1-2 自身の変わらぬ性
その日の夜、今日も夜の帳の下りた街を歩く。
手にはスライムを数匹詰めたビニール袋を提げて、少し膨らんだ月を背にして、辺りを見回す。
今回の目的は気を紛らわせる散歩でなく、彼らの食糧の捜索だ。
いつもの散歩道である住宅街をあっちへフラフラこっちへフラフラ。
どこぞの誰かが見たなら何とも不気味だったろう。
しかし不気味なのは行動だけではない。
スライムの入ったビニール袋は常にグニャグニャ動いていて、見た目も薄気味悪いに違いない。
が、幸いにもこの町に夜出歩く不良は居なかった。この町の市民は皆善良かつ健康的なのだ。
そう言った人々のお陰で俺の様な反社会的人間が散歩できると考えると、中々奇妙な状況と言える。
市民が善良であればあるほど、悪が栄えるとは、面白い話だ。
が、そんな面白い状況でも、事態は面白いようには運んでくれない。
いくら探そうが、俺の目的の物が欠片も見つからないのだ。
住宅街を越えてシャッターの下りた商店街を通り抜けてみたが、死体はおろか死骸も落ちていない。
いくら歩こうが、目を皿にしようが、見当たらない。
「まあ。予想はしていたし、当然と言えば当然か」
有機ゴミは腐敗し衛生面の悪化をもたらす。潔癖気味な日本人がそれを許すわけがない。
カラスの死体だって即座に回収される時代に、それを求めるのは間違っているのだ。
「早くも暗礁に乗り上げたなっと?」
丁字路を曲がろうとした所で、自転車の漕ぐ音が聞こえた。それにライトの光も見える。
こんな夜更けに出歩く人間が俺以外に居るのか。
善良な市民の集まりだと思っていたが、違ったらしい。
どこかの家の門へ身を隠し様子を伺うと、自転車に乗った誰かが丁字路を横切る。
あの帽子と制服、警察官だ。素行の悪い人間ではなく、それを取り締まる人間だったか。
夜遅くまでパトロールとは、警察も大変だな。
「この区画をパトロールしてるとは、何かあったのか?」
認知症の老人が家出でもしたのかも知れない。
だとするなら、ここら一帯をじっくりと捜索するはずだ。
いつもの散歩コースに引き返した方がいいだろう。
折角世界を買える力を手に入れたというのに、こんなくだらない場所で捕まるなど、真っ平御免だ。
「仕事熱心で感心だが、時と場合を考えて欲しいものだな」
引き返し、住宅街に行き、いつもの散歩コースに出る。
が、そこを曲がった所でまた自転車の音が聞こえた。
曲がり角まで戻り、今度は電信柱の影に隠れると、また警官だった。
しかも今度は少し小太りの男だ。つまり近い地区で二人の警官がパトロールしているのが確定したわけだ。
「どういうことだ? 本当に何か事件でもあったのか?」
色々と考えがめぐるが、何かあったにせよ、今日は日が悪いのは確実だ。
大人しく、家に帰って……いや鉢合わせも不味いか。暫く身を隠せる場所に行こう。
確か、この近くに川にかかる橋があった筈だ。
家までは少しあるが橋の下ならば徒歩で五分も掛からない。簡単に身も隠せる。
そこで警官が活動を止めるまでやり過ごそう。
「全く前途多難だな」
一先ず橋の下で橋脚に背を預ける。と思ったがどうも汚い。ヌルヌルしていて、暗がりでも分かるほどだ。
警察は仕事熱心だが、橋の管理会社は怠け気味らしい。
「……そうだ」
これも所謂有機体。スライムの可食範囲内だろう。
ビニールから一匹スライムを掴んで、それで壁を拭いてみる。
するとネチャネチャと吸い付いて、舐めとるように動き出す。
やはり食べられるようで、スライムで拭いた場所は全く綺麗な壁面になっていた。
「……これで布を食わなければ部屋の掃除も出来るんだがな」
一人分の空間を綺麗にして、漸くそこに座る。
そこで暫しぼんやりしていると、自転車の音が幾つも橋を通り過ぎていった。
それはどれだけの警官が動員されているか、ありありと分かるほどだった。
ただの事件かと思ったが、この騒がしさは違うな。
テレビが連日報道するレベルの動乱がここで起きたようだ。
とすると、もしかしたらここも危ういかも知れない。橋の下なんて警官が探しそうな場所ではないか。
最悪ビニール袋は川に投げ込めばいいが、俺がここに居るだけで間違いなく補導は確定だ。
それが嫌なら警官を殺すか。いやいや冗談ではない。俺は反社会的ではあるが極悪人ではない。
務めを果たしているだけの善良な市民をどうして殺せよう。
「ああ、仕方ない。最悪職歴に傷をつけてやろうじゃないか」
自身のポリシーが傷つくよりは、顔も知らぬ誰かの決めた法を破った方がマシだ。
と言うと、これも反社会的と言われるのだろうな。
はっ何が社会だ。これの一体どこが社会なのやら。
俺には奴隷市場と奴隷商を守る奴隷という物にしか見えないのだが。
「おい、何か居たか?」
「いや、居ませんでした」
内心で悪態をついていると、上から話し声がしてきた。
警官同士が橋の上で会話しているらしい。スライムを捨てる準備をするか。
近くの川に陣取りつつ、上の物音に耳を傍立てる。
「防犯カメラに映っていた、バットの男の居た場所を回りましたが、不審な影は無し。手がかりもありません」
「殺害の際の物音を聞いたって奴等の近辺を探しても無かったな」
「っ」
一瞬、舌打ちをしそうになった。
どんな事件かと思ったら、俺が証拠を隠滅したあの事件ではないか。
日暮が警察に相談したのは知っていたが、その日の夜に動いたらしい。
しかもあの男、自棄になっていたと思ったら物音どころか、防犯カメラすら気にしてなかったのか。
それではいくら物的証拠を消そうと無意味ではないか。警察も動くわけだ。
「やはり、手掛かりは昼に見つけた謎の部品達と、まるで綺麗に洗われたみたいなバットだけですね」
バットか。あれも捕食出来たらよかったのだが、あれは無機物。
せいぜい血糊を食わせてそこらに捨てる事しか出来なかった。
ズボンのジッパーやボタン、留め金も適当に辺りに散らばしたのだが、全て回収されたようだ。
いよいよ不味いな。
警察は、事件があったと確信してしまっている。
「はあ、目撃者か不審者でも居れば良かったんだが……今日は外れだな」
「近日中に遺留品の鑑定結果も出ます。そこに賭けましょう」
「捜査で賭けか。はん。俺達は三流だな。ガイシャの無念どころか、泣く子に何も出来やしねえんだから」
きっとそれが今日の捜査の終わりを告げる挨拶だったのだろう。
カラカラと同じ方向へ行く音が、遠ざかって行く。
「さて、頭が痛い事になったな」
思いの外警察の動きが速く、的確だ。このまま行けば色々と不味い事がある。
先ず、先に危惧した通り、俺は重要参考人になるのは確定だ。
何せ俺は不眠症で、夜は殆ど散歩している。半年前からずっとだ。
それを一度も目撃されないことがあるだろうか。もしくは防犯カメラに映らないことがあるだろうか。
有り得ない。
俺は確実に目撃されている。この時間出歩く人間として、警察の捜査網にヒットするだろう。
で、警察は俺を捜査して、何か見つけられるだろうか。
身辺を洗い、素行を調査し、指紋を採取し、難癖付けて家宅捜索をして、それで俺が犯人だと断言出来るだろうか。
それも有り得ない。
ゲームでよくある様なスライムで殺し、死体をも消化させました、なんて誰が思いつくだろうか。
「だからこそ、煩わしい」
一旦警察に疑惑の目を向けられれば思うままに動けないだろう。
そして事件が解決することは無いのだから、それが延々と続くに違いない。
ずっと、警察のマークが続く。まるで悪夢だな。
スライム達の餌集めなんて夢のまた夢ではないか。
こんな事になるなら、あの時高揚した気分のまま男なんて殺さなければよかった。
大義名分があったとはいえ、些か不用心過ぎた。
「いや、浮かれていたのか」
強い力を得て、選民意識でも芽生えていたのかも知れない。
酷いものだ。力に浮かれる醜さを自覚した時の、この何とも言えない感覚は。
毎日が憂鬱だと思っていたが、今回は更に深く鬱に沈んでいく様だ。
橋の下で、真っ黒な川を眺めるとため息が自然と漏れた。
夢の中で命を対価に得たこいつらだが、全く使い道が無いように思えて来る。
いやそれはそもそも分かり切って居た事だ。
複雑に組み上げられた社会において、暴力的改革の入る余地などないのだ。
社会を変えようと思えば、民衆を扇動するくらいしかないだろう。
俺の命は、全くの無駄に終わってしまったと言う訳だ。
「と、これで終われたらまだ楽なんだがな」
川の水面を、思い切り蹴ってやる。
飛沫が太ももまで跳ねて、靴の中すら水に濡れた。
残念だが、非常に残念だが、俺はそう言う存在ではなかった。
そうだったなら、諦めることが出来たなら、きっと楽だっただろう。
諦めとは一種の納得だ。社会はこうなのだから仕方がない、と納得し、次に進む手段だ。
そして俺は諦めきれないからこそ、不眠症になるまで苦しんでいる訳である。
だからこそはっきり言おう。俺が悪い訳がない。
不用心だったのはあの男だ。そして、あの男を殺したことも間違ってなど居ない。
そして、これから俺が為そうとすることも、間違ってなど居ないのだ。
卑屈になる必要が何処にある。
反省する必要が何処にある。
そして、恐れる必要が何処にある。
「ない。一切ない」
男が俺を殺すなら、逆に殺してしまえばいい。
警察が俺を妨害するなら、返り討ちにしてくれる。
軍が来ようが、世界が拒絶しようが、それら全てを呑み込んで、俺は自身の夢を叶える。
俺の目的を妨害するというのなら、警察だろうが何だろうが、手玉に取ってやればいい。
気付けば俺は、ビニール袋を取り落としていた。
下を見ると、俺の気分を察知してか、スライム共が俺の周りに集まって、崇めるように体を伸ばしている。
指示を待って居るのだ。今か今かと、待ち望んでいるのだ。
「そうだな。出してやるよ。指示を。強硬策に打って出てやる」
こっそりと集めようとしたが、それでは警察に先手を打たれる可能性がある。
それに、はっきり言って面倒だ。
ちまちまと物陰に隠れているよりも、大々的に動いてしまおう。
具体的には、警察の捜査をかく乱する。徹底的に、悍ましいまでに。
そして、俺の心が許す限り。
「そうだな。題するなら、撲殺バット連続事件、という所か?」
社会悪を殺す練習がてら、色々とやってみるとしよう。