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⑮福岡市中の一騎駆け

2014年5月26日22時08分(49日のリミットまで、残り1時間52分)

福岡県 福岡市 城南区 茶山 2

茶山四ツ角交差点付近


 その大事件の夜半。

 福岡県警の市内巡回中パトカーの全車両に、奇妙な無線連絡が入った。

『こちら2221号車より、各車両へ。49号線を早良交番方面へ向けて走る不審な、えー、不審な車両を追跡中。応援頼む。どうぞ』

「こちら9831号車。草ヶ谷付近を走行中。そちらへ向かう。逃亡車両の特徴を教えて欲しい。どうぞ」

『……あー。こちら2221号車。いー、車両と言うのは、ちょっと語弊がありまして。うー、逃げているのは、えー、馬です。どうぞ』

「……こちら9831号車より2221号車へ。再度状況を確認し、連絡されたし。どうぞ」

『こちら2221号車。只今『馬』を追跡中。現在早良交番を右折し、六本松方面へ逃走中。繰り返します『馬』を追跡中。馬上には女子高生と思われる制服の女性が1名。えー、本部へ数度確認しましたが映画ドラマ等の撮影では無いようです。現在時速50㎞程度です。どうぞ』

「博多の街じゃあ、暴走族なら珍しくもないが……馬が走るのは50年ぶりかな? 9831号車より全車両へ、早良交番近くの202号線を西に、馬に乗った女子高生が暴走中。暇な警戒車両はせっかくだから急行されたし。どうぞ」

 リツは馬にまたがり、一雲八幡宮を目指して福岡市内を駆け抜けていた。

 202号線は四車線の市中主要幹線道路の一つであり、その両横には小奇麗なビルが並び立ち、外車の往来も多くある。

 そんな通りを、真っ白なサラブレッドが疾走していくのは、誰しもの度肝を抜いていた。

 何故馬なのか。

 馬術部であるリツの思考は単純で、野辺山大学馬術部の愛馬、ホワイトケーキ号が、一番手近で、そして唯一自分が運転できる乗り物だった。

 葛飾と別れると、すぐにリツは馬術部の厩舎へ飛んで行き、鞍を乗せた。

 そして目を見開いて驚愕している、学校の門の守衛の制止を振り切ると、アスファルトの公道に乗り出したのだった。

 目的は勿論、一雲八幡宮迄の一騎駆けである。

 交通法違反であるとか、百五十万都市の主要道路を二十キロばかり縦断する事になるというのは、恋する乙女の目には、障害と映らない様だった。

 ただリツの考えには一つの大きな誤算があった。

 それは、長年の間、暴走族と暴力団とのカーチェイスで鍛えぬかれた、福岡県警交通課パトロール部隊の優秀性だった。


「オオ! 本当に女子高生が馬で走ってるよ」

 パトカーに乗った警官が思わず感嘆の声を上げる。

 六本松を通り過ぎ、並木通りを疾走し、天神付近をさらに西へ、一雲八幡宮目指してひた走るリツとホワイトケーキ号。

 九州島一の目抜き通りである渡辺通を堂々と北上する、街頭に照らされて艶めかしく光る白馬の四肢と、それを巧みに操る女子高生は、行き交う人々の視線を欲しいままにしていた。

「感心してる場合か。ありゃ暴れ馬ってやつか? それとも故意犯なのか?」

「分かりませんが……‥あっ」

「どうした?」

「スカートが捲れてパンツが見えました」

「マジでェ?!」

 馬上の主が女子高生からか、それとも馬そのものへのアイロニーさからか、福岡県警の対応は呑気なものだった。

「チッ」

 リツは珍しく舌打ちした。

 先程まで一台だったパトカーが、いつの間にか三台に増えていた。

 もうすぐ埋立地に入るとしても振り切ることは困難と思えた。

 いっそ連れて行って化け猫退治に使えないかとも一瞬考えたが、戦車砲が通用しないという怪物に、警官の銃弾が効くというのは楽観視し過ぎだろう。

 逆に最悪の場合、犠牲者を増やす恐れがある。

 どこかで振り切りろうと思うのだが、モーターリゼーションが馬頭を駆逐した歴史は揺るぎそうもない。

 左右に煽りながら、『そこの馬、ブフッ。止まりなさい』と半笑いでパトカーから送られる警告に、リツはキレッキレだった。

 その時リツの携帯が鳴る。

 馬上であるにもかかわらず、リツはポケットから器用に携帯を取り出した。

「誰!」

「おーう、お嬢さん。なんかすごいことになってるみたいだね」

「……! 熊野さん、ちょっと今忙しいんで後にしてもらえない?!」

「いや、状況は知ってる。良く聞け。助けてやるから、埋立地の海の中道大橋なかみちおおはしまで何とか来られない?」

「!! わかった。ごめんなさい、何か頼ってしまってるみたいで」

「イヤイヤ、ペンタがお世話になったしね」


 海の中道大橋。それは志賀島へと続く海の中道と、福岡市側の埋立地を結ぶ、一キロ程度の巨大なアーチ型の橋である。

 そこに到達する頃には、リツは十一台のパトカーを従えていた。

 リツは橋に到達すると、一層ホワイトケーキ号にムチを入れる。

 その大橋を五十メートルほど行ったところに二人の人影があった。

 いつもの格好の熊野と蛇沼だ。

「持っていけ!」

 熊野は走り抜けるリツに、あの大太刀をさっと差し出した。

 刀袋から取り出された大太刀は、鞘のススを綺麗に拭い去られていて、真っ赤な鞘が夜の暗闇にも光るように映えていた。

 リツは馬上から、駆け抜け様にそれを受け取る。

「ありがとう!!」

「パンツ見えてるぜ」

「最後に愛は勝つでござる」

 走り去るリツに、熊野と蛇沼が適当な声援を掛ける。

 リツはそんな二人に刀を掲げてみせるのだった。

 そのすぐ後ろを十一台にも連なるパトカーが高速で迫ってくる。

 二人の使い魔がニヤリと笑い合った。

「それじゃあヘビよ、五百年の幕引きに、最後の大仕事と行くか」

「熊野氏。長い間、まあまあ楽しかったでござるよ」

 そして熊野はくまモンのニットキャップを脱ぎ捨て、蛇沼は指ぬきグローブを剥ぎとる。

 その途端、熊野は熊へ、蛇沼は無数の蛇に変化しだした。

「なんだあれは!」

 橋を登り始めたパトカー群の先頭ドライバーが、思わず声を上げた。

 橋の上に、ヘッドライトに照らされた一匹の熊がいる。

 勿論、正体を表した熊野だった。

「おいおい、今日は一体どういう日なんだよ。馬に乗った女子高生を追いかけてると思ったら、熊に遭遇って」

「後から考えましょうよ。それよりあの熊どうします?」

「轢いちまえ!!福岡県警の心意気を見せてやれ! 突っ込め!」

「イエッサー」

 先頭車両がスピードを加速させ熊へ肉薄する。

「?!」

 しかし先頭車両は熊の手前三十メートルで急停止する。

「何だ、何だ?! 何が起こった?!」

「分かりません! 何かが車輪に絡まっています!」

 先頭車両だけではない、全てのパトカーが急減速して橋の上で止まってしまった。

「くっそ! 車から降りろ!」

「うわ?! なんだこれ?!」

 下乗した警官たちが見たのは、地面が見えないほどに溢れかえっている蛇の大群であった。

 蛇の大群は橋の道路一杯に広がり、パトカーの車輪に絡みついていた。

「ひぃいええええ?! 俺、蛇は駄目なんです!!!」

「落ち着け! 全員無事か?!」

「問題ありません!!」

「よし、何があってるのかよくわからんが、まずは熊を倒す! 全員拳銃の射撃用意!!」

 リーダー格の警官がテキパキと指示を出す。

 警官達は、最前列のパトカーを遮蔽物にして、一斉に拳銃をホルスターから抜いた。

「構え!」

 二十丁以上の拳銃が、三十メートル先の一頭の大熊に狙いをつけた。

「狙え! ……テェッ!!!」

 一斉に発射される弾丸。

 その大半は、橋の真ん中に立つ、熊に吸い込まれていく。

 しかし熊は倒れず、それどころか蚊に刺された程の痛痒もみせず平然として、警官たちの方へのっしのっしと歩み寄ってくる。

「先輩! 効いてませんよ」

「いいから撃ち続けろ!!!」

 続けざまに発射される弾丸は意味を成さず、何の障害にもならないように、なおも熊はパトカーへ近付く。

「先輩!! 逃げましょう!」

「もう少しだ撃ち続けろ!」

 先頭車両に辿り着いた熊は口を開いた。

「だから38spc弾ぐらいじゃ聞かないんだよ。さっさとウェザビーマグナム持った猟友会を呼んでこいよ」

 三メートルを超す巨体の熊が、パクパクと口を開けて日本語をしゃべる。

 そしてダメ押しの様に、地面の蛇が、警官の身体に絡みつきながら這い上がり、声を上げる。

「デュフフフ、諦めるでござる。拙者は男を締める趣味はないでござる」

 無数の蛇という蛇が口を開け、「デュフフ」とか「コポォ」とか発音する様に、警官達の精神は遂に限界を迎えた様だった。

「せっせっ先輩! あの、へ、蛇とくっく熊、しゃべり……」

「落ち着け後輩。熊は喋らない……蛇も喋らない……これは幻覚だ……素数を数えて……」

「バカヤロー! 逃げろー!!」

 熊はパトカーのバンパーに手をかけると、かるがると車体を持ち上げ、まるで食器を洗った後に、乾燥機にふせる程度の気軽さでひっくり返した。

「悪いけどここにある車両、全部ひっくり返して橋の通行止めにさせてもらうから」

 そう熊が言った時、すでに警官達は逃走を始めていた。

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