お人好しの理由
「兄貴、一つ訊いてもいいッスか?」
カンドラへ戻り、金策の為に冒険者ギルドへ向かう途中、バルドが神妙な顔で質問してきた。
「兄貴があの娘を助けるのには文句はねぇスけど、どうして助けようと思ったんスか? 自分にはいつものお人好しで動いたようには見えなくて」
「あぁ、そのことね」
別に隠すようなことでもないし、バルドには教えておくか。
「藤堂さんを助けようと思ったのはね、少しだけ昔の僕と重なって見えたからなんだ」
「昔の兄貴、ですか?」
「うん。助けを求めても救いの手が差し伸べられなかった頃のね……」
意味ありげな前置きをして、僕はバルドに話した。
僕は自分の外見が女の子みたいだということを、嫌というほど自覚している。そうなった原因の一つとしてあげられるのが母親の存在。
かつて僕には双子の姉がいて、母さんは姉さんを愛した。だけど姉さんは病気で若くしてこの世を去った。性別が違うとは言え、僕と姉さんの外見はあまりにもそっくりだったこともあり、姉さんの死が原因で心を病んだ母さんは僕を姉さんの代わりとして扱った。
そのことに不満は……あったけど、我慢することはできた。母子家庭だったし、姉さんと比べれば一歩劣るけど、僕も親からは沢山の愛情をもらったから。そうしたことがあったから、いつしか僕は女の子として過ごしたり、男の子として過ごしたりする習慣が身に付き、そのまま中学へ進学した。
事件が起きたのは十四歳の冬。業界用語でいう、男の娘属性が強い僕に欲情してしまった男子生徒はついに僕へ襲い掛かった。
外人の血を引いていること。両目の色が違うこと。そして僕の容姿が、仕草が、彼等の理性のタガを激しく揺らし、意図せずして壊してしまった。
どれだけ声を出しても助けは来る筈もなく、欲望の捌け口となった僕はしばらく登校拒否になった。面倒事を嫌う教師・授業と仕事だけをこなせばいいとしか考えない職業教師が多い中学校だったこともあって、事件として取り上げられることもなかった。普通ならそのまま衰退しても不思議じゃないけど、そんな目に遭った僕がもう一度登校出来るようになったのはやっぱり母親の存在が大きかった。
その後、クラス内で視姦されることはあっても同姓から襲われるようなことはなくなった。ただ、男子たちに襲われた後遺症なのか、この頃から僕は感情が希薄になっていた。
それが顕著になって現れたのは主に恋愛方面。同世代の子達がカップルを見てリア充爆発しろというのに対して、僕は『あぁ、二人は付き合っているのか』程度にしか思えないし、恋なんてものは完全に他人事だと思うようになった。
……まぁ、感情が希薄になったと言ってもそれは一部であって食欲とかは以前と変わらない健啖ぶりを発揮しているけどね。
状況だけ見れば藤堂さんとは全く異なる境遇。だけど共通して言えるのは助けを求めていること。そしてその救いが断たれる状況がどれほど辛いかを、僕は誰よりも知っている。
全ての奴隷を救う、なんて無理目なことを思っている訳じゃない。だけど今、手を伸ばせば伸ばした分だけ救うことはできる。流石に見ず知らずの奴隷にまで情が移るようなことはないけど、助けたいと思える相手に出会えたなら、僕は助けるつもりでいる。
自己満足だ、偽善だと言われようと構わない。少なくとも安全圏でしか意見できない、勇気を使えない臆病者の意見で揺らぐほど、僕の精神は脆くない。
「……だから僕は、藤堂さんを助けたいって思った」
一気に話したいことを話し終えて、一息吐く。それを見計らって、バルドが聞きづらそうに口を開く。
「その……兄貴はそれで人を嫌ったりは、しなかったんですか? 男に襲われるなんて、自分は想像しただけで吐き気がするッスよ」
「なったよ。というより、一時期人間不信になった。……でもね、環境がどう変わったところで人との繋がりって断ち切ることができないし、そのまま成長してもまともな大人にならないことを、僕は知っている。近くに反面教師が居たのも一役買っていたけどね」
因みにその反面教師が学校のとある教師なのは僕だけの秘密だ。
「僕のことを完全に男として見てくれる人は殊の外少ない。そういう意味ではバルドのことは信頼も信用もしている。だからバルド、僕に力を──」
言いかけ、バルドに手を突き出される。浮かべるのは、全てを悟ったような笑み。
「兄貴、仲間の間でそういうのは他人行儀という奴ッスよ?」
「そう、だね……うん。……バルド」
「はい」
「金貨百枚、絶対に稼ぐよ」
「当たり前ッスよ」
決意を新たに、いざ冒険者ギルドの扉を開く。平日の昼時だというのに、昼間から酒盛りをしている団体がいくつか見える。冒険者の仕事が不定期なのは分かるけど、平日の昼間からお酒呑むのってどうしても行儀悪いって思うよね。
「ウルゲンさん、ちょっといい?」
相変わらずウルゲンさんの前には人が並んでいない。ウルゲンさん、親切だし情報通だし、本当良いとこ尽くしなのにどうして人気がないんだろう?
「どうしたカオル。深刻な顔して」
「うん。自分でも身の程を弁えない発言なのは重々承知だけど、報酬が良くて僕たちの実力でも達成できる、お得なクエストって出てない?」
「何やら訳ありみたいだな」
流石は仕事のできるウルゲンさん。深く訊いて来ることもなく、それとなく僕達の事情を察してくれた。
「一応、ないこともないがちょっとばかし難しいかも知れないな。……ほれ、こいつだ」
カウンターの下から一枚の羊皮紙を取り出して手渡す。
クエストの内容はバカラという魔物の角の納品。数は記されていない。
報酬は角一本につき金貨一枚。注釈にバカラの角は死体から剥ぎ取ると品質が劇的に落ちて買い取り価格が大きく下がると書いてある。
「バカラ……バルトは何か知ってる?」
「有名な魔物ッスよ。強さで言えば武器を持った普通の男でも勝てるような雑魚ッス。ただ、こいつは異常なまでに警戒心が強いんで冒険者が近づけばすぐ逃げる魔物なんス。で、こいつの角が上級霊薬を作るのに欠かせない材料になるんで高品質の角は高値で買い取られるんスよ」
「そういうこった」
「ふぅん……」
上級霊薬の材料になる角の納品か。生きたまま角を剥ぎ取るには罠を仕掛ける必要がありそうだ。一応、僕なりに考えたプランもなくはない。だけど高品質のバカラの角一本で金貨五枚は美味し過ぎる。上級霊薬って一体どんな薬なのか気になるけど、今は関係ないので頭から締めだしておく。
(僕達が受けられる依頼なんてたかが知れているし、受けるべきかな)
現状、バルドはEランクで僕はFランク。二人で力を合わせてもなかなか高収入のクエストにありつけないのが現実。それを考えればこのクエストはかなり美味しい。それこそ、拒否する理由がないくらいに。
「分かりました。このクエスト引き受けます」
「バカラは森なら大抵生息しているが南の森はかなり数が多いから狙い目だ。ただ、最近はどうも騒がしいみたいだから気をつけることだ」
ウルゲンさんの忠告を心に刻んだ僕たちは早速その足で南の森へ向かう。日頃、冒険者活動に必要なものは全部【ストレージ】に突っ込んであるからこういうときは大抵のことは手ぶらでいい。チートスキル万歳。
「それで兄貴、バカラはどうやって捕獲するつもりで?」
「ワイヤートラップと落とし穴を使ってみようと思う」
どっちも重労働だけど、ワイヤートラップの方はバルドに任せよう。トラップ作りに必要な道具もしっかり収納済みだし。
カンドラを出て徒歩で凡そ一時間。目的地へ到達してそこから更に数十分。まずは拠点となる場所を確保する。
洞窟があれば理想的だけど、この近辺にそんなものはないので広場に拠点を作る。
【ストレージ】から天幕セットを出して組み立てて、魔物除けの薬を炊くついでに落とし穴を作っておく。
「森の様子を見てくる」
力仕事だと僕はあまり役に立てそうにないから下準備だけ手伝って散策を兼ねて周辺の見回りをする。
そう、僕にとってはただの偵察の筈だったんだけど──
(そこはかとなく、作為的なものを感じるんだけど……)
拠点からつかず離れずの距離を維持して歩いていたら、丁度湖で喉を潤していたバカラと遭遇。事前に聞いた話だとバカラは警戒心が強い魔物だと教えられていた。
それがどうした。僕はバカラの身体に触れるほどの距離までいるにも関わらず、一考に逃げ出す素振りを見せない。どころか、とてもリラックスしている。
(ひょっとして、自分より弱いと思われてるから警戒されてないのかな?)
そう考えると妙に納得できる。思うに、バカラの角が流通しないのはレベルが関係しているんじゃないかと思う。
この世界はゲームでは当たり前のように存在するスキルや魔術が当然のように存在するし、意識すれば自分のステータスを相手に見せることもできる。そういう仕様が当たり前の世界なら特殊能力──例えば特定の条件下で発動する物があっても不思議じゃない。
「こんにちわ」
ジッと眺めているのもアレなので暇潰しとはぎ取りを兼ねて行動に出る。
「ねぇ。キミ達の角を分けてもらえないかな? 僕のクラスメイトを助けるのに必要なんだ。勿論、殺したりはしないから。ね?」
僕自身、話し合いが通じるなんて欠片も思っていなかった。
だけど──どういう訳か。僕が笑みを浮かべながら話しかけるとバカラは頭を下げて角を差し出してきた。
……魔物って、人の言葉が分かるのかな? それともバカラみたいな知能の高い魔物だけかも?
若干の戸惑いを覚えながら剥ぎ取りナイフで角を切り落として【ストレージ】にしまう。こうして僕は何の苦労もすることなく、その場に居たバカラから角を五本剥ぎ取ることに成功した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「流石は兄貴ッス。弟分として鼻が高いッス」
夜。バルドに戦果を報告したところ諸手を挙げて賞賛された。あの後、バルドと一緒に狩りに出向いたけど、どう頑張っても十メートル以内に近づくことはできなかった。
じゃあ僕一人でやってみたらどうなるかと思ったら、これがまた面白いくらいあっさり近づくことができた。やっぱりバカラは特殊能力持ちかも知れない。
初日の成果として高品質のバカラの角が五本。冒険者としてやっていくには悪くない稼ぎだけれど、このペースでは金貨百枚稼ぐなんて到底無理だ。
「気を落とすことはないッス。今日はまだ半日しか活動してないんスから」
「そうだね」
バルドの言葉に相槌を打って、夕飯の支度を始める。支度と言っても暇な時間を利用して作った料理を【ストレージ】から出すだけ。
(母さん、料理は悲惨だったからなぁ……)
僕の母親はクラスメイト曰く、『料理のできない藤●詩織みたいだ』とか何とか、よく分からない例えを出してきた。母さんもその辺はしっかり自覚していたから必然的に冷凍食品や外食、店屋物での食事が多かった。ただ、流石にそればかりじゃまずいと気付いた僕は登校拒否している間、料理をしていた。
母親は僕の手料理を食べて大絶賛。それで気を良くした僕はそのままなし崩しに料理をするようになって、気が付いたら和洋仏中と、一通りの料理を作れるまでになった。
「今は夏だし……ヴィシソワージでいいかな」
「何スか、それ?」
「ジャガイモの冷製スープだよ。作るのにちょっと体力使うけど結構簡単だよ」
本当はこういう、洋風料理じゃなくてちゃんとした日本食が食べたい。主食なら白米。調味料なら醤油が恋しい。あっ、味噌汁なんかも飲みたいよね。
白米は……あるかどうか分からないから保留。醤油は作るのに時間が掛かる。どのみち冒険の片手間で作るのは無理だね。
あぁでも、マヨネーズぐらいなら作れるかも。あと、パン生地を使ったピザとかも。バルドは結構食べるし、野性味溢れる食べ方を好むからきっとピザは受けがいい……筈。揚げ物は作れると言えば作れるけど、絶対と言っていいくらいご飯が恋しくなる。カツサンドなら……考えてもいいかも知れない。
その日は食べ物のことを考えながらバルドと交代で見張りをして夜を過ごした。