眠たかったんです、とか?)
適当こいて逃れようと、非常に浅ましい葛藤を抱える。
詫びればたちまちに先輩らは調子づく。
くそぉ。謝りたくないよぉ。
(.....?)
頬に水滴がつたった。
汗か涙か迷ったが、どうやら雨のようだ。
しとしと、しんしん、と至って慎ましやかな小雨が都心を覆う。
あたりが腫れぼったくむくんだように見えて、自然私は落ち着かされた。
別段何でもない景色は、私の心に水を打ち、アンニュイな気持ちにさせた。
はぁ、.....Sorry,it's my joke.
急に気取りたくなったが許してほしい。
誰だよ、雨降れとか考えた奴。
お天道様はいつも見てるんだよぉ?
「痛った!」
声の発信者は私。
誰かが背中に何かしやがった。
思ったよりも大きな私の声は、多くの人の注目を集めてしまったようで、
皆がこっちを見ている。
決して自分のせいではないが少し恥ずかしい。
しょうがないから誰かを許して足早にその場を去る。
(てか、事務局こんなに遠かったっけ。)
多大な視線を背に負い、苛立ちを新たに抱えて道を急ぐ。
× × ×
歩を進めているといくらか気が付くことがある。
あれ、おかしいな。
なんだか背中が痛いと思ったら、だんだん寒くなってきた。
てか、なんか足にトロッとしたあったかいのが滴ってるんだけど。
この年でお漏らしか...いや、ナプキン付け忘れたかな。
あれ、おかしいな。
なんでか足動かないなって思ったら、視界が横向いてる。
てか、視界がめっちゃぼやけてる。
コンタクト外れたかな...いや、つけたことないけど。
あれ、おかしいな。
なんかよくわからないのに涙出てきた。
てか、あれぇ、おっかしいなぁ。
身体が地面に染み込んでいく。
お漏らしにコンタクト忘れながらよく分からず地面のシミになる。
こんなに面白いことはあるだろうか。
薄く見える私の世界には目の前にトラックの前輪が迫っていた。
気づいてないのかな、まぁ、トラックのおっちゃんは下向かずに斜め上見て生きてるもんね。
頑張れ、おっちゃん。
私は目をつむって踏ん張っとくわ。
そこで私の世界はシャットダウンしたらしい。
瞬間、体が浮いた。
というよりも地面が落ちた。
場違いな感想な気がするが、さっきまで私の体を包んでくれていた、
冷ややかなコンクリートが離れて少し寂しい。
微睡みを抱えたまま、いざ3度寝に向かおうと、自身にかかる重力に従う。
疑似的なレム睡眠状態のせいか、いくつもの人生のような夢をみる。
お陰様で、何故か悟りの境地にたどり着いたかのように達観できている。
少しずつ思考が冴えだし、意識が戻ってくる。
(あれぇ、これ、私、落ちてるぅ.....?)
そして、同時に多大な不安要素に気づいていた。
「はぁ。」
今日何度目かの溜息がこぼれ、私のしあわせが逃げていく。
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嫌、嫌、嫌。
暗い、暗い、暗い。
これは戦争で、ここは戦場。
私は生きてた。
彼は死んでた。
ね。
何が違ったのかな。
どこで間違えたのかな。
哀しみと情けなさを浮かべ、また一歩、また一歩。