⑬タマ
2014年5月20日14時19分(49日のリミットまで、残り9日)
福岡県福岡市東区志賀島 8XX
一雲八幡宮
リツと別れたあとも、セイジは熊野と蛇沼と連絡を取っていた。
セイジの要求はシンプルで、タマとの面会だった。
「何度も言うけどさあ、会ったって意味ないぜ。こっちから何かしかけなければ、なにもしやしないし」
「そうでござる。今、お姫様の機嫌を損ねるのは、まずいと思うのでござる」
「でも、どの道このままでは、僕の一族郎党は皆殺しなんでしょ? 一度だけでもいいから会わせて欲しい」
そう言って頭を下げるセイジに、熊野と蛇沼は掛ける言葉が中々見つからない。
「案内して欲しいってわけじゃないんです。ただ居場所を教えてくれさえすれば、あとは自分でやりますから」
「……分かったよ。案内するよ。俺たちもいたほうがいいだろう。それに、もしかしたらお前の顔を見れば、何か進展があるかも知れないしな」
度々のセイジの懇請に、熊野と蛇沼が折れたのは、四十九日まで十日を切った日であった。
熊野の運転する車で案内されたのは、一雲八幡宮であった。
タマはそこですぐに見つかった。
一雲八幡宮の境内の賽銭箱の上で、昼寝をしている子猫。熊野と蛇沼が指差す通り、それがタマであった。
眠りこけていた猫は、熊野の呼びかけに起き上がる。そしてセイジの顔を一目見るなり、それこそ久しぶりに母親に会える子供の様な素直さで、セイジのもとに鳴きながらかけていき、その胸に飛びついた。
「おやおや、まあまあ」
「デュフフフ、これほどお姫様に好かれる当主も無いでござるがね」
てんで勝手な事を言うが、確かにこれほど人間に懐く猫も珍しい。
誠司は自分の着ているTシャツに張り付いた、手のひらに少し余る程度の小さな猫を、松葉杖をついていない左手で撫でてやった。
小さいながらもゴロゴロと喉を鳴らすタマを撫でながら、セイジと熊野と蛇沼は、境内のベンチに移動した。セイジは椅子に座り、タマはその膝でゴロゴロといっている。
「……本当にこの子がタマなんですか?」
「そうだよ。なんなら葬式の時みたいに、人型に変身させてみようか?」
「い、いえ。結構です!」
そう言うと、セイジはタマに話しかけた。
「二回目ですが、改めまして。吉浦忠輝の縁者の朝倉セイジっていいます」
「ニャーン」
「あ、あのですね、三獣の呪いを解いてもらおうと思って今日来たんですけど……」
「ミイミイミイ」
「そ、それで、あの、お願いごとを教えてくれたらと思ってまして……」
「ミューミュー」
「やっぱり無理か」
一生懸命にコミュニケーションを取ろうとするセイジに、熊野は無遠慮に言う。
「わ、わからないじゃないですか! もしかしたら通じているのかも……」
「俺達とタマとの付合いは五百年あるんだぜ。恩のあるお前に嘘は言わないよ。そいつは子供すぎるんだよ……」
「セイジ氏。こればっかりはどうしようにもならないでござる。拙者共も、たった三人の仲間でござる。何度も何度も言葉を教えようとしたのでござるが……無理でござった」
相変わらず、子猫のタマはセイジの気も知らずに、喉を鳴らしていた。
「……つまり、本当に願いを聞くことが無理だ、と」
「ああ、タマはお前に甘えるだけだ。たとえ餌をやろうと、一緒に寝てやろうと、それは願いを叶えたことにはならない」
「呪いとは! 呪文、つまり文によって紡がれた人の技なのでござる。それによって人を束縛し、人に災いをもたらすものでござる。言葉がなければ始まらないのでござるよ……」
そう告げる二人の言葉を、中々セイジは受け入れる事が出来なかった。
「この子猫が、俺の一族を皆殺しにする力を持っているとは思えないよ……ちなみに皆殺しって言うけど、一体どういう風に殺すつもりだったんだ?」
途方に暮れた声でそう問うたセイジに、熊野と蛇沼はばつが悪そうに答えた。
「あの葬儀では色々言っちゃったけど、実際に呪殺をするのはタマなんだ」
「実際の手順は?」
「四十九日の開ける、5月28日の午前0時になると、お姫様は起き上がるのでござる」
「それで?」
「起き上がったタマには、もう吉浦の当主に対する愛情が消え失せてしまっている。ただ残っているのは憎しみだけになるって訳さ」
「そしてお姫様がひと鳴きすれば、吉浦の血を引くものは、一人残らず一雲八幡宮に瞬間移動してしまうって訳でござる」
「その後は……虐殺さ。俺とヘビとタマでこの一雲八幡宮に集められたお前の血縁を、殺して殺して殺しまくって終わりってわけだ」
「瞬間移動……」
「勿論、俺達二人はもう呪いを解除している。だから俺達はもう、その、殺戮に、参加はしないけどね」
「でも、でも……こんな、子猫が?!」
両手で子猫を掲げてみせるセイジの声には、明確な殺意が含まれていた。
「おい、馬鹿、止めろ」
「そうでござる。それはちょっとないでござるよ」
そう言った二人を、を睨みつけると、セイジはタマの両の前足を両手で持った。
「本当にまずいよそれは」
「うるせえ! 子猫一匹で家族が助かるなら、選択肢なんて無いだろ!」
そう言うと、その子猫の両手を引きちぎろうと、渾身の力を込める。
十七歳の男子高校生の全力があれば、子猫の手など引きちぎることは簡単である。が、タマの両手はひきちぎれなかった。
引きちぎれず、タマの両前足は、飴細工のように、にゅうっと伸びた。
「なーん」
タマは短く鳴いた。その声には先程までの愛くるしさが消えていた。
伸びた手に驚愕しているセイジ。その細長い手は見た目と違い、物凄い力を秘めていて、セイジの両腕を簡単に振りほどいた。
セイジを振りほどいて、地面に着地するタマ。
その間は一秒にも満たなかったが、地面に着地したタマは、前足だけでなく胴も、後ろ足も、尻尾も、伸びていて、その全長は、明らかにセイジよりも大きく、顔と耳すらも長く伸びていた。
その姿に子猫の面影はなく、どんな哺乳類よりもエッジの利いた姿は、異形の化物と呼ぶのにふさわしかった。
そしてタマであった怪物は、何の躊躇もなくセイジに飛びかかる。
セイジはその瞬間、熊野に突き飛ばされ、地面に倒れ込む。
「うおおおおおおお!」
セイジとタマの間に割って入った熊野が絶叫した。
タマはその細長い顔の細長い口で、熊野の熊に変化した腕を、しゃっくりと一噛みで切断した。
タマは咥えたままの熊野の大きな腕を、鳥が魚を頭から食うように、ぱっくり一口で丸呑みにした。
その細長い面構えの中にある、細長い二つの目には、ただ殺気と狂気を垂れ流している。
「セイジ氏! 早く逃げるでござる! 早く! 早く!」
「で、でも熊野さんが!!」
「我らは霊でござる! 後で回復できるでござる! それより早く逃げるでござる! お姫様はこうなるともう駄目でござる!」
切迫した声で蛇沼がセイジに言う。
慌てて松葉杖を拾い上げて逃げるセイジの後ろで、熊野と蛇沼が苦悶の声で唸っていた。
セイジが神社の敷地の外に出て熊野たちを振り返ると、前足を二本とも食われた熊野と、顔の右半分をついばまれた蛇沼が、恐ろしい妖怪のように変化したタマを懸命にあやしていた。
「くっそ……たれ……」
セイジはタマの狂った様相に、今までに中で感じたことのない、異様に大きな穴のような絶望を感じていた。




