⑭呼子リツの可愛げのある悩みとその解決方法
2014年5月28日12時03分(49日のリミットまで、残り12時間57分)
福岡県福岡市城南区七隈8-XX-X
野辺山大学付属高校
タマが化物に変わった日から、三日が経った。
熊野から会いたいとの連絡があり、恐る恐る出かけてみると、そこには傷一つ無い熊野と蛇沼がいた。
「先日は、本当にすみませんでした」
「まあ、最初はだれでもね、あの変化には驚くだろうけどさ……」
「今後は気を付けて欲しいでござる。あのお姫様に勝てる奴は、いないでござるよ」
それから熊野はこう付け加えた。
「俺達は呪いを取り下げたけれど、タマの呪いは以前有効なままだ。四十九日を過ぎた時点で、あいつは化け猫に変わり、お前の血筋を集めて殺して回るだろう」
蛇沼も、こう言った。
「拙者たちにできることは、もうあまりございませぬ」
セイジは二人から連絡が来る間、一縷の望みをかけて吉浦家を探索していた。
しかし、どうやら死期を悟った吉浦忠輝はほとんどの財産の処分を行った様で、二階建ての住宅には僅かな写真アルバムや日記以外の品物は無くなっていた。
ただその写真やアルバムを確認することで判明したことがある。
吉浦家は太平洋戦争の終了まで、広島にその本家を置いていたようだ。
達筆な字の日記にはその辺りの詳細が記されていた。
吉浦忠輝の出生は、1936年に広島の幟町という所らしい。
出生の四年後、当時の吉浦家の当主が死亡。
そして次代の当主を決めることとなるのだが、吉浦家には家督相続に奇妙な決まりがあった。
当主が死亡した時点で、最若年の直系男子が次期当主となるというものらしい。
その決まりに従い、吉浦忠輝は、わずか四歳にして吉浦家当主となった。
そして当主の葬式の際に、決して抜いてはならぬ刀の存在を教えられた事、また膝で眠りにつく同じ年頃の娘の事も記載されていた。
これは三獣の呪いの仕組みを理解しているセイジには納得がいった。
最若年の直系男子を当主とするというのは、三獣に対するもてなしを嫌ったのだろう。
しかし、日記には三獣の呪いについて、全くと言っていいほど、記述がなかった。
セイジは、なにかおかしいと感じたが、読み進める内にすぐに答えが出た。
吉浦家はあの原爆で全て解けてしまったのだ。
爆心地の近くに存在した吉浦家は、あの日、家にいた五十人以上の人員を一夜にして失くした。
また三人以上の近親者が軍隊に所属していて原爆を逃れた様だが、全てが戦死している。
ただ一人の生存者は、疎開により避難していた、敗戦当時八歳の吉浦忠輝だけだった。
彼は自分の家のあった敷地に戻るが、ただ焼けた石が転がり、まだ熱を帯びた灰が散るだけの場所だったという。
彼はせめて、何か遺品は無いかと敷地を掘ったと書かれている。
まだ原爆の熱が残る場所からただ一つ見つかった遺品。それが熱線の光熱で真っ黒に変色した鞘の大太刀だった。
その後に吉浦は成長し結婚するが子供には恵まれず、妻も二十年以上前に他界している。
これが日記から拾えた情報の全てだった。
吉浦忠輝は、三獣の呪いを知らなかったのだ。
それを知らされる前に、吉浦家は全滅してしまったのだ。
「参ったね。これじゃあご先祖様を責めることも出来ないや」
力なく話すセイジに、邪霊であるはずの熊野と蛇沼は心底同情していた。
「……セイジ君はどうするつもりなのかな?」
「……やるだけはやろうと思います」
「具体的に言うとどうするのでござるか?」
「灯油をまいて、一雲八幡宮と楠の大木をタマごと焼き殺します」
それを聞いて、熊野は何か言おうとしたが、セイジはそれを押しとどめるかのように、手のひらを出してみせた。
「なにも言わないでください。あなた方にもこれ以上考えつくことは無いでしょう」
そう言うと、セイジは熊野に大太刀を手渡した。
「これはもう、熊野さんの方で処分しちゃってください。あまりに危険なものです」
「……分かった。しかし、呼子さんの協力を得ることが出来れば、もしかしたらこの大太刀が……」
「止めてください。危険だといったのはあなた方ですよ。あなたは吉浦の血筋だけでなく臼杵の血も絶やすつもりですか?」
「か、可能性があると言うことでござるよ!!」
「賭けるにはリスクが高すぎます」
そして四十九日の直前に、セイジは学校に登校した。
今日で全てが終わるこの段になってからである。
何か、絶望的な状況が、逆にセイジに平穏を求めさせていた。
こんなことをしている場合ではないと思う反面、最後の最後に普段の日常を味わってみたいという気持ちを、抑えることができなくなったのだ。
その日は、照る太陽が、夏がそこまで来ていると教えてくれている様な陽気な日だった。
級友とのばかみたいな戯れや、眠いだけの授業が、セイジにはとてもしみじみと幸せに感じた。
昼休み、何気なく学食に寄って、一番高いとんかつ定食を頼む。窓際の席でそれを一人でつつきながら、食堂に広がる喧騒を聞くと自然と涙が出てくるのだ。
明日には、ただの日常も手に入らなくなるのだろうか。
セイジがそんなことを考えている時だった。
「おっす」
目の前にリツがいた。
「……」
「こんにちは」
手にたぬきうどんの乗った盆を持ったリツが、セイジを怜悧な顔で見下ろして挨拶した。
無視してトンカツに集中して、やり過ごそうとするセイジに対して、リツは強引だった。
目の前の椅子に座ると、立てかけてある松葉杖をさっと自分の側に引き寄せて、セイジが一人では立ち上がれないようにした。
そしてもう一度、リツは、まるで性格に似合わない、間延びをした声で挨拶を繰り返した。
「こーんーにーちーはー」
「……何? ……‥」
セイジは無視を続けようかとも考えたが、動物園での素晴らしい嘘泣きを思い出し、仕方なく口を開いた。
「……明日じゃん」
「何が?」
「四十九日が過ぎるの明日じゃん。どうするの?」
「……関係ないだろ」
「関係ないことない!」
周囲が振り向くほどの大きな声だった。
セイジは舌打ちして、周囲を気にし、小声でリツに答える。
「……大丈夫だよ。熊野さんたちにも協力してもらってるし……」
「どうするの?」
「……言えないよ。迷惑がかかる……」
「いいじゃん、迷惑かけたって。手伝わせてよ」
「ダメだって言ってるだろ」
「べつに大太刀は使わなくても手伝いぐらいは出来るでしょ!」
セイジはリツのその言葉を聞いて、ピタリと箸を止めた。
なおも何か言おうとする、リツをじっと見つめる。リツはその視線に気圧されて、口を開くことができないでいた。
「……戦うのは男の仕事なんだよ……」
「……」
「……そうだろう?……」
リツが物凄い目つきでセイジを睨んだが、言葉は発しない。
それを良いことに、セイジは更に続けた。
「だからお前は待ってろ」
「……どうやって戦うっていうのよ。普通のやり方じゃ、駄目なんでしょ」
「……夜まで待って、火をかける……」
「私も手伝う」
「いらねえ、その位なら松葉杖でも出来る。大体、二人いたところで何か変わるわけでもないし。邪魔なだけなんだよ」
「……………」
「おまえは待ってろ」
そう言うと、セイジは松葉杖をひったくり、リツの返事も聞かずに席を立って行ってしまった。
相変わらず昼食時の騒がしい食堂。
そこに残されたリツはと言えば、今にもプッツンしそうなほど切れていた。
もしも相手が骨折していなければ、いや自分が骨折させた相手でなければ、絶対に殴り倒していただろう。
残されたリツは、うどんをずぞぞぞぞと豪快にすすりながら、心の中でセイジを罵倒し続けていた。
何が男の仕事だ、何が迷惑かけるだ、何だあの態度は!
振っておいて彼氏気取りかあのアホは?! なにが『おまえ』だ!
「ちょっ、リッちゃん! どうしたの?!」
ふと我に返ると、隣にクラスの友だちが立っていて、リツをあっけにとられた顔で見ている。
「何って……」
「アンタ、なんで泣いてるの?!」
「は?」
放課後。リツはもう一度、意を決してセイジのクラスに行った。
しかしセイジはおらず、クラスメイトから、彼は午後から病院通いで早退したと聞けただけだった。
目の赤いリツを、セイジのクラスメイトは訝しんでいたが、リツには全てが上の空であった。
今日の零時が四十九日のリミット。
きっと今頃、セイジは一雲八幡宮に乗り込む準備をしているに違いない。リツはそう考えていた。
誰しもにとって、いつもと変わらないはずの5月の某日、日は高く心地よい風が吹き止むことはない日。
それが命日とは思いもしないだろう。
やがて太陽は段々と陰る。
時間の流れはどんな時でも一定だ。
何も考えなくても、朝が来て、昼になり、やがて夜になる。
リツは授業が終わっても、部活に行く気を起こせず、クラスの自席に突っ伏したままだった。
クラスメイトや、心配した友人たちが掛ける声にも生返事でいた。
一緒に帰ろうと友達は誘ってきたが、
「もうちょっとだけ待ちたいの」
と、赤い目で言う傷心な女性を、無理に引っ張ることは出来ない。
すぐに刻限になり、用務員に声を掛けられてリツは、初めて起き上がった。
いつの間にか時間は既に二十一時に近い。
後、三時間で全ての決着が着く。
それを見ることも出来ずにいる自分が情けなかった。
のろのろと教室を出て、下足箱で靴を履いて、校舎を出た時、リツは教職員用の出入口である本校舎棟口から出てくる葛飾を見た。
葛飾はいつもの足取りで、自分の車の留めてある駐車場に向かって歩いていくところのようだ。
それを見たリツは、自分でも理由を説明できない行動をとった。
すなわち、葛飾のあとをつけたのだ。
葛飾は、教員専用の駐車場へ向かい、自分の車に乗りこんだ。
すかさずリツは駆け寄り、車の助手席をガバリと開け、あっけにとられる葛飾を無視して乗り込んだ。
「う、うわっ?! あ、あっれー? どうしたの呼子さん?」
葛飾は、突然の来客に戸惑いながら、何とかそれがリツであることを確認してそういった。
「ちょっとご相談がありまして」
「は、はあ」
「セイジくんのことなんですけど!」
「は、はい!」
葛飾はリツから漂う尋常でない雰囲気を感じ取り、即座に車の中でかしこまる。
「なんで私に紹介したんですか?!」
リツは怒鳴るようにそう言った。
こめかみには青筋が立つほど、切れていた。
そうだ。私にとって、この事件の始まり、セイジ君との始まりはこの男の情報漏洩が原因だ。
この男さえいなければ、これほど心を乱されることもなく、今こんなに悩む必要はないのに!
リツは抑えきれない怒りを全て、葛飾に押し付けようとした。
「なんでって?」
「そう! なんでですか?!」
小学生の呆けた問いにも似た質問に、葛飾は困惑した表情を浮かべ、そしてその後、破顔して、リツが思いもしない答えをした。
「いいやつだからだよ」
「はあ?! 何言ってんの?!」
「いいやつだからだよ」
「だから! 何で私に紹介したんですかって聞いてるんです!」
「だから」
噛み付くリツに、葛飾はにこやかに、優しくもう一度言った。
「あいつがいいやつだからだよ」
リツは答えなど望んでいなかった。
ただ行き場のない感情を、葛飾に押し付けて気を紛らわそうとしただけだった。
だが、葛飾のその短い答えは、リツの心に広がっていった。
そうだ。
そうだ、あいつはいいやつだ。
目が見えなくても、足を折られても、不平一つも言わず、自分の運命に服従したりはしない。
いいやつだ。
すごく自分勝手で、ちょこっとおかしい所もあるけれど、いいやつだ。
だから『私が』、彼を好きになったのだ。
この感情。
このどうしようもなく、やるせなくて解決の付かない感情は、私が彼を好きだからなんだ。
リツは今更に、そう悟った。
「先生」
「あー、俺は先生じゃないから葛飾でいいよ」
「先生」
「あー、はいはい。なんですか呼子さん」
まるで素直になったリツは葛飾に問うた。
「セイジ君がね、今、戦いに行ってるの」
「うん?」
「私も行きたいって行ったんだけど、戦うのは男の役目だって」
「うん?」
「……先生はどう思います? 何の力になれなくても、行ってあげたいんだけど、迷惑かな?」
葛飾は、しょげた子供の様になったリツにもとても優しかった。
「超ウェルカムだよ。だって俺、二十六まで彼女に食わせてもらってたし」
「え?」
「いやー、中々公務員試験受かんなくてさー。彼女の下宿に転がり込んでた訳よ」
「フフッ、なんですかそれ、格好悪いですよ」
リツは久しぶりに笑った気がしていた。
「いやいや、幸せだったよ」
「……助けに行ってもいいと思いますか?」
俯いたまま、思いつめたようにそう言うリツに、熊野は、
「それは勿論ガンガン行くべきだよ。なんていうの、男女共同進出だっけ? 政府がそういう指針を出してるんだからさ」
そう言ってやった、
「でも……迷惑しないかな」
「あのね、セイジくんが戦うのは男の仕事とか言ったらしいけど、それ間違ってるからね、自然の摂理に反してるからね」
葛飾はそう断言する。
「そうなんですか?」
「ライオンを見ろよ。オス一頭にメスが十数頭いるハーレム作って、縄張り争いや狩りは全部メスに任せっきり。それでオスは貢いでもらって飯食って、あとは毎日セ……ああこれ言うとセクハラになるなあ」
「……言わなくても大体わかりました。セクハラですね」
リツはもう一度だけ、葛飾に聞いた。
「本当ですか?」
「本当だよ。ウィキペディアにも載ってるから」
そして葛飾は続けた。
「だから、心配ならセイジくんの所に行っていいんだよ」
その言葉を聞いた時、リツは少しだけ泣いた。
「ありがとうございます」
「イヤア、俺って本当親切だなあ。カウンセリングって俺の天職だよな!」
「いや、あの、それは、どうでしょう?」
爽やかな笑顔だったが、リツはさらりと付け加えられた二の句には肯んじなかった。
「でも、それでもありがとうございます」
リツは葛飾にそう言って車を降りた。
「先生は駄目人間ですけど、でも、いてくれて助かりました」
「落ち込んでる呼子さんに、魔法の言葉を授けてあげようかなあ」
「魔法の言葉?」
「ちょっとお耳を拝借」
葛飾は秘密めかしてそう言うと、リツの耳に何事かをささやいた。
「……はあ」
「いいからこの言葉をセイジくんに聞かせて上げなさい」
「はあ、分かりました。それじゃあここで……」
「そう? 送って行かなくていい??」
「はい……実はちょっとさっきから考えてる作戦がありまして」
そう言うと、リツはにっこり笑った。
「あらら、なにげに女の子らしく物騒なのね。何するつもりかわからないけど、気を付けてやりなさい」
「フフフ」
「ああ! ちょっと待って! これ持って行きなさい!」
走りだそうとしたリツを、葛飾は慌てて呼び止める。
首を傾げるリツに、葛飾は運転席の窓から、タバコぐらいの箱を取り出して、リツの手にそっと載せたが、当たりは暗く、何の箱なのか判然としない。
「先生? これは……」
「オカモトコンドームズ 0.02ミリ EX 6個入り」
してやったりといった顔の葛飾。
リツは二秒ばかり硬直した後、にっこり笑って運転席から顔を出す葛飾に近付いた。
「先生、先生」
「ん? なになに?」
「耳貸して」
「ん? なになに?」
「アーホ」
リツは口元によせられた耳にそう言うと、耳たぶに優しく噛み付いた。
仰天して顔をのけぞらせた葛飾の顔面に、リツはコンドームの箱をわりと本気で投げつけて、走り去る。
リツは走っていった。
暗闇の中へではない、セイジの元へ。




