⑧小脱走
2014年5月4日12時29分(49日のリミットまで、残り25日)
福岡県 福岡市 中央区 南公園1-X
福岡市動物園
ゴールデンウィーク最終日の動物園は、家族連れの客で混雑していた。
動物園内の、屋台と程度の変わらないメニューが並ぶカフェテリアに、リツと車椅子姿のセイジがアイスクリームをつついている。
リツは何故だか暗い顔をしている。
「ううううぅううぅぅぅうう」
「? どうしたの呼子さん?」
「こんな手抜きの格好なんていやです!」
二人の格好は、セイジがジーパンTシャツにサングラス姿、対してリツはキュロットスカートに緑色のパーカーというとてもラフな格好である。
たしかにデートとすれば、あまりに手抜きの格好ではある。
「この作戦は目立っちゃ駄目なんだよ。俺達は地味に地味に行く必要があるんだよ」
「分かってますけどねー。こんなランニングシューズ嫌いです!」
「まあ、呼子さんには走ってもらうからね」
「でもですねー、でもですねー」
なだめるセイジに、なおもリツが言い募ろうとした時、動物園に構内放送が響き渡る。。
『ご来場の皆様にご連絡致します。本日の十三時より、福岡市動物園の哺乳類館の一階にて、今年生まれましたニホンツキノワグマ、ペンタくんの見学が行われます。予めご招待させていただきました、南公園幼稚園の方々は、十三時迄に哺乳類館一階の受付までお越しいただきますよう、お願い致します。繰り返します……』
サングラスで視線を隠したままのセイジは、リツに口を曲げてにいっと笑ってみせた。
「予定通りみたいだね」
「そうですねー」
リツはなおも不満気にそう言うと、立ち上がってテーブルの上を片付け、セイジの車椅子を押し始めた。
目指す場所は勿論、哺乳類館である。
「ごめんね。なんか巻き込んじゃって」
「ううん。気にしないで下さい。好きでやってるんですから」
「そういえば、オカルト好きなら、なんで病院で話した時は食いつかなかったの?」
「……最近ですねー、どこからか私がオカルトとか幽霊大好きって情報が出回ってるみたいなんですよー。それで何故か、『そういう風な誘い文句』の男子がちょくちょく来るんです。なーんかナンパに使われてる気がしてて、セイジくんもその口かと思っちゃっいました」
リツの声は喋るにしたがって、段々と険しくなっていった。
「……なるほど、葛飾さんか……」
「うーん、ちょっと今度、会って見ようかと思います」
「ハハッ、あいつは思った以上にひどいやつだぜ」
「……」
「俺が初めて行った時なんか、中二病扱いされてさ……」
「あのですね、セイジ君」
「ん? 何?」
「なんでそんなに明るいんですか?」
車いすを押す、リツの力加減は微妙に変化していた。
「え?」
「いやですね、失明したら普通はもっと落ち込むものじゃないかと思ってたんですけど、セイジ君って明るいじゃないですか?」
「……」
「……ごめんなさい、傷つけたならあやまります。だけど……ちょっと気になっちゃって」
広場の前の大きな池で、子どもたちが鯉に餌をやりながらはしゃいでいた。
瑞々しい子供達の声が響く中で、セイジはためらいがちに話し始めた。
「……まあ、最初は落ち込んだよ……でもさ、あいつらが一族郎党皆殺しにするって言ってたからさ、戦わないとって思っただけだよ」
「失明した状態で?」
「失くしたものをどうこう言ってもしょうがないよ。それよりも俺は家族を守らなくちゃいけないんだからさ」
考えてみれば、それ以外に仕様のない話だった。
落ち込んでいるからといって何が解決するわけでもない。
そして現実から目を背けたとしても、物事が解決するわけでもない。
しかし、頭でわかっていても、それでも中々、そう簡単に割り切れるものなのか。
リツはそこがまだわからなかった。
「……でも」
「まあ、足折られた時はちょっと心も折れかけたけどね」
リツがもう少し突っ込もうと思った矢先、セイジが混ぜ返した。
「うっ……そ、それはお手伝いして返しますから」
「呼子さん」
「はい?」
「色々助けてくれて本当に感謝してるよ。全然無関係なのに」
「いえいえ、楽しんでやってますから」
「危なくなったら、本当逃げてよ」
「えっ?」
「危なくなったら、すぐに逃げてよ。俺、今の状態だと呼子さん守れないし……見たでしょ、熊野の手」
「……はい……」
「あいつがなんで一般人のフリして生活してるかとか、全然わかんないけど騙されちゃ駄目だよ。あいつらはいざとなれば、俺の親族を皆殺しに出来る力があるんだから」
それで何となく会話は終わってしまった。
リツは、何か上手く断ち切られた気もしたが、今は目の前のミッションに専念することにした。
何しろもう、哺乳類館についてしまったのだ。
「哺乳類館に着きました」
「何時」
「13時15分」
「そうだね、そろそろ頃合いな感じかな?」
リツとセイジは哺乳類館の中に入った。
二階迄吹き抜けの大きなロビーに、人がごった返している。
リツは、じいっと当たりを見渡した。
「セイジ君。飼育員らしき人は三人いるわ」
「どんな人」
「男のいかつい人と、若い女性と、かなり年配の女性。全員動物園の作業着だし間違いないと思います」
「男でいこう」
「いいの? 女性の方がいいんじゃない?」
「大丈夫。呼子さんは霊感『美少女』でしょ?」
リツは少し黙った後、セイジにバーカと言った。
しかしもし、セイジの目が見えていたら、顔を赤く上気させたリツが見えたはずだ。
「絵本は?」
「持ってますよ」
「目薬は?」
「不要です」
「サスガ女の子」
「……その台詞は後で反省会ですからね……」
リツは何度か深呼吸をした後、意を決した顔をして、するすると男の飼育員に近付いていった。
「あ、あのスミマセン。ちょっといいですか?」
「はい?」
「今、ツキノワグマのペンタくんのお披露目やってるって聞いたんですけど」
「ああ、それならこの哺乳類館の奥でやってますけど……あれは地元の幼稚園児に限定なんですよ……一般の方は見学出来ないんですが……そちらの車椅子の方はお連れさんですか?」
いい兆候だった。
「はい! 私の彼なんですけど……病気をして、二週間前に……目が……」
そこまで言うと、飼育員を見つめたままリツはいきなりボロボロ泣き出した。
「ちょっちょっちょっと、ここではあれなんで裏で……」
かなりの美少女が、顔も伏せずに泣いているのは、声を上げずともかなり目立つもので、周りの客が一斉にリツに注目してざわざわしだす。
そこにリツは、さらなる追い打ちを掛けるべくまくし立てる。
「もしかしたら耳も聞こえなくなるんじゃないかって言われてて、その前にどうしても、子供の頃に絵本で見たっていう小熊に、会いたいっていうんです。私どうしたらいいかわからなかったんですけど、動物園のホームページ見たら、ペンタくんが公開されるって……」
リツはそこまで言うと、感極まったように座り込んで、今度は声を出して泣いてみせる。
「ちょ、ちょっとおちついて……」
飼育員どころか、周囲の客すらリツに同情の視線を投げる中で、セイジは一人、心の中で舌を巻いていた。
やっぱりサスガ女の子、嘘泣きなんて楽勝なんですね。
「この絵本なんです……」
やっとの事といった体裁で、握りしめた絵本を飼育員に渡すリツ。
それがダメ押しになったようで、飼育員はなにか感じ入った様な顔をした。
「……事情はわかりました。そういうことでしたらなんとかなるかもしれません。ちょっとこちらへお願いします。おおい山部さんちょっと!」
飼育員はリツをなだめながらそう言うと、近くにいた、別の飼育員を呼び事情を話した。
山辺と呼ばれた飼育員はセイジに近づいていく。
「君がセイジ君」
「はい」
「今からちょっと奥の部屋に行くから、車椅子押しますから」
「は、はい」
泣きじゃくるリツと車椅子のセイジは、二人の飼育員に案内され、奥の一室に連れて行かれる。
「少しここで待っててね」
そう言うと二人を残して飼育員は部屋の外に出て行った。
それを確認したリツは、セイジに小声で話しかける。
「上手くいきましたね」
「いや、あの、すごいね。アカデミー賞級ですね」
「えへへへ。でも本当にあっさりでしたね」
「ちょろいもんよ。動物園の飼育員なんて、女の子と車椅子に甘いに決まってるんだから」
「……時々、セイジくんってキツイよね……」
「呼子さん。こちらへ」
再びドアが開かれ、先程の男性の飼育員が、セイジとリツに声をかけてくる。
その飼育員に促され、二人は通された部屋から、さらに奥まった部屋のドアの前まで通された。
大きな部屋のようで、出入口が三つもある。
ここで待つようにと、いかつい顔の飼育員は告げると、ドアを開けて中に入っていく。
開けた瞬間、漏れだす園児の声。中にペンタがいるのは多分確実だった。
すぐにドアが空き、中年の女性の飼育員が一人出てくる。
とても怖い顔をしていて、それを見たリツは一瞬、計画が失敗に終わることを覚悟した。
「あなたがセイジ君?」
「は、はい」
「目が見えなくなったんだって?」
「はい……」
その飼育員はセイジに近付くと、いきなり抱きしめた。
「辛いでしょうけど、気を落とさないようにね」
「は、はい!」
「幼稚園児が帰った後、十五分間時間をあげます。ペンタは子供ですが、ツメは猫の二百倍は立派だから気を付けてね」
「は、はい!」
そう言うと、その飼育員は半ば涙ぐみながら、また部屋に入っていった。
リツはセイジの耳に口を寄せて言った。
「ねえ、どうします?」
「……」
「すっごくいい人です」
「……しょうがないよ」
「……でも、あのおばさん、後で処分とかされないでしょうか?」
「……治ったらおばさんには責任がないって手紙書くよ……それより合図は?」
「あ、すぐします」
リツは、携帯を取り出し、熊野にワン切りをした。
それから二十分後、部屋のドアが開いて、園児たちが騒がしく出て行く。
そしてそのドアから、先ほどの中年の飼育員が二人を手招きした。
リツは車椅子を押し、セイジとともに部屋に入る。
その部屋の中は教室二個分と言った程度の大きさで、卓球台くらいの大きさの机が並んでいた。
その一つに、目的のペンタがじいっと座っている。
聞いていたとおり、体長四十センチ以下の小熊で、先程まで園児におもちゃにされたからか、多少ぐったりとしていた。
あの大きさならば、計画に支障は無い。リツは密かにそう思った。
「熊は、臆病な性格でもあります。大きな音や、声は厳禁ね」
中年の飼育員はそう言いながら、二人をペンタの机まで誘導する。
そして、ペンタを抱きかかえ、そっとセイジの膝の上に置いた。
「はいセイジ君、今ペンタを膝の上に載いたわよ」
「は、はい。こ、ここが頭ですか?」
「それは足よ、もうちょっと上の方」
今までに抱いたことのない、大きな生暖かい小熊の身体に慌てるセイジ。
その時、リツのマナーモードにした携帯が、二度短くなった。それは事前の打ち合わせでは、熊野が位置についたという合図だった。
後はタイミングを図るだけ。
リツが、一度コールをするだけで、作戦はポイントオブノーリターン、というよりもクライマックスに入るのだった。
緊張で少し汗ばみながら、リツはセイジとペンタと飼育員を見守っていた。
「ああ、そうだ! ミルク上げてみる? ちょうど時間だから待ってて」
そう言うと、中年の飼育員はセイジから離れた。部屋の中には他に四人の飼育員がいたが、誰もが自分の仕事をしている。
今だ!
リツは熊野へ電話を発信した。
その五秒後だった。廊下から絶叫に近い声が響いた。
「熊だ!!」
室内にいる全員が一斉に振り向いた窓越しの廊下に、体長三メートルを超える巨大な熊がのそりのそりと歩いていた。
皆が事態を飲み込めずに絶句する中、大熊はドアの前までやって来る。
「グァアアアアアアアア!!」
咆哮と共に、サバイバルナイフの様な爪で、ドアを紙のように破って進入する熊。
突然の大熊の登場に部屋にいた飼育員はパニックになり、一斉に悲鳴を上げながら、我先にと他のドアや、窓を蹴破って飛び出していった。
部屋にはセイジとリツと大熊とペンタが残された。
「熊野さん、ご苦労様」
リツは熊野に一言言うと、セイジの載った車椅子の座席の部分から、素早くバックパックを取り出した。
熊野がセイジの腕からペンタを引き取り、何事かを喋っている。
リツは窓の外から覗かれていないのを確認すると、大熊の熊野からペンタを受け取り、バックパックの中に素早く詰め込んだ。
「そしたら私は先に逃げて熊野さんのアパートに行ってるから」
「俺は気絶したふりしてるよ」
リツとセイジの会話に、熊の姿のままの熊野が口を開いた。
「俺は哺乳類館を歩きまわって人を追い払った後で、見られないように人間に戻って、トイレに隠れると。そして警官隊か猟友会が突入してきたら、隠れてた体をとってオシマイ。単純だなあ」
大熊が、口をパクパクさせながら日本語をしゃべるというのは、シュールの一言だった。
「シンプルイズベストですよ。それでは行ってまいります」
そう言うとリツは、小熊を詰め込んだバックパックを担ぎ、キャーっとわざとらしい叫び声を上げながら部屋を飛び出していった。
「いい子だなあ。イトコで手を出せないなんて可愛そうだ」
熊の姿でしみじみという熊野にセイジは答える。
「イトコじゃないですよ」
「やっぱり? 顔は見てないの?」
「はい。呪いが解けたら、告白してみます」
「あ、そう? じゃあ盲目の君に朗報だけどね」
「はい?」
「胸はDだよ」
熊野はそう言うと、セイジの車椅子を、衝撃を出さないようにやさしく倒した。




