姫騎士、胃袋を掴まれる
住み込みのアルバイトは契約をしたその日から始まった。せっかちな依頼人だ。しかも少しも隠すことなく『バルドは四日後の討伐までいらない』と明言してきた。寂しくないと言えば嘘になるけど依頼人の要望は可能な限り答えるのが受けた側の責任だ。仕方ない。
「思った通り。やっぱりカオル君にはメイド服が似合うわね!」
「あはは……ありがとう御座います」
うぅ、まさかこっちでもメイド服を着ることになるなんて……。母さんとの勝負に負けた罰ゲームでメイドやらされたとき以来だ。
明らかに僕に着せる為に用意されたとしか思えないくらい、サイズがぴったりなそれは白と黒を基調にしたふわふわのフリルの付いたロングスカートタイプのメイド服。歩きにくいことを除けば肌触りはかなりいい。
(いや、これも藤堂さんを助ける為だ! それに依頼が終わればもう女装しなくて済むんだ。頑張れ、僕!)
「そのメイド服、なかなか肌触りがいいでしょう?」
意味ありげな笑みを浮かべて、ニヤニヤするミス・バルテミー。何を期待しているか僕には分かりませんが、仕事している間だけですよ?
「カオル君……いえ、それを着ている間はちゃん付けにしましょう。カオルちゃん、魔術付与って知ってる?」
「ギルドの図書室にある資料に記載されてる程度のことは」
他の冒険者ギルドはどうか分からないけど、カンドラのギルドは育成に力を注いでいる。本の無料閲覧に訓練所の開放、教官による実戦形式の訓練。バルドもよく利用しているけど、大抵は女性冒険者に占拠される。
話を戻そう。ミス・バルテミーが言ってた魔術付与とは魔術の一種で特殊な効果を付与する技術だ。装備品にスキルの効果を付けると言い換えてもいい。
「そのメイド服、布地は市販のものだけど防御力上昇と魔術抵抗上昇、打撃緩和に斬撃緩和の効果が付いているの。物理面だけ見ても市販の金属鎧よりずっと防御力があるわ」
「でもこれって、屋敷の支給品ですよね? それともミス・バル『あっ、それ着ている間はお嬢様って呼んでね♪』……お嬢様の私物ですか?」
「私物だけどあげるわ。その代わり、被写体としてたっぷり描かせてもらうわよ?」
うわぁ、どうしよう。確かに僕が普段身に付けてる防具よりずっと良いものだって分かるけど、だからと言ってわざわざメイド服にしなくても……。
「それじゃ、早速だけどお昼でもお願いしようかしら」
「えっと、この国の料理を作れと言われましても困りますけど……」
「ご飯なんて美味しければ何でもいいじゃない」
ミス・バルテミー……いや、お嬢様、良いこと言った。そうだよね、ご飯で一番大事なのは味だよね!
……僕の好みと彼女の好みが一致するとは限らないけど。
ニコラス(屋敷を訪ねたとき僕達を出迎えてくれた執事)に案内されて厨房に入る。驚いたことに、この屋敷の管理はニコラス一人で全てこなしているという。ギャリソン時田のお弟子さんですか?
「苦手なものとかありますか?」
「私もお嬢様も好き嫌いはない。……だが冒険者の少年、キミは男としてのプライドはないのか?」
「不本意ながら、母親にこういう格好を何度か強要されているうちに慣れてしまいまして」
「……苦労してるんだな」
「えぇ。その分沢山の愛情を頂きましたけど」
雑談を交えながら食料庫にある材料を確認する。名前が違ったり、見たことのない食材が多いけど、基本的なところは地球のそれと全く同じと言っていい。
(小麦粉と片栗粉……葱に挽肉、ニラもあるし……餃子でも作ってみようかな)
作る前にニコラスさんにメニューの概要を説明する。予想通り、餃子もこの世界にはないようだ。
「私も手伝おう。これでも料理には自信がある方だ」
作業をしながらニコラスさんに作り方を教えて具を任せる。その間に僕は皮を作る。餃子だけじゃ物足りない。というか日本人なら絶対お米が食べたくなる。
そもそも醤油もお酢もないんだ。それなのにどうして僕は餃子を作ろうと思ったんだ?
仕方ないので焼き餃子からスープ餃子に路線変更。スープは例によって全く使い道ないと思われているガラ(見たこともない海の生き物が多かった)で出汁を取る。餃子だけじゃ栄養も偏ると思うからサラダを作るのも忘れない。酢と砂糖、醤油とごま油があればドレッシングが作れるんだけど……。
「ふむ。砂糖はともかくごま油、醤油、酢というのは聞いたことがないな。どんな物だ?」
「えっとですね──」
ダメ元で説明するとそれに類似したものが出て来た。
醤油の代わりになるのはソイバブルと呼ばれる調味料。青い液体で醤油より味が薄い。コレジャナイ感じがあるけどヘルシーなのが出来上がるから良しとしよう。
酢はイエローポール(青首大根が黄色くなったような大根)をすり下ろすとお酢っぽいものができるとか。ごま油はサラダ油で代用。砂糖はこの世界でも貴重品だが、分けてもらえた。
試作品を作って味見をしてみたらちゃんとドレッシングになってた。何処の世界でもそうだけど生野菜を盛りつけたサラダというのはなかなか食べづらいものがある。それならドレッシングぐらい開発されてもいいんじゃないかと思ったけど、どうやら食文化はあまり発達してないようだ。宿屋でもゼラチン作ってチョコムースご馳走したら凄く喜ばれたし、レシピだけで小遣い稼ぎできるんじゃないか?
「少年、キミは本当に冒険者なのか? キミさえ良ければ使用人として働けるようリディア様に口利きしてもいいぞ? 安定した収入を得られる仕事に就けるのがどれだけ魅力的か説明するまでもないだろう」
「ありがたい申し出ですが、今の僕は冒険者の方がいいです」
どんなに危険な仕事でもメイド服着てご奉仕なんて嫌だ! そんなことをするぐらいなら僕は冒険者を選ぶね!
あーだこーだ話しているうちに本日のお昼・スープ餃子とサラダが完成。ロッソトマトで見栄えを良くするのも忘れない。
なお、お嬢様の評価は以下の通りである。
「スープ料理ねぇ。まぁカオルちゃんは平民だしそんなものよね。まずは一口。……え、嘘! 美味しいじゃない! 海の幸が凝縮してるっていうかすっごい濃厚! この白いのは……お肉が入ってるのね! スープの味も去ることながらお肉を入れることで満腹感を与えるこの発想……素晴らしい! サラダは……ロッソトマトを使って見栄えを良くしてるのね。この液体を掛けて……うん、確かにこれなら苦手なサラダも頑張って食べようって気になれるわ。……えっ? このドレッシングって簡単に作れるの? 後で作り方教えて頂戴。ニコラスに作らせるから!」
気に入ってくれて何よりだ。こんなに美味しそうに食べてくれれば作った甲斐もあったということだ。
「これなら晩御飯も期待できるわね。あ、出来ればプリンっていうデザートも作ってくれると嬉しいわ。それとあなたの歌、また聴かせて頂戴」
ただ、ハードルをビシバシあげるのだけは勘弁して欲しいんですが……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
歌も披露して、絵のモデルになって、プリンの仕込みを済ませて、夕食をご馳走して細かい雑事を済ませる。まさか異世界に来てまで家事スキルが役に立つとは思わなかった。
(母さん、家のことは本当に駄目だったからなぁ……)
服は脱ぎっぱなし。部屋は散らかし放題。放っておくと偏食生活まっしぐら。結婚する前はどうやって生活してたんだろう?
そんなことを考えながら洗い物を済ませてニコラスさんに業務の終了を告げる。今日の仕事はもう終わりだ。後は割り当てられた部屋で朝を迎えるだけ。
その筈だった──
「カオルちゃん、ちょっと付き合って」
厨房を出たところでお嬢様に呼び止められる。夜食でも作って欲しいのかな?
そう思ったけど、お嬢様は僕を連れて中庭に移動する。中庭と言っても中級区の貴族街にある屋敷だ。広さなんてたかが知れているけど、ちょっとした運動をするには丁度いい広さだ。
「カオルちゃん冒険者よね? 剣術の方はどう? いくら実力がないからって流石にゴブリンぐらいなら倒せるよね?」
「いえ。剣術は本当に全くできないんです。せいぜい護身用に持っているだけです」
購入した動機は本物の剣を持ってみたいという、実に安直な理由だけど。
そもそも僕の主戦場は討伐ではなく採取や雑用だ。戦闘は全部バルドに丸投げする。これが僕達のスタイルだ。
「そう。でも、冒険者なら剣術ぐらいできないと格好が付かないでしょう? 夜の運動がてら付き合ってくれるかしら?」
「あの、そのことなんですが……」
言いにくそうに前置きしてからギルドカードを見せて最悪のレアスキル【無成長】を所持していて、訓練が無意味であることを教える。
だけど、お嬢様の考えは違ったみたいだ。
「それで良く冒険者になろうと思ったわね。……まぁいいわ。そのスキル、要はレベルが上がらないってだけだよね? それなら技術を研鑽する余地はあるわ。護身術を身に付けたいなら尚更だよ」
言いながら、木剣を投げ渡す。そうか。単純にレベルが上がらないだけで技術的な面を伸ばすことはできるのか。
「殺すつもりで撃ち込んでいいわ。私のレベルは六十五。神官の職位も持ってるから回復魔術も使えるから安心していいわ」
それは、ボコボコにするという宣言でしょうか?
だからと言って断る理由もないし、本気でやっていいというお墨付きも貰ったんだ。胸を借りるつもりで撃ち込もう。
「お願いします」
「ん。何処からでもどうぞ」
最低限、開始前の挨拶はしておく。
剣道の構えを思い出しながら木剣を構えて踏み込む。剣を振り上げて面打ち……と、見せかけた胴打ち。サッと躱されると同時に刀でいう峰に当たる部分を叩かれ、体勢を崩す。体勢を立て直すようなことはしない。咄嗟の判断で無理な姿勢から無理矢理前方へ飛び込むように身体を投げ出す。
直後、背中に走る鈍重な痛み。だけど咄嗟の判断が功を奏したのか、想像してたよりは痛くなかった。メイド服のお陰だろうか?
ごろごろと雑草の上を転がりながら立ち上がろうとして思い切りずっこける。そうだ、僕は今ロングスカートタイプのメイド服を着ていたんだ。すっかり忘れていた。
「あー……やっぱりスカートじゃ動きにくいかぁ」
「着替えていいですか?」
さっきの踏み込みのときは裾を踏まずに済んだけど、次も踏まない保証はない。不慮の事故で余計な怪我なんてしたくない。
「そうね。奉仕以外のときはそれでいいわ。……でもカオルちゃん、初心者にしてはなかなか良い動きするじゃない。普通に斬り掛かると思ったら胴体狙うって判断もそうだけどバランスを崩したとき、咄嗟に前へ転がったのもポイント高いわよ。冒険者やってどのぐらい経つ?」
「半年ぐらいです。あと、動きは殆ど見様見真似ですよ」
【ストレージ】を操作して手早く着替えて木剣を握り直す。斬り込みが駄目なら突きはどうだろう?
木剣を正眼に構えて少しずつ距離を詰める。お嬢様はあくまで後の先に徹するみたいだ。目測で丁度いい距離まで詰めて一気に踏み込む。切っ先を振り上げる素振りを見せて上段斬りを思わせて喉笛目掛けて突きを入れる。だが間合いが遠い。お嬢様もそれが分かっていてゆっくり迎撃しようとする。勿論、初心者である僕がそれを見て確認する余裕はないので予め決めた通りに身体を動かす。
腕が伸びきるよりも早く左手を離して右手のみに持ち替える。両手突きからの片手突きの変化。威力は当然落ちるけど肩を入れられる分、射程が伸びる。だけどそれすら、咄嗟に首を振って突きを躱すと同時に僕の木剣を叩き落として背中にキツい一撃を入れる。
突き抜けるような痛みが走った。思わず声をあげそうになるけどギリギリのところでかみ殺す。背中が痛い。というかもの凄く痛い。少し身体を曲げるだけで痛みが伝播していくみたいだ。
「カオルちゃん、思ってたよりできるね。……でも奇抜なことに頼りすぎじゃない? それが通じる状況ならともかく、土壇場で物を言うのは基礎だよ」
「いえ。普通に撃ち込んでもどうせ防御されると分かってますから、せめて一矢報いることができればと思って……」
「そうだけど……うん。じゃあこうしましょう。カオルちゃんはできるだけ防御に徹して、私はうんと手加減して撃ち込むから。今みたいなことされると咄嗟の反応で身体が動いちゃうから手加減が難しいの」
それなら別に素振りでもいいと思うんだけど……。
「少しでも実戦に近い形で打ち合った方がいいでしょ?」
そう言われると何も言い返せない。僕としてはまず基本的な型を教えて欲しかったけど、師匠がそういうなら従うしかない。
それから一時間近く撃ち込んだり防御したりしてニコラスさんが来てお開きになった。
就寝前に回復魔術を掛けてもらったら痛みが一瞬にして引いた。便利だなぁ、魔術。出来ることなら僕も覚えたいけど女性限定ってのがなぁ……。