メイドさんと魔術訓練
「お願いします騎士様、どうかこの子を治して下さい……っ」
「悪いけど、金のない男の頼みはきかない主義でね。本気でその子を治したいと想うなら金貨一○用意しな」
「そんな……っ! うちの稼ぎでは金貨なんて……」
「なら諦めな。薄汚い下等生物相手に慈善事業なんて真っ平ゴメンだよ」
会話を聞いただけでもう事情は理解できた。そして久しぶりに女尊男卑の世界を体現するような人を見た。いや、人というより褐色族というべきかな?
「治療ぐらいしてあげたらどうなの? ちょっと魔力を消費するだけだし、減った分はすぐ回復するんだからいいじゃない」
「アンタ、女の癖に男の味方なんてするのか? そんなんだからその身に宿ってる精霊を従えられないんだよ」
「私のことは関係ないッ!」
藤堂さんが珍しく怒りを露わにしている。だけど言い分はもっともだ。治癒魔術は基本、魔力を対価として払い、治療する。その行為に魔力を消費することはあっても失った魔力は時間経過と共に回復する。
ならいっそ、無料にすればいいと言う意見もあるかも知れないが、治癒魔術師にとっては治療行為こそ稼ぎ口だ。一度でもタダを認めてしまえば次も、その次も……という具合に治療代を踏み倒してくる可能性が出てくる。
バルドも藤堂さんに便乗して何か言ってるけど、聞き取れない。相手の返事はない。言葉の代わりに剣を抜いて答えてきた。
「アンタ、見せしめに殺してやろうか?」
飾りのない、無骨な剣が怪しく光る。この世界の殺人に対する取り締まりは結構いい加減だ。商人が盗賊に荷馬車を襲われた場合、例え男であっても町の経済効果に貢献している以上取り合って貰えるけど村落の人間が殺されようが旅の途中で息絶えようがまともに取り合えってくれることは少ない。
魔物の脅威から人々を守るのが冒険者の仕事とはいえ、社会的には底辺。ランクが上がれば扱いも変わるけど社会的に認められる為には最低、Cランクまで上がる必要がある。僕もバルドも底辺をうろついている冒険者だから当然、殺されても異世界的には問題はない。理不尽だけど。
「バルドちょっとタンマ! 刃傷沙汰はまずいからっ!」
「バルド殿もどうか剣を納める下さい!」
事態の悪化を予期した僕と村長が間に割って入る。ペコペコ頭を下げる村長とバルドを宥める振りをして小さく耳打ちする。
「……子供は僕が何とかする。だから抑えて…………」
「…………分かりやした」
勿論これは方便でも何でもない。今の僕には子供を救う手立てがある。ただちょっと気を遣う必要があるだけで。
「……んん?」
村長の謝罪など何処吹く風とばかりに聞き流す褐色族は僕の存在を認めると怪訝そうに顔を顰める。そのままガチャガチャと鎧を鳴らしながら近づき、無遠慮に顔を覗き込む。
「あの、僕が何か?」
「…………。お前から水精霊王の匂いがするな」
「……っ」
予想外の方向から爆弾を投げ込まれる。なんで、どうしてそんなのが分かるの?
「見たところただの下等生物そのもの。姫巫女のような力も感じない。何故、こんなのから水精霊王の残り香が……」
「…………」
「貴様、名前は?」
「……カオルです」
出来ることなら『下等生物に名前など不要です』ぐらいの皮肉を言いたかった。だけど今の状態でそんな皮肉を言おうものならとんでもないことになるのは【心理学】を通じて理解した。
「何故お前から水精霊王の匂いがするんだ?」
「御免なさい、分かりません……」
「分からない筈はない筈だ。残り香がするということは直に謁見したことがある証拠だ。知っていることを話せ」
「御免なさい。本当に分からないんです……」
如何にも困ってますという体裁でシラを切る。騎士っぽい人はしばらくジッと見つめていたけどそれきり興味を無くしたのか、詰まらなそうに鼻を鳴らして立ち去った。敵意がないのは分かっていたけど怖いものは怖い。あの人絶対一九○センチあるよ。
「兄貴、大丈夫ッスか」
「僕は平気。それよりあの親子」
「最上君、治せるの? 両親が医者で英才教育を受けていたとか?」
藤堂さん、そういうのは漫画の世界だけだと思うんだ。四●慧じゃないんだから。
「村長さん、親子を部屋に通して下さい。僕は医者を連れて来ます」
「医者……ですか? 失礼ですが、お連れの方の中にはそれらしき人が見受けられませんでしたが」
「今は一刻を争います」
やや強引に言いくるめて村長と親子を追いやる。僕はと言えば適当な家の裏に身を隠して誰もいないのを確認してから【無限収納】を操作してメイドを服を取り出す。お嬢様からの餞別で押しつけられた高性能メイド服、着る機会なんてもうないと思っていたけどこんな形で役に立つ日が来るなんて。
(まさかこんな使い方をする日が来るなんて……)
パパッとメイド服に着替えてからもう一度、誰もいないのを確認して全身に魔力を通す。カンドラから旅立つ前、何かの役に立つ日が来るかも知れないと思って練習した新しいスキル。分類的には魔術に限りなく近いものだが根本は一緒だしフィーリングで別けていいだろう。
「──憑依・クラオカミ」
全身に魔力を巡らせて精霊を受け入れる器を構築した後、僕と契約している精霊を降ろす。僕が契約したクラオカミ普段、カンドラで水精霊たちを相手にしているか精霊界でクラミツハ様の補助をしている。だけど僕とクラオカミの間にはパスが繋がっている。なので距離に関係なく、器を作った状態で宣誓のワードさえ唱えれば彼女は一瞬で僕の身体に憑依する。
精霊をその身に宿すロストスキル【精霊化】──これが新しく手にしたスキルの一つ。これによって身体能力以外はクラオカミと同等にまで引き上げられる上、クラオカミが使用する【精霊魔術】も使用可能。その上、精霊化している間は半分実態を持ってない状態なので物理に対して異常といえるほどの耐性を得る。具体的にはバルドの全力攻撃なんて目じゃないくらい。
……欠点があるとするなら精霊化は降ろす精霊の影響を強く受ける点にある。クラオカミは女型の精霊だから……自然と、身体もそっちの影響を受けてしまう。取れたりしないのは救いだけど、うっすら二つの山が盛り上がったり地面スレスレまで髪が伸びたり色が黒から群青色に変わったり降ろしてから最低一二時間は戻れなかったり……有り体に言えば【精霊化】を使用するときは僕自身のメンタルダメージを覚悟しなければならない。
これは諸刃の刃だ。使えば間違いなく強い。だけどその度に僕自身に男としての意義を問われる。事情が事情なので今回は躊躇いなく使ったけど、こんなことは何度もしたくない。精神的な衛生面で。
……社会で活躍する立派な大人達のように見て見ぬ振りができればどれだけ楽な人生を送れたことか。
いくらか気落ちした気持ちを持ち直すように頬を叩いて親子のいる家へ向かう。クラオカミを憑依させた際、顔つきもより女性らしくなっているから仮面を付ける必要はない……と、思う。
「病気の子供はその子?」
「……っ!? あ、あなたは一体!?」
「…………最上薰に懇願されてきました」
突然部屋に入ってきた謎のメイドに場が湧き立つ。藤堂さんも、バルドも、クローディアちゃんも一瞬目を見張る。だけどすぐに正体を看破して冷静さを取り戻す。
集まった人の中にはマリエッタさんの姿もあった。多分、この村のシスターは医者としての務めも兼任しているんだろう。
「……相変わらず反則よ。女としての自信なくすわ…………」
藤堂さん、聞こえてるから。
「……あれは兄貴あれは兄貴あれは兄貴あれは兄貴あれは兄貴あれは兄貴あれは兄貴あれは兄貴あれは兄貴あれは兄貴あれは兄貴あれは兄貴あれは兄貴あれは兄貴…………」
バルドは自己暗示に必死だ。気持ちは良く分かる。鑑見た時なんて本当に別人かと思ったから。
「………………」
クローディアちゃん、頬を赤らめながら僕を見ない。僕自身の魅力でこうなっているとは思わない。きっと【性別詐欺・極】【黄金比】【スマイルキラー】の影響を受けているからこうなっているに違いない。僕自身の魅力でそうなっている訳じゃない、あくまでスキルの力だ。
僕自身の魅力でこうなっているんじゃない、スキルの力だ。大事なことなので二度言いました。
「は、はい……。この子がそう、です。……あの、お名前は?」
「ただのメイド……よ」
正直、この状態ではあまり人に関わりたくないので素っ気なく答えて治療に入る。治療と言っても手っ取り早い方法を使うだけだけどね。
「命を蝕む不浄に栄えなし。清涼なる調べに委ねよ。慈愛に満ちた天の息吹、汝に活力を吹き込み命の脈動を奏でよ──【グロリアスヒール】」
契約精霊から教えてもらった小っ恥ずかしい詠唱を経て【精霊魔術】を発動させる。
今使った【精霊魔術】の効果を分かり易く言えばエ●クサーと万●薬の効果、そのついでに一時的な身体能力上昇がセットになった治癒魔術だ。スキルではなく魔術扱いなのでクールタイムは発生しない。魔力が枯渇しない限り、何度でも使える。
「おぉ……これが魔術……」
「私も、これほどの規模の魔術を目の当たりにしたのは始めてです……」
詠唱通り、かざした掌からは清涼さを感じさせる魔力の奔流が間歇泉のように噴き出る。本来、魔術師としての素養のない者には魔力を感じたり視ることは出来ない。しかし、使う者が使う魔術、込められた魔力量によっては常人でも可視できるレベルにまで達する。
今、僕が込めた魔力はまさにそのレベルにある。透明感のある水色の魔力が子供の身体を蝕む病魔を吹き飛ばし、大気中で霧散する。余波は周囲の人間の頬を撫で、髪を吹き上げ、服をなびかせる。
何もかもが規格外の魔術は、時間にしてほんの数秒で収まる。だけど、当事者達にとってはとても長い数秒。やることはやった。
『モガミ様。異変を嗅ぎ付けた褐色族と領主亭の方から魔術師が近づいてきてます』
俺の身体に憑依したクラオカミが急かすように退避を促す。頭の中に直接語りかけているから周りの人には聞こえない。
「では、私はこれで」
「お、お待ち下さい。せめて何か御礼を──」
「追われている身の上ですので」
文字通り、逃げるように会話を断ち切って俺は部屋から逃亡を図った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
魔力の調整を完全に誤った──そう反省するより他ない。【精霊化】はどうしても人目を気にしてしまうから頻繁に練習することは出来ない。なら初めからメイド服を着てその状態維持しろと言われそうだ。
そんな人に向かって声を大にして言いたい。普通の神経を持った男が、果たして好き好んでメイド服を着たいと思うだろうか……と。
なってしまったものは仕方ない。そう割りきった僕は今、村の近くにある森まで来ている。今の僕の実力では【精霊化】を発動させたら一二時間は元の姿に戻れない。クラオカミの話通りなら訓練を積んでいけばもっと早く解除できるようになるらしい。
『メイド服でその姿はとても似合っていると思いますが』
「似合っているから問題なんだよ」
『しかし、服というものは本来、似合う物を選ぶのではないですか? 失礼ながらモガミ様にはズボンよりスカートの方が違和感がないようにお見受けしますが』
「女の子だったらそうだけどさ、僕は男だから」
『……服の善し悪しに性別は関係ないのでは?』
駄目だ。話が観世に平行線だ。精霊と人間とでは感じ方が全然違う。
密かに頭を抱えたまま、僕は最近サボり気味だった薬草・毒草の採取をする。クローディアちゃんの加入で出番が少なくなったけど本来僕は毒を自前で調合してそれを矢に塗ってクロスボウ、アズールボウで撃ち出す。何が起きるか分からないから弓の訓練は毎日欠かさずしているけど、今日は魔術の訓練もしてみよう。
「クラオカミ、魔術を使うときは必ず詠唱しないと駄目なの?」
今更だけど僕が契約精霊を呼び捨てにするのはそういう決まり事が出来たから。本来、精霊は人より上位の存在なんだけど契約という関係を結ぶとその限りではないらしい。だから呼び捨てにして使役する、というのが僕とクラオカミの正しい在り方……というのはクラミツハ様から聞いた。
『実際に魔術を使うのはモガミ様ではなく私です。なので、こういうことをやりたいというイメージを伝えてくれれば後は私が勝手に再現します』
「イメージね……」
水系統で威力を出せる物……何だろう。
水球を作って打ち込む……僕自身、弱そうなイメージしか浮かばない。
熱湯にした上で鞭状にして打ち込む。そんなイメージを伝えたら却下された。お湯ぐらいの水温調整は出来るけど熱湯まで行くには火の力が必要みたいだ。
なら氷路線? クラオカミに氷は出来ると言ってくれた。氷槍を作って射出する。固体となった質量なら水を射出するよりは効果がありそうだ。
ものは試しにとばかりに氷槍のイメージを伝えて再現してもらう。イメージしたのは五角錐と円柱を合わせた形状。それを細長く、先端は切れ込みを入れて高速回転させながら射出。瞬間、風切り音を残して氷槍は目にもとまらぬ速さで遙か彼方へ飛んでいく。人には使えない。
『面白い発想ですね。今まで見てきた魔術師の中にも氷槍をイメージする人は居ましたが、回転を加えるという発想はありませんでした』
「そう? 普通だと思うけど」
とはいえ、攻撃手段がこれだけというのも心許ない。そもそもこれは魔物相手ならともかく、人間相手に使うことは絶対できない。
それなら気温、もしくは体温を下げるのはどうだろう。氷を作る作業は大雑把に言えば熱を奪った状態で原子運動を減速させれば良かった……と、思う。停止まではいかなかった筈。……駄目だ、記憶が曖昧になってる。半年以上教科書もノートも開いてないからすっかり忘れてしまった。
確証のない理論を元に魔術を使うよりはもっと適当な感覚でした方がいいかも知れない。使ってみて分かったけどクラオカミを介して使うこの魔術、大部分がフィーリングに依存しているところがある。
(えっと、大気を冷却するなら周囲の熱を奪うイメージで)
一応、真冬の気候にならないように調整は出来る限り慎重に行う。ほぼ想定通り、周囲の気温が下がり、肌寒くなる。……使う側は防寒具が必要な魔術だ。空気の壁を張る等の工夫が出来ればいいんだけど、これは追々改良していこう。
『詠唱魔術の練習もした方がいいと思います』
魔術の試射が一通り終わったところでクラオカミが突然、こんなことを言ってきた。
「詠唱魔術? 聞いたことないけど」
『一般的には姫巫女の間で伝わっている特殊魔術です。既存の魔術のように詠唱を省略したり無言で発動させたり等の工夫ができず、詠唱によって効果を発揮する魔術です』
「それ、実戦では何の役にも立たないと思うけど?」
悠長に詠唱している暇があったら魔術使うなり弓を構えて攻撃に参加するなりした方がずっと効率的だと思うけど。
『単独ならそうですね。ですがモガミ様は頼れる仲間がいます。これは大きなアドバンテージとなります。そして仲間と共に戦うのであれば尚更、詠唱魔術の練習は必要かと存じます。詠唱魔術の利点は術者が味方と認識した者には強化を、敵とみなした者には弱体化を施します。長時間の戦闘が予想される戦いであれば優位に立てます』
「うーん……」
人目に付く環境なら必然、今まで通りの戦い方が要求される。だけど僕の最終目標は日本へ帰ること。そしてその為にはフェンリルとの戦闘は避けられない……と、思う。それを考えるならクラオカミの言う通り、今からこういう魔術の練習はした方がいいかも知れない。
「…………分かった。やってみるよ。詠唱は?」
『詠唱魔術に決まった型はありません。想像力を膨らませ、感情を乗せやすい祝詞を口ずさめば周りの精霊がそれに呼応して再現します。モガミ様も昔から似たようなことはしていたと思いますが?』
「……あっ、そうか歌……っ!」
言われて見れば確かにそうだ。そもそも僕がフィアッセを助けられたのも自分の想いを歌に乗せて精霊に懇願して、それが上手くいったからこそ助けられたんだ。それを思うと詠唱魔術は僕と相性がいいのかも知れない、けど……。
(いやいや! 歌の練習をするぐらいなら大丈夫な筈!)
「とりあえず歌の方は【精霊化】が解けてからやるよ」
当面の訓練目標がしっかり定まったところで訓練を再開した。




