1-1 世界が変わった日
自室に帰った後、毛布を丸めて抱きしめて、ぼんやりとあの時の事を思い出す。
具体的には、断末魔の後だ。
悲痛な叫びをあげて死んでいったはずの現場は、全く猟奇的ではなかった。
寧ろすっきりとして、清々しいほどだった。
当然だ。血は一滴も落ちておらず、肉や骨の欠片もなく、衣類すらないのだから。
原因は勿論、スライムである。
奴らは相当な悪食だったのだ。
奴等はアスファルトの隙間に入った血を舐めとり、肉を骨からこそげ取り、骨すらじっくり溶かした上に、残った布を食い荒らしていった。
まるで毒を食らわば皿まで、と言わんばかりの食欲だった。
そうして出来た、道路に散らばるのは細々とした装飾品だけという状況は、今思い返しても現実感が湧いてこない。
まだまだ夢の中だと言われた方が納得するくらい随分とすっきりした光景だった。
「そっちの方がまだ信ぴょう性があるよな」
見たものよりも常識を信じる。ままある事だ。
まあ、こういう物は残るよりは残らない方が良いに決まっている。
別にその点に関しては不満はない。
だが結果として、男に殺されただろう女の死体も食わせる羽目になったのは、少し悔やまれた。
別に食う必要はなかった。ただ、男が消えた結果、女の死体も食わせた方が良い状況になってしまったのだ。
何せ、女の死体はどう見ても殺されている。頭が潰されていて、抵抗した後すら見られた。
だというのに加害者は言葉通り、この世に居ないのだ。
死体や凶器を消さず、犯人を消し去るという斬新な消失トリックの完成だ。何て特殊な事件だろうか。
こういった場合、警察はそれこそ草の根分けても、と言った風に犯人逮捕に尽力するだろう。
そして、たまに聞くローラー作戦も行うかもしれない。
結果、今晩出歩いていた俺に疑いをかけられる恐れだってあり得る訳だ。
全く見当はずれな疑いなのだが、疑うのが仕事の警察は疑惑の目を向け続けるだろう。
もしかすると、前時代的な、自白のみの検挙を強行する可能性だってある。
そんな事態になってしまうくらいなら、女の事件もすっかり食べ尽してしまえばいい。
と言う訳で、生後数十分の赤ちゃんスライムは、丸鶏ならぬ丸人間を二人分、ペロリと平らげる羽目になったわけだった。
結果としてスライムは、その数を二十匹にまで増やしてしまったが、それも仕方ないだろう。
非常に持て余しているが、仕方のない話だった。
「というか納得せざるを得ないんだよな」
本当は、捨て犬よろしく何処かに捨ててしまおうかとも思った。
が、それはそれでパニック映画の序章になる気がして出来なかった。
だからと言って殺そうとスライムを踏みつけてみたら、二分割して平然と動き出すものだからそれも諦めた。
結局俺はこいつらを引き連れて、犬の糞やら枯葉やらを食い荒らす様を見ながら、自宅に帰るしかなかったのだった。
以上、俺がベッドに行き着くまでの事の顛末であり、俺が毛布を抱えている原因であった。
「はあ、疲れた」
現実逃避を兼ねた回想を終えて、現実逃避をすべく先程の出来事を総ざらいして情報をまとめる。
スライムは有機物、と言うか生物由来の物であれば何でも食べられる。
糞、人肉、骨、草木性の繊維質。消化時間の差は有れど何でもござれだ。
これだけ食べられるなら、世の中のゴミ問題の半分は解決しそうだな。特に生ゴミと生活排水は目覚ましい進化を遂げるに違いない。
「が、場所を取るな。それに、見境が、無い」
遂に、現実から逃げきれなくなりちらと見てやれば、今や部屋中にスライムが溢れ返り、荒し回っていた。
机上に飛び乗ってはプリントを食い、床を這う物は落ちた鉛筆をも食っている。
ベッドは寝転がって死守しているが、それも十体ほどが襲ってきて、既に毛布が半ば取り込まれてしまっている。
抱きかかえている毛布ももうじき食われてしまうだろう。
勿論、止めろと言った。念じもした。
しかし俺がまだまだ未熟なのか、半分しか言う事を聞いてくれない。
いやはや、この惨状を親が見たらなんと言うだろうか。親子間が冷え切って居て助かった。
さて、この食い荒らされた部屋はどうにも出来ないが、この暴徒を何とかする知識も色々と備わっている。
それが正しいならば、奴等を収納する方法があるのだ。
正しく言うならば奴らを放り込むに相応しい異空間を作り出せる、だが。
作り方は簡単だ。望む場所に入り口を設置するだけである。
「……簡単すぎて、疑わしいな」
俺の部屋には丁度、ポスターがある。
半ば食い破られてはいるが、隠すくらいには使えるだろうし、その裏にでも試してみよう。
死守していたベッドを離れ、それが蹂躙されていく様を背にポスターを捲る。
日に焼けていない壁紙がお出ましした。
「更に、血でこの紋様を」
真っ白なそこへ逆五芒星を書く。
図形に意味はない。ただ俺がこれが入り口だと認識すればよかった。
たったそれだけで、異空間が出来るというのだ。
やはり疑わしい。疑問を覚えつつも、それでも天啓に従い、指を入れる様に突き出す。
「出来ちゃったよ」
呆気なさ過ぎて、思わずそう呟いていた。
俺の目の前で、俺の指が、ずぶりと壁にめり込んでいる。
それを広げるように手で押すと更に入り口が広がった。
人が入れそうなほど大きくし、覗いてみると、中に洞窟の様な空間が広がっていた。
乱暴に言ってしまえばダンジョンみたいなものだった。
この中にさえいればスライムは生きていけるらしい。
早速中に入ってみると、スライム達もゾロゾロと付いてきた。
布団や本など色々と食糧を持ち運んではいるが、一先ずそれは無視しよう。
おやつは三百円まで、とも命令していないし、その命令を聞くとも思えない。
全てのスライムが入ると入り口が勝手に閉じ、部屋からの光が消えて空間が薄暗くなる。
が、何故かどこに何があるかははっきりと見えた。
「鍾乳石はないが、石筍が大量。凄い奇妙な空間だな」
鍾乳石は石灰を含む水が伝う事で徐々に下へと長くなる、石の氷柱だ。
そして、石筍はその水が落ちてどんどん積み重なる様に上へと長くなったものである。
つまり一方があればもう一方もありそうな気がするのだが……流石は超常現象だ。
しかし、俺の部屋と同じくらいの大きさか。石筍のせいもあるのか、スライム二十匹を詰め込むには小さすぎるな。
「少し広げる必要があるな……ああ、そうか。内部を改装できるのか」
無意識に呟いていたが、どうやらこのダンジョン内装を自由に変えられるらしい。
スライムを作り、そしてダンジョンを作り、果てには模様替えも可能と来たか。本当に至れり尽くせりだな。
しかも模様替えの内容も、拡張から縮小、そして石筍の有無やらも可能らしい。
「早速やってみよう」
試しに手を使って壁を押してみると、大きなゴム毬を押すような感覚と共に壁が広がって行く。
どれくらい押せるのだろうか。気になったので突き当たるまでやってみる。
と、丁度五百メートル当たり進んだ所で、ゴム毬の感触が無くなった。
全く押せない。硬い岩肌に行き当たっている。
どうやらここまでらしい。
「反対側も広げられるなら、一キロ四方が限度かな」
では上の方はどうだろうか。ちょっと天井の低さが気になっていたから序に拡張もしてみよう。
足で階段状にくぼみを作り、壁を登って押し上げて、高さを上げて行く。
すると今度は十メートルも行かない内に感触が変わってしまった。
ただそれは抵抗が強くなったわけでなく、突き抜けて、何もかもが無くなってしまった感触だ。
つまり、腕が貫通したのだ。
「何でだ?」
洞窟内だというのに、外界があるのだろうか。
その穴を覗くと、半月の月が見える。弦が真下を向いた、本来ならあり得ない月だ。
流石は超常現象。この世界の月は地球とは別物らしい。
「外を確認したいが……何があるか分からないな」
空間の作り方も壁の広げ方も直感で分かったというのに、外に何があるかは分からない。
これは、今は近付かない方がいいという証しだろう。
流石に外に出た瞬間首を跳ねられるということは無いだろうが、行ったら最後帰ることが出来なくなるという事態にはなりそうだ。
「まあ、こいつらをどうするかは後で考えるとして。さっさと帰るか」
スライムを収容するという目的は達成した。やるべきことはもうない。
いや、こいつらをどう活用するかとか、それとも殺して日常生活を謳歌するとか色々と考えようはあるのだが他にやることが出来たのだ。
それは、眠ることだった。
現在、素晴らしい事に、眠気がジワジワと迫ってきている。
血を失い過ぎたのか、力を使い過ぎるとこうなるのか、理解不能だが眠気が迫ってきている。
どんどん強まって来ていて、体も重くなっている様だ。
「ははっ。睡魔か。昼寝に加えて夜も眠れるなんて、贅沢だな」
不眠症患者にとって睡眠は、どんな料理や女にも勝る、最も幸福な快楽に他ならない。
それを摂取する為ならばどんな考え事も放棄するべきだと思ってしまう代物だ。
少なくとも俺はそう思う。
何とか文様のある壁へと歩いて、空間から出る。
と同時に力が抜けて床に転がる。
ここからベッドが遠すぎる。というかもうここでいいかも知れない。
俺は昼同様、いやそれ以上の速さで、落ちる様に眠りについた。
すっかり熟睡した上で学校に来る。たったそれだけで教室は全く違う様相を呈していた。
いつも耳に障ると思っていたクラスメイトの声が全く気にならない。
誰かが楽しそうに笑っても、毒のある思考が起こらない。
そもそも、近くで人が喧しく動こうが集中力が乱されない。
かつて、こんなに集中して本が読めた事があっただろうか。思わず笑みが浮かんでしまう。
清々しい。不快感が一片もなく、何もかもが心地よい。今なら全てを愛せると断言できる。
ふと、誰かが俺の肩を叩く。きっと飯塚だろう。そちらを向くと
「おは……隈が消えてるぞっ」
奴が目を飛び出さんばかりに驚愕した。
というか、飛びのき過ぎて足を机にひっかけ転んでしまっている。
かなり痛い転び方をしているのだが、全くそちらに気が向かないらしい。俺の眼の下だけを凝視している。
「お前の、唯一のアイデンティティが……」
「おい、俺の歩んできた人生全て隈に集約するな」
それに昨晩は一番強烈なアイデンティティを確立したぞ。
無論、言わないが。
「全く、挨拶もせずにそれか? おはようは大事らしいぞ」
「いやいや、挨拶よりそっちの方が重要だって。何だ? 遂に化粧で隠したのか? それとも化粧を落としたのか?」
「いや、ただ昨日は凄くてな」
「凄い? ああ昼寝できたからか?」
「いやその後だ。夜、眠れた」
それがどのくらいの事か、仮にも友人をやっている飯塚はよく理解できたらしい。
口をあんぐりと開けて見せて、あからさまな程驚いている。
顎が外れそうだ。というかその顔は流石に不味すぎるだろう。
仮にもクラスの人気者が、晒していい面ではない。。
「今日は槍が降るんじゃないか? 俺鉄製の傘なんて持って来てねえぞ」
「因みに合計して半日以上は眠れたぞ」
「ぼ、防空壕! 防空壕に逃げ込むんだ! 対地ミサイルが降って来るぞ!」
「そこまでじゃないだろ」
というか発想が俺そのものじゃないか。
似た者同士なんて、冗談じゃないぞ。
ミサイルだのこの世の終わりだの散々騒いだ飯塚が、やっと落ち着いていつもの正面の席に座る。
「それにしてもそれだけ寝てるなら納得だな。隈が消えるのも。そう言えば知ってるか? 担任の久保がダイエット始めたんだって。何か血液検査で引っかかったらしいぜ。俺の母ちゃんも同じ年齢だからなあ。そろそろあっちもヤバいのかなあ」
そして、さっさと違う話題に映る。
この男の凄い場所は何でも興味が持てる事だろう。
他人のダイエットは勿論、宇宙の端で起きていることだって聞きかじれば興味を示し、調べたりする。
昨日のサバイバル教本の件も、その一端だ。
そしてこの男の欠点は
「あ、そう言えばさあ。太陽フレアがまた起きそうなんだってよ」
その興味が続かない事だ。
故に、得ている知識も話の行先も、全て中途半端だ。
まるで風見鶏の様にコロコロと話題が変わって、誰もついていけやしない。
仮にも友達をやっている俺でさえ、偶についていけない時があるくらいだ。
まあ、そもそも付いて行く気はない、と言うせいもあるかも知れないが。
その点を考えれば、俺達の行っている行為は、会話とは言えまい。
彼方はただただ口を動かして音を出しているだけ。此方はただただここに居るだけなのだから。
まるで仮初の夫婦みたいだな。
そう思って、ふと、考えてみる。
その口にバツ印の付いたマスクをしてやりたくなる時があると言ったら、こいつはどう感じるだろうか、と。
怒るだろうか、戸惑うだろうか。
いや、多分普通にカラカラと笑うだけだろう。
それに、そもそもいう必要が無い。
何せ、この男が話している間は、他人が寄り付かないのだ。
見方によってはいい人払い、鬱陶しい人間が近付かず、非常に良好な環境である。
さて、この良い環境を十全に使い、昨夜の続きをしよう。
つまりスライムとこの力をどう使うかという脳内会議の続きだ。
昨日は眠気のせいで考えられなかったが、今思えばこれは凄い力だった。
先ずスライムの質は兵としては素晴らしいものだった。
手に収まるくらいの小ささのそれが、たったの六匹で人一人殺せるのだ。
その上何でも食べる為、その兵力の維持は容易。
例え、戦いでその数を減らしたとしても勝手に増えてくれるから募兵も要らない。
言うなれば、有機物さえあれば勝手に増殖してくれる非常に都合のいい軍集団である。
そして、ダンジョンを作る能力も利便性がある。
全く次元の違う空間を作り出せるという事は隠密性が高いという事だ。言うなれば秘密基地である。
しかもその秘密基地の入り口はカモフラージュ可能な程小さく出来るし、何処にでも作り放題である。
想像できるだろうか。全く知覚できない場所から、急に入り口が開いてスライム達が攻め込む光景を。
これの二つをを使えば確かに世界を引っ掻き回すことが出来るだろう。いや、国を一つ落とすくらいは容易に違いない。
「が、問題が一つ」
「問題? 何だよ」
「パンはパンでも食べられないパンは何だ? これのぐうの音も出ない回答は果たして存在するのか?」
「それはすげえ難問だな。だってフライパンにカビたパンにパンツと色々あるだろ。それを……」
問題とは俺の望みが高すぎるという点だ。
望みはただ一つ、この凝り固まった貴族的支配から世界を解放すること。
それはただただ理想を口にし、破壊をすればいいという事ではないのだ。
むやみな破壊活動だけでは、被支配者層が切り捨てられるだけ。上の方は傷一つ付きやしない。
それに奴らはシェルターを有している事もある。逃げ込まれたら手出しは出来ないだろう。
では支配者層の身を選択し、破壊すればいいのか。それも駄目だ。
被支配者層は、言っては悪いが馬鹿ばかりである。
教育方針のせいで知識だけを詰め込むという弊害を受けているせいで、全く知恵が回らない。
知識のみでは国の管理どころか、町の管理すら出来やしないだろう。
ましてや世界を保持するための微妙な調整など不可能と言える。
つまり、延々と財を吸収し続ける、所謂ところの人類のガンは、重要器官を巻き込んで切除不能と言う訳なのだ。
全く、この世はつくづく終わっているな。上は贅沢三昧な日々に中毒を起こし、下は何年勉強したかだけを張り合う馬鹿だらけ。
では、そんなガンを切除しないまま、世界を変革するにはどうすればいいか。
「ふむ……」
「おい聞いてるのか?」
「ちょっと聞いてなかった。何だって?」
「だから隣のクラスの日暮さんっているだろ? 胸でかい子」
「居るな。でかいとは思えないが」
大きいというとグラビアサイズを思い出してしまうが、彼の言う日暮はクラスの中ではなんて前書きが書かれる程度だ。
「そのお母さんが昨日から行方不明なんだってさ。キャリアウーマンで深夜まで働いてたらしいんだけど。朝になっても帰ってこないとか。今警察に相談中なんだって」
「へえ」
少し引っかかるものがある。
日暮のお母さん、つまり女性だ。女性が昨日から行方不明。帰宅は深夜だったが、朝になっても帰ってこない。
もしかすると、そうなのかもしれないな。いや間違いないだろう。
確かに、スライムに食わせた女の死体はスーツを着込んでいた。
そうか、あの死体が日暮の母で、日暮がもう動き出したか。しかも警察に連絡し、相談しているのか。
まだまだ急ぐ段階ではないが、少し考えなければならないかも知れない。
「だが、警察はこういう場合、本人の意思で失踪したと考え動かないのだろう?」
「ああ、ドラマで見た。消えただけじゃ事件性は皆無だから捜査出来ないんだってな」
そう。確かそのはずだ。だからまだまだうざったい奴らの介入はないだろう。
しかし、今が平気だからと言って未来もそうだとは限らない。
そもそも、異端と言うのは絶対に気付かれるものなのだ。
そう思った時、ふと脳内にとある考えが浮かんだ。
いや、考えと言うには曖昧な、ぼんやりとした危惧だ。
例えば、この力の使い道を見出したとしよう。
しかし、どう使うにせよ、いずれ社会は制裁を下す。それは確実なことだった。
では、社会はどんな制裁を加えるのだろうか。
そもそも制裁とは抑止力だ。犯罪や反乱を抑える為に罰があると言って良い。
だが、俺はその罰をも軽々と跳ねのける力を有してしまって居る。
牢屋に閉じ込めようが、鎖で繋ごうが、全く無意味だろう。
では政治家や人々は、この力を封じるにはどうすればいいと考えるだろうか。
そう思った瞬間、ぼんやりとした危惧は、自分の首が切られるという映像に発展した。
そうだ。どうにも出来なければ殺すしかない。もしくは両手足を縛った上での幽閉か。はたまた薬漬けと言う可能性もある。
常識を鑑みて、高校生に対してそこまでやらない、と思うだろうか。
否、社会を維持するためならば人はどんなことだってする。高校生だろうと赤子だろうと、残酷な仕打ちを躊躇なくするだろう。
それを想定したならば、社会をどうこうするという事を考えるよりも、社会に圧殺されない様に立ち回る方法を優先すべきではないか。
いや、絶対にそうすべきだ。
よし、方針は決まった。先ずは身を守る為に力を付ける。
スライム軍団を作り、権力や暴力を跳ね退けるのだ。
「だとすると、万は欲しいな」
「何の話だ?」
「もし、俺が捜査するなら、どのくらい詰まれたら動くかって話だ」
「それって相場として高いのか? 安いのか?」
「さあ?」
あれの戦闘能力は詳しく知らないが、一万もあれば、例え戦場下でもスライムの損耗と増殖の収支は間違いなくプラスになる。
何せ、あれは死体を食って増える。戦場は即餌場となるに違いない。
では、一体どのくらいの餌が必要だろうか。
俺の血を使って大体五、六匹まで増えた。男女の人体二つでは総計二十だ。
俺の血が一体どんな代物になったかは置いておいて、男女の人体のケースで考えてみよう。
あの男は小太りだった。七十キロはあっただろう。そして女は痩せぎすだった。とすると四十、いや五十キロと見積ろう。
そうすると計百二十キロの質量でスライムは五匹から二十匹まで増えたことになる。
骨は栄養として取り込めたのかとか、一体どの個体が分裂したのかとか、煩雑なものを全て排除するなら、百二十キロで十五匹。
ふむ、大体十キロ前後で一匹と見ておこう。そうすると一万に到達するには十万キロ。百トンか。
「駄目だ」
「今度は何だよ」
「探偵として日暮の母を探すシミュレートしたら依頼を完遂出来なかった」
「当然だろうな。俺達に出来るのは猫探しくらいだぜ?」
はっ。想定外の量だな。それだけの質量が消えた日には、ドラマ準拠の無能警察でも慌てだすぞ。
砂食って増えるんだったらまだしも、それだけの有機物を気付かれないまま取り込める訳がない。
いや砂で良いとしても、かなり目立つ穴が出来るだろう。
しかし、嘆いても始まらない。既に事態は動き出していて、止まることは出来ない。
一日百キロでもいいから、コツコツとやって行くか。