0ー1 ある夢の中
人の性格や生き方は価値観によって築かれる。
と言うのが俺の持論だった。
例を挙げるなら、人類皆友達なんて平和ボケした人間。
彼らは温厚な性格を持ち、比較的穏やかな一生を歩むだろう。
更にもう一例。人を蹴落としてでも何かが欲しいという人間。
彼らは闘争的な質で修羅の道を切磋琢磨し、多くを得、多くを失うに違いない。
勿論こんな論には証拠はなく、世の中や国が変われば全く通用しなくなるだろう。
故に誰に主張するでなく、漠然とそう思っているだけだった。
そんな持論を持つ俺の価値観、思想はというと、こうである。
「こんな腐った世界に生きる価値などない」
結論から述べて考察を続ける。これが上手いスピーチのやり方らしい。
と言うわけで、何故こんな思想に至ったのか軽く説明しよう。
先ず、世界には支配者が存在していて多くの富を独占している。と、考えた。
そいつらは世界の半分の財を得ながら、浅ましくもまだ足りないと涎をまきちらしているのだ。
そして、披支配層に払うべき対価を奪い、労働のみを強いる世界が生まれた。
世はまさに家畜小屋である。悪臭立ち込める、憎悪と欲のるつぼだ。
正義は所詮それを維持するための方便に過ぎず、その内訳は金と権力、軍事力で大半を占めている。
そして悪とはそれを正当化する為に生成されるものに落ちぶれ。
この非常に偏りがちな論法をもっと簡単に言ってしまおう。
この世は餌付けされた犬と鞭を持つ飼い主だけしか存在していない。これだけだ。
だから、俺は最後にこう付け足すのだ。
「世界は順調に腐敗してるな」
そんな退廃的というか、終末理論的というか、負け犬的と言うか。
まあ、若者にありがちな屈折した考えを持つ高校生が俺、鳴海一也と言う存在だった。
異端だと自覚はしているし、ある種青臭い考えだというのも分かり切っている。
非社会的で、ここに暴力と言う要素を加えれば直ちに極悪人が完成するという事も、百も承知だ。
だからこそ、こうして誰にも何も言わずに、一般学生よろしく登校をしているのだ。
言うなれば、猫を被った腐った林檎である。
もっと言えば、そんな不健全な思想に憑りつかれたせいで不眠症になって、一年間成長ホルモンを逃し続けた、隈のある低身長な非モテ系腐敗リンゴである。
高身長高学歴高収入のうち、一つがもう欠けてしまった。後の二つも不安視されるから、もうドロップアウトは確定だな。
「それにしても、周りの学友は暢気なものだな」
眠くはないが重い体を引きずりつつ、霞む視界で辺りを見遣る。
通学路は、いやに眩しい朝日に照らされ、現代社会に不似合いな明るい笑い声が満ちていた。
右を見れば楽しげに笑う脳味噌空っぽ男。左を見れば恋バナに花を咲かせる喧しい女共。
その誰もが世界の構造がどうなっているのか知らないし知ろうともしない。
自身がどれだけ努力しようと、選べる道は優秀な犬か駄犬だというのに、今を楽しく生きている。
いやはや、彼等の眼には電車で揺られているリーマンの顔色が映らないのだろうか。
それとも見ないふりをしているのだろうか。
まさかこの教室に居る全員が、人の為に働いて死ねるなら本望だ、なんて支配者が泣いて喜ぶ精神構造をしているわけではあるまいに。
もしそうだったら、異世界に迷い込んだと断定して即刻首を括るぞ。
「おっ。おはよう鳴海」
「おはよう飯塚」
内心で毒づきつつ教室の扉を開いた途端、声をかけられた。
友人は今日も朝早くから登校していたらしい。
友人、と言っても意図して作ったものではない。一般学生を装う際に偶然出来てしまった交友関係だ。
飯塚智治。彼はスクールカーストにおいて上位に存在する、恵まれた男だった。
どれだけ恵まれているかと言えば、温室育ちが出来る身でありながら自由奔放に生きるくらい、恵まれている。
地元では有名な経営者の息子で、しかも経営している店はかなり繁盛しており、第三店舗まで手を広げている。
彼自身も才覚を有しており、その頭脳は全校生徒を合わせても十本の指に入るだろう。
その上、そうした努力をちらとでも見せない所がカリスマ性に関与しているらしい。
その影響力は高校一年生の身でありながら、生徒会会長を望まれるほどだった。
が、それだけではまだまだ被支配者層からは脱しきれない。
彼も結局、支配者のお目こぼしを受けるのが精一杯だろう。
具体的には精々、株式上場して、配当金に四苦八苦するくらいだ。
ただ、被支配者層の中でもかなりエリートであることには違いなく、これと関係を持てることはかなり利点だろう。
「何じっと見てんだ? まさか目覚めたか? 女装でもするのか?」
「しないよ。と言うか何でそうなった?」
「だって澱んだ目で熱い視線向けて来るし」
とは言ったものの、被支配者層のエリートにすら成り得ない俺にとって、こいつは面白おかしい人間でしかない。
俺よりも腐りかけな世の中で、俺が引きこもりにならないのも、こういう楽しみがあるからに他ならなかった。
俺が真ん中の席に座れば、早速その正面に陣取り、楽し気に話し始める。
「しっかし今日は一段と澱んでるなあ」
「馬鹿言え。目が澱む訳ないだろ。死体じゃあるまいし」
「でも相変わらず酷い顔だぜ。どぶ川だってもっと澄んでるよ。それにその隈。もう隈と言うか歌舞伎の隈取になってるじゃないか」
「隈取ってそんなにか?」
隈取と言えば歌舞伎で見られる赤とか青で描く、あの化粧の事だろう。
あれだけ濃い隈だったのか。鏡でよく見ておけば良かった。
「眉のとこにもにも墨で書いたらこのまま公演できそうだぞ」
「そっか。でも気にするな。最早アイデンティティの域に達しているからな。これは」
「おいおい、それは結局脇役になる様なアイデンティだぞ」
「ならいっそ本当に隈取してやるよ。そうすれば脇役から悪役になれるんだろ?」
「くくっ。そこまでやったら先生に呼び出しだろうな。何言えばいいか先生も分からないだろうけど。そう言えばさ、お前が紹介してくれたサバイバルの本、面白かったぜ。鳥を捕まえる所とかな」
「そりゃよかったな。でも鳥の捕縛術はするなよ。最悪に前科が付くからな」
何て適当に会話を転がしていると、急に眠気が襲ってきた。
俺は不眠症だ、という会話をして早々に眠くなるなんて、初めて会話を聞いた人間が見たらきっと目を丸くするだろう。
だが、そんな人間に配慮出来るほど不眠症患者は優しくない。
ベッドだろうが乗り物の中だろうがお目にかかれない眠気に、飛び付かないわけには行かないのだ。
「飯塚、ちょっといい眠気が来てる」
「そりゃ珍しいな。寝とけ、その好機を逃すんじゃない。寝とけ~寝とけ~」
直ぐに小声になって、何か呪いをかける様に手を揺らしだす。
それでいつでも眠れるのなら俺も苦労していないんだがな。
「ああ、悪いな」
それだけ言って、俺は腕を枕に目を閉じた。
価値観が性格を作り生き方を作る。とするならば反社会的な価値観を持つ俺は一体どこに行き着くのだろうか。
そんな事を考えつつ、意識は手から離れていった。
「勿論、私の様な商売人の元へ、デスよ」
流れ星が間断なく落ちるそこで見上げる男はピエロの様な格好をしていた。
俺も男もいつから居たのだろうと疑問に思うが、それ以上に何とも可笑しな男だ、と言う感想が上回った。
痩せぎすで、顎が尖って、何とも嫌な笑顔を浮かべている。
もしかしたら精巧な仮面かもしれない。そう思うほど作り物めいていて、だが生気のある表情だった。
だから、凄まじい違和感を覚えるのだ。
「初めまして。ええ、初めまして。私はバイヤーと申すもので、ございマス。今宵は、いえ此度は私の店にご来店有難う御座いマス」
「……」
ああ、夢か。
久々に見たから随分と生々しく感じるが、宙に浮くピエロなんて夢でしか出会えないだろう。
先ず間違いなくこれは夢で、俺は久々に心地よい眠りに着いているわけだ。
「おや、今宵のお客は寡黙でいらっしゃる。ええ、ええ! それでよろしいデスよ。何せ私はお喋りです。あなた様が口をつぐむことで、会話の量が程好くなるでショウ」
さて、と。夢ならば別に男の話を聞いている理由もない。
折角久々に寝れるのだ。夢の中でも夢を見るとしよう。
布団はないし地面も見えないが、立っているなら横になれる筈だ。
横になり、腕を枕にし、眼を閉じる。
「おやおや、眠いのデスか? 毎日世を憂いているから眠れないのデスよ。ああ、そうだ。実はそれで耳寄りな情報があるのデスが、いえいえ、眼を閉じていてくだサイ。夢現で聞いてて構いまセンから。ええそうですとも何せここは夢の中なのデスから」
それにしてもまるで滝のようによく喋る男だ。実際にいたら、肺活量が凄まじいものだったろう。
酸素ボンベ無しで深海まで行けるかもしれないな。
「実は今回、世界を破壊する力、というものを入荷致しマシて。只今販売中なのデスよ」
面白い話だ。与太話にもなりやしない。
「お客様、現代社会をどうお思いデスか? いえいえ言わなくとも分かりマスとも。酷く閉鎖されていて、固定されていて、序列が決まってしまった。それを貴方は知ってしまったはずデス」
確かに、そうだ。
支配層と披支配層は水と油の様に分かれてしまった。二度と交わることは無い。それどころかどんどんその境目は広がるばかりだろう。
何せ金があるほど儲かる世界だ。格差が広がらないわけがない。
それは即ち、資本主義社会の機構を悪用した錬金術に他ならなくて、結局の所は社会を破壊しない限りは
「絶対に覆らない、デスね」
「……」
流石夢だ。タイミングがいい。
そもそもこんな負け犬の遠吠えみたいな論理を肯定する時点で夢に違いないのだが。
「問題は、支配者層同士が戦わなくなったことデス。互いに手を取って、程々の利益拡充で満足するようになったのデス。多大な利益より付け入る隙を無くすほうにシフトしたのデス」
嘆かわしい。恨めしい。と空中で身悶えするピエロ。
「支配者層による、奴隷生産百年計画と言ってもいいデショウ! と言うわけでこの力デス。これがあれば動乱が起き、革命が起きるデショウ。富による権力が崩れ、家畜小屋の如き秩序は打ち崩されるのデス」
何とも面白い発言だ。
俺の考えを何段階も先に進めた暴力的なものと言える。
あるいは革命的とも言い換えられるかも知れない。
だが、夢らしい馬鹿な話だ。
たった一人が支配者層を何とかなるわけがない。
広大な敷地に蔓延った雑草を一人で何とか出来るわけがないのと同じだ。
そもそも彼が言った様に、世界は秩序だっているのだ。
酷い状況とは言え、最悪にならない様に管理されているのだ。
老後も保証されない管理であるが、死にはしないという一点だけで納得する貧相な輩も居ない訳ではない。
秩序を破壊するという事はそう言う者達も相手取るという事だ。
それとも、それではいけないと世界人口の半分をぶち殺せばいいとでも言うのだろうか。本当に馬鹿らしい。
「そもそも俺の様な反社会的な考えを持つ人間は少数派なんだよ」
「おやおや、そうデスかねえ。確かに支配者層による洗脳が最終段階にまで進んでいるのデスからそう見えるデショウ。デスから! 故に! 貴方に売り込んで居るのデスよ」
「はあ。聞いてるのか。夢の中の住人。少数派が多数派に勝てるはずがないって言ってるだろう?」
言った途端。
その顔に初めて生々しさが浮かんだ気がした。
「少数派? 可笑しい事を言いマスね。貴方は既に多数派なのデスよ。この商品を手にする権利を得た時点でね」
だが、何とも嫌らしい笑いだ。
全てを見下したような、そんな笑い。
そしてその表情と同期して、後ろに妙な気配を感じた。
大量の何かが蠢く様なざわめき。
何かの水音や息遣い。
生臭さと獣臭さ。
騒めいている。何かが居る。それも大量の、無秩序な、混沌とした、何かが。
「もう一度言いマス。貴方は既に多数派なのデス。ここに居る全ての存在が、彼等の支配を許しはしないのデス」
「商品と、言ったな。何を、売るって言うんだ。何円で売るつもりなんだっ?」
「貴方の命と、ここの軍勢を」
「………………はっ。面白い夢だ」
思わず冷や汗をかいてしまった。取り乱してしまった。ここは夢の中だというのに。
本当に馬鹿らしい夢だ。有り得ない事ばかりをしゃべり続けるピエロだけが登場人物なんて特殊過ぎるだろう。
まあ、本当に世界転覆できる軍隊が手に入るなら、命だろうと何だろうとくれてやろう。
先ず有り得ない話だが。
「面白い。お前にはどんな利益があるんだ?」
「私は商売人デスよ。貨幣を得る事こそが私の利益デス。そして私にとっての貨幣とは命なのデスよ」
「ふーん。で、この商品の詳しい内容は教えてくれないのか?」
「福袋的な観点でお教えすることは出来まセン」
とんだ詐欺商品だった。
そもそも福袋は要らないものや売れ残りを詰め合わせた物だと相場が決まっている。
そんなものだと言われて、誰が買うだろうか。
きっと夢の中か、与太話でなければ手を出すこともすまい。
だから
「……面白い。買った」
了承した。
途端、胸を引っ張られるような感覚がした。いや、引っ張られるというよりは何か貫通した感覚か。
見ればそれが正しかったようで、ぽっかりと大穴が空いている。だが、不思議と痛くない。
ただスカスカと風が通り抜ける様な気がするだけだ。
「確かに命を貰いマシた。代わりに、貴方に強大無比な力と軍隊を」
今度は穴が埋まって、後ろの気配が消えた。
まるで、何もかもがこの胸に集約したような、そんな現象だ。
それに何だか妙に気分がいい。何もかもを手中にしたような気分だ。これが全能感という物なのだろうか。
「はは、夢にしては、リアリティがあるな」
「これが現実だと認識出来マスよ。目が覚めて一日もすればね」
そんな下らないことを言うピエロの姿が、不意に霞み出す。
足場も何処となく頼りなくなって、落ち続けていた流れ星は途中で弾けて消え始めた。
夢から覚めるようだ。もう少し、この感覚を楽しみたいのに。
夢と言うのはいつもこうだ。本当にいい時に目が覚める。
「全く、力を使う所まで見させろよ」
「それは現実で行ってくださいマセ」
俺が最後に見たのは、慇懃無礼に礼をするピエロの姿だった。