⑨蛇沼の悲しき秘密
2014年5月7日10時59分(49日のリミットまで、残り22日)
福岡県 福岡市 城南区 片江3-XX-XX
ガスト・片江店
動物園での事件から三日後、野辺山大学付属高校に程近い、某ガストの奥まった席に、セイジ、リツ、熊野が顔を合わせていた。
熊野は満面の笑みをたたえている。
「ウィッス」
「あ、どうも」
「いやあ、二人共、本当にありがとうな。俺一人じゃどうしようもなかったよ。事情聴取はどうだった?」
「なんとか上手く切り抜けました。まあ飼育員の方と福岡県警には結構な迷惑を掛けたみたいですけど」
福岡市動物園での熊騒動は全国ニュースとなっていた。
動物園に、突如正体不明の大熊が現れたのだが、猟友会と警察の合同部隊が突入すると、忽然と消えていた。
またこれと付随して、当時、幼稚園児に公開されていたニホンツキノワグマの小熊が逃走しており、現在でも警察が行方を追っていた。
「ペンタ君はどうなったんですか?」
「俺のアパートで面倒見てるよ。頃合見て、山口県あたりにでも放しに行くよ」
「山口?」
「九州じゃあ熊はもう絶滅しててね」
「は、はあ……それで呪いの方は……?」
「おお、安心しろよ。おれは自分の分の呪いは解くよ」
「そ、そうですか。ありがとうございます!」
「いやいや、お礼を言うのはこっちの方だよ。ここもおごるからさあ、何でも好きなもの食べてよ」
「いいんですか?」
「あのね、俺はお前らに感謝してるんだよ」
感じの良い、長髪の女子大生と思われるウェイトレスが注文を取りに来て、セイジはトマトチーズハンバーグを、リツはチョコレートパフェを頼んだ。
しばらくして運ばれてきたハンバーグを、リツは目の見えないセイジの為に切り分ける。
その仕草はかなり堂の入ったもので、端から見ればもうカップルにしか見えない。
「そういや熊野さん、蛇沼さんは何時頃に……?」
「ああ、ヘビは三十分後に来るよ」
「なんだか順調ですよね! このまま行けば一族郎党皆殺しはナシですね!」
リツが弾むような声でそういった。
セイジも楽観はしていないが、解決の端緒が付いたことに多少なりとも安堵していた。
熊野の呪いを解いた後は、次は蛇沼の呪いの番で、今日、三人が集まったのは、熊野に蛇沼を呼び出してもらい、彼の望みを聞くためである。
ただし四十九日が明けるまで、三週間あまりしか無いこと、そのリミットは常にセイジの頭のなかにあった。
ふと、気になり、セイジが熊野に聞いた。
「熊野さん。蛇沼さんって一体どういう人なんですか?」
「ん? 何か不安があるか?」
「いや……その……葬儀の時にですね、蛇沼さんが言っていましたよね、その……殺す前にどうにかするとか」
「あ? ……ああ、あれね……あれはまあ、ぶっちゃけその場のノリとかもあるんだけど……まあその辺も話しとくか」
セイジは遠回しに熊野へ疑問をぶつける。
リツの前では大声で言えないが、蛇沼は
『その前に女は全員犯してやるでござる』
と、たしかに言っていて、前世が蛇なだけあって、性欲異常者ではないのかという不安があった。
熊野は、パフェをつつくリツをちらりとみやりながら話し始めた。
「実はね、三獣の呪いの三獣、猫、蛇、熊にはそれぞれの意味合いがあるらしいんだ」
「らしい?」
「俺らもすべて解ってるわけじゃないんだけど、三匹の獣のそれぞれで欲望を表すらしいんだな」
「は、はあ」
「まあそれで、熊の俺が食欲、蛇が性欲、猫が睡眠欲担当ってわけ」
「な、なんか取ってつけたような設定ですね」
「いやいや、これが中々重要な事らしくてね。当主の葬儀で、俺達をもてなす事については話したと思うけれど、そのもてなしの内容っていうのは、この欲望に沿っているのさ」
「? ……つまり……どういうことなんですか?」
「つまりね、今までのおもてなしでは、俺は豪華な食事を与えられ、蛇沼は女性を……与えられてたって訳」
「ちょ、ちょっとセクハラじゃないですか」
リツが少し赤くなる。
「でも実際そうなんだから仕方がない。それでタマが睡眠欲担当なんだが、これは簡単でね、単純に当主の膝の上でおもてなしの間中寝てるんだ」
「じゃあタマが俺になついてきたのは……」
「うん、お前を、次代の当主と勘違いしたんだな」
「は、はあ」
「じゃ、じゃあ蛇沼さんの望みは、ようは女性が必要ってことですか?」
「ん? いや、どうだろ? 葬式で言ったことは売り言葉に買い言葉的なものだと思うよ……なんだか最近あいつも趣旨替えしてるみたいなんだよ」
「そうでござる! 三次元など不要! 二次元こそ至宝!」
三人のテーブルの後ろに、そう叫ぶヲタがいた。
葬式で会った時と、全く同じ格好。メガネにバンダナ、アニメのTシャツに色のあせたジーパン、バックパックを担ぎ指ぬきグローブというテンプレ設定の蛇沼が、右手を上げてポージングを決めて立っていた。
「……」
「……」
「……」
「三次元など不要! 二次元こそ……」
「……ヘビ、分かったから、頼むから座れよ」
先ほどの女子大生のウェイトレスが、顔を引きつらせたままこちらを見ていて、熊野は立ったままの蛇沼を、無理やり自分の隣の席に座らせた。
いきなりのテンプレヲタ登場に、リツは思わず口を開いた。
「へ、蛇沼さんってオタクなんですか?」
「む、お主は誰でござる? 吉浦家の人間の臭いはしないでござる」
「わ、私はセイジくんのいとこの呼子リツっていいます!」
「ま、まあ落ちついて。お前らも十年二十年生きてると、いろんなことがあるだろ? それと同じで俺らも五百年も生きてるといろんなことがあるわけよ。そういうことにしといてくれよ。色々察してくれよ」
苦り切った顔でそう言う熊野に、蛇沼はかなりの剣幕で噛み付いた。
「それより熊野氏、ニュースを見ましたぞ。動物園の熊騒動は熊野氏のしわざでござろう? なにをしているのでござるか!!」
「まあ、そういうなよ。どのみちもうすぐ消える身なんだからさ、最後にちょこっと親戚の面倒をみただけだよ」
「イヤイヤ熊野氏! 何故に呪いを解いたのでござるか! あの時、我らが受けた傷を忘れたのでござるか!?」
「……色々あったけど、まあ五百年間いろんなもの見れたしさ、それに親戚助けてくれたし。俺はもうチャラでいいよ」
「熊野氏! 本気でござるか?! 思い出して欲しいでござる! あの日、吉浦家が我らにした所業を! 一雲八幡宮で何があったのかを!!」
「……あの日……」
「そうでござる……あの日でござる……」
蛇沼がそう言うと熊野は押し黙り、無言でうつむいた。
セイジは様相を変えた二人に思わず聞いた。
「あ、あの俺の祖先が、一体何をしたんですか?」
「聞きたいでござるか?」
じろりとセイジを睨んだ蛇沼に、熊野がとりなすように声をかける。
「おい、ヘビ。止めとけって」
「いや、よく考えればこれを知らずして吉浦家の縁戚とは言えないでござる! あの『三獣の呪い』の本当の姿を伝えるべきでござる! 吉浦の血族よ! よく聞くでござる!!」
蛇沼は顔をきっと上げ、セイジを指さして大声でそう言うと、声の調子を整えて喋り始める。
「『三獣の呪い』の手順その一。当主に懐く猫、その辺の蛇、その辺の熊を準備します」
「はあ……」
「手順その二。集めた獣を所定の神社にて、なるべく長く生かしながら、足元から頭まで全てすりつぶして、秘伝のタレと混ぜてタルタルステーキ風に焼き上げます」
「……」
「手順その三。出来たタルタルステーキを全て当主に食べさせて、一昼夜以上生きていたら成功です。ただしその分量は、必ず胃の破裂を引き起こし、八割方が一昼夜持ちません。また成功した場合も3日以上、生きられる人間はいません」
「……」
「ちなみに、初代当主の吉浦氏は、大太刀を抜いて呪いを受け、手を動かすことも出来ない状態になり申した。それを良いことに、残った吉浦家が、無理やり初代当主の口を開いて、拙者たちをすりつぶして作ったタルタルステーキを、残らず詰め込み申した。何とか一昼夜は生きていたようでござるが……ぶっちゃけ清太郎氏よりもひどい死に様だったようですぞ……」
「……すみません店員さん。このハンバーグ下げてもらっていいですか?」
「……」
「……」
「ヘビよ……あれは……痛かった……なあ……」
「……熊野氏やお姫様はまだいいでござる……お二方は四足がなくなった時点で半生半死……意識がなかったでござるから……。拙者は爬虫類でござる……。尻尾からすられて脳髄に達するまで……キッチリ意識がありもうした……グググ」
「いいんだヘビ……泣いていいんだよ」
まなじりを無理やり挙げて、涙が落ちるのを我慢している蛇沼の肩を、熊野は優しくさすった。
蛇沼は、熊野の仕草に何かを感じたのか、ぎゅっと睨んだ表情を変えぬまま、涙をボロボロとこぼし、遂には二人は抱き合って泣きだした。
大の男二人が落涙する姿に、なんという言葉をかけていいのかセイジは迷っていた。
そしてそれ以上に、女子大生のウェイトレスを含めたガストの従業員は、固唾を呑んでこちらの様子を見守っていた。
このガストにとって、四人は間違いなく『今月一番の困ったちゃん』であっただろう。
「……それでどうすれば蛇沼さんは呪いを解いていただけるんですか?」
抱き合って泣き続ける蛇沼に、リツは全く意を介さず突っ込んだ。
まるで邪気なく溌剌とした声で尋ねるリツに、蛇沼は顔を真赤にさせて噛み付く。
「こ、この話をきいて、まだ呪いを解けと申されるか?!」
「いえ、あの、はい」
「あ……あ……厚かましいにも程があるでござる!1」
「ヘビよ。落ち着け。迷惑だ」
熊野は激高する蛇沼をなだめ、セイジはとにかく話の方向を変えようとした。
「と、ところで先程、どのみち消えるって言われてましたけど、あれどういう意味なんですか? もし呪いを解けず、俺達が皆殺しにされた後は、熊野さんと蛇沼さんとタマさんはどうなるんですか?」
「そりゃあ、怨霊が復讐を果たしたら消えるだけだよ」
「それじゃあ、逆に呪いを解いたらどうなるんですか?」
「そのときも、きれいサッパリ消えるさ。俺達は幽霊なんだ」
これはセイジとリツにとって予想外の情報だった。
結果はどうあれ、この二人とタマという猫は、残り三週間程度で魂切れて無くなる運命だという。
これはチャンスだ……とセイジは考えた。
「蛇沼さん。俺達の祖先のやったことは取り返しがつきません」
「……当然でござる。許す気など毛ほどもござらん」
「ですが、そのお詫びを少しでもさせて欲しいんです」
「……」
「全てが無くなる前に、僕らで叶えられる望みがあれば、少しでもお詫びをしたいんです」
「……」
「……何か望みがあれば言ってください」
そうセイジが言うと、蛇沼は下を向いてしまった。
沈黙が四人のテーブルを包む。
長い長い沈黙の後、声の調子がか細く変わった蛇沼が、ぽつりと言った。
「……本当になんでもするでござるか?」
「まずは言ってみてください」
「熊野氏!」
「あー?」
「ちょっとお耳を拝借」
蛇沼は血相を変えて、隣の熊野を引っ張り、せわしなく何事かを耳打ちした。
「あ? あー? あああ?! ああ、あーあーあ?」
熊野は蛇沼が喋る度に、困惑した声で相槌を打っている。
そして全てを聞き終えると、熊野はこめかみを手で抑え、とても渋い顔をしてリツに向き直った。
「……あのー、呼子さん?」
「はい?」
「あなた女子高生だよね?」
「は? はい、そうですが……」
「女子高生との合コンをセッティングしてくれたら呪い解くってさ」
「へ?」
「熊野氏?! もっとオブラートに包んでほしいでござる!!」
「どうオブラートに包めっていうんだよ……」
「なんですか。手っ取り早く中洲の風俗街で豪遊とかのほうがいいんじゃないですか?」
セイジは驚きの余り、言わなくていいことを口に出し、リツに足をつねられる。
「いやね、セイジ君。こいつ風俗歴は長いけど、彼女いない歴五百年なのよ」
「熊野氏! そ、それだけは言わない約束でござる」
「俺なんて五百年、女切れたことないのにさー、不憫だろ?」
「う、うるさいでござる! もういいでござる、開き直るでござる! そうでござる拙者に合コンをセッティングしろでござる! 素人童貞のままで消えてなくなるのは嫌でござる! 女子高生と付き合いたいでござる!!」
既に女子大生のウエイトレスは、隣に店長と思しき髪の薄い大男の中年を連れてきていた。
家族連れも多い店内で、脱素人童貞を悲鳴にも似た声で連呼する蛇沼は、警察に連行されても文句は言えない存在である。
セイジがサングラスを掛け、車椅子姿でなければ、四人はとっくに追い出されていただろう。
「分かりました」
「え?」
「は?」
「デュフゥコポォ?」
「合コンですね。私の友達を誘います。ただし熊野さんと蛇沼さんとお二人で来てください」
「あー、俺は彼女いるし、若い子と話し合わなそうだからパスで」
「駄目です」
「熊野氏。一生のお願いでござる! ついてきてくださいでござる!」
「……分かったけど」
熊野はリツに、本当に大丈夫か? という視線を送るが、リツはにっこり笑って、
「ええ、そうと決まれば善は急げですね。明後日くらいはどうでしょう?」
と、堂々と言葉を続けた。
「拙者はいつでもいいでござる!」
「もう好きにしてくれよ」
「ああ、確認しますけど、蛇沼さんの望みは『女子高生と合コンに行くこと』ですよね」
「そうでござる! そうでござる!」
「それが叶えられれば、三獣の呪いは解いて貰えるんですよね」
「勿論でござる! リツ殿は女神でござる!」
リツはそれを聞くとにっこり笑っていった。
「分かりました。それならばぜひやらせてください」
蛇沼と熊野とリツは、その後に時間の相談をして、連絡先を交換しあった。
その後の蛇沼は、一転して超が着くほどへりくだった態度になり、リツにひたすら感謝して、支払いの伝票まで自分で払うといって持っていった。
リツとセイジは席に残された。
セイジは予想外の展開に放心していたが、リツの席を立とうとする気配を感じて声を掛けた。
「……ごめんな呼子さん。本当ごめん。俺も……」
「ううん。セイジ君は来なくていいよ」
リツは邪気の微塵も感じさせない明るい声で、セイジの申し出を断った。
「え? でも……」
「大丈夫。熊野さんがいれば、間も持たせられるし」
「でも……」
「蛇沼さんの望みは女子高生と合コンに行くことだけでしょう? 成功するかしないかは望みに入っていませんでしたね」
そう言うと、リツは少し残忍に笑った。




