風霊王の愛し子
風霊王とシルフィーナの出逢いです。
風霊王たる私が、愛し子と出会ったのは、爽やかな風薫る初夏の頃だった。
いつもと同じように、風霊神殿の祭壇の影で司祭の祝詞を子守唄にのんびり昼寝と洒落こんでいた時、ふと風に乗って泣き声が聴こえた。
(……?近くにいるのか??)
でもまぁ、自分が行った所で何にもならない。
別にいいか…と再び瞼を閉ざした。その時。
「…!……っ!!」
小さな下位風霊が騒ぎだし、更には私の頬をペチペチと叩いた。
心地よい微睡みを邪魔されて、私は眉間に皺を寄せて睨んだ。
「なんだ。騒々しい」
「……人、小さいの…フニャフニャ……、門……落ちて、る……」
一生懸命伝えているが、下位の為あまり言葉が話せず、言いたい事がわからない。
(小さい?フニャフニャ??一体なんだ??)
好奇心を刺激され、門前に向かう。
そして、風霊の言いたい事がわかった。
「ふやぁっ、ふやぁっ!」
門の前に、小さくてフニャフニャした赤ん坊が、藤籠の中で泣いていた。
(……これは、一体どうしたものか…………)
驚きに呆然としたのは一瞬で、私は直ぐ風霊に司祭を呼ぶよう指示した。
人の事だ。人に任せるのが一番良い。
司祭を待っている間、泣き止まない赤ん坊を覗き込む。
涙で頬を濡らしていたので、柔らかなそよ風を送り、頬を乾かしてやる。
すると、ピタッと泣くのを止め、瞑っていた目を開いた。
キョトンとこちらを見る瞳は極上のエメラルド。
その目に私を映したかと思うと、何が嬉しいのかニッコリと笑った。
「あぁうぅ~。きゃっ!」
全く言葉がわからないが、笑いながら手を伸ばされた。
……これは、手をとれと言っているのだろうか?
だが、こんなに小さな手に私が触れて大丈夫なのだろうか?
赤子に会うなんて初めてで、どうしたらいいのかさっぱりわからない。
すっかり困惑して立ち尽くしていると、中々手を伸ばさない私に焦れたのか、再び瞳一杯に涙が溜まりはじめる。
「わっ!待てっ!な、泣くな!」
慌て小さな手を握ると、さっきの涙はなんだったのかと問い詰めたくなる程、きゃっきゃ!と笑われた。
深く溜め息を溢して、触れた手を眺める。
自分の手の半分にも満たないし、フニャフニャと柔らかい。
これでよく動くものだと関心していたら、その小さな手がモゾモゾと動いた。
放して欲しいのかと握る手を緩めたら、指をギュッと掴まれた。
思いの外強い力に驚く。
「おいっ、放せ」
片手で、細く短い指を一本一本外していく。
しかし、次の指を外した時には既に前の指は握り込まれており、いっこうに放れない。
「おいっ、こらっ!放せ」
再び指外しを試みるも、徒労におわる。
(……もう、どうにでもなれ…………)
遠い目をして空を仰いだその時、背後からクスクスと笑い声が聞こえた。
やっとの登場に、恨みがましく横目で睨む。
「遅い!何故直ぐに来ない」
「いえ、直ぐ行きたかったのは山々ですが、祝詞を途中で放り出す訳にもいきませんので…。でも、遅れて正解でしたね。貴方様の困った顔など、なかなか拝めませんから」
にこやかに笑って直ぐ隣に並んだ司祭は、藤籠を覗きこんだ。
赤ん坊が目を真ん丸にして司祭の相貌を見つめる。
ギュッと指を握る手に力が入った気がした。
「あぁ、可愛らしい赤ん坊ですね。…うちの子になりますか?」
「あうぁっ!」
絶対に理解していないと思うが、元気な声が返ってきて司祭は笑った。
「わかりました。それでは私は準備がありますので、この方に抱っこして院に連れていって貰って下さいね」
「おいっ、何故私が抱っこしなければならない!?」
ようやく解放されると思ったのに、どういう事だ!
しかも、手を握るだけでも戸惑った私が抱っことか、難易度高過ぎだろ!
どんな無茶振りだ、と睨み付ければ澄ました顔で一言。
「私は色々手続きがありますし…。それに、その指離れないでしょう?」
「……………わかった。だが、抱っことはどうやるんだ?」
渋々といった様子を隠すことなく尋ねる私に、司祭は微笑みながら丁寧に教えると、私に赤子を託して戻って行った。
その背を恨みがましく見つめていたら、腕の中で赤子が居心地悪そうにモゾモゾと動いた。
胸や二の腕に顔を押し付けては、うぅぅ~と不満げに唸る。
あちこち探り、最終的に二の腕と胸の境目に落ち着いた。
直に伝わる温もりに、何故か胸が暖かくなる。
けれど、それと同時に緊張もした。
少しでも力を込めると、潰してしまいそうで…。
赤子はそんなに柔ではないと司祭が言っていたが、それでも不安なものは不安だ。
だから…。
「…我が名において誓う。汝にとこしえの愛と我が名を与えよう」
囁いてそっと額に口付けをおとす。
一瞬、刻印が浮かび上がり、けれど直ぐに体の中へと消えていった。
念の為、目を閉じて五感を澄ませる。
確かに繋がる鼓動を感じ、私は安堵の息を吐いた。
火、水、土、風、光、闇の王らは、他の霊にはない特殊な力がある。
たった一人にだけ与える事の出来る寵愛は、授けし王の属性が、決して愛し子を害する事がなくなる。
たとえそれが王であっても、例外ではない。
王と愛し子が魂で繋がる為、霊にとって愛し子は言わばもう一人の王なのだ。
本来なら相手の意思を尊重する契約だが、赤子なら聞かなくても大丈夫だろうと、勝手に判断する。
ずり落ちそうになる赤子を抱え直してから宙に浮こうとして、ふと司祭の去り際に、空を飛ぶなと釘を刺されたのを思い出す。
内心舌打ちをして、私は急ぎ足で孤児院にむかった。
その後、寝てしまった赤子を降ろそうとして泣かれ、
慌てて抱き抱えるの無限ループに突入。
四苦八苦して何とか布団に降ろした後は、簡単に寵愛と名を与えた事に対するお説教が待っていた。
そんな出逢いから十数年。
シルフィーナは病弱ながらもスクスクと育ち、ついに聖エインシエル魔法学園に入学した。
「ウィード!見て見て!似合う?」
真新しい制服に身を包み、胸元に風魔法科のバッジを着けてクルリと回って見せるシルフィーナに、私は苦笑いを溢した。
「落ち着けシルフィーナ。体に障る」
「これくらい大丈夫よ!ウィードは心配性なんだから!」
「そう言って、卒業旅行の当日に熱出したのは何処の誰だ?」
つい先月の話を出したら、シルフィーナは膨れて外方を向いた。
「それを言われたら何も言い返せないわ。ウィードの意地悪!」
「悪かった。ほら、回らなくていいからちゃんと見せろ」
ポンポンと頭を軽く叩くと、シルフィーナはようやく顔を向けて真っ直ぐに立った。
折襟の軍服の様な黒の上着に白のワイシャツ。そのどちらにも襟や袖や裾に銀の糸で守りの術が刺繍されていて、デザインだけでなく魔道衣としても優れている。
首には緑のスカーフを飾り、左胸には風魔法科を表すバッジ。
膝丈のプリーツスカートにも、守りの術が刺繍してあった。
髪も肌も白いシルフィーナに、黒の制服は良く映えていた。
「大丈夫だ、良く似合っている」
「本当!?嬉しい!」
ニッコリと笑うシルフィーナを眺め、あの病弱な子供が良くここまで大きくなったなと沁々思う。
今まではずっと側にいて見守っていたが、これからは違う。
「本当に、寵愛を秘めて学園に行くのか?」
学園に行く際、シルフィーナは私の愛し子である事を隠して通うと言い出した。
当然私は反対したが、司祭を初め孤児院の者たちは揃って賛成した。
人というのは、自分よりも優れた者や特別な者に、妬みや憎しみを持つのだそうだ。
「……けったいな生き物だな、人というのは」
思わず呟いた言葉に、司祭が苦笑いを溢したのを覚えている。
「うん。…でもね、確かに妬みや恨みは怖いけど、自分の力だけで頑張りたいって思ったから、私は愛し子である事を隠して行くの。だから、必要以上に力を送ったらダメだからね!」
「わかっている。…だが、お前が私の愛し子であることは変わらない。だから、何かあったら……」
そこで、何かが引っ掛かって言葉を切る。
頭に?マークを浮かべて首を傾げるシルフィーナを暫く見つめ、ややあって気づく。
(そうか。何かあったら、ではなく……)
「……何かあっても無くても、いつでも喚べ。忘れるな。私は、いつでもお前を想っている」
すると、シルフィーナは顔を真っ赤に染めて俯いた。
そしてホンの僅かに頷く。
そんな彼女を抱きしめ、私は何故か騒ぐ胸を誤魔化すように頭を優しく撫で続けた。
ちょっとした小話。
ある麗らかな日の事。
「違う!何度言わせれば気がすむ!」
のんびりと庭を掃いていた司祭は、中から聞こえてくる大声に驚いて中へと駆け込んだ。
「一体何事です!」
バンッと扉を開けると、二歳にもならない赤ん坊を風霊王が睨み付けていた。
入ってきた司祭に気づきもせず、何やら口喧嘩?を始める。
「だから!私の名はシルフィードだ!」
「ちぇるうぃーど?」
「違う!シルフィード!」
「いるふぃーろ?」
「シルフィード!」
「うぇるふぃーど?」
「シ・ル・フィ・ー・ド!!」
「ちぇ・る・うぃ・ー・ど?」
………ダメだこりゃ。
「もう、省略してウィードで良いのでは?」
「うぃーど!!」
「まて!ードしかあってない!」
「ィもあってますよ」
そんなこんなでシルフィーナは風霊王をウィードど呼んでました(笑)