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⑯二人の恋と剣の話

2014年5月26日23時19分(49日のリミットまで、残り41分)

福岡県 福岡市 東区 志賀島 8XX

一雲八幡宮



 セイジは片手で松葉杖を付きながら、一雲八幡宮を真っ直ぐ歩いていた。

 当たりは真っ暗で、境内には街灯が一つもない。

 光といえば、細い月に星明かりだけ。その中でも一番明るく足元を照らすのは星明かりという心細さだった。

 背負ったバックパックには二リットルのペットボトルが三本も入っていた。当然だが中身はジュースではなく灯油である。

 五メートル先に例の大樹があり、、二十五メートル程先に、境内の階段を登った中程の賽銭箱の上に、一匹の三毛の子猫が眠っている。

 見まごうこと無く、タマである。暗闇にもかかわらず、セイジは、その気配を明敏に察知した。

 セイジは気付かれないように作戦を実行に移した。

 セイジの作戦自体は簡単で、一雲八幡宮の宮と大樹に灯油をふりかけて一気に焼く。ただそれだけだった。

 バックパックを下し、一本目のペットボトルを取り出して、口を切り、ゆっくりと宮の前の大樹に近付いた。

 そしてペットボトルの中身を、大樹にふりかけた瞬間だった。

「にゃあーーん」

 タマが、長く一声鳴いた。

 驚いたセイジがペットボトルを取り落とし、宮を見返すと、賽銭箱の上のタマが、微睡んだ瞳で、じいっと見つめていた。

 子猫は遠く、その瞳も小さなものであったが、それはピカピカと光って見えた。

「はあい、タマちゃん。まだ寝てていいですよー」

 セイジは目を覚ましたタマから目を離さないようにしながら、ペットボトルを拾う。

 そして再びペットボトルの灯油を木にふりかけようとした時、タマが立ち上がった。

「!」

 前回と全く同じ要領だった。

 子猫の小さな四足と胴体と耳と顔が、ググググと伸びていく。

 長い長い胴体と長い長い四肢。そして長い顔に長い耳の姿に変わる。

「にゃあおおおおん」 

 タマはもう一度そう鳴いた。

 すると今度は、細い体がみしみしみしみしと、音を立てて膨らみ始める。四足も胴体も、いつの間にか大人の男の胴回り程も太くなっていった。

 前回にはなかった変化である。

 セイジがあっけにとられ眺めている内に、タマはアメ車のごついピックアップよりも大きな化物に変身し、闇夜に目だけを光らせていた。

 見開かれた瞳からは憎悪が溢れでている、というよりも獲物を見る獣の目そのものになっていた。

 セイジはペットボトルを大樹に投げつけ、松葉杖を捨てると、両手を後ろに回し、右手にアーミーナイフ、左手にライターを取り出す。

 セイジにほとんど迷いはなかった。

 ライターに火をつけると、さっとそれを灯油まみれの大樹の幹に投げつける。

 ぼうっと付いた火は一気に幹周りを焼いていく。

 その行動が、どうやらタマにとって、いたく気に入らないものであったらしい。

 タマは賽銭箱の上から、脚のスプリングの勢いをつけて二十メートル先のセイジに一気に飛びかかった。

 軽く爪を引っ掛けて払われたセイジは、なんと後ろへ十メートルも叩きと飛ばされてしまう。

「ぐうッ!!」

 地面にたたきつけられたセイジは、治りかけた右足にひどい痛みを感じた。

 とっさに上体を起こし、ナイフを構え直すセイジ。

 額を擦ってできた傷からは血が止めどなく流れていたが、それを拭う隙すら無い。


 火は樹の幹を包み、大きな枝に移り、無数の葉葉に移るところだ。

 炎は瞬時に空いっぱいの、樹樹の葉葉全体を覆い、まるでクリスマスの飾り付けの様に燃えていく。

 億千万という葉葉が、一斉にその生命を燃焼させ、天を焦がす様相は、激烈に美しく、辺りは夜にも関わらず真昼のように明るくなっていった。

 木の隣に佇むタマは、その光に照らされて、その化け物じみた肢体の全てをさらけ出していた。

 長い長い手足に、長い長い胴体に、長い長い尻尾に、長い長い耳に、もう猫とは言えない長い長い面長の顔。 

 そのタマの下に落ちていた、灯油のペットボトルの入ったバックパックに、火が付いた。

 その火は、瞬時に火炎は化物を包む。

 予定した公道ではなかったが、やったか? とセイジは思った。

 しかしタマは自らの体に炎が移りながらも、全くダメージが無いように、悠々と立っている。

 耳にも、獰猛で隙のない顔にも火が燃え移るのだが、それでも二つの瞳は、炎に全く負けること無く爛々と光を放っていた。

 あまりの成り行きに、セイジの頭にふと、『負けるかも』という考えが浮かんだ。

 絶望がセイジを硬い石の様に全身を押し潰しにかったその時、神社の入り口の方から馬の嘶きが聞こえてきた。


 はっとして振り返った先の、一雲八幡宮に入ってきた馬には、勿論リツが乗っていた。

 パカパカと側までやって来る騎乗の彼女を、セイジはあっけにとられて凝視していた。

 セイジの近くまで馬を進めたリツは、セイジを冷たく見下ろして、

「ハイ、ハニー」

 と声を掛けた。

 何の説明もせず、リツはただそれだけ言うと、無言で座り込んだままのセイジを見つめ続けた。

 だからセイジは、数限りないほどのツッコミをすべて飲み込んで答えた。

「ハイ、ダーリン」

 リツはそれを聞いて、『やれやれ』といった顔をしてセイジに手を差し伸べる。

 出された手を掴んで、リツの後ろにパッと飛び乗る様は、片脚が折れたままの人間にしてはもたつきが少ない。

「何で来たんだよ?」

「……」

「何で来たんだよ? 来ちゃ駄目だって言っただろう?」

「……」

「黙ってちゃ分かんないだろう?!」

 馬上で対面したリツに、セイジは詰るように詰め寄る。

「……ったくこれだから……」

「『人生なんて、死ぬまでの暇つぶしですよ』」

 リツはそういうと、握っていた剣をセイジの手に押し付けた。その言葉を聞いた途端、セイジはピタリと止まり、リツの顔をまじまじと眺めた。

 そしてみるみるうちに、頬と言わず首と言わず、手の先まで真っ赤になっていった。

「誰だ? 誰だ? 誰から聞いた?! 誰から聞いた! その台詞を誰から聞いた?!」

 セイジがそう言いながらリツに迫る。

 するとリツは、何の前触れもなしにセイジの唇にキスをした。

 そのキスは、かなりディープで、十五秒くらい、二人は口を吸いあったままでいた。

「ごめんなさいは?」

 ようやく口唇を離したリツは、上目遣いで泣いていて、セイジにそう迫った。

 生まれて初めて見る、泣きじゃくる女性の美しさに、セイジのSな部分の性癖は、完全に降参してしまっていた。

「……ごめんなさい」

 セイジは何か熱に浮かされたようにそう言うと、今度は自分からリツの腰に手を回して、深く口付けた。

 その瞬間、セイジが握りしめた大太刀がガタガタと震え出す。

 びっくりしたセイジが、握りしめた柄を見やった時、朱色の鞘がはじけて消えた。

 青白い刀身が、炎と無数の星に照らされて、きらめきを放っていた。

「え?!」

 リツが声を上げる。

 セイジは長い抜身の刀身を空に掲げてみせた。

「なるほどなあ」

「な、なるほどってどういうことですか?!」

「清太郎は言っていた。吉浦と臼杵の血が続くのであれば、いつか赦しあえるだろうって」

「あっ」

「清太郎の呪いの、本当の解呪の条件は、吉浦と臼杵の血が共に赦し合い、繋がることだったのさ」

 その時、火だるまの化け猫が再び鳴いた。

「ナアアアアアーーーーーーーーーオオオウウウウウ」

 明らかに、タマは大太刀を警戒していた。

 セイジはそんなタマを見やった後、もう一度、ビカリビカリと光る大太刀を見つめた。


 世界に名高き日本刀。

 元素記号Feと、人類の最上級の職工が織り成した傑物。

 平将門公が生み出せしブレードの湾曲は、平安の世の武士に始まりアメリカ海兵上陸部隊まで、幾多の武人の首を落としに落としてきた、呪われた、最も美しき戦争の花である。

 『それ』を抜いたのならば、後にすることは決まっていた。

 セイジはリツの腰に左腕を回したまま、大きく行きを吸い込んで、大音声を発した。

「やあやあやあやあ! 遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ! 我こそは、吉浦忠輝の縁者、朝倉セイジ!!」

 リツがそれに釣られて続く。

「お、お、同じく! 臼杵清太郎の子孫、呼子リツ!!」

 二人の大音声に、化物はピタリとその唸り声を止めた。

「我が始祖は臼杵の清太郎を殺し、その邪を払う三獣の呪いの為、あなたを犠牲にした!」

「しかし本日、縁あって、吉浦と臼杵の末裔は、手を取り合い進むこととなりました!」

 ぶっちゃけ、その場のノリである。

 日本語の名乗りとして正しいのか、文法が合っているのかも分からない。

 しかし、その誠意だけはどんな名乗りよりも負けないつもりであった。

「我らの呪いと怨念は、今ここに尽き果てました!」

「あなたの無念と、我々の身勝手は決して許されるものではありません。ですが! 何卒、何卒! お鎮まりください!!」

「あなたの無念は、私達が一生かけてでも供養します。だから――」

「――だから許してくれ!!」

「グゥウガガガアアアアアアウウウ」

 二人の懇請に、タマは憎しみの雄叫びを上げて答えるのみである。

 憎悪に溢れたその声は、まるでそれで人を殺そうとする程のものであった。

 リツが、左手でセイジの腕を掴んだ。

 か細く震えるリツに、セイジは「大丈夫だよ」というかのようにすこし寄りかかった。

「リツ」

「何?」

「こうなりゃ仕方がない。俺達の取るべき道は一つだけだ。あの化け猫を見事退治して、一族郎党を救い、孫への武勇伝にするんだよ!」

「セ、セイジ君ね! ちょっと暴走しすぎ! いきなり孫、なん、て……」

 あたふたと言い募るリツの口を、再びセイジはキスで塞いだ。

 殊勝に赦しを乞うたばかりであるが、セイジはえらく高ぶっていた。

 ビカリビカリと光る大太刀のせいなのか。

 天を焦がすように勢い良く燃え盛る大樹のせいなのか。

 炎に包まれながら、鬼の形相でこちらを凝視する化物のせいなのか。

 腕に抱き、初めて舌を吸い合う仲になった女のせいなのか。

 それら全てに反応している、己に流れる侍の血のせいなのか。

 兎にも角にもセイジは顔を上げた。

「初めての共同作業と行きますか。リツ、突っ込んで、左にターン。俺の腕と上半身で1.5メートル、大太刀で1メートル。合計2.5メートルの間合いで曲がってくれ」

「共同作業とか言うな! まだ名前で読んでいいなんて言ってない!」

「ケーキカットならぬネコカットって訳な」

「……セイジ君って、実はすっごく頭悪いでしょ?!」

 リツはちょっとキレ気味くらいに不満そうにそう言うと、手綱を握り直した。

 リツは馬を真っ直ぐに化け猫と化したタマに向けると、馬に鞭をくれて全力疾走を始めた。

 タマは迎え撃つ姿勢で、待ち構える。

 セイジは右腕に刀を高々と掲げ、左手で、鞍の紐をしっかりと握る。

 こいつはとても頭のいい動物だ。多分勝負は最初の一回きり。

 セイジはそう考えていた。

 化け猫へ突進する馬上のリツとセイジ。

 見る見る間に距離は縮まり、衝突する刹那、

 リツは、グイイと左に馬を急展開させる。

 予想外の軌道に飛びかかろうとして一瞬たじろぐタマ。

 そこにセイジは、鐙の紐を持った左手を起点にして、上半身から右手、そして剣の刃先を精一杯のばし、遠心力に全てを載せて、タマに斬りつけた。

 ズルリ。

「ヒィエエエ……斬れるぜこれ……」

 思わず声に出してしまうくらい、恐ろしいほどの切れ味だった。

 刃が当たった瞬間や、骨を切断した事すら、持ち手にほとんど気づかせないほどあっさりと、タマの男の腰周りはあろうかという右の前足を、すっぱりと完全に切断した。

 それだけではなく、タマは胸の肉や胸骨すらも深く切り裂かれている。そこから半ば斬られた鼓動する心臓がのぞき、鮮血が辺り一面を一瞬で血煙で染める。


「馬鹿! 殺せてない! 浅い!」

 リツはそう叫ぶ。

 事実そうだった。

 タマはスッパリ取られた右腕と、半ば斬られた心臓を滾らせながらも、悲鳴一つ上げない。

 ただこちらをじいっと睨みつけている。

「何であれで死なないんだよ!」

 盛大に、心臓から吹き出していた血も、すぐに収まりを見せ、そしてなおいっそう強く、タマは燃えていた。

「あれは五百年経った邪霊。神獣に近いって熊野さんは言ってました。殺るなら完全な致命傷を与えないと!」

「心臓斬られても致命傷じゃないっていうのかよ……リツ! もう一度今の要領で……!」

「あれは知性のある野獣の目です。もう一度同じやり方で突っ込めば、距離を取られて逆襲されて二人共殺されます!」

「だからこうするんだよ……」

 そう言うと、セイジはリツの耳に顔を寄せる。

 セイジが囁くにしたがって、リツの眉間には皺が寄っていく。

「……セイジ君って、絶対長生きしないわ」

「大丈夫、明日までは生きててみせるから」

「ねえ……」

「何?」

 また不意にセイジはリツに唇を奪われる。

 どころか今度はかなり強く下唇を噛まれ、血が流れたした。

「!! 痛いって!? 何するんだよ」

「死んだら許さないです……」

 そう言うと、再び目に涙を貯め始めたリツは、血にまみれたセイジの下唇をさらに吸った。

 セイジはしてやらてた、と思った。

 それで下唇は吸われたまま、リツの制服の下に手を入れ、胸をもんでやった。

 リツは少しも抵抗せずされるがままでいた。

 そうして口を離すと、どこか不満気な口調で言った。

「なにか言ってください」

「わかりました、おっぱいちゃん」

「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、バーカ! 胸としゃべるな! 馬鹿!」

 リツは顔を真赤にしながら、胸とその突起の感触を楽しんでいる彼氏の横っ面をおもいっきり引っ叩く。

 いちゃつく二人に、再び化け猫が咆哮する。

 今のタマは、自ら発火する花火の様に、自らの身体から炎を噴き出している。

 気持ちを切り替えるかのように、セイジが言った。

「それでは行こう。五百年分の後始末と、行こう!!」

 リツが馬にムチを入れる。

 化物に向かって一直線に走りだす二人と一馬。

 セイジはもう一度、リツの首筋にキスをした後、リツの肩につかまり、折れた右足を支えながら、馬上に立ち上がった。


 三十メートル。

 思えば哀れな猫も居たもんだ。

 セイジは心のなかでそう考えていた。


 二十メートル。

 何か悪いことをしたわけでもないのに。

 いや、ただ俺たちの一族を守り、そして殺されるというのだ。恨まれて当然だ。

 セイジはリツの方から手を離すと、両手で大太刀を握った。


 あと、十五メートル。

 その時、先に化け猫が動いた。

 残った方の腕に力を入れて、バックステップが可能な体制に入る。

 先ほどのセイジたちの動きを見て考えたのだろう。

 セイジの攻撃を、ギリギリで躱した後、背中を見せることになる二人に襲いかかる腹積もりである。

 リツは真っ直ぐに馬を走らせる。

 そして、先ほどと寸分たがわぬ間合いで、再び右にターンした。

 それを見越し、反撃のため、ほんの僅か後ろに下がるタマ。

 そのタマに向かってセイジは遠心力に乗り、馬上から飛びかかる。

 予期せぬ飛び込みに何とか対処しようと、体制を崩すタマの額に、セイジが真っ直ぐに構えた剣が迫っていく。

「ぃぃぃいいいいいいやああああああああ!!!!!!!!」

 いつの間にか、セイジは叫んでいた。

 その時のセイジの心の中には、先程までの感謝や謝罪の気持ちは消えていた。

 ただ、ただ、ただ、セイジはタマを殺すことだけを考えていた。

 剣は途轍もないスピードで、タマの眉間に突き刺さる。

 突き刺さった瞬間、セイジはニヤリと笑うと、剣を思い切り振った。

 剣は頭蓋骨をまるでベニヤのように二つに叩き割り、脳みそ、脳漿、小脳、血液その他を全てまき散らした。

 タマは天を割る様な絶叫を上げながら、その五百年の命の灯火を遂に消し、大太刀はその咆哮とともに赤く光って、散るように空に消えていった。

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