小さなバトン
「ああああああっ、ヴァアアアア!」
私が我に帰ったのは鰯の尋常ならぬ叫び声のおかげだった。
鳩屋がため息をつくが、鰯はそれに今度は反応することなく、床で転げまわっている。
「ああ……。嫌だっ、僕がなんで、体がっ、凍って……!」
見ると肩から肘に向かって完全に凍っているようだった。
鰯は号泣しながら体を動かすが、なぜか片足を引きずっており立ち上がれない様子だ。
(まさか、足も……)
鰯の足はかかとの部分が全く動いていない。
肩のように膝まで真っ白に細かな霜に覆われている。
(なんで、自分を凍らせているの?)
そして、鰯が泣きじゃくるほどに凍っている部分が増えているように見える。
「嫌だ、嫌だ、嫌だっ。た、助けてっ。嫌だよぅ、凍りたくないぃっ。僕を助けろよぅ。すぐに、今すぐっ!助けろっていってんだろーっ!」
「残念ながら手遅れだ」
錯乱している鰯に対して鳩屋が残酷に告げる。
「ふっ、うっぐぐっ」
鰯はその言葉に顔を赤黒く一瞬で怒りに歪めたかと思うとすぐさま気絶した。
「やれやれ、やっと大人しくなったか」
気絶した鰯に鳩屋は首のストールをとると素早く拘束するように巻きつけた。
「あーあ、これ結構高かったんだぞ、ありがたく思え」と鰯に言った後、腰に手をあてて私を振り返る。
「じゃ、帰るか」
鳩屋が倉庫の扉を閉めて鍵をかける。
あたりはもうすっかり真っ暗で人気もなくなっていた。
落ち着かなくて辺りを見回す私に鳩屋はあっけらかんと声をかけてくる。
「これでよし、と。鰯は足が早いなんていうが、しばらくは大丈夫だろ」
「ねえ、鳩屋。あの人、大丈夫なの?」
「あ?大丈夫かって?あいつのことか?」
私がこくりとうなづくと鳩屋は頭をかいて困惑顔をした。
「大丈夫、だろう。命に別状はないし。そんなにあいつのことが気になるのか?」
「ううん」
本当は、もっと色々なことを鳩屋に問いただしたかったが、悲しいことに私の頭は混乱していたので聞く気にはなれなかった。
送っていってくれるというので、車を駐車してあるという所につくと、レトロな感じのクリーム色をした艶々した車を発見した。
まさかとは思ったが、本当に鳩屋の車だった。車のてっぺんにいつぞやのサーフボードがくくってある。
「車?」
「だといったろう?ボードをさすがにバイクじゃ運べないだろ」
ヤツの言うことはもっともだったが、彼の風貌とこのレトロな車とのミスマッチ感が激しくて私の脳内ではいつの間にか車がバイクに変換されていた。赤い髪とこのクラシックでアンティークな車とのイメージが全くといっていいほど合わない。そもライダースーツと車って合わない。
「じゃあなんでライダースーツ(それも一体型)着てきたのよ」
「うるさいな、そういう日もあるだろ」
どういう日なんだ、と思ったら鳩屋はライダースーツのジッパーを下げ出した。
「おいやめろ、乙女の御前であるぞ」
「は?なんか言ったか?」
ライダースーツの上半分だけ脱いで腕の部分を結わえた鳩屋は、淡いブルーのワイシャツ姿でぱっと見は黒のパンツをはいたバーテンダーみたいな雰囲気に早変わりしていた。
「この、おしゃれ怪人め」
「ふっ、当たり前すぎてうれしくもないぜ」
私の苦々しい表情にも堪えることはなく、鳩屋は髪をかきあげて言い切った。
鳩屋の車に乗り込むとさっきのことが思い出されてようやくあの質問をすることができた。
「鳩屋ってさ、火使えたんだ」
「? おう」
「どうして、今まで黙ってたの?」
「ん……。お前が、知る必要がなかったからな。俺とお前は住んでいる世界が違うし、それを知ったところでお前は、俺と同じになることはない」
そこまでいうと鳩屋はシートベルトをつけ終わり、車のエンジンをかけた。
レトロに見えた車は、けっこうハイテクらしくクッションの効いたタイヤが砂利の上をスムーズに走り出す。音響設備も整っていて、ボサノバジャズなんぞを生意気にも流しはじめた。
「ジャズ……」
鳩屋は絶対ブラックメタルとか聞いていると思っていた。
「なんだよ、人の趣味にケチつけようってのか?」
「ジャズ、それもボサノバ調のジャズ。メタルでパンクに決めている輩がここにきてボサノバジャズ。圧倒的に似合わない」
「臨機応変ってやつだよ。海に来てボサノバを聞くなんて自然の流れだろ?それに俺はボサノバも、ジャズも、パンクも似合う。イケてる男だからな。何でも似合ってしまうんだ、悪いな」
車は海岸沿いを走り、途中自動販売機の前で止まった。
私はなんでもいいといったので彼は二人分のココアを買ってきて車内で飲み始めた。
「ニガ……」
乙女にココアを買ってきてくれるなんてちょっと気が利いているじゃないかと関心した私がバカだった。そういえばコイツ、初対面でもブラックコーヒーを有無を言わさず飲ませやがったなと思いながらココアを見ると「純粋ココア~砂糖ゼロ!本物のカカオの香りをお楽しみください~」と書いてある。牛乳の甘みだけでこの苦さをなんとかしろというのか?鳩屋をみると窓を少し開けてココアを飲みながらふぅーと満足そうに息をついていた。まぁ、確かに?すんごい香り高いけれども。のどごしがどことなく高級感をまとっているけれども。砂糖ぐらい入れてくれよ、さすがに!
「鳩屋」
「なんだ?」
「どうして私には火のこと、何も教えてくれなかったの?死ぬかもしれないって、ああいうことだったの?」
「その話か……」
あの状況をみていれば、そう考えるよな。と鳩屋はため息をつく。
「でもな、だからって今すぐにでもお前がそうなるという訳じゃない。だから、前にも言っただろう?お前のその能力を、使わなければいいんだと」
「うん」
「お前は、その能力を使って何かしようって訳じゃない。必要だって、このライター一本あれば事足りる」
私の手に鳩屋が放ってきたのはジッポと呼ばれる銀でできたライターだった。
不死鳥のレリーフがついていてゴッツイ。
「それ、やるよ。だから、お前の火はもう使うな」
「……」
車内には車のエンジン音と、タイヤが砂をはじく音と荒波の音が響く。
「鳩屋の火、これにつけてよ」
「なにいってんだ、それにつけても」
「そしたらもう、使わないからさ」
私的にはもう一度鳩屋の火を見たかったから出た言葉だったが、鳩屋は黙り込んでしまった。
もしかして地雷だったかもしれない。鳩屋は自分の火が嫌いなのだろうか。私にも言うように、自分もあまり使おうとしていないみたいだし。
「貸せ」
鳩屋がライターを乱暴に受け取り、ボッと当たり前のように火はついた。
火打ち石の音はなかった。私はそうっと火のついたライターを受け取った。
「これで満足だろ」
「うん」
私が火傷しそうになるまでその小さな火は明るく燃え続けた。
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