18
使用人たちが慌ただしく走り回る足音が響き渡る。
今、屋敷の中は、にわかに忙しくなっていた。
それというのも、ある高貴な客人を迎える準備が必要となったからである。
高貴な客人……それは玲華の兄であり後見人でもある第二皇子、つまり呉羽のことである。
彼の、
「大事な妹の様子を見に行きたい」
という鶴の一声で、それは決定したのである。
その事実を玲華に知らせたのは側仕えの千早ではなく龍綺であった。彼は、
「お前も準備をしておくように」
と、それこそ大層面倒くさげな表情で、そう告げた。口にこそ出さないが「面倒事を持ち込む兄妹だ」とでも思っているのが、その表情にありありと浮かんでいた。
☆
そして、準備に追われているうち、瞬く間に当日の朝を迎えた。
屋敷の中は、日も昇らぬ早朝から饗応の準備で忙しない。また、女性たちが色めきだっているのが、傍から見ていても分かる。
何といっても呉羽は、氷の王と呼ばれる龍綺ほどではないにしろ見目麗しい青年で、未婚の皇族だ。浮名を流してこそいるが、これと決まった相手がいるという話は聞いたことがない。
つまり第二皇子の側室の座を狙う女性たちが、何とかして彼の目に止まろうと、躍起になっているようだ。
しかし玲華にとっては、
(皇族の妻なんて、とても大変でしょうに)
という感想しか抱くことができない。この翔の国以上の権謀術数の波にさらされるかと思えば、うんざりすることばかりだ。そういう思考の玲華にとって、進んで妻の座を望む女性たちの気持ちが、理解しづらい。
しかし、幼い頃から、そういった世界に慣れた彼女たちにとっては、政治的な煩わしさなど、取るに足りないことなのだろうか。
自分もそうありたいと願うが、生まれ育った環境が違うので、真似することはできない。
一人、小さく溜め息をついた玲華だったが、すぐに気を取り直し、高貴な客を迎えるための身支度を整えて龍綺の訪れを待つ。
当然ながら皇族である呉羽の対応は、夫婦二人揃って行う必要がある。
果たして、龍綺は玲華の部屋に時間どおりにやってきた。
「……行くぞ」
そう言う彼は、相変わらず、わずらわしげな表情を隠そうともせずに、準備を淡々とこなす。
そうして二人は、屋敷の表門にて、呉羽の到着を出迎えたのだった。
☆
仰々しい程の護衛に守られた豪奢な馬車。呉羽はその馬車から降りるなり、玲華の姿を認めると、
「我が愛しの妹君のご機嫌はいかがかな」
と飄々とした口調で言いながらその手を取り、甲に軽く口づけた。そして龍綺に対しても、
「私の妹が迷惑を掛けてはいないかな」
と穏やかに問いかける。すると龍綺もまた、
「まさか。私にはもったいないほどの方です」
と思ってもいないことを、にこやかに返答する。そして、仲の良さを強調するかのように、玲華の腰を抱いた。
……一見、気の置けない挨拶を交わしているように見えるが、実際は互いに――特に龍綺の方だが――ぴりぴりしていることに間違いない。その証拠に、玲華の腰を抱く手から微かな緊張が伝わる。
しかし、その様子をおくびにも出さないところは、流石である。
一方で、如才ない呉羽もまた、誰に対しても気さくな態度で挨拶をし、人々の好感を得ることに余念がない。出迎えの人々に、惜しみなく手を振っている。
ちなみに、何となくではあるが、呉羽のそういう部分を、龍綺が苦手としているように感じられた。
呉羽が周囲に視線を送ると、特に女性たちがそわそわし始める。それと同時に、彼女たちは玲華を比べ見る。そして呉羽と違って華のない妹皇女の姿に首を傾げるのだった。
さて、愛想を振りまき続ける呉羽を伴って、玲華と龍綺は予定に従い貴賓室へと向かおうとすると、客人は唐突に、
「私としては、先に玲華の私室を見てみたいな」
と言い出した。想定にない申し出に、玲華の目が丸くなる。一方で、龍綺は表情を動かさなかったが、恐らく内心では「やはり面倒事を言い出した」とでも思っていることだろう。
行程の変更は先々にまで影響が及ぶものの、皇子の要望を無下にするわけにもいかない。そのため、呉羽の望みは、すぐに叶えられることになった。