1-4 犬の牢獄の邂逅
翌日、また事件が噂になっていた。
今度は病院の霊安室から死体が消え、バットが置かれていたと囁かれている。
この時分に至って、漸くメディアも動き出し、今日はずっとそんな報道ばかりだ。
その報道によると、警察も今回の事件についてはかなり頭を悩ませているらしい。
それも当然だ。病院には警備員が居た。夜勤の看護師も、緊急に対応する為の医師も居た。
だというのに彼等の眼を盗んで地下の霊安室から死体を全て根こそぎ奪われたのだから。
これでは侵入経路もどうやって盗んだかも不明である。警察も匙を投げるしかあるまい。
そんな状況のせいか、ニュースによると、病院関係者からは死体が勝手に歩いたという話も出ている様だ。
「でも一番分からないのは、何で死体なんか盗んだのか、だよな」
今日も教室で飯塚が大真面目に呟いている。
毎度思うが彼らしくない。ここ一週間はずっとこの事件の事ばかりだ。
しかも噂を楽しむでなく、事件の究明を急ぐ探偵の様に推理までしている。
頭を打ったか、脳に腫瘍でも出来たか。一回脳の検査をした方が良いかも知れない。
そうだ。あの霊安室があった病院、脳の検査も出来るとか言っていたな。
飯塚にはあそこを勧めておこう。
「いや、それを言うなら街路樹もそうだ。動物園のライオンも同じだ。盗んだ所で価値が無い、運びにくい、一歩間違えれば食い殺される。何で犯人はそんな事をするんだ?」
「意味なんてないんじゃないか? 愉快犯なんだろ?」
「それにしては大事過ぎるだろ? きっと何か理由があるんだよ」
そう言った切り、飯塚は席を離れ、教室を出ていった。
本当に変な奴だ。元々変な奴だったが、この事件で浮足立って居るのだろうか。
全く。大事の前夜でも泰然自若と構えるのが肝要だというのに。
「さてと、今日の放課後も忙しいぞ」
教室のざわめきが証明する様に、最早この遊技はエンターテイメントとなりつつある。
鬱屈した世の中に、歪曲した快感を与える行事だ。
それを期待されたとあっては、答えない訳には行かない。
警察も報道で捜査を妨害されている節があるし、このままどんどん騒いでもらおう。
「先入観による脳内補完で容疑者が増える。記者達が事件現場付近を荒し回ることで足取りも掴めなくなる。警察も大変だな」
報道によると、目撃された犯人は身長百九十センチの大柄な男らしい。
俺より十センチ高く健康的な肉体をしている様だ。
そんな人間が毎夜毎夜、窃盗事件を起こしているなんて、恐ろしい限りだ。
「くくっ。見当外れも良い所だな」
さて、睡眠不足でガタガタな体を引きずって、今日は何処へ行こうか。
その日の夜、スライム達の蹂躙から何とか復興を遂げた自室で、ちらと外を見る。
夜空には満月が綺麗に上っていて、真っ黒に塗りつぶされた空には雲一つなく、煌々と地上を照らしていて、絶好の散歩日和と言えた。
だが、残念なことに俺はここ数日間、余り外を出歩けていない。
最大でも一日十五分しか夜の散歩を楽しめていない。
「全く、気休めにもならないな」
出来るなら、もう少しのんびりと散歩したいところだが、それは叶わぬ願いだった。
何もかも、例のスライム達のせいだ。
昨日、やっとスライム達の健康診断を終えたのだが、まさか一週間ぽっちであんなことになっていようとは。
ビニール袋を持ってポスター裏の文様を撫でる。
途端入り口が開いて、スライム達がうじゃうじゃと居る空間が出迎える。
と同時にビニール袋目掛けて飛びつく黒い影。
「これは食いもんじゃない」
手で払いのけてやると、直ぐに諦めたらしい。ダンジョン内に帰って行く。
毎回諦めるのだから、もう飛びつかないで欲しいものだ。
お前は平気なのだろうが、こっちはお前の牙で手を怪我するんだぞ。
「全く、お前が居るから色々と隔離しないといけないんだからな。牙付き」
そう言うと、スライムがまるで子犬の様に足元にじゃれつく。
その黒い体の正面にはずらりと並んだ剥き出しの牙。しかもどれもこれも剃刀の様に薄く鋭い。
これが、先日のスライム減少事件の首謀だった。
一週間前は、ただの半透明なスライムだった。
が、この数日でこんなスライムが出現し始めたのだ。
先触れはあった。
スライム達が寄り集まって居たり、何かを吸収する時には連携して動きを押さえて見たりと、複雑な動きを初めてはいたのだ。
しかしそこからまさかこんな変化するとは、誰が思おうか。
創造主である俺ですら分からなかったぞ。
先ずこの不透明な黒いスライムは死体や木などは食べず、辺りの肉やスライムだけを捕食し増殖する。
特にとあるスライムは大好物らしく、例え満腹でも捕食をしようとするほどだ。
そしてそれのせいで大変な目に遭ったスライムこそがこのビニール袋に匿ったスライムだ。
特別に作った隣室へ行って袋を開け、中の緑色のスライムをそこの中心に置いた。
これも黒いスライム同様、死体や木を食べないスライムだ。が、肉もスライムも食べない。
ただただじっとして、気が向けば分裂する、と言う生活サイクルを続けている。
恐らく光合成をしているのだろう。
そう思って、以前この部屋の天井を完全に開け放ってみると、それを証明する様に、月光がある所へと集まってべったりと体を広げ始めた。
あそこまで広がるのか、とかスライムの癖に光合成するのか、とか色々驚愕した瞬間だった。
いや、何より驚いたのはスライムが進化するという事に、だったが。
「さて、今回はどんな事態になっているやら」
先日だけで色々なスライムと遭遇した。
表皮が厚くなり硬くなったもの、触手のように体を伸ばして、先端を尖らせて肉を食い漁るもの。
まるでカンブリア紀に入ったみたいな状態だった。カンブリア爆発、進化の大迷走と言った様子だった。
となると今度は淘汰が始まる訳であり……
「やはり、種類が少なくなったな」
雑多な生き物が少なくなり、たった四種類のスライムしかいなかった。
牙が鋭い黒いスライムと、ストローの様な器官を持った赤いスライム。まるで水みたいな状態になった半透明で白いスライム、そしてまた緑色のスライムが誕生している。
「それにしても、食物連鎖が完成しているな」
黒いスライムは現在、ここの頂点だ。緑のスライムを好んで食べているが、他のスライムもたまに食う。
一方の緑のスライムは光合成ばかりしているが、餌が無くても増え続けるその増殖速度には凄まじいものがある。
新しく見つけた赤いスライムは白いスライムを好んで啜っているらしく、白いスライムはあらゆるものにへばりついて溶かし食べるようだ。
簡単に言えば、黒と赤は捕食生物、白は腐食生物、そして緑のスライムは植物と言った所か。
と言う事は、今度からは黒と白に餌を渡す必要があるのか。
「さて、白スライムの食事を用意するかな」
そうすれば赤も増え、黒の腹も満たされ、そして緑がジリジリと増えてくれるに違いない。
この一団の割合から見て、白スライムは増え方が異常と言えるほど早いだろうから、このサイクルを崩しさえしなければ総数一万も夢ではない筈だ。
「今日はいよいよ保健所だ」
最近は野犬の流入があったようで、かなりの有機物を貯め込んでいるらしい。
どれくらいスライムが増えるか、今から楽しみだ。
足元に蠢くスライムを足で押しつつ、洞窟の壁を探していくと目的の模様を見つけた。
丸と三角形のの上に二と書かれている紋様だ。
「さてさて、きちんと繋がるかな」
そっと目線が通る分だけ開けてみると、何かの書類入れの中が見える。どうやら捨てられずに済んだらしい。
一週間後に来るから、と書いておいたのが功を奏したな。
それもそうか。犬を引き取るという類の手紙だ。こういう所では何よりも重要な手紙に違いない。
きっと大事に保管したのだろう。まさか、その裏に小さく書かれた紋様が、犬達を食い荒らすスライムの侵入経路になるとも知らずに。
今から起こす事件の時も、一週間ずっと起こし続けた事件も、全てこうしてやった。
全く愉快な話だ。ダンジョンの出入り口は幾らでも作ることが出来て、そしてそこを通過すればキロ単位の道のりだって徒歩五分未満と言うのだから。
しかし、『引き取る』という文言には、書いた俺ですら笑えるな。嘘を言ってはいないのだが、全く別の意図として捉えられている事だろう。
「さて、今日も仕事に励むとしよう」
入り口を広げて、スライム達を流し込む。
この紙だけは食べるな、と厳命しつつ白スライムと黒スライムをどんどん送り込んでいく。
毎度の事ながら、随分と警察泣かせな作戦だ。
主犯はいつも遠くに居て、実行犯だけ転送される。そして証拠も何もかも食い尽くして、帰って行く。
病院の時は不安だったから、俺自身がダンジョンと院内を行ったり来たりして霊安室で解放したが、大抵はこれで上手く行った。
が、今回の不安要素は生きた犬だ。抵抗もあるだろうし、大暴れされてスライムが損失する恐れもある。
故に、白スライムの他、黒スライムを同伴させてみたが……それがきちんと仕事をするだろうか。
考えつつ、ジワジワと時間をかけて浸透させていっていると。
「ここに本当に犯人が来るのか?」
しゃがれた男の声が耳に入った。
直ちにスライム達を物陰に隠し、黒スライムに手紙を咥えさせる。
全く、こんな時間に保健所とは飛んだ珍客も居たものだ。そう言うのは一人と数十匹で十分だというのに。
くわえた紙片を白スライムに渡し、その半透明な体から辺りを見て見る。
どうやらここは事務室で、声がしたのは廊下か。
扉を開ければ珍客の顔を拝めるが、それはやらない方がいいだろう。
施錠がされて居るし、戸なんて開けたらこいつらの存在がバレる。
それだったら珍客の正体何か探らずにやり過ごし、帰った後で物色するべきだ。
「不味いんだよなあ。不法侵入なんて。これがバレたらオジサン、免職なんだけど?」
少ししゃがれた声から察するに中年男性か。
足音のリズムは何だかのっそりしていて、でも意外と音が大きくない。
「大丈夫です。ここに絶対出ますよ。撲殺バットが」
次の声は若い男だ。良くある学生の声で、大の大人を諭す様は少し賢し気に感じる。
「ここに、私のお母さんを殺した犯人が来る……絶対に殺してやる」
最後は……台詞から見て日暮だろう。クラスの人気者らしいが随分と素行が悪かったようだ。
話しぶりから察するに、この三人の珍客は俺を捕まえに来たのか。随分ご苦労な事だ。
しかし、一体どうやってここの情報を掴んだのだろう。
俺はマークされている筈がないし、規則性もある訳ではない。
これは知る必要があるな。何処かドア以外の脱出経路を見つけて、少し尾行してみよう。
「……気を付けろよ。はっきり言って撲殺バットは未知数だ。樹木を運んだことから集団であると推測されているが」
「なのに、その集団の一人すら目撃されていないんですよね」
「神隠しする妖怪だって話もあるくらいよ」
三人が話しながら歩いていく。
見回してみると、上の方に通気口があった。あれならきっと行けるだろう。
紙片入りスライムをそこから抜け出させ、後を追う。
知覚の消火器に身を隠しつつ探すと、薄暗い廊下を懐中電灯片手に歩く影が見えた。
その後姿は逆光で見難いが、学生服とスーツ姿なのだけは分かる。何とも特異な取り合わせだ。
しかもあの制服、俺の学校と同じではないか。日暮と一緒だから納得するにはするが、やりにくいな。
だからと言ってスーツの男がやりやすいかと言われれば、あちらも何となく威圧的で、これまたやりにくい。
しかも右手に特殊警棒なども持っていて、こいつにだけには見つかってはいけないと感じる。
「神隠しね。それだったらなら管轄が違って良いんだが」
スーツの男が警棒で肩を叩きつつぼやく。
「いくらやっても証拠がねえ。あると思ったら全く証拠になんねえ。その上こんな大掛かりな事件の糸口も掴めないのかと世間様に叩かれる始末だ。嫌になって来るぜ」
「でも、だからこそ俺の話を信じてくれたんですよね」
「信じちゃいねえよ。ただどんな突飛な話だって、何の推測も立てられない以上は縋るしかねえだろ」
「なら、俺にとっては幸いでしたよ」
「はん。そうかい。で、言えないルートからの情報でここが怪しいってのは分かったが、何もねえぞ」
「ええ。でも俺からしてみれば、何もない方が良いんですけどね」
そう言うと青年は少し曇った声で廊下の鏡をちらりと見る。
「……」
鏡に映った横顔に思わず関心の声を上げそうになった。
その顔は良く見知った人間で、いつも学校では正面にあった顔だった。
成程、飯塚ならばここを探り当てたのも納得が行く話だった。