⑤決意の寝ゲロ
2014年4月14日12時48分(49日のリミットまで、残り45日)
福岡県 福岡市 中央区 地行浜 1-XX-X
九州緊急医療センター
セイジが次に目を覚ましたのは病院のベッドの上であった。
子供の首を打つという悪夢にうなされ、自ら上げた悲鳴に目を覚ます。
そして目を覚ますと、自分が失明していることに気付き、再び叫び狂う。
すぐに医者と看護師が飛んできて、鎮静剤を打たれ、もう一度眠りに落ちる。
次に目を覚ました時には両親と妹が駆けつけていた。
あの日、交代の水崎が斎場に現れたのは、午前一時を過ぎていた。
そして水崎が見たものは、葬儀会場の真ん中で失神しているセイジだった。慌てた彼は、すぐに救急車を呼び、救急病院に搬送したのだが、セイジが意識を取り戻したのは、三日後である。
家族に声を掛けられ、幾分落ち着きを取り戻したセイジは、葬儀の日に何があったのかを問われるままに包み隠さす話す。
しかし話せば話すほど、医者と両親の対応はぞんざいになっていくのが、盲目のセイジにも伝わった。
「お前……疲れているんだよ。それとも何か怪しい薬なんてやってないよな?」
ひと通り話し終わった後に、鼻をほじりながら父親はそういった。
「ふっ……ふっ……」
セイジはこの発言に切れた。
多分三日三晩の悪夢と失明のストレスのせいだろう。声のする方角を握りしめた右手で鋭く突く。だがその拳は両親にも医者にも誰にも当たらず、点滴を破壊して、手をひどく傷つけたのだった。
驚いた医者が両親を連れ出して、再び鎮静剤を打つと、セイジは精密検査へ回されていった。
「先生、セイジの具合はどうなんでしょう?」
「うーん。ちょっとこれは驚きますねえ。まずセイジ君の目は、外観も眼圧も正常です。角膜に傷も汚れも白濁もありません。視神経にも何の異常もない」
「はあ」
「しかし、動く物に全く反応しません。それに瞳孔が開きっぱなしで、光にも反応しない」
「……つまり……どういうことなんでしょう」
「私も前例の無い症状に戸惑っていますが……」
医者は言いよどんでいた。
実際、全く問題のない目だ。機能していないという一点を除けば。
「つまりは……セイジ君は失明の状態にあると言えますね……」
「失明?!」
「ああ、いやいや。誤解しないでいただきたいのは、失明と言っても多分一時的なものだと思われます」
「そ、そうなんですか?」
医者は大きく引き伸ばされた、セイジの瞳孔の写真を映しながら両親に説明した。
「見てください。綺麗なものでしょう。外傷や白内障などで失明した患者はこうは行きません」
「何が原因なのでしょうか?」
「多分……精神的な負荷が原因なのでしょう。器官は全く正常で問題ありません。大きなストレスが一時的に視覚という感覚器官を断ち切ってしまったのではないでしょうか? ……もっとも例のある症状ではありませんので……」
医者も首を傾げるが、それしか言いようがないのだろう。
ストレスなく安静に過ごす事、目薬・サングラスを欠かさない事を言い渡されただけでセイジは退院した。
セイジの家族、母、父、妹は、退院した後のセイジを下にも置かない扱い方をした。
「食べたいものがあれば何でも作るから。ホント、ストレス感じたらすぐ言ってね」
「おう、買ってほしいものがあれば、マジでゲーム機でもなんでも買ってやるぜ! なんならこっそりデリバリー的なサービスでもいいぜ! ただし車とバイクは勘弁な」
「お兄ちゃん……お兄さまって呼ぼうか?」
「いや! そんなの全部いらない!! いいから話を聞いてくれ! 吉浦さんの葬式に猫とヘビと熊の邪霊が現れて、四十九日が済んだ後に俺たちを皆殺しにするって言ってきたんだ!! 早くなんとか対策打たないと全員死んでしまうんだ!!」
「あらあら、まあまあ。そうよね! 猫もヘビも熊も害獣だから退治しなくちゃねー」
「お、おう?」
「……アニメ?」
「コラ! アンタは部屋に行ってなさい!」
セイジの精神は、周りの当然とも言える不理解に、ひどく追詰められていった。
だがそれ以上にセイジは、昼も夜も無い光を失った世界、つまりは失明したことに絶望していった。
寝れば悪夢が襲い、起きればまた暗闇が襲う。
肌では感じる陽の光は、目にはまるで反応しない。
学校には休暇届けを出していたが、なにが出来るわけでもなく、ただ部屋に引きこもりベッドで過ごすだけの時間が増える。
そのベッドでセイジは昼も夜もなく涙に暮れて、自らの身を悲しんだ。
何故、こんなことに。
何故、あの守護霊は俺を失明させたのか。
何故、顔も覚えていない親族の葬式などに行ったのか。
何故、棺の守護なんて引き受けたのか。
何故、母親は俺を棺の守護にしたのか。
何故、不可思議な三人組が現れた時にすぐに逃げなかったのか。
何故、三人組が正体を表した時に戦おうとしたのか。
何故、何故、何故。
堂々巡りで不毛な自問自答に多くの時間を費やした後、悲しみはやがて怒りに変わる。そして怒りの感情は、再び同じ問いを自分に繰り返した。
何故、こんなことに。
何故、あの守護霊は俺を失明させたのか。
何故、顔も覚えていない親族の葬式などに行ったのか。
何故、棺の守護なんて引き受けたのか。
何故、母親は俺を棺の守護にしたのか。
何故、不可思議な三人組が現れた時にすぐに逃げなかったのか。
何故、三人組が正体を表した時に戦おうとしたのか。
何故、何故、何故。
「何故だ畜生!」
空に向かって咆哮しても、家族に多大な迷惑を被る壁ドンをしても尚、答えは見つからない。
周囲への八つ当たりも、自己憐憫も、そして怒りさえも問題を解決し得ないと分かりながらも尚、それを留めることは出来ずにいた。
そしてそんな頭でも、あの日の邪霊達の言葉が凛々と頭の中でリフレインしていた。
奴らは確かに言っていた。
一族郎党皆殺し。
それがペナルティだと。
四十九日が過ぎたら迎えに来ると。血族を全員殺す、と。
その事が彼の精神を更なる懊悩に押し込み、追い詰めていった。
そしてセイジはある日、再び夢を見る。
大きな大きな楠の大樹。
手から指が生える様に、太く大きな幹が、空一面に縦横無尽に広がっていく。
その幹という幹に、たくさんの人間が老若男女を問わず首を赤い布で吊るされている。
皆、裸で苦悶の表情を浮かべて死んでいた。
それは父であり母であり妹であり、すべての顔がどこか見知った親戚達であった。
うっ血した足という足が、常緑樹である楠の木の葉から突き出している様は、まるで見事な藤枝である。
その樹の下で猫が一匹、いつまでも悲しそうに泣いている。
夢から目を覚ましたセイジは、もう叫びはしなかった。
ただ泣いていた。
泣きながら吐いていた。
朝食を持って来た妹が、その異変に気付き思わず駆け寄り、手を兄の肩にのせた。
「だ、大丈夫?!」
セイジは反射的に、自分の肩にのせられた妹の手を握った。
その手の暖かさ。
それを感じた時、セイジは妹が悲鳴を上げるほど強くその手を握り直した。自分にはまだ守るべきものがある、その事を悟ったのだ。
そうだ。今の自分が失ったものは、これから失うものに比べればなんてちっぽけなんだろう。
そうセイジは考えた。
そうだ、俺は戦わなくちゃいけない。目が見えなくなったとしても、戦わなければならない敵がいる。全てを賭してでも、必ず勝たねばならない敵がいるのだ。
怒りを向けるなら、それは全て敵に向けなければいけない。奴らは笑っているだろう。俺を失明させてそれで全てを諦めたと思って笑っているだろう。
こんなことで、俺は諦める男じゃない。殺してやる。あの三人を皆殺しにしてやる。そして必ず家族を守るのだ。
ひしと自分を抱きしめる兄。
妹は少しドキドキしながらも、吐瀉物で、兄と自分の服がグチャグチャになっているのに気付き、現実に引き戻されるのであった。
それは葬儀から二十日あまりが過ぎた日だった。




