彼はアッチの人にもモテるようです
「……ッ、……っ! げほっ、ごほ……ッ!」
予告もなしに襲ってきた息苦しさと嘔吐感に咽せるように咳き込む。恥も外聞もなく、その場で蹲ると口から吐瀉物を吐き出す。
もの凄く息苦しい。だけど自分の意思ではどうすることもできず、そのまま吐き続ける。
「大丈夫ッスか兄貴?!」「カオルちゃん大丈夫?!」
二人が同時に駆け寄り、背中をさする。咳き込みながら辛うじて呼吸を整える。
「うぅ……気持ち悪い……」
「海水を飲んだせいね。気を失ってたお陰で沢山飲むようなことがなかったのは救いね」
お嬢様の言葉に短く答えて頷く。海水って飲み過ぎると死んじゃうって話を何かで聞いた気がする。そもそも海水って塩分濃度が高いから危険なんだけどね。
「えっと、ここは……?」
ようやく人心地が付いたところで辺りを見渡す余裕が生まれる。
場所は早朝、皆で集まった埠頭。太陽の位置と陽射しの具合からして夕方前だと思う。
「スクイドっていう魔物に襲われて舟を壊されて海に放り出されたんだけど、カオルちゃん覚えてない?」
「えっと、海に放り出されて巨大なイカに飲み込まれてどうにかしたのは覚え『どうにかした!?』わひゃあっ!」
ち、近い! 顔が近いよお嬢様……ッ! あと濡れてるせいで色々透けて見えちゃってるよ!
僕も男だ。見ちゃいけないと分かってはいても、どうしても目がそっちの方に言ってしまう。
鎧を脱いだインナー姿のお嬢様の体格は一言で言えばスレンダーだ。肌に張り付いたインナーは大量に含んだ海水でうっすらと瑞々しい肌を透かしている。鎧の上からじゃ全然分からなかったけどお嬢様、結構胸大きいんだ。
「…………」
それだけ僕には扇情的だ。それに拍車を掛けるように水分を含んだ毛先からポタ、ポタ……と、雫が滴れ落ちて肩を、鎖骨を、太股をなぞる。
「カオルちゃん、何見てるの……?」
「へっ? あぁ、ゴメン! ジロジロ見過ぎだよね!?」
流石に白昼堂々と女の子の身体を視姦するのはマナー違反だ。そうだと分かってはいても、やっぱりこういうのってなかなか抑えられない。普段は僕がバルドにそれとなく注意をする立場なのに……うぅ、反省。
「兄貴もやっぱり男ッスね。正直そっちの気がないかと思って心配してたッス」
「バ、バルド? 僕だって健全な男だよ? 女の子の身体に興味がないなんて言えるほど大人じゃないよ。あぁお嬢様、別に僕がエッチな男の子って訳じゃなくて、あのその……」
て、僕は一体何に対して言い訳してるの!?
「そ、それより! こうしてカンドラに戻った訳だし僕としては一度冒険者ギルドに立ち寄って集めた素材を売りたいんだけどいいかな!?」
少し強引だけど話を打ち切って目的を果たすことを提案する。お嬢様も必要以上に突く性格ではなかったみたいで許可を出してくれた。
「ギルドに行くのは構わないッスけど兄貴、その格好で行くんスか?」
「格好? ……あ」
忘れてた。僕って今メイド服を着ていたんだ。流石にこの格好のままギルドへ立ち入るのは僕でもどうかと思う。
手頃な物影に隠れて【ストレージ】から予備の服と一緒に下着も出して着替える。髪の毛だけは海水でべたついているけど、それは仕方のないことだ。
バルドと一緒にギルドへ入るとホールは普段と比べて閑散としていた。この時間なら仕事を終えた冒険者たちで賑わっている筈なんだけど……。
「何かあったのかな?」
「さぁ? 遠征にでも出掛けているんじゃないッスか?」
遠征……。それってつまり魔物の群れが近づいているってことかな?
カンドラは結界都市だからある程度の魔物侵攻なら大丈夫だけど、外壁はその限りじゃない。心配しても解決にならないって分かっていても、心配してしまうのは僕の性分だ。
「兄貴、報酬を貰った後はどうするッスか? 自分はメシ食いたい気分ッスけど」
「そうだね。丁度僕もお腹空いたし、ご飯にしようか」
数時間前に食事をしたけど、僕もバルドもあれはおやつでしかない。
ご飯は山盛りにしてガツガツ食べる! これに尽きるね!
……でもその為にはまずは精算しないとね。
「こんばんわ、ウルゲンさん」
「おう。シーサーペントの討伐に出掛けたって聞いていたけど無事みたいだな」
「はい。バルドを初めとした優秀な人達に巡り合えたお陰です」
何だかんだでバルドのレベルはもう三十に到達している。普通、こんな短期間にレベルが大幅に上がることはない。恐るべし、【パーティー獲得経験値三倍】スキル。
(その恩恵が少しでも僕に分け与えられたらいいのに)
無い袖を振っていると分かっていても、そう願ってしまうのは人間の性かも知れない。
「それで、素材の買い取りをして欲しいのですが結構な量なんですが大丈夫ですか?」
「分かった。まずはいつも通り倉庫の方に来てくれ」
例によって例の如く、僕達はあまり使われない倉庫まで移動して、【ストレージ】に溜め込んだ素材を一気に放出する。質も量も、過去最大級なのは言うまでもない。
素材報酬もそうだけど、ウルゲンさんを驚かせたのは記録符術に残された魔物討伐の記録。
「スクイドの討伐記録が残っているだと?」
「スク……それってあの巨大なイカのことですか?」
「イカが何なのか知らないが、多分それだ。……記録符術を視た限りお前さんが倒したみたいだが、どうやって倒した? こう言っては何だが、お前のような存在がスクイドを倒したというのは異常事態だ」
「それは自分も気になってたッス。兄貴、どんな手品使ったんスか?」
「えっと、食べられた瞬間に取り置きしておいた大きな岩を一気に放出しただけだけど?」
こんな説明じゃ要領を得ないのは百も承知している。だけど実際問題、これ以外の説明のしようがないから仕方ない。
「そう、か……。まぁ記録符術にデータが残っている以上、お前が倒したってのは事実だろうな。欲を言えば討伐証明部位、最悪身体の一部でも良いから提出して欲しいところではあるが……いや、そうだとしてもスクイドの討伐報酬を出すのは難しいかも知れない」
「兄貴がFランク冒険者だからか?」
「それもある。だがお前のリーダーは目立つのが嫌いなんだろう? 組織に身を置く人間としてはそのことを報告する以上、私情を挟む訳にはいかなくなる。その辺を差し引いたとしてもレベル一の人間がスクイドを討伐したなんて話、常識で考えなくても信用されないのがオチだ。仮に信用されたとしても今度は冒険者たちの注目の的……いや、その程度で済めばいいが煩わしい勧誘や引き抜き、強引な手段に出る輩のことも考えなきゃならない。討伐報酬を出すのが難しいと言ったのはそういう意味だ」
「そう、ですか……」
そうだよね。ウルゲンさんは良い人だけど冒険者ギルドの職員でもあるんだ。多少のことは個人の酌量で便宜を図れるけど、今回の件は組織に身を置く人間としての判断が求められる。穏便に済ませるとするなら僕がスクイドを討伐したというのは伏せた方がいいかも知れない。
それなら僕達はスクイドを目撃したという情報を提供するだけに留めるか? いや、スクイドが見つからなかった場合は僕達が嘘つき呼ばわりされる可能性が出てくる。一匹だけとは考えにくいけど、一匹しかいない可能性もある訳で……。
「まぁ、目撃情報として報告する分には問題ないさ。未確定情報として処理しておけばいいし、発見されなければ相手の見間違いとして処理するさ」
「分かりました」
多分これは、ウルゲンさん個人に出来る最大限の協力。だから僕も素直に頷き、そのまま精算の話に移る。
買い取り金額はちょっと色が付いて金貨二十六枚と銀貨八十枚になった。それでもまだ、足りない。実質、明日が最終日と考えた方がいいかも知れない。
さっきまではスクイドの討伐報酬が出るかも、とか考えていたけど急に食欲がなくなってきた。それでもお腹は正直に空腹を訴えてくるのが恨めしい。
(どうしよう。本当どうしよう……)
人が少ないのを良いことに、テーブル席を陣取って頭を抱える。このままじゃ僕の身に降り掛かるのは死だ。勢いで約束したけど、冷静になってみるととんでもない約束だ。今後のことを考えるなら反省すべきだ。いや、そもそも今後があるかどうか……。
「兄貴、何か食いたいモンあるッスか? 今日は自分の稼ぎから出すッスから遠慮しないで下さい」
「うん。任せる」
ご飯食べて全てを忘れたいけど、それって結局ただの現実逃避なんだよね。嗚呼、どうにかしたいのにどうしようもない。もういっそお嬢様を拝み倒してお金を借りる? それとも完徹して一縷の望みを賭ける?
そうやってどのぐらい頭を抱えていただろうか。いい加減運ばれてきた料理に手を付けるべきだと思った僕はご飯を食べる為に俯いていた視線を上げると、いつの間にか身綺麗な女性が僕の対面に座っていた。
歳の頃は三十前半。ウェーブの掛かったプラチナブロンドにピカピカに下ろしたてたような真っ白なローブに身を包んでいることから高貴な魔術師だと推測できる。というかこの人、なんでわざわざ空いている席じゃなくて僕たちの席に?
「こんばんわ」
「あ、はい。こんばんわ……」
挨拶されたので反射的に返事を返す。目線でバルドに問いかけると肩を竦め、チーズと肉厚ベーコンを挟んだバケットをむしゃむしゃと食べる。僕が落ち込んでいる間に二人の間で何があったのか分からないけど、バルドは空気のように扱うことにしたようだ。
「あの、僕に何か……?」
正直、女性の冒険者にはあまり良い思いをしていない。冒険者に限らず、この国(というか世界?)はレベルが高ければ偉いって風潮が蔓延っている。だから必然、低レベルの多い男性冒険者というのは見下される節がある。
「Fランク冒険者のカオル殿ですね?」
「はい」
なんでこの人、僕のランク知っている……あぁ、きっと僕が採取依頼ばかり受けているのを見ているから、そこから推理したんだろうな。
「初めまして。ギルド関係者のエカテリーナと申します。以後、お見知りおきを」
「最上薰です。こちら風に名乗りをあげるならカオル・モガミとなりますが」
「こちら風? カオル殿は異国の方ですか?」
「えぇ。日本という、遠くにある小さな島国から来ました」
僕の場合、下手に嘘を吐けばボロが出るので真実のみで誤魔化すことにしている。遠くにある小さな島国とか言っておけば嘘を吐いた時に現れる不自然さが出ないし、遠い国となれば裏も取りにくいだろうという考えもある。
「ニホン……なるほど。道理で……」
「? あの、何か……」
「いえ。ただの独り言です。気になさらないで下さい」
花が咲いたような笑みで答えるエカテリーナさん。うぅん、なんか上手くはぐらかされた気がする。
「あの、エカテリーナさんは僕に何か用事でも?」
「ふふっ、緊張しなくても結構ですよ。ただちょっと、評判の良い冒険者が居ると小耳に挟みましたので興味本位でこうして尋ねて来ただけです」
「評判?」
「えぇ。聞けばカオル殿はバルド殿が受ける討伐依頼と一緒に採取依頼も受けるそうですね。それ自体は特別なことではありません。ランクが低いうちはそのように依頼を受けて日銭を稼ごうとする冒険者が多いのも事実。ですが、採取依頼で納品される依頼の品はあまり良い状態とは言えません。勿論、使い物にならない代物は買い取り不可としますがそれでも錬金術師の方々からすればお金を払って粗悪品を買わされたようなものです。その点、カオル殿の仕事ぶりは大変素晴らしいです。気になってここ数ヶ月間の仕事ぶりを調べさせて貰いましたが百点を与えても良いぐらい素晴らしいものでした。状態は勿論、高品質の素材を見抜く観察力と確かな仕事ぶり。そして人当たり。特に最近依頼として出したバカラの角の納品はギルド側でも少々話題になるくらいの仕事ぶりでした。実際、多くの錬金術師たちが今後も採取依頼はカオル殿にお願いしたいとギルドの方でも問い合わせが殺到しているんですよ?」
「いえ、その……。僕は当たり前のことをしているだけですから……」
自分が褒められたことよりも、冒険者の雑な仕事ぶりに驚いた。
お金を貰っている以上、仕事に手を抜かないのは社会常識だ。例え片手間で受けた依頼であったとしても、真剣に取り組むのは当然の責務だから。
(ひょっとして、それを言う為に僕達のところに来たのかな?)
一瞬だけそれを考えたけど流石にそれは自意識過剰だよね。仮にそうだとしても一言で済むような労いをわざわざ長話にしてまで褒める訳がない。
「そんなカオル殿にある高名な錬金術師から指名依頼が来てます」
「指名依頼……」
どうしよう……。いつものように討伐のついでにやる採取のように同時並行ができる状況じゃないって言うのに。
「あの、済みません。僕達は今シーサーペントの緊急討伐依頼に参加中なので今すぐ依頼を受けることは出来ません」
「えぇ。それについてはギルドの方でも把握しております。ですが、断るにしてもお話を聞いてからでも遅くはないと思います」
それに──と、悪戯っ子のような笑みを向けながら人差し指を立てる。人によってはあざとく見える仕草だけど、美人がやると様になるよね。
「これはカオル殿にとっても、悪い話ではありません。もっとも、全てはカオル殿の覚悟一つ、ですけどね」
「僕の覚悟?」
それってどういう意味?
「会うのは食べ終えてからで結構です。食事が済み次第、ウルゲンに声を掛けて下さい。話は通してありますので。……では、失礼します」
座ったまま、頭を下げたその人は音を立てず静かに立ち上がるとやっぱり足音一つ立てず奥の通路へ歩いて行く。
ギルドの職員、とか言っていたけど、少なくとも只者じゃないのは間違いない。僕だってそれなりの冒険者としての経験がある。このフロアは歩くだけで床が軋みを立てる。それをあの人は音を立てることなく歩いて見せた。
(まぁでも、単純に話題に上がった冒険者がどんな人なのか興味があったっていうのは嘘じゃないと思うけど)
ただなんで、バルドじゃなくて僕なのかって言うのは気になる。普通冒険者と言えば腕っ節に物を言わせて成り上がる人間に注目するようなところ……だと思う。だから僕がどんなことをしても目立つことはないと思っていたんだけど、うーん……。
「で、どうするんスか兄貴?」
いつの間にか目の前に大皿の山を築き上げたバルドが話を振ってくる。ついさっき、女性と話し出した時には漫画みたいな大きな骨付き肉が何本もあった筈。
……バルド、がつがつ食べるのはいいけど早食いは感心しないよ。
「一応、話だけは聞いてみるよ。お嬢様と合流するまでまだ時間はあるから」
ギルドに寄る前、討伐本部を覗いてみたけどとても慌ただしかった。多分、無理を言って舟を出すのは無理だろう。スクイドを警戒しているのか、他の魔物を警戒しているのか僕には判断が付かないけど。
すっかり冷めた料理を書き込むように胃袋に詰め込んで、代金を払ってウルゲンさんの元へ向かう。話は付いているようで何かを言うまでもなく、ウルゲンさん言葉短く『付いてこい』とだけ告げる。
(ギルドの奥って入るのは始めてだ)
僕が活用する場所ってせいぜい受付とか食堂とか資料室とか、そのぐらいだ。訓練室は利用したことがない。レベルの上がらない僕でも一応、剣ぐらいは握るけど素振りで充分だし、主力武器のボウガンは殆ど実戦で磨いたようなものだ。
「なんか凄い入り組んでいるけど、移動しづらくない?」
「何処もそうだがギルド舘は有事の際に籠城できるようになっている。多少の不憫さは目を瞑ってもらいたい」
道中、暇なのでウルゲンさんに話しかけたらそう答えてきた。
程なくして目的の部屋に到着する僕達。上等なソファーの上に座っている依頼人と思しき人は男だ。それもシミ一つ無い白衣を着た二十代半ばぐらいの男性。錬金術師って聞いていたからもっと小汚い服を着ていると勘違いしていたけど、これはアレだね。サイエンティストっぽい格好だ。これが標準かどうかは別だけど。
「初めましてカオル君。カンドラの中級区でウェストウッドというお店を構えています。錬金術師のリシャルド・ドメーヌです」
名乗りながらステータスを可視状態にするリシャルドさん。
名前:リシャルド・ドメーヌ
職業:錬金術師
レベル:13
称号:上級薬師 下級霊薬師
特殊:なし
・アクティブスキル
【下級薬調合Lv10】【中級薬調合Lv10】【上級薬調合Lv10】
【下級霊薬調合Lv5】【耐性薬調合Lv5】
・パッシブスキル
【調合率上昇・中】【品質向上・中】【毒耐性】【麻痺耐性】
冒険者に限らず、自分のステータスを開示するという行為は信頼を得る為の手段だ。その場合、こちらも情報を開示するのが礼儀だとギルドに登録したときウルゲンさんに教えられた、けど──
(スキル開示はやり過ぎなんじゃ……)
冒険者でなくてもスキルは即飯のタネに繋がる。それをわざわざ公開したということは僕達の敵ではないこと、本気で僕達を信用していることの現れと見るべきか。
「冒険者のカオル・モガミです。こちらは相棒のバルドです」
その場で軽く会釈して自己紹介しながらステータス画面を開く。そして目を見開いた。
大部分のステータスは変わっていない。変わっているのはスキル欄と称号だ。
称号:学生 男の娘 食い道楽者 生涯弱者 お人好し
New!海獣殺し New!逆境
・パッシブスキル
【性別詐欺・極】【ナイスバディ】【異世界補正・弱】【心理学】【採取名人】
【無成長】【トラウマ】【パーティー獲得経験値三倍】【スキル最短習得】【???】New!【水精霊王の加護】
称号欄にあった下克上が逆境に変化している。加えて海獣殺しなる物騒な称号まで。正直要らない。
それよりも【水精霊王の加護】というスキルの方が気になる。こればかりは思い当たる節がない。補足するとこの部分だけ、黒色じゃなくて灰色になってる。
……これ、スキル情報まで公開設定していたら大変なことになっていたな。
「驚きました……。採取専門の冒険者と聞いてましたがそのレベルで魔物殺しの称号持ちとは……。同じ男として憧れますね。ふふっ」
「………………」
何だろうこの感じ。この人とは間違いなく初対面の筈なのに、こう……嫌な予感がひしひしと胸中で渦巻いているのは。
「僕個人のことより、リシャルドさん。依頼についてのことですが僕達は現在、別件の依頼を受けていますので内容によっては受ける時期が大幅に遅れてしまうのですが……」
「ふふっ、カオル君は慎重ですね。でも、心配しないで下さい。指名依頼はあくまで方便ですから」
「方便、ですか……」
ますます意味が分からない。そして何故か過去のトラウマがスキップしてくる気配を感じる。この人、本当に何をやらせたいというんだ。
「具体的なことを言いますと、カオル君……いえ、お二人はパーティーを組んでいますから二人にお願いするという形になりますね。単刀直入に申しますと、君達は僕の専属になって欲しいのです」
そう切り出して、リシャルドさんは説明を始める。
説明と言ってもそれはエカテリーナさんが話した内容とそう変わらない。要は手堅い仕事をする僕達と契約を結びたいってこと。基本、錬金術師が調合に必要な材料を入手する手段は自力で採取するかギルドに依頼するか、或いは冒険者と直接話を付けるかの三つに分けられる。
リシャルドさんの戦闘力では一番目は除外。必然、二番目か三番目になる。二番目の場合、ギルドを介入する分、手数料が発生する。冒険者と直接取引する場合、トラブルが起きやすくその場合は自己責任になる。
「カオル君の仕事振りは依頼の品を通じて観察させてもらいましたが、問題ないと判断して今回の話になりました。それに僕の見立てではカオル君は安定した収入に強い魅力を感じる人のように思えますが?」
この人、的確な読みをしている。
彼の言う通り、この話は凄く魅力的だ。通常の採取依頼より多めにお金を貰えるところがいい。だけど僕の身の上のことを考えるなら、契約を結ぶことによって生じる拘束がまずい。
「リシャルドさんのお話は嬉しいのですが、お引き受けすることは出来ません」
「ふむ……。それは外壁の奴隷と関係していますか?」
「……っ!?」
この人、なんで藤堂さんのことを知っているんだ?!
思わず反射的に数歩下がり、それを見たバルドが僕を庇うように前に出て得物に手を掛けて、それをウルゲンさんが制する。
「バルド、ギルド内で抜剣は違反だ。流石の俺でも庇いきれない」
「チッ」
「そうですよ。それに二人とも、そんなに警戒しなくてもいいですよ」
「こっちの事情を知っている人が言っても説得力なんてありませんよ」
「もっともな意見ですね。ですがカオル君、僕の調べた限りでは目標額に手が届いてないように思えますが?」
ニヤニヤと、気味の悪い笑みを浮かべるリシャルドさん。正直、今すぐにでも逃げ出したいと叫ぶ理性とは別に、冒険者として培ってきた直感が逃げるなと告げている。
「契約を結んでくれたら残りの金額を僕が負担すると言ったら、どうします?」
「ありがたい話ですけど、そちらにメリットがあるように感じられません。それに僕達はいずれ国外へ旅立ちます。そんな冒険者と契約をしても意味がないと思いますが?」
美味しい話には必ず裏がある。その程度の良識は僕でも持ち合わせている。
現在、藤堂さんの身請けの為にかき集めた資金は金貨四十枚と銀貨八十枚。ゴールドに直すと四百八万になる。これに対してリシャルドさんが負担する金額は五百二十万ゴールド。そんな大金を捻出できるのかという疑問もあるけど、そもそもそんな大金を出してまで彼が僕達に何を求めるのか。
(いや、でも待って。さっきからこの人、僕を値踏みというか玩具を見るような目で見ているけど……もしかしてこの人って……)
こちら……というか僕を舐め回すようなねっとりとした視線。薄い笑み。微かに感じる欲情の気配。
…………あぁ、うん。間違いない。僕の嫌な経験則がハッキリそうだと告げている。
「リシャルドさん」
「何ですか?」
「貴方もしかして、男色ですか?」
「嬉しいなぁ。僕の趣味を見抜いてくれるなんて。ひょっとしてカオル君も僕と同じ『僕はノーマルです』……そうですか。それはそれで残念ですね」
ハッキリと否定したにも関わらず諦めた様子のないリシャルドさん──いや、この人はもう呼び捨てでいいや。
「まっ、それはそれとしてそろそろ真面目な話をしましょうか」
ただ、空気を読むことができるという点だけは素直に評価してもいい。これで空気の読めない人間だったら、間違いなく僕は場の流れを無視して逃げていたに違いない。
「僕が得られるメリットについてはもう説明不要でしょう。ノーマルである君が嫌がっているのは雰囲気で分かりますし、僕としても嫌がっている子を無理矢理食べる趣味はありません。せいぜいセクハラする程度ですね。あぁそんな目で睨まないで下さい、ゾクゾクしちゃいますから。それにまだ話の途中ですから睨まない、睨まない。調べた限り、カオル君はトウドーハルカなる人物にご執心ようですね。それ自体は別に構いませんが随分と無謀な取り決めをしたそうじゃないですか。君だってその歳で自分の人生を終わらせたくはないでしょう? ならここは一つ、大人の対応って奴をして彼女を救い出すのが最上策だと僕は思います。あぁ、お金のことなら心配しなくても結構です。僕のお店の顧客はBランクからAランクの冒険者に加えて子爵以上の貴族が中心です。残りの金額と言わずとも金貨百枚ぐらいポケットマネーから捻出できるぐらいには裕福ですよ。さっ、どうします?」
うぅ……この人交渉のやり口が汚い。
こっちの事情を全て知った上で遠回しに断ることで発生するリスクをわざわざ口頭で説明した上でメリットを提示してくるなんて……。
勘違いしないで欲しい。僕は別に同性愛を否定したりはしない。ただ自分が対象にされるのが嫌なだけだ。
(この人の言うことに嘘はないとは思うけど……)
男に強姦された過去を持つせいで、どうしても警戒してしまう。最初にリシャルドさんから感じた舐め回すような視線は感じず、一人の依頼人として僕を見ている。
エカテリーナさんの言う通り、覚悟を決めるしかないのか……。
「……ちょっと、考えさせて下さい」
過去のトラウマもあるけど、自身の安全を考えれば引き受けるのがベストだと分かっている。僕の身柄と引き替えに自由になっても藤堂さんが喜ばないことも重々理解している。
だけどやっぱり即断できるほど僕のメンタルは強くない。大事なことだからこそ、よく考えた上で結論を出さなきゃいけない。
「あなたの言うことは理解できます。それでもやっぱりすぐには受け入れられないことなので……」
「ま、普通の人なら当然の反応ですね。ですが僕としても優秀な冒険者を侍らせ──げふんげふん! 雇用しておきたいのは本音です。ですから、色好い返事がもらえるように条件だけ提示しておきましょう」
……今なんか聞き捨てならない台詞が聞こえたような気がするんだけど。
「ただの専属契約でしたら毎週、マギの根とキセラ草を十組納品して下さい。週毎に支払う報酬は銀貨五十枚。契約の更新は月初毎にする形で。僕からお金を借りる場合は……そうですね、半年ほど住み込みのアルバイトでもしてもらいましょうか。採取は勿論ですが調合や店の手伝いもしてもらいます。えぇ、それはもう手取り足取り……ふふっ」
ヤバイ。この人は本当にヤバイ。絶対金を借りるという最悪の選択肢は回避すべきだ。
……僕って本当、ろくでもない男と知り合うな。あっ、バルドやウルゲンさんは別だからねっ!
「行こう、バルド」
結局、その場では保留という形で僕達はリシャルドさんの居る部屋から出て行った。
このまま何事もなくお嬢様と合流して、あわよくば討伐に出られる。それならどれだけ簡単なことか。事態は僕が思っていたよりも厄介なことになっていた。




