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龍綺は夫であるため、公式な行事では顔を合わせるものの、私生活ではほとんど接触のない相手だ。
もちろん夫婦という形式は守られており、必要があれば面会可能である。が、玲華としては不必要に彼と接触したくないというのが本音である。……相手もそうだろうが。
そのため、結局話を切り出すことができたのは数日後の夕食会に参加した時だった。
食事会を終え、来客向けの愛想の良い仮面を外した龍綺が、いつものように億劫そうに、その場を立ち去ろうとしたところを、玲華は思い切って声をかける。
「あの」
さすがに龍綺も、玲華の声かけを完全に無視をするほど大人げないわけではないので、不審げな面持ちながらも足を止めた。
「……何だ」
短い返答からは、玲華にも「手短に」用件を伝えるよう求める圧力を感じる。恐らく玲華のために時間を割くことを良しとしないのだろう。しかし、
「少しお話したいことがあるのですが」
と玲華が怖じ気づかず、まっすぐに見詰めると、龍綺はようやく玲華の顔に視線を向けた。
冷たい瞳が玲華を射貫く。
しかし、そんな眼差しも日常茶飯事となれば、最早怖じ気づくこともない。
そもそも、彼が立ち止まったということは「一応話は聞く」という意思表示をしたことに他ならない。……相変わらず、自分から口は開かないのだが。
そのため玲華が、
「南の端にある、小さな庭のことなのですが」
と切り出すと、彼は一瞬「何のことか分からない」といった表情で眉を寄せたが、しばらく考えた後、
「ああ、あのうらぶれた庭か」
とその存在を思い出したらしい。しかし、次の瞬間には不審げな表情で、
「それが、どうした?」
と尋ねてくる。途端に面倒くさげな声になったのは、庭くらいのことで俺を呼び止めるな、とでも思っているせいだろう。
しかし、目的を果たすためには彼の態度に一々臆する時間ももったいない。
「手入れの許可をいただきたいのです」
玲華が彼の求めに応じ手短に告げると、
「……お前が手入れをするのか?」
と聞き返された。玲華は正直に答える。
「いえ、元々あの庭の庭師をしていた方がいらっしゃっるのでしょう? その方にお願いしようと思っています。私も、手入れの仕方を習いたいとは思っていますが」
すると、龍綺は目を眇めた。何か探るような目付きだったが、玲華には特段後ろ暗いことがあるわけでもない。
身じろぎせず返事を待っていると、
「勝手にするがいい」
との回答を得た。口調は大層投げやりだったが……つまり、許可が得られたということだ。
何だかんだと龍綺と対峙して気が張っていたようだ。玲華がほっと軽く息を吐くと、龍綺がつまらなそうに鼻を鳴らした。
「……正妃なら正妃らしく、華やいだ場所に身を置けば良いものの」
流石は鄙びた僻地に追いやられていたという皇女様だな、と嫌味を付け加えることを忘れないのが彼らしい。要するに貧乏くさいということを言いたいのだろう。
生まれつきの皇女ではない玲華としては、龍綺の認識に対する反論の余地はない。否定するだけ無駄であるので、さらりと聞き流すと、龍綺は面白くなさそうに、もう一度鼻を鳴らした。そして
「用件はそれだけか?」
と、いかにも「無駄な時間だった」という様子で確認し、玲華が頷くと、そのまま足早に立ち去って行った。
その後ろ姿を見送りながら、
(良かった)
と玲華は安堵の息をつく。
龍綺の態度がどうであれ、あの庭を使用する許しを得たことは幸いである。
玲華はその足で、あのうらぶれた庭へと向かい、園也に今後の手入れを任せることを告げた。
もう一度、庭に関わる仕事ができることになった老庭師は、
「では、僭越ながら、お妃様にも庭の整えかたをお教えいたします」
と、それはそれは嬉しそうに笑ってくれたので、龍綺との緊張したやりとりも無駄ではなかったと、穏やかな心持ちになった玲華だった。