2、私と眼鏡の歴史について
私は眼鏡は嫌いではない
むしろ好きだ。
今みたいにオシャレな眼鏡があまりなくて、眼鏡をかけている人たちは
真面目そうとか暗そうとかそんな偏見とも思える色眼鏡で見られている時代もあって、
眼鏡をかけている自分達は格好悪いとか、ダサいとかコンプレックスを抱いてしまっている時代から、私は眼鏡が好きだった。
といっても幼少期の私は目が悪いわけではなく、むしろ視力には格段の自信を持っていて、視力検査では見えすぎるくらいの測定値を出していた。
だから、眼鏡やコンタクトレンズとは無縁の学生生活だったというのが事実だけど。
思春期に入ったころ、確か小学校を卒業する直前の話だ。
クラスの仲良しグループと友達の家で遊んでいて、ふざけ半分にその家にあった伊達眼鏡をかけたその顔をグループのみんななに見せた。
ドクタースランプみたいな眼鏡だったと思う。そういう時代の眼鏡だ。
過半数は笑ったり、「その顔、超マジメっぽい。なんかダサーイ」と否定した
でも、たった一人、康之クンだけは
「アレーー、マッチャン(注・私のあだ名)眼鏡似合うーー。なんだか変装して顔を隠した芸能人みたい」
と私を褒めてくれた。
康之クン、クラスで一番目立っていてファンも多かった。私の初恋の相手だ。
いつもは私の事をどちらかというと避けている風に思っていた男の子が、
褒めてくれたもんだから、それで妙に自信付いちゃって、その頃から私は眼鏡が似合うと勝手に思い込んでいた。
今では「眼鏡女子」とか「眼鏡男子」とか
眼鏡をかけている人たちを格好よくいう代名詞があるけれど、そんな代名詞が生まれる遥か昔から私は自分が「眼鏡女子」だと思っている。
眼鏡はあくまでもファッションの一つだと思っていた。
もちろんその時かけていたのは伊達眼鏡だ。
度の入った眼鏡をかけるようになったのは社会人になってからだ。
急に視力が落ちた。
前ははっきり見えていたものがぼやけて見えるようになった。
運転免許を取るときに
「これじゃ不安だな」って自分で思ったので、その時初めて度の入った眼鏡を作った。
でも、メガネ屋さんは
「眼鏡作らなくても大丈夫じゃないですか?別に視力悪くないですよ」
って、不思議そうな顔をした。
いやいや、ぼやけるんだよ。視界が。
疲れるんだよ。眼が。
その時対応してくれた販売員にもっと知識があって、もしかしてその時に乱視だということがわかっていたら、私の眼鏡人生はまた違ったものだったかもしれない。
なんていまさら言うのも遅い。何事も初めが肝心。
そんなこんなで、運転中と、仕事の時にたまにオシャレ程度に眼鏡を気まぐれにかけ始めた。グラスコードなんかもぶら下げて
「えっちな秘書みたいでしょ」
なんて、社内で言って殿方の受けを狙った。
男性陣は「お、眼鏡、似合うねーーー。今晩その眼鏡かけたまま、銀座あたりをデートしない?」
なんて鼻の下を伸ばしながら言ったものだ。自分が思っていた以上に眼鏡顔は支持を得た。
そうして眼鏡と裸眼と気まぐれに使い分け、あくまでも眼鏡はオシャレのひとつ位に思っていなかった20代前半だったが、世にウィンドウズ95というものが出回り、パソコンをいじるのが日常茶飯事になったあたりから、今まで以上に目を酷使するようになり、目が疲れてきて、眼鏡が無いと完全にアウトな生活になった。
裸眼では物が見えなくなった。とにかく目が疲れる。
そして、”殆どはは裸眼だけど気が向いたときだけ眼鏡をかける”という生活から、
”常時眼鏡装用で気が向いたときだけコンタクト”の生活に移り変わった。
コンタクトはコンタクトで結構面白い。
たまに色のついたコンタクトとかもした。
今ではカラコンも市民権を得て、色々な種類が豊富にあって、サークルレンズとか言い方も変わってきたけど、昔のカラコンは
例えば「青」のコンタクトをつけたら視界は「青」に見えたし
「黄色」をつけたら視界は「黄色」にみえたりと、色付きの生活になったものだ。
もっぱら私は「紫色」の世界で生活していたが、今考えるとそんなカラコンしている奴、今はあまり見ない。
今は自分の目の大きさを大きく見せるために目のふちに輪のある「サークルレンズ」が人気を得ていて、勿論私も使わせていただいている。
でも、乱視の方が強いというのがわかったから、もうサークルレンズも今までみたいに頻繁に使えないかもな。乱視用カラコンが出回っているって、そんな情報、まだ、聞かないもの。