⑪光明の先
2014年5月12日11時07分(49日のリミットまで、残り17日)
福岡県 福岡市 中央区 練塀町2-XX-XX
吉浦忠輝宅
熊野と蛇沼の話は、中々ヘビーで打ちのめされる内容である。
ここに来て運が尽きたとも言えた。
しかし目が見えずとも、足が折れて歩けずとも呪いに立ち向かってきたセイジは、運が尽きた程度で歩みを止める事はなかった。
それに葬儀の日のことを考えれば状況は好転している。
セイジとリツはあくまで明るかった。
セイジは両親に、あの葬儀の晩に何があったのかをよく考えたいと、吉浦忠輝の住居の鍵を要求した。
目の治療に前向きで、しかもとても気立てのいいリツを連れてきた事が、功を奏したのか、両親はセイジの申し出を快諾し、鍵を貸してくれた。
吉浦家を訪問するのは、一つは大太刀を確保するためであり、もう一つは情報収集だった。
抜くのが禁忌とは言え、何かしらの手がかりを掴みたかったのだ。
そのことを熊野と蛇沼に伝えると、童子切を手に入れるのはいいが、決して抜いてはいけないと念を押された。
勿論セイジは、自分の目を失明させた刀を抜くつもりなど、一ミリもない。
「あ……ここですかね」
吉浦忠輝の住居は市内の一軒家で、到着したのはガストの話から二日経った土曜日の午後だった。
目の見えないセイジにも日差しが肌に心地いい日だった。
吉浦の家は古い住居ではあるが、清潔に使用されていた様でさほど傷んではいない。
「ありゃ……」
鍵を開けて、玄関の戸を開けた途端、リツが言葉を発した。
「どうしたのリツさん」
「んー、バリアフリー化されてませんね」
またか。という心持ちだった。
車椅子になってから、様々な苦労があるのが、日本家屋の段差だけは許しがたいものがあった。
「うーん、持ち上がらない?」
「やってみますっとっと、わっとっとっとっと!!」
「おお? おおおおお?!」
リツは車椅子を持ち上げて、段差を越えようとしたが、それには少し、セイジの体重が重すぎたようだ。
前輪を、何とか段差の上段に掛けて、後部車輪を力いっぱい持ち上げたようとした所で、力が足りず、車椅子は横転した。
横転する瞬間、リツはセイジを地面に直接打たせまいと、自分の体を無理に割って入らせた。
そのせいで、結果的に車椅子はリツを巻き込みながら横倒しに倒れた。
「ご、ごめんセイジ君! 大丈夫?!」
「イテテテ。こっちこそ、呼子さんは大丈夫」
「セッ、セイジ君?! ちょちょちょちょっとですね……!!」
「え?!」
目の見えないセイジには不可抗力であったが、セイジはもつれて倒れ様に、右手でリツの胸を鷲掴みしていた。
「んん? んんん?」
「はやくはなせアホ!!」
掴んでいるものの感触を確かめようと手に力を入れた瞬間、セイジはリツに頭を殴られる。
「ご、ゴメン。でも今のは不可抗力……」
「いーえ。最後の0.7秒はわかって揉みしだきましたね」
何故かリツは、セイジの思考をコンマ一秒単位の正確さで読んでいた。
「……返す言葉もございません」
確かにあったDの感触を思い出しながら、セイジは殊勝に頭を垂れる。
「もー、そういうことは全て終わってからにして欲しいですね」
「え?」
「?! い、今のは無しです!!」
リツは慌てながら、乱暴にセイジを車椅子に戻す。
「ちょ、ちょっと今の状況では車椅子は持ち上がりませんね! 私が大太刀を探してきますから!」
「う、うん。分かった待ってるよ。でも気を付けてね。絶対抜いちゃ駄目だから」
「それは承知しています」
そう早口に言い合うと、リツはあたふたと玄関に靴を脱ぎ、吉浦家に入っていった。
セイジは高鳴る鼓動を落ち着かせようとした。
しかし、生々しい手の感触と、先ほどの台詞がセイジの頭のなかでリフレインし続けていた。
もしかしたら、全て片付いたら春がくるかも……?
そう考えると、盲目で足が折れた身にも関わらず、よからぬ妄想が頭のなかで始まり、どうにも止まることがなかった。
「あ、あったありましたよ!!」
リツの声でセイジは我に返る。
事前に親族から、大太刀が一階の仏間のある座敷部屋の押入れの中ということは聞いていて、探すのにそれほど時間は掛らなかった。
玄関へ続く廊下に現れたリツは、両手に葬儀の際と同じ刀袋を持っていた。
「は、早く見つかって良かったです」
「そ、そうだね。早く見つかってよかったね」
先程の、思わぬ幸運がもたらした何かが、二人の動悸を早くしていた。顔が蒸気したままのリツは、セイジの方へ小走りで近付く。
その時、焦ったせいか長い刀袋がリツの足に絡まり、リツは激しく音を立てて廊下の床に転倒した。
「きゃあああああ!!」
「呼子さん?! 大丈夫?!」
「いたたたたた……あ、刀が」
「?! 刀がどうかしたか!! 抜けたのか?!」
起き上がるリツの目に、半ば刀袋から飛び出した大太刀が目に入る。
幸い袋から抜けただけで、刀身それ自体は鞘に収まったままで、露出はしていなかった。
ホッとしたリツは、不安がるセイジに言う。
「大丈夫です。袋からは飛び出しちゃいましたけど、刀身は鞘からは抜けてません」
「そ、それならいいけど。焦らなくていいから慎重に袋にしまってね」
「はいはい。あー、いらない恥かいた」
セイジの目が見えていれば、パンツ丸出しでコケたリツが見られただろう。
セイジ君が目が見えなくてよかった。いや、ちょこっと残念なのかな? イヤイヤ何を言っているのだ私……。
リツはそんなことを考えながら、刀袋に戻そうと、鞘に入ったままの刀に触れた。
鞘に触れた瞬間だった。
「ウゥ? ウウウウゥウウ?!」
突如、セイジは眼球が燃えるような痛みを感じて、思わず声を上げた
「セイジ君! 大丈夫?!」
リツは刀を放り出し、痛みに体をよじりながらうめくセイジに駆けよる。
「セイジ君! 気分悪いならすぐ人を呼ぶよ!!」
慌てたリツが、近隣の住民に助けを求めようと、玄関の扉を開けて飛び出しかけた。
「ま、まって呼子さん……目が、目……が……」
「目がどうかしたの?!」
「目が……見える……」
セイジは抱えた両手の指の間から、目の前に広がる廊下を『見』ていた。
三週間以上もの間、暗闇の中を彷徨っていたその瞳に、再び火がやどったのだ。
他の人間からすれば、蛍光灯に照らされて輝く、何の変哲もない廊下である。しかし今のセイジには、ベルサイユ宮殿の鏡の間よりも、しみじみと光り輝く廊下であった。
何故か、何があったのか。
そんな疑問は眼前に広がるただ『見える』という光景の感動に、完全に押し流されていた。
セイジの目に涙が溢れた。
そして、セイジは玄関を振り返り、外に出て行きかけたリツの方を振り返った。
振り返ったセイジは、リツを見るなり狂するように絶叫した。
セイジが初めて見たリツの顔。
それは清太郎とそっくりだった。




