1-7 作戦実行、そして異能
と、三週間前にほくそ笑んでいた俺を殴り倒したい気分だった。
そう、三週間だ。
俺が容疑者を見極めるために使った時間の総計がそれだった。
それは非常に苦痛に満ちたものだった。
いつ警察が動いても良い様に、所内に忍ばせたスライムから、情報を集め続けた。
と同時に全ての容疑者の証拠を掴むという作業を並行で行う。
そんなダブルタスクを、昼夜問わず、延々と、三週間。
まさしく苦行だった。まさに苦難だった。
地道な作業をタイムリミットを見極めつつやるということは、本当に筆舌し難い。
まあ、幾ら辛かろうとこっちは自由に動く盗聴盗撮器がある。
偽の証拠が散りばめられたファンタジーな事件を追う警察の捜査よりも簡単だった事は、同意しよう。
何せ彼方は無意味に駆けずり回らないといけないが、俺はこうして自室のダンジョンから様子を覗き見ればいいだけでなのだから。
だが、彼方は集団で、此方は単独なのだ。
もう一息だと激励しあったり、次こそはと慰め合ったりできないのだ。
それだけで、受ける苦痛は何倍にも変わるのだ。
ああ、世界を変える前に精神崩壊する所だった。良く生きていたと思う。
「しかし三週間か。特定作業には多少短すぎた気が有ったが、仕込みには余裕だったな」
特定作業だけでは、きっと廃人になっていただろう。余裕で楽しい仕込みがあったからこそ、今の俺がある。
そう、仕込みの時間は逆に、楽しすぎた。
この点だけを言えば、三週間は俺の味方だったからだ。
いやもっと言えば、『時間』そのものが俺の味方と言える。
時が経てば経つほど、俺は有利になって行くのだ。
時間が経てば経つほど、高笑いをしたくなったものだ。
その仕込みのせいで体調不良になってはいるが、それを加味したところでこの喜びは崩れないだろう。
それと苦行を天秤に掛ければ、丁度釣り合いが取れるに違いない。
「今からお披露目が楽しみだ」
くつくつと笑っていると、時計が目に入った。そろそろ登校の時間だった。
そう。やることを終えたと言って、のんびりとはしていられない。
きちんと適切なタイミングを見計らって動き出さないとその仕込みも水の泡だ。
しっかりと警察と飯塚の動きと、此方のタイミングをかち合わせる必要がある。
「さて、と。どう動くかな。あいつらは」
とにもかくにも、動きがあるまでは俺は学生だ。そして学生は登校する義務が生じる。
今日も異様に体が重いが、リュックを背負うとしよう。
そう思って登校した早々、俺を待っていたのは美少女からのお誘いだった。
勿論、少女の頭に付いている漢字はお世辞だ。
「おはよう。少し話してもいい?」
と、人を食わんばかりの眼差しで行ってくる女学生、日暮を心の底から賛美なんて出来やしなかった。
登校早々、校門の前で日暮からそう言われ、俺は教室ではなく屋上へと連れ出された。
警察よりも飯塚組の方が動きを早かったと言う訳だ。
さて、この学校は今時珍しく、屋上に好きな時に行ける珍しい学校だった。
『事故防止用』と銘打たれた自殺防止用金網で覆われた屋上は、風が微かに吹いていて、少し肌寒い空気を作り出している。
そもそも屋上で仲良く談笑、と言う季節ではないか。
それに、そんな雰囲気でもないしな。
屋上のジワジワと冷やすような空気と反比例する様に、彼方のボルテージは高まっているようだった。
空気は寒いのに、此方は激熱、と言った風である。
憎しみの籠ったその眼が、真っ直ぐ向けている。
拳も固く握りしめていて、今にも殴り掛かりそうだ。
うん。可能性はある。いや濃厚だ。
何せこいつは撲殺バットの犯人が彼女の母を殺したと思っていて、俺を撲殺バットだと思っているのだから。
現時点でまだ彼女の母が死んだと決まったわけではないのに、そして俺が犯人だという証拠もないのに。
殴るのは早計だろうとは思わないのだろうか。
まあ、実際死んでいて、撲殺バットの犯人は俺なんだが。
「初めまして、だよね。私は日暮あかね」
そう言って自己紹介する彼女は、現状のせいか随分と苛烈なイメージが纏わりついていた。
それも手伝って、冷たい風に靡く長い髪が炎のように見える。
顔立ちも本来は聡明かつ可憐な風貌なのに、阿修羅像の一面に見えて来る。
「初めまして。鳴海です」
「かしこまらなくていいよ。それに時間も取らせない」
しかしその口振り、見た目だけは聡明だと思ったのだが、中身は真逆らしい。
「貴方が私のお母さんを殺したの?」
これはとんでもない爆弾娘だ。
いきなり突っ込んできた。
「言っていることがよく分からないんだが。そもそも日暮さんのお母さんは行方不明じゃなかったのか?」
手の中で紙片を弄びつつ、答えつつ、思案する。
今の問答でこいつはかなり激情家である可能性が浮上した。
下手な論調で合わせれば、即座に暴行事件へと発展するだろう。
だからと言ってしっかりと否定しないのも不味い。
やんわりと何とか穏便に済ませるべきだろう。
それにしても、何だこれは。俺は女子と話しているだけなのに、まるで爆弾解除してる特殊隊員の気分だ。
此方はただでさえ体調が悪いというのに、更に負荷をかける気か。
「そうね。行方不明だって報道されてるけど、警察はもう死んだと見てるの」
「でも死体は出てないんだろう?」
「ええ。だから貴方に早く引っ張り出して欲しいわ。葬式に遺骨もなしなんて寂しいじゃない?」
「寂しいのは同意するが、引っ張り出すのは無理だと言っている。死んだとしても遺棄場所なんて分からないし、まだ日暮の母が死んだと限らないんだろう?」
「そう……」
さてさて、元々こんな会話は苦手なのだが、どうなったやら。
爆発するか。解除できたか。
「そう。ごめんなさいね。変な事言って」
何とか出来たようだ。女学生が行方不明にならずに済んで良かった。
いやしかし、安心はできない。炎の鎮火は全くできていないのだから。
寧ろ火力を上げて、こちらを睨みつけている。視線だけで焼けそうだ。
「でも、少し宣誓させて」
「どうぞ」
「私はお母さんを殺した奴を絶対に許さない。死よりも恐ろしい罰を与えてやるわ」
そう言った瞬間、髪がうねって、横から風が吹いた。
まるで、ここが最終決戦の様な演出だな。
しかもそこに居るのはただの女子高生だというのに。
しかし、成程。確かにこの怒りの炎で焼かれたならば死よりも恐ろしい事になるだろう。
全身を焦がされるか、それとも骨の髄まで灰になるか。
が、愉快な話だ。その相手はとっくに消化されているというのに。
「もし、日暮の母が死んでいたとして、そのお母さんを殺した相手とやらも死んでいたら?」
「?」
「もし殺した犯人が死んでいたなら、どうするんだ?」
「何を……?」
「いや、ちょっとした冗談だ。死んでるかもしれないのに黒すぎたな。悪い」
ちょっと過ぎたか。余りに燃え盛るものだから、少し火を弄ってみたくなってしまった。
折角解除したのに、突いて爆発されるのも困る。このままさっさと退却するとしよう。
「じゃあ、授業の準備をするから」
それだけ言って、引き留められる前に階段を降りる。
さてさて、日暮は仕掛けて来た。そうなると飯塚も来るだろう。
そして梶も来たなら、引きずられる様に警察も押しかけるに違いない。
まさしく芋づる式だ。全く収穫したくない芋だが、蔓が足に絡みついたなら引き抜くしかあるまい。
「そして実は計画内という……くくっ」
唯一の友人だろうが、その友達だろうが、警察関係者だろうが、俺の目的の前には関係ない。
青臭く、下らない、しかし何よりも今やらなければならない目的の前には。
「今日の夕方だ」
そういうと、俺のポケットの中に何かが動く。
それはスライムとは全く違う感触で、思わず階段の半ばなのに笑みが漏れていた。
いやいや、待て待て。全てが動くのは夕方で、お前の出番はそこか、もっと先なのだから。
そう。全てが動くとしたら、飯塚達が仕掛けるとしたら、夕方に違いない。
そしてそれが俺が鳴海と言う名前も学生と言う身分も何もかもを捨てる儀式になる。
さて、彼方はどれだけ準備してきただろうか。
まさか日曜大工で作ることのできる程度の準備で済ませる訳ではあるまい。
「ああ、楽しみだ」
本当に、楽しみでならない。
放課後、影法師を追従させ、町を黄昏に染めながらジリジリと沈む夕日に向かって歩く。
学校に残していた荷物や靴、そして鞄も既にダンジョンに放り込んでいるため、身軽である。
一ヵ月前は延々と続くと思っていた日々も、三週間通い詰めたこの道も、これで最後だろう。
下手すると死ぬかもしれないし、これ以降俺は外には出ないからだ。
「まあ、死ぬのも一興、生きるのも一興か」
人の為に命を浪費するのが常態化した世界では、自分の為に命を使う事こそ最高の贅沢に違いない。
そして、俺が命を使うべく辿り着いたのは、丁字路の正面にある保健所だった。
ここは白スライムでいろいろと調べたお陰で土地勘があり、更に因縁の場所でもある。
片を付けるのも、全てを始めるのも、ここが相応しいだろう。
三週間と言う準備期間で、ここもしっかりと整備を済ませている。
半強制的ながら人払いも済ませていて、更にガス管理会社からこっそり盗んだ立ち入り禁止の立て札もしている。
だから、邪魔者は決して来ない。
その札の奥に居る三人の人影を十二分に歓待出来る。
今までは逆光で見えにくかった。
が、沈みゆく夕日が建物と山の端に消えて、すっかりと詳細が見えた。
予想通りのメンツだった。飯塚と、日暮と、梶。
誰も彼も厳しい表情を浮かべている。特に梶は殺し屋の様な面持ちで、見ているだけで体の芯から震えそうだった。
改めて見ると凄い男だ。無精ひげ、火のついていない煙管を咥える薄目の唇。鋭い鷹の様な眼差し。
ハードボイルドの小説からそのまま抜け出したような存在だった。
そしてその隣にいる飯塚は……微妙に戸惑っている。
いつも教室で見ていたが、いざしっかりと観察してみると、才気あふれる青年と言う他に、主人公、という言葉が思い出される。
情に厚く、冗談も言えて、勉強も出来て……全く凄い奴だ。
きっと俺はこれからこいつと散々戦う羽目になるのだろう。どうやって戦うかは定かではないが、間違いない。
こいつは俺を追い続け、争い続ける。それこそ死ぬまで、だ。
さて、感慨に耽るのも止めて、最後になるかも知れない会話でもするか。
「いやはや、いつもの飽き性が来て欲しかったんだが、三週間も良く飽きずにやってきたな」
「飽きる? そんな事できる訳ないだろ。友達の有事なんだから」
「そうか。今の内に、聞きたい事はあるか? 出来る範囲でなら応えよう」
飯塚は深く息を吸って、聞いてきた。
「お前が撲殺バットか?」
「ああ。そうだ」
「っ」
と言った所で日暮の眼が見開かれて、髪の毛が一気に逆立つ。
同時に梶が煙管で制して留める。
「待て待て。だから何度も言ったが最初の事件は違うって言ってるだろ」
「黙れカジジイ!」
「女がそんな言葉遣いすんじゃねえ」
「殺させろ! こいつを! 今すぐに!」
「だから止めろって。こいつは多分死体遺棄しかしてない。殺したのは、例の男だ」
喧々諤々の言い争いが彼方で始まったが、その端々に興味深い言葉が聞いて取れた。
死体遺棄。殺したのは例の男。色々と事件の事を調べたらしい。
どんな手管を使ったかも知らなかったのに、俺が死体を処分したことも推測したようだ。
一体どんな方法で推理したのか興味が湧くが、それは一生知ることは無いだろう。
言い争いを制したのは、梶だった。
尚も噛み付かんばかりに睨みつける日暮の頭を押さえつけながら、彼が此方を向いて話し出した。
「君は、日暮楓が九条直人に殺された現場を目撃し、九条直人を殺害した。そうだな」
「凄いな。殆ど正解だ。正しくは九条直人が血まみれのバットを持って殴って来たから反撃した、だな」
「ほお、じゃあ質問だ。何故死体を隠した? 日暮楓のものまでも」
楓、と言うのは日暮の母の名前か。
「それが必要だったから、だ。因みにもうこの世にはないぞ。何処を探してもな」
「そりゃ薄々感づいてたからいいぜ」
「よくないっ」
梶の腹を一発殴って、今度は日暮が唸る様に質問を始める。
「教えろ! お母さんは何で死んだの!? 何で死ななきゃいけなかったの!?」
「さあな。直接殺されたシーンは見てないから正確には言えない。ただ、九条って奴はかなり人生に絶望していた節があった。多分その八つ当たりで殺されたんだろう」
「そんな事で、そんな事でお母さんが……殺してやる」
「だからもう殺されたんだって。俺に」
と、言ってみたもののもう聞いていないらしい。
飯塚が最後に話を引き取って、締めくくる。
「殺害方法、死体やその他の物を消した方法。それと動機。この三つは言う気が無いんだろ」
「ああ。ないな」
「そっか。で、自首する気もない」
「当然だ」
「その上、俺達がその答えを聞いてどんな動きをするかも、分かってるだろ」
「ああ。だが俺がそれでどう動くかも分かってる筈だ」
あいつらはこの機会を逃すまいと準備をしてきた。
それでもって俺を逮捕しようとするだろう。
だが、俺もこの時の為に準備をしていて、俺はそれで抵抗する。
きっと彼方には御自慢の策か何かがあるのだろうが、俺の攻撃は波状攻撃かつ即死系だ。
加減をしない限り、死ぬだろう。
「止めとけ。間違いなく死ぬぞ」
「それはこっちの台詞だ」
さて、では……。
「なら大義の為に死んでもらおう」
ポケットの紙片から黒スライムを大量に出して、襲わせる。
地面を高速で這いまわるその様は、まさに捕食者。
質量共に、尖兵としては十二分と言えるだろう。
そして、人間三人を追いつめるくらいは軽くやってのける筈だ。
予定通りならば、ここで梶が用意しただろう銃で攻撃され、黒スライムを消耗する。
そして、それでも数で押し切って、あいつらを保健所の中まで追い詰める。
そうすれば、俺の作戦勝ち。目的は達成したも同然だ。
「それが、物質消失トリックの正体か!」
が、俺の予想は大きく裏切られることとなる。
そもそも、俺はこの一ヵ月とちょっとの機関で学ぶべきだったのだ。
俺は馬鹿で、肝心な事に頭が回らず、予定など簡単に崩れるという事を。
そしてもっと考えるべきだったのだ。
飯塚が何故俺の事を疑ったのかを。
そして、何故奇妙な窃盗事件を続ける撲殺バットの前に、飯塚が自信満々に立って居られるのかを。
「穿て!」
飯塚がいきなり手を前に出したと思えば光が瞬く。
途端、スライムの一角が弾けて、消え失せて、俺のすぐ横に焦げ跡を残した。
それは、雷撃に他ならず、威力も申し分なく、間違いなく脅威だった。
「お前だけが特別だと思うなよ」
そう言う飯塚の肩口に、小さな人影が見えた。
それはピエロの様な格好をした、少女だった。