生き倒れの姫騎士
「はぁ……。幸せ……」
紙袋に入ったセカンドディアの串焼きを膝の上に乗せながら日当たりの良い広場でむしゃむしゃ食べる。二十本と言わず四十本ぐらいは食べたいけど他の人のことも考えないとね。
そう言えばバルドと一緒にご飯を食べたとき、僕の食べっぷりを見て驚いていたけど何かおかしかったのかな?
僕だって一応、男だしそれなりに食べないとお腹が持たないんだけどなぁ。
ぐぅ~~。
「…………あれ?」
串焼きを十本平らげたところで耳に馴染んだ音が聞こえた。
僕のお腹の虫ではない。流石に食べている最中に空腹を訴えるほど、僕の胃袋は卑しくない。
音がした方を向くと……うん。なんて言うか、アニメっぽく人が倒れていた。
銀色の甲冑に身を包んだその人はうつ伏せのまま、両手をバンザイしたまま石畳の上で倒れている。うつ伏せだから顔は分からないけど、さらさらしたセミロングの金髪からして……女の人、かな?
「お、お腹空いた…………」
「…………」
うん。それは見れば分かる。というか僕、この人のお腹が鳴るまで全然気付かなかったってことだよね?
……いやいや! 美味しい物を食べているときは周りへの注意が疎かになるのは仕方のないことだよ! 悪いのはこの万人を魅了するセカンドディアのお肉だ!
「えっと、串焼きで良かったら食べる?」
新しい串焼きを出して差し出してみる。すると僕の前で生き倒れてた騎士(?)の人はガバッと起き上がると奪うように串焼きを取って、一口で平らげてみせた。
(あ、やっぱり女の人だったんだ)
ぽかんとしたまま、僕は目の前の人に意識を向ける。
いわゆる、美女って奴だ。十人に訊けば八人は美女と答えるぐらいには綺麗な人だ。残り二人は誤差の範囲だとしても、彼女を美人ではないと評する人はきっといない。
至近距離だったこともあってか、僕は一瞬だけど彼女の美貌に見惚れていた。その僅かな油断が、勝負を分けた。
「うぅ……ごめん! もう我慢できないッ!」
「えっ? ……ああっ!?」
気付いたときにはもう遅かった。一瞬の油断を突いて、彼女はあろうことか僕のセカンドディアの串焼きを奪って見せた。
「あ、あぁ…………」
目の前でもしゃもしゃとセカンドディアの肉を食べられる。僕はまだ、十本しか食べてないあの美味しいお肉を……。
「うぅ……僕の、セカンドディア…………」
きっと、僕の頭上には『どよ~ん』という文字が浮かんでいるかも知れない。
お昼を奪われてがっくりと肩を落とす僕。そしてハッと我に返る女騎士(?)の人。
「あー、えっと……ごめん! あまりにも空腹でしかもセカンドディアなんて美味しいものを渡されたからつい食べ過ぎちゃって!」
「うぅ……」
怒りよりも悲しみが込み上げてくる僕は、彼女に対して文句を言うことはない。暴力嫌いだし、お腹空いてるし、揉め事も嫌いだし、串焼き奪われたし、やっぱりお腹空いて元気出ないし……。
「うぅ……その、本当にゴメンね。昨日のお昼から何も口にしてなかったから……」
「あぁ、うん……。もういいよ……。セカンドディアのお肉って美味しいし、お腹空いてたら誰だってそうなっちゃうよね。僕も経験あるから分かるよ」
いつまでも落ち込んでいても仕方ないからね。慰めの言葉だって別に嘘じゃなくて本心から来るものだし。
そうやって自分を納得させて僕は立ち上がる。倒れているときは気付かなかったけどこの騎士(?)の人、僕よりも頭一つ分くらい身長が高い。
「えーっと……そ、そうだ! お詫びと言ったら何だけど中級区にある洋服店いかない!? 私あそこの店長と顔見知りだからさ! そんな小汚い服じゃなくてもっと女の子っぽい服とか──」
「僕、男です……」
「そう男──て、おとこぉ!?」
……なんでそんなに驚いているんだろう?
そりゃあ、スカート穿いたり女の子が着るような服を着ていたら見間違われるかも知れないけど。バルドだって僕のことを普通に兄貴って呼んでるし、一緒のお風呂に入っても何ともないし。
「えっと、それってそんなに驚くことかな?」
「だ、だって……どう見ても、女……じゃなくて、そう! 近くで見れば充分男の子に見えるから!」
「う、うん……」
お世辞なのか冗談なのか判断には困るけど、別にいっか。
それより今日はここで小遣い稼ぎしてから宿屋の手続きをしないと。
何故か茫然自失になっている騎士(?)の人は一先ず置いといて、僕はいつもの定位置に移動しておひねり用の帽子を置く。それを合図にソロ場で思い思いに過ごしていた人達が……というよりは『待ってました』とばかりに集まってくる。
「おねえちゃーん!」
「今日は朝からずっと待ってたよッ!」
「お姉様、その美声で私を罵って下さいッ!」
「だから、僕は男だって……」
苦笑いしながら野次を飛ばす観客たちを窘める。いつも必ずと言っていいほどお捻りをくれるから邪険にはできない。
……でもこの人達、バルドがいると何故か距離を取るんだよね。
「え、えっ? なに? 何が始まるの?」
騎士(?)の声を意図的に無視して歌い出す。
今日、披露するのは某天空の城のエンディング曲とサビが『この大空に~』の二曲。バルドと一緒に冒険者稼業をしようと決めたあの日、クエストが想像以上稼げないことに気付いた僕は思いつきで吟遊詩人(というより路上ライブだよね、これ)をやってみることにした。
人前で歌うのは、その……もの凄く恥ずかしかった。だけど背に腹は代えられないと自分に言い聞かせてやってみたところ、思ってたよりは評判が良かったし、噂を聞きつけてか、少しずつ客足も増えている。
因みに初ライブで披露した『ナンバー1にならなくても~』は今でもかなり人気があって、お金を払ってでもまた聞きたいというありがたい感想まで。
……僕が作詞・作曲した訳じゃないんだけどね。
「…………」
いつの間にか、遠くから聞こえていた喧噪も聞こえなくなる。広場にだけ静音規制がかけられたように、誰もが口を閉じて僕の歌に集中する。時々、サービスというか視線を意識して笑顔を向けると何故か揃って顔を赤らめてそっぽを向かれるんだけど、どうしてだろう?
『きれいなこえ』
『すてきなうた』
『げんきがでる』
『もっとききたい』
(あ、またこの声だ)
普通に生活しているときは何でもないけど、路上ライブをしている時、どういう訳か僕の頭の中に直接声が響いてくる。最近は異世界に来たせいで中二病が現実のものになったんじゃないかと戦々恐々している。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「どうも、ご静聴ありがとう御座いました」
決まり文句を言って一礼すると雷鳴のように鳴り響く拍手の嵐とおひねりの雨。
帽子の中には大量の銀貨と銅貨。物好きな貴族も来ているのか、金貨も少しだけ混じっている。
(うーん、本業は冒険者なんだけど副業で本業以上の収入が出るのもちょっと複雑かも)
勿論、このおひねりは全部自分のものにする訳じゃない。売り上げの半分はお小遣いにして残り半分は共通財産に充てる。
いっそのこと吟遊詩人になろうかな。アカペラだけじゃ飽きも来るし楽器も……いや、僕が演奏できる楽器と言えばピアノぐらいだ。中学の頃、フルートも少しやってたけどフルートはともかくピアノは路上でやるには都合悪い。
取り敢えずこの件は保留ってことにしておこう。
「へぇー。なかなかボロい商売してるじゃん」
周りの人に気付かれないようこっそり【ストレージ】に売上金をしまうと冒険者らしき格好をした三人組の女性が取り囲んできた。着込んでいる軽鎧は汚れや傷が目立っている。ただ一人、リーダー格と思われる女性は明らかに非実用的な金属鎧(後でバルドから聞いたけどビキニアーマーと言って見た目に反して高性能らしい)を着ている。
うっ、どうしよう……。どうして今日に限ってバルドと一緒に行動しなかったんだ、僕って奴は。
「けどね、生憎ここはアタシ等のシマなんだよ。アタイの許可もなしに商売をするのは関心しないねぇ」
「本来なら売り上げはぜーんぶ没収するところなんけど、こっちにも良心ってモンがあるからな」
「そーそー。なぁに、売り上げのほんの八割をアタシ等に上納するだけさ。そうすりゃ、アンタがここで下らない歌を披露しようと文句はねぇさ。なぁ?」
ぞくっとした。同時に軽い吐き気を覚える。
今まではバルドが側に居たからこういう手合いの連中もどうにかなっていた。だけど今、僕は完全に一人。つまり無力だ。
武器らしい武器と言えば護身用にと渡された耐久性重視のナイフが一本、腰にあるだけ。
当然、僕に武芸の心得がある筈もない。助けてくれる人はいないけど、それを薄情だとは思わない。誰だって、自分が痛い目に遭うのは嫌だから。
「聞き捨てならないわね」
と、僕を取り囲む女三人の間に割って入ってきた子がいた。ついさっきまで、腹ぺこで生き倒れていた人だ。
危ない……と、注意を促そうとしたけど、僕は思わず言葉を飲み込んだ。
ぶわっと、彼女の全身から噴き出る魔力の奔流。この世界に住む人は皆、魔力を持っている。特に魔術の使える者は普通の人より魔力を多く持っている……という話を聞いたことがある。
全身から噴き出た魔力は彼女の髪の毛を持ち上げ、周囲の人達に吹き付けるように抜ける。たったそれだけで、彼我の実力差ははっきりとした。
踏んではいけない虎の尻尾を踏んだことに気付いた彼女たちは魔力に中てられて脱兎の如く逃げようとする。だけど彼女の方がずっと早い。
動いた──そう思った頃には全てが終わっていた。彼女たちのやられ具合から察して、最初の人には背中に掌打(?)を打ち込み、二人目は腰に提げたナイフを投擲。最後は何かしらの魔術で攻撃……と言ったところか。
「ここはエルビスト王国最大の港町・カンドラ。この港町を治めているバンクス伯爵は吟遊詩人の活動を禁じてはいないわ。そして先のあなた達の行いは立派な恐喝よ。力のない、か弱い女性に手を挙げるなんて同じ女として恥ずかしいわ」
「あのぉ、僕男ですけど……」
そろ~っと手を挙げてそれとなく抗議するも、華麗にスルーされる。うぅ、異世界の女の子怖い。
そうしている間に騒ぎを聞きつけた警備員がやって来て、彼女が簡単に経緯を説明する。任意同行とかはない。こういう、軽犯罪の類はその場で沙汰を言い渡すのが常識。その裁量は基本的に裁く側のさじ加減一つ。なのであの人達がどうなるかは僕には分からない。
「全く……本当に下級区は治安が悪いわね。魔術が使えるからって勘違いする馬鹿も多いし……それよりあなた、大丈夫? 随分と怯えていたみたいだけど」
「あ、はい。僕は平気です」
軽く過去のトラウマを刺激されたけど、それ以外は平気なのは本当だしね。
「本当に大丈夫? さっきのお詫びも兼ねて家まで送るわよ」
「本当に大丈夫ですよ」
「そう。分かったわ。……でも下級区は本当に危ないから気をつけてね。私は大抵、休日には中級区の公園にいるから何かあったら遠慮なく頼ってね。素敵な眼をした可愛いお嬢さん」
「いえ、ですから僕は男です」
「えっ? …………あぁ、そう言えば、そうだったわね…………」
思い出したように、ばつの悪い表情を浮かべる騎士(?)の人。
この人は悪い人ではない。僕なりの人生経験でそれは保証できる。だけどこの人が助けてくれたのは僕を女の子だと勘違いしていたからだ。男だと知っていたら、きっと見捨てたに違いない。
……一度、ちゃんと男だって主張した筈なんだけどね。
(止めよう。考えても鬱になるだけだよっ)
ブンブンと頭を振って悪い考えを払拭する。それにそろそろ帰らないとバルドが先に宿屋で待っている、なんて事態になってしまう。
「それじゃ、僕はもう帰るから。それと、今日は助けてくれてありがとう御座いました」
串焼きを十本タダ食いした騎士のお姉さん──と、心の中で付け足しておく。面と向かって皮肉を言う度胸なんて僕にはありません。でも食べ物の恨みは覚えておきます。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
(うっ……何だったの今のは……)
去り際に、名前も知らない子に笑顔を向けられたとき、不覚にも胸の鼓動が一瞬跳ね上がった。
不思議な子だ。女と見間違う美貌で人当たりも良い。身なりからして冒険者であることは推察できる。そのわりには清潔感があるし、教養があるように見える。何より冒険者という、一攫千金を夢見て仕事をする人達は間違っても吟遊詩人の真似事をしたりしない。
(もう一度会えないかな……)
別に恋をした訳じゃない。それは断言しよう。ただまたあの歌声が聞きたいのは事実だ。笑顔にときめいたのは別に私だけじゃない。あんな素敵な笑顔を振りまかれたら誰だってああなる。
下級区には滅多に来ない私だけど、あの子に会う為なら下級区の広場に来るのも吝かではない。そんな思いを秘めながら私は帰路に付いた。