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それが、魁を弾いた最後の記憶だ。
少年と別れてしばらくして、玲華の家に見知らぬ男が二人……ちなみに一方は呉羽であった……尋ねてきた。彼らは玲華を「皇女」と呼び、庇護の必要があるため、同行するよう求めた。
突然のことに理解が追いつかない玲華は、
「病気の母がいるので、ここから離れられません」
といった旨を告げると、母も面倒を見る、と説明された。さらに、
「君の求める治療を全て提供しよう」
と告げられたことを今でも鮮明に覚えている。
その待遇と引き替えに、家にあるものは何一つとして持っていくことを許されなかった。その日から玲華は「貧民街の娘」ではなく「皇女」であることを求められたのである。
そのため当然、魁も家に置いたままであるので、今はもう、家と共に取り壊されているのだろう。
魁はあくまで暁の国の楽器であったので、この皇国では見かけることもなく、また玲華自身、楽器より歌うことを愛していたので、あまり、それがないことを気にしたことはなかったのだが。
しかし、こうして実物を見ると、懐かしさがこみ上げる。
玲華が魁を眺めていると、千早が興味津々といった眼差しでこちらを見つめてくる。そして、
「玲華様」
と瞳を煌めかせながら、少しばかり身を乗り出してくる。
「その……音を聞いてみたい、とお願いするのは駄目でしょうか」
見たことのない異国の楽器の音色が気になるのだろう。
特に断る理由もないので、玲華は「そんなに上手じゃないのだけれど」と一言断って、魁を構えた。
魁で奏でるのは簡単な伴奏で、それに乗せて、玲華は静かに口を開いた。紡ぐ旋律は、皇国の民間に伝わる調べである。決して伝統的な、または高貴なものとは言いがたいが、この美しい旋律が、玲華は大好きだったのだ。
その優しく暖かな歌を歌い終えた後、千早を見ると、彼女はうっとりしたように目を閉じていた。しかし、魁の伴奏が終わると彼女ははっと慌てて目を開くと、
「あっ、すみません! すっかり聞き入ってしまっていました!」
と正直に謝り頭を下げた。玲華としては、聞き入ってもらえたのなら、むしろ嬉しい反応であるので、
「いいえ。こちらこそ聞いてくれて、ありがとう」
と微笑んだ。二人の間に、和やかな空気が流れる。雑談しやすい気安い雰囲気になり、千早も年相応のくだけた様子で、こう続けた。
「玲華様の声、とても澄んでいて綺麗です。それに、その歌、とても素敵です!」
「ありがとう」
この地における他者からの賛辞は、裏がありそうで、なかなか素直に受け入れがたいところがあるのだが、千早の言葉は、彼女の人柄が為せるわざだろうか、すんなりと受け入れることができる。
「他にも色々ご存じなんですか?」
「そうね。少し昔流行した市井の歌なら」
宮廷で奏でられるような、格式高い歌は知らない、という意図を込める。飾らない態度で接することができる千早との距離感が心地よかった。
「たまに、こんなふうに歌ってもらえませんか?」
屈託ない表情で尋ねる千早に、
「私の歌で良ければ、喜んで」
と玲華は、そう応じた。
それは時間を持て余す玲華にとっても、願ってもない申し出であり、そう言ってくれた千早に心から感謝した。