③棺の守護
2014年4月10日17時59分
福岡県福岡市中央区警固1-XX-X
祭善社 福岡斎場 式場B
メールの主はセイジの母親であった。
慌てて電話をするも通話中で、何度かけても繋がらない。多分、突然の訃報に他への連絡をしているのだろう。
セイジは仕方なく家に戻らずそのままタクシーに乗り込み、祭儀場へ向った。
タクシーの中で、セイジは『吉浦』という名前の親戚について考えていた。
確かにセイジには吉浦という名の親戚がいる。
しかしほとんどと言っていいほど、その親戚との交流はなく、セイジが最後に会ったのも確か幼稚園の頃であり、顔もほとんど思い出せないのだ。
夢に出てきた名前と、現実の親族の名前の奇妙な一致が、セイジの心にさざ波を立てていた。
葬儀場に付き、祭儀場の人に氏名を告げると、すぐに葬儀会場まで案内される。
葬儀会場には母親と、十人あまりの親戚がいて、それが知っている顔ばかりで、セイジは少し安心することが出来た。
母親から焼香しなさいと言われたセイジは、棺に近付き顔を覗き込む。
少しだけ、ほんの少しだけ見覚えのある顔。
髭面に禿げ上がった頭。鷲のような鼻をしている。
吉浦忠輝。享年七十八歳。
無言で手を合わせてはみるものの、あまり悲しみは湧かない。
周りの人間も泣いていたり落ち込んでいる者はおらず、ただただ慌ただしく電話をかけまくり、目を血走らせながら通夜に訪れた客をさばき、本葬の準備を行っていた。
大往生で、親しい親戚はみな彼岸で待っている。そういう遠縁の親戚の葬式というのは、こういう物なのかもしれない。
「うーん、困ったわねえ」
「男手が足りんのよ。吉積の所は仕事で東北だし、三坂は入院中じゃろ?」
親戚の面々とセイジの母親が何事かを話し込んでいた。
セイジはといえば、少し離れた場所で携帯をいじって暇をつぶしている。
「あ、朝倉さん。あんたんとこの子供はどうね?」
「未成年ですので一人というのは……」
「イヤイヤ。十一時半には俺が戻ってこられるからさ。本当、短時間だよ」
「ああ、それなら。セイジ! ちょっといらっしゃい」
母親から呼ばれたセイジは、何か面倒事を押し付けられる予感がしていた。
しかし、慌ただしく葬儀の準備をする大人たちの手前、逃げることは無理そうだ。
セイジは仕方なしに、ノロノロと母親の前に歩いて行く。
「何?」
「実はね、棺の守護の人出が足りなくてね。悪いけど今日の十一時半までここにいて欲しいのよ」
「棺の守護?」
「セイジ君。葬式っていうのはね、出棺まで誰かが棺の周りについて、線香とロウソクの火を絶やさないようにしなくちゃならんのよ。まあ最近は廃れてきてる風習みたいだけど、一応やらないとね」
「一人になるのは、九時から十一時半の間だけ。それまでは利紀おじさんがいるし、十一時半になったら水崎さんが帰ってこられるから」
「うーん」
セイジは躊躇していた。
葬式で一人にされるのは勿論だが、昨日の夢の事が頭に引っかかっていた。
それに遺体と二人きりというのも、考えればゾッとする。
しかし、他の大人たちは突然の葬儀に猛烈に忙しくしていて、
「昨日見た夢に出てきた侍と、吉浦さんが同じ名前なんです。スミマセン、怖いので家に帰ります」
とはいえない雰囲気である。
セイジはしぶしぶ承諾した。
「分かりました。でも十一時半だと帰りのバスが」
「タクシー代出すからさ。ちょっと色付けるよ」
「水崎さん、そんな」
「いいのいいの奥さん。迷惑かけるんだし」
「僕はいいですよ」
「すまんね」
それで話はついた。
既に午後の七時半を回っていて、ごった返すように来ていた通夜の客も、潮が引くようにいなくなる。セイジの母や他の親戚も、その後すぐにに帰って行き、残されたのはセイジと、利紀という四十を過ぎた叔父だけだった。
利紀は棺桶の主と一番近しい間柄だと、帰り間際の母親は言っていた。
出来れば吉浦家について、少しでも情報がほしいところだった。
しかし肝心の利紀は、一心不乱に電話をかけ続けていて、話しかける余裕は全く無い。
そしてそのまま時間が過ぎて九時を回ると、利紀はセイジに声をかけてきた。
「そしたらセイジ君、俺行くから。悪いんだけど十一時半迄、宜しくね。何かあれば、電話くれてもいいし、葬儀場の人に声かけてもいいし。ああ、控室の食べ物と飲み物、好きにしていいからさ」
「はい。お疲れ様です」
「あっ、そうだそうだ、忘れてた」
出て行き掛けた利紀が、葬儀会場のすぐ後ろに設けられた親族控室に取って返した。
すぐにまた葬儀会場に戻って来るが、その両手には、子供の背丈ほどもある、細長い棒を包んだような黒い袋が握られていた。
セイジは何かとても嫌な予感がした。
「こいつこいつ、こいつが吉浦家の葬式には欠かせないんだよ」
「それ、なんですか?」
「吉浦家に伝わる大太刀でね。吉浦家の守刀って訳さ。吉浦家の葬式の時は、この刀を棺の上に置くのが習わしな訳よ」
「刀?!」
「うん。そうだけど、どうかしたかい?」
「いえ……別に……」
たしかにそれは刀袋だった。
しかも通常、時代劇で見る刀よりもずっと長い刀であった。
刀袋と房紐は真っ黒であり、中身は全く見えない。ただ刀の反りと鍔の部分の膨らみが、かろうじて袋の外からも分かるのみであった。
そしてそれは、夢で見た、あの大太刀の形と酷似していて、セイジは思わずゾッとした。
「持ち手の長さも含めて1.4メートル。なんだかすごい由来があるらしいんだけど、僕もよく知らないんだ。知ってるのは吉浦家だけ。まあ、吉浦家はこの爺さんで最後なんだけどね……」
「……すごい由来……」
利紀おじさんは刀を慎重に棺の上に置く。
「そ、そ、そうなんですか? 吉浦さんの家って、もうひとりも残ってないですか?」
「うん。昔はウチの血縁の大元で、大所帯だったんだけど、太平洋戦争の時にだいぶやられたらしくてね。このお爺さんが最後の一人なんだよ。あ、そうそう。珍しいかもしれないけど、この刀は抜いたりしちゃ駄目だよ」
「い、いや、そんな。危ないですし、やりませんよ」
「うん。ただ、そうだな、化物的な何かが来たら、抜いて退治しちゃってよ」
セイジは驚いたが、利紀さんはジョークだよって言ってウィンクして出て行った。
セイジは一人になった。
教えられた『棺の守護』という仕事は、名前の割に地味である。
夜の間、線香と、ロウソクの火を絶やさないようにする。
ただそれだけである。
名前の割に中二病の入り込む余地は無い、単なる雑用仕事であった。
もう午後の十一時が過ぎていた。
余程のことがない限り通夜の弔問客は来ないはずなので、葬儀場の入り口は施錠する。
交代の水崎さんが来たらノックするだろうから、それから開ければいいのである。
セイジは葬儀会場と控室を一周りしてみた。
葬儀会場は立派なもので、椅子が百脚並べられる絨毯敷の広大な部屋である。
祭壇には団体や個人名義の花が飾られ、その真ん中に桐生の棺が鎮座している。
棺の覗き扉は既に閉められていた。
そしてその上に大太刀が載せられているのだが、セイジはそれを努めて無視しようとした。
控室は2LDKのマンションをそのまま持ってきた様な作りで、キッチンと風呂は言うに及ばず、その他の備品、食器・洗面具・タオル・布団、それに就寝用に畳の部屋まで用意されている。
多分、今日は水崎さんが泊まっていくのだろうとセイジは考えた。
応接セットもあって、テーブルの上にはお菓子とジュースがふんだんに置かれている。
線香を上げる。
鐘を叩いてお参りする。
木魚を戯れにポクポク叩く。
控室に引っ込む。
ジュースを飲む。
菓子を食べる。
再び葬儀会場に戻る。
以下無限ループ。
しかし暇である。
そして暇であると、セイジはどうしても考えてしまった。
故人の名前と、あの大太刀について。
刀袋にくるまれて中身は見えないが、夢に出てきた子供の首を跳ねた大太刀にどう見ても似ている。
あの夢に出てきた、吉浦という足軽が佩いていた真っ赤な鞘の大太刀に……。
「うーん」
確認するのは簡単である。
棺の上の刀袋を開けて、鞘の色を確認すればいい。
赤くなければOK。あの夢とは別物だと思うことが出来れば、それで十分に恐怖心を薄めることができるのである。
赤ければ……見なかったことにして再び閉じる。
だが、それだけの事だとわかっていても、何故かセイジの身体は動くことを拒否していた。
祭壇を見やりながら、何気なく会場の後方の座席に座る。
そして何気なくポケットに手を入れた。
カサリと手に紙片が触れた。
カウンセリングの際に葛飾からもらった紙片である。あの適当カウンセラーが言う、完璧な処方箋である。
不意に葛飾との面談を思い出し、セイジは少しだけ緊張が溶ける。
葛飾の性格的にあまり期待は持てないが、何か気分を変えるにはいいと考えて、セイジは紙を広げた。
そこには青色のボールペンで以下の様な文面が書かれていた。
『高等部2−3 朝倉くんへ
馬術部の呼子リツ(霊感美少女♥)がそういう話好きだよ。
話題振って、デートに誘ってみれば?
かなりお嬢様で、腰パン嫌いみたいだから服装には気を付けてね♥
PS.戦果が上がったら報告ください♫ 』
「アホか!」
セイジは思わず大声を出した。
あのアホンダラは、俺が真剣に話をしている時、呑気にこの『とても良く効く処方箋』を書いていたのだった。
しかもわざわざ『美少女』の所だけ、黄色の蛍光ペンで強調してある念の入れようである。
「アホか!」
もう一度、セイジは声に出して葛飾をののしってみたが、どうやっても一本取られた感は拭えなかった。
どっと疲れが出るのと同時に、しかし何故だか少し重荷が取れたように心が軽くなった。
そうだ。
葛飾の様に、何もあんまり考えこむ必要なんて無いし、吉浦って苗字だって日本全国のどこにでもあるものだ。
たとえ鞘が赤だろうと、ただ親戚の死を予感した予知夢だったと言うだけかもしれない。
軽い気持ちで確認すればいい。それだけの話なのだ。
セイジはそう考えた後、
「えいっ」
と声を出して気合を入れると、棺の前に進み出た。
そして意を決して棺の上の刀袋に入った刀を右手に取る。
ずしりと重い。玄人好みの重さだな。
少し格好を付けた考え方がセイジの頭をよぎるものの、実際の所は重すぎて、あわてて両手を使って支える。
学校の全教科の教科書を詰め込んだバックよりもなお重い。
というか、両手で持っても保持し続ける事が非常に困難だった。
セイジは地面と棺に刀袋をもたせ掛けて、しゅるしゅると房紐を解いていく。房紐と刀袋はシミひとつ無い黒と言うのがピッタリの様相である。
房紐を解いた袋の先端から、刀の柄が少しだけ覗く。
さて、やりますか。
セイジは自分に言い聞かせる様に呼吸を整え、目をつぶり、刀袋を少しだけ下げ、それからおそるおそる目を開けた。
目に飛び込んできたのは、赤では無く真っ黒の鞘であった。
ふーっとセイジは息を吐く。
これで妄想に終止符を打つ事が出来る。
あの夢の中で、鞘は赤色だった。これであの夢と、この刀には何も関係のないことが証明された訳だった。
いや、良く考えればあんな夢を本気にするほうが、間違っていたのか。
実際の所、葛飾の言うとおり、何かで見たドラマの影響かもしれないし、昔友達に借りたゲームの影響かも知れない。
要は、原因はそんなものだったのだろう。
夢と現実の不一致は、セイジの心の緊張をかなり溶かして、急に全てが軽くなった様に感じた。
なんだこんなことにビビっていたのか。セイジはそう思った。
セイジは調子に乗って、刀の鞘を払おうかと考えた時、誰かが葬儀会場の扉をノックした。
コンコンコンコン。
正確に四回。ドアをノックする音が聞こえた。
セイジは慌てて刀を袋にしまい、房紐を縛ると棺に添え直してから、葬儀会場の入り口に走る。
会場の時計は、午前零時四分を指していた。
時間の感覚が麻痺していたが、きっと遅れてきた交代の水崎さんだろう。
コンコンコンコン。
再び会場の扉がノックされた。
玄関入り口についたセイジは急いで鍵を開ける。
ドアを開けると、そこには親戚の水崎ではなく、奇妙な三人組が立っていた。




