⑥呼子(よぶこ)リツの登場
2014年4月29日18時06分(49日のリミットまで、残り30日)
福岡県福岡市城南区七隈7-XX-X
野辺山大学病院 救急病棟
「本当にごめんなさい! ごめんなさいごめんなさい!」
「……いや……」
次の日の午後六時。
セイジは再び病院にいて、今度は右足を吊っていた。
目のくりくりした美少女、もとい呼子リツがセイジに平謝りしている。
どうしてこうなった。
それがセイジの率直な感想だった。
セイジは妹に泣きついて落ち着いた後、現在の状況を検討した。
そして検討してみれば検討してみるほど、思った以上に絶望的な状況にいることに気付かされた。
まず、セイジの話を信じるものが、家族を含めて一人もいないというこの状況は、失明中の人間には致命的である。
例えば熊野という男が発した一雲八幡宮というのは、敵を特定するのに非常に大きなヒントとなる。
だが失明中のセイジは図書館へ出かけることはおろか、グーグル検索をすることすら困難だった。
そして理解のない家族にそのことを話したとしても、決して『一雲八幡宮』でグーグル検索はしてくれない。きっと妹あたりが『一雲八幡宮 アニメ』でグーグル検索を行い、結果はセイジにではなく、精神科医に持っていく……。
これでは真実に辿りつけない。
セイジは何としてでも協力者を必要としていた。
そんな中、セイジの考えぬいた末の結論は、葛飾の手紙の『霊感美少女』だった。
手紙の中の『霊感美少女』という半ば地雷臭のする、馬術部の『呼子リツ』が今のところ協力者になってくれそうな唯一の人間だった。
妹を巻き込む事も考えたが、好きな男のタイプが漫画キャラという脳みその持ち主だという事を思い出し、心のなかで却下した。
勿論、自称『霊感美少女』という響きはあまり信用できるものではない。というよりも、どちらかというと警戒すべき部類である。
しかし三人の守護霊と、子供殺しの夢の話に食いついてくる人種ではあろうと、セイジは踏んでいた。
セイジは今、『目』を必要としている。
自分の代わりに敵を見る『目』を。
一緒に戦ってくれることは期待できないとしても、敵を知り、目を治すためにも誰かの協力が必要なのだ。
そう結論付けると、セイジは早速次の日に馬術部の厩舎を尋ねた。
皆殺しまでのリミットが示されている以上、一刻も無駄にしたくない気持ちであった。
セイジが失明したことを聞いたクラスの友人は、最初は驚きもしたが、一時的なものという説明に安堵した。
セイジへの応対も、同情にあふれていて、馬術部への案内を依頼した時も、訳も聞かずに快諾した。
大学付属高校の馬術部は、広大な大学の敷地を利用した農学部付属牧場の一角にある。つまりは大学に付属している高校と、遠いながらも同敷地内である。
天気の良い日であった。
牧場は太陽が牧草を焦がした、心地良い匂いが立ち込めていて、それが屋内の厩舎にも流れこんできていた。
「そいじゃ、呼子さん? 呼んでくるから待っててよ」
肩を借りながら厩舎に到着したセイジに、クラスメイトの友人は、呼子リツを呼んで来ると言って出て行った。
だが厩舎の中の部室でいくら待っても呼子リツは現れず、携帯の音声タイマーが、既に一時間が経過したことを告げた。
ただでさえ二十日という時間を無駄にしているセイジは焦っていた。
さらに三十分経ち、それ以上の時間をムダにすることがどうしても出来ず、見えぬ目の身にも関わらず、厩舎から牧場に抜けだしてしまう。
しかし牧場に点字タイルなどあるはずもなく、涼しい四月の空の下を、杖を頼りに帰ろうとする試みは無謀であり、セイジはすぐに、迷子になってしまった。
元の厩舎に戻ろうとしても、全く自分の居場所が分からないセイジは途方に暮れ、半ば捨て鉢な気持ちにもなってしまい、思わずその場の地面に寝転んだ。
生い茂ると思われる牧草の感触は心地よく、差す陽は気持ちいい。
ええい、このまま誰か来るまで寝てしまおう。
そう思った矢先、馬の嘶きが聞こえてきた。
「ぎゃー! どいてください!」
不意に掛けられた声に、ガバリと起き上がるセイジ。
その瞬間、右肩にいきなりものすごい衝撃が走り、身体が宙に一メートルも浮いていた。そして地面にたたきつけられた時、耐えられない程の猛烈な痛み、と言うよりも右足首あたりの骨をボキリと折る音が、体と耳に響き渡った。
「だ、大丈夫ですか?!」
「い……いいいい! ……いいい」
「おいおい、誰だよ勝手に馬場に入ったの」
「ちょっちょっちょっと、この人右足が……ああ……これ折れてるわ」
「おおおおおおおおおおおおおお!!」
「りっちゃん。やっちゃったねえ。死んだ? 死んだ?」
「いやいやいやいや、死んでませんから! それより早く病院へ……」
魂切れる声を絞りながら、セイジはそのまま野辺山大学病院へ担ぎ込まれたのだ。
そして冒頭の場面となる。
セイジは、行く先々で体の機能を失う事で、運命の負の連鎖というものについて考えさせられていた。
「……目を求めてきたら、脚を持って行かれたでござるの巻」
「? あのー? 何かおっしゃいました?」
「いえ、何も……」
それはそれとして……。
セイジには見えていないが、呼子リツは本当に美少女だ。
長い黒髪は陽に当たると少し赤みが差し、ほとんど完璧に整った顔立ちで、白い肌にも関わらず血色がとても良い。
「それであなたが呼子さん?」
「はい! すみません、私をお訪ね頂いたのに、お待たせしたみたいで……」
「いや、それは俺の友達が……いやもういいです……」
「? それで私に御用というのは……?」
呼子リツはセイジと同学年であるが、決して敬語を崩そうとしない。
大体、敬語で話す人間というのは、何となく他人行儀で怜悧な所がある。
しかし呼子リツのその溌剌として明るい声は、人の心に何か爽やかな風を送る様である。
事に光を失っている今のセイジには、何かとても清涼に感じられていた。
セイジは、馬に引かれた事で出鼻を挫かれた感がしていたが、気を取り直して訥訥と、自分の受けた不思議体験を呼子リツに語って聞かせた。
しかし話せば話すほど、家族と同じく呼子リツが引いて行くのがわかった。
「あははははー、なるほどですねー。想像力が豊かですねー」
「……やっぱり信じてもらえませんか」
セイジは内心焦り始めていた。おかしい、霊感少女と名乗るにしてはあまりに食いつきが悪い。
「あのですね、葛飾先生が何をおっしゃったか知りませんが、別に私は霊感少女じゃないんですけど」
「えっ!?」
驚くセイジにリツが呆れたように言う。
「いや、何ですか霊感少女って。まるっきり電波さんじゃないですか。私がそんな地雷に見えますか?」
内心密かに考えていたことをズバリ言われてしまい、セイジは立つ瀬がない。
「あ、いや。すみません。見えないですけど、声だけでもわかります。電波さんでは無いことはわかります」
「……ごめんなさい。傷付ける様なことを言いました」
「ああ、いや。気にしないでください……こちらから押しかけてしまったことですし……まあ、少し考えれば当たり前といえば当たり前ですね……」
セイジは落胆した。
リツが自分の話に興味を持たず、協力してくれ無いということは考えていた。
しかしまさか脚まで折られて、収穫なしとは思っていなかったのだ。
目も見えず、立つことも困難な状態でどうやって敵に立ち向かえばいいのだろう。
セイジは途方に暮れてしまった。
そんな暗い雰囲気を肌で感じたのか、リツが慌てて言い添えた。
「あ、あの。ただですね、一雲八幡宮なら知ってますよ」
「え?!」
「あんまり有名じゃないんですけど、志賀島の神社なんですよ」
「ほ、本当ですか?!」
セイジはびっくりして聞き返した。
リツは、食いつきの良さに驚きながらも返事をした。
「は、はい。あの、馬で輓いちゃったお詫びも兼ねて、私がご案内します」
四十九日が明けるまで、後三十日。
セイジはようやく目を見つけることに成功した。




