1-3 策の結末
一週間後、随分と騒がしくなった教室の話題は『それ』ばかりだった。
前は雑多な話題で混線していた筈なのに、今や騒音が全て一つの方向に向かっている。
それは、ある意味壮観な光景だった。
それが自分が為したことと思えば、尚更笑いが込み上げて来るという物だった。
「なあなあ? 聞いたか? 撲殺バットの噂」
そして飯塚も同じ方向の話を持ち掛けて来る。
前の席に座る彼が話題にした、そして皆が総じて話している撲殺バットとは、ここ一週間毎夜毎夜発生している事件の総称である。
情報を集めるがてら、少し興味を示してやる。
「それ位なら知ってるぞ。動物や植物が一夜にして消えて、現場に何かを殴ったようなバットが放置されてるんだろ? ニュースでやってた」
バットをボロボロにするの、意外と大変なんだよな。
金属製だから思い切り叩きつけないと凹まないし、そうすると手が痺れて来るし。
「ああ、凄いよな。飼い犬から動物園の虎までだろ? それに大きいものじゃ街路樹も消えたんだぜ」
「街路樹か。本当に凄いな」
あの手のひら大の体の何処に入っているのやら。
内心でほくそ笑んでいると、飯塚が急に声を潜めた。
今朝は元々テンションが低めだったのになお下げるのか。
まるで耳打ちみたいだな。
「でも、これは知ってるか? そのバットって日暮のお母さんとも関係あるんだってよ」
「? それは何処の情報だ?」
金属製のバットが落ちていることから、警察内部はもう二つの事件を結び付けているだろう。
しかしそれはあくまでも警察内部だけ。メディアは全く触れてない筈だ。
なのに、どうしてこいつが知っているのだ。
と疑問を覚えているとその答えをあっさりと教えてくれた。
「俺、近所に交番あるからそう言う話はちょくちょく聞けるんだよ」
「おいおい、警察の情報統制はズタズタじゃないか」
「何かこれでやっと事件に進展があるって喜んでたから、気ぃ抜けたんじゃね。色々と証拠が残ってるみたいだし」
全く警察がそれでいいのか。口が軽いと誰か諫めないのだろうか。
まあ、それは彼方が考える事か。
何にせよ、思わぬ所で結果報告が聞けたのは幸いだ。
そして行動の素早い警察が、早速この一連の事件と失踪事件を結び付けてくれたのも僥倖である。
暴れ回って少し不安だったが、これで俺への捜査は出来なくなるだろう。
どうして出来ないか。
それは飯塚が言った通りの事態になっているからだった。
具体的には、証拠がバンバン出て、人手が足りない、と言う状態になっている。
更に具体的に言えば、何かの毛髪、大型の靴の足跡、そして紙きれが大量に出ていて大わらわと言った状況なのだ。
そう言った膨大な証拠をかき集め、精査し、特定などを急いでいる状態で、ずっと前から夜中に出歩いているだけの人間を捜査する暇などないだろう。
しかも、出て来ている証拠は、残念ながらどれも無意味なものである、と言うのが笑えてしまう。
毛髪は銭湯の排水溝からくすねて来たもので、靴の足跡も不法投棄されているものを利用している。
紙切れに至っては量産品の、本当にただの紙切れである。
きっと調べながら警察も薄々感づいているだろう。これはただの残骸で、踊らされているのだと。
しかし、何かあるかも知れない、と思えば分析せずには要られない。
故に時間は稼げる。確実に。
「それで、犯行が何時も深夜らしいんだけど、お前大丈夫か?」
最早聞く価値が無いのだが、まだまだ飯塚が話し続けていた。
何か、違和感を覚えるな。
こいつが一つの話題をし続けるなんて、この事件以上に異常事態だと感じてしまう。
それに大抵は百面相しながら話しているのだが、今日の飯塚は全く顔つきが変わらない。
眉間に皴が寄っていて、難しそうな表情だ。
「何が大丈夫か? なんだ?」
「お前いつも散歩してるだろ? 深夜に」
「ああ、そうだな。もしかしたら街路樹すら盗んで見せたその手腕が見れるかもと思って最近は少し長めに出てる」
「止めろよ。相手は人にも攻撃するんだぞ」
「ああ、日暮さんのお母さんね。そっちと関係ある知ってたら歩いてないよ」
そして、教えてくれなければ良かったのに。
これでもしも警察に見つかった時の口実が無くなってしまった。
万が一に備えて、言い訳は準備しておきたかったのだが……仕方ないか。
「仕方ない。今度から寝れない夜はベッドで悶えるとしよう」
「ああ。そうしろ。犯人が捕まるまでは、絶対に夜出るなよ。そうだ、そう言えば来月スーパームーンって奴があるらしいぜ」
やっと話題が変わり、風見鶏がくるくると動き出す。
少しやらかしてくれた気はあるものの、飯塚は良く情報を運んでくれた方だろう。
情報を総括するならば、俺の策に乗った警察が動き出し、無駄な方向へと活発化している。
そのお陰で俺への視線はなくなって、スライムの増産が可能になった。
が、証拠が全て精査し終わればまた深夜に出歩くものの情報を、俺の情報を集め出すだろう。
そうでなくてもパトロールが厳しくなってくるだろうし。
最悪な事態は易々と回避したが、まだまだ予断を許さない状況、と言った所だ。
しかし、俺の存在がバレなければ色々とやりようはある訳で、そういった意味では大したハードルでもない。
気分としては、高いハードルは潜ればいい。低ければ跨げばいい。そして高い壁だったなら
「迂回してしまえばいい」
こんな心持だ。
さて、今日から午前午後と忙しくなるな。先ずは防犯カメラの再確認からか。
放課後、暗くなりつつある町の中を、影法師に先導されつつ下見しながら考える。
脳内会議の議題は、後どのくらい時間が稼げるか、だ。
会議の結果、一ヵ月も持てばいいだろうという結論に至った。
そしてその期間が過ぎた後、対策本部が建ち、深夜の巡回や防犯カメラの増設が決定されるだろうとも推察された。
そして、そうした大規模な捜査の末に、警察は俺に行き着く。
「その瞬間、逮捕もされなければ容疑者からも外れない、生き地獄が待っているわけだ」
それまでにスライムを増殖しきればいいのだが、悪い事にスライムは未だ目標数を達成していない。
街路樹の一件で千まで超えた筈なのに、何故か数が減っている気がさえする。
何か病気でも流行っているのかも知れない。今夜あたり、スライムを一匹ずつ精査しようと思うが……気が遠くなるな。
「さて、一先ずそれは置いておき、今回はここにするか」
西日が差す中、橙に染まる建物の門には『保健所』の文字。
ここには行き場のない野良犬や野良猫が収容されている。
どれだけ消費しようが誰も文句を言わない有機物が、大量に貯蓄された施設と言っていい。
「畜生のアウシュビッツとはまさにこのことだな」
ドイツは借金と奪われた国の主権のせいで苦しんでいた。
そしてそれを打開するためには戦争しかないという誰かの弁を盲目的に信じ、資金を集める為にユダヤ人に罪を被せて迫害した。
一方、現代社会は福利厚生に苦慮していた。
そしてその為には野良の生物を徹底的に管理するべきだという学者の考えに賛同し、一カ所に集め、ガス室送りにしている。
それのお陰で野犬被害が皆無になったと思えばアウシュビッツは言い過ぎなのだろう。
が、野良犬からしてみれば同じことである。
そしてこれからすることを考えれば、俺も同じなのだろう。
「救いがたいな。人類は」
古めかしい建物の前で、封筒を取り出す。
これこそが警察が俺を捕まえられない理由である。
そしてこの作戦は、封筒を入れさえすれば完了したも同然なのだ。
「さてさて、仕込みは終了っと」
だが、放課後はこれだけでは終わらない。
警察が日夜動いているのに、のんびり等していられる訳がない。
この町は結構大きな大学病院があり、そこの霊安室にも有機物があるだろう。
今度はそちらに行ってみるとしよう。
「病院には……落とし物だな」
さてさて、警察はどんな動きをするのか、ある意味楽しみである。