リエット・ガスタールは愚痴っている
巷ではある物語が人気を博している。
家族に虐げられながらも家政のみならず経営も担っていた令嬢。
その令嬢には婚約者がいたが、愛嬌の良い姉妹に心変わりをする。
婚約者の挿げ替えが行われたが、その披露の場で令嬢が行っていたことが暴露され、高位貴族の男性に見初められて嫁ぎ家は没落するか、はたまた家から出ていき独り立ちをする、というものだ。
女性の自立心を推奨しているのか、それとも守られるのではなく共に歩むことを称賛しているのかは分からない。
しかしこの物語は、虐げられた女性が家族を見返すことで得られる満足感を読者が味わえることで人気となった。
「下らないお話ね。作者は領地経営のことも何もかも分かっていないわ」
「手厳しいですね」
「そう思わない?」
「確かにそうですけれどね」
本を机の上に投げ置いた女性の名前はリエット。侯爵位を授かるガスタール家の長女にして後継者である。
男女問わず、直系であれば後継者と認める国法により、三人いる子供の中で最も才覚に溢れたリエットが後継者に認められたのは彼女が十五歳のときだった。
弟は騎士の夢を抱き、妹は嫁いで夫人となりたがったのもあり、穏便に後継者選びが出来た。他家では兄弟姉妹の間で苛烈な争いがあるという話も聞くので、リエットは運が良かった。
領地にある屋敷で一年の大半を、そして社交シーズンに王都に二ヶ月ほど滞在するのがリエットと両親の過ごし方であった。
ガスタール家はハルバイン領を治めている。
この国では家名と領地名が異なっており、父のアルスターが名乗る時は「ハルバイン侯爵アルスター・ガスタール」となる。
家名と領地名が異なるのは、領地の転封が行われることがあるためである。
その度に地図の名前の書き換えが行われるよりも、領地名を固定にしておいた方が便利だからという、効率性を重視した理由がある。
それはさておき、ハルバイン領の領主邸敷地内はひとつの町のような作りをしていた。
壁の内側には幾つもの建物だけでなく、領主専用の畑や果樹園、鍛冶場、騎士団なども置かれている。
本邸は領主一家が生活をする場であり、社交などもこの本邸で行われている。
執務棟はその名の通り、領地経営を行うための建物で、本邸より少し小さいけれど、それでもかなりの大きさになる。
そしてそんな領主邸を支える多くの使用人で通いのもの以外が生活をする使用人棟も建てられている。
侯爵家ともなれば、その家に仕える者の数も少なくはない。
ガスタール家の場合、本邸で働く使用人だけで百五十人ほどいる。執事や侍女長といった上級使用人が采配を振るい、その下に給仕、料理人、洗濯係、清掃係、衣装係、庭師、厩務員など、多くの者がそれぞれの仕事を担っている。使用人棟には彼らのほか、領主邸の雑務や修繕を担う下男下女も暮らしており、領主一家が快適に暮らすためだけでも相当な人手を必要とする。
さらに、本邸とは別に建てられた執務棟には、領地経営に携わる政務官や書記官が八十人ほど勤めている。
その頂点に立つのが家令である。
家令は領主の命を受け、領地全体の行政を取りまとめる責任者だ。
その下には財務官、会計官、税務官、法務官、内政官、農政担当官、商業担当官、土木担当官などが置かれ、それぞれが専門分野を受け持っている。
財務官は領地の収入と支出を管理し、会計官が日々の帳簿を作る。
税務官は各地から上がってくる税を管理し、農政担当官は農作物の生産量や灌漑設備、飢饉への備えなどを監督する。
商業担当官は市場や商人から徴収する税を扱い、土木担当官は街道や橋、水路の整備を受け持つ。
法務官は土地や相続、商取引などの争いに関する法的な処理を行う。
もちろん、彼らだけで領地全てを直接管理しているわけではない。
ハルバイン領には複数の町や村があり、それぞれに代官や村役人が置かれている。
領主邸の政務官たちは彼らから届く収支報告や農作物の生産量、人口、治安などの報告を確認し、必要に応じて指示を出すのである。
また、領主直営の畑や果樹園には農場管理人と農夫が、鍛冶場には職人が、騎士団には騎士と兵士が所属している。それらを合わせれば、領主邸の敷地内だけでも常時五百人近い人間が働いている。
リエットが後継者となってから学んだのは、帳簿の読み方や社交の仕方だけではない。それだけで済むなら楽だった。
どこで、誰が、何をしているのか。一つの決定が領地のどこに影響するのかを徹底的に考えさせられた。
それらを把握し、必要な者へ指示を出すことこそが、領主としての仕事なのである。
「大抵の物語では令嬢が一人で仕事をしているのよ。でも、実際にそんなことは無理だわ。年端もいかないどころか幼い頃からしている描写があるけれど、会計と土木と農業を子供が理解出来るわけないでしょう? それに、子供が一人で責任者の元へ行って交渉したとか。信頼されるわけない上、虐待しているとして国へ通報されるわよ」
「他国の話かもしれないじゃないですか」
「それでもよ。男爵家とかなら分かるわ。狭いものね。でも、そんな家の娘が見初められて公爵家や侯爵家に嫁ぐなんて貴賤結婚にも程があるわよ。会計官として雇うならまだしも。もしくはどこかに養子に入れてかしら。それなら分かるわ。ただ、下位貴族の身分で嫁ぐなんて、ありえないわ。常識もマナーも高位と下位では異なるもの」
「夢物語を潰すような現実的な意見ですね」
貴族の中でも高位になればなるほど仕事の幅も量も膨大になる。
父の執務室の壁にある本棚にはこれまでの帳簿がみっちりと収められている。ハルバイン領の帳簿の為、祖父が転封してくる前の別の領主の時の帳簿もきっちりと残っていた。
「侯爵家の娘が父親に押し付けられて一人で出来る量じゃないわよ。似たようなもので王子の婚約者とかもあったわね。行政担当の人間は何しているのって話しよ」
リエットは十二歳の時から少しずつ父の執務室に机と椅子を与えられ、家令から仕事の流れを教わることから始まった。
領地視察も大人と共に行くことが決められていたが、当たり前のことだ。子供を相手に大人が大切な話をするわけがない。
父が若くして爵位を継いだ時に問題が起きなかったのは、家令が命令系統をきちんと掌握していたからだ。
リエットが結婚して子供を産むまでは父も家令も元気でいて欲しい。
「それにしても、帳簿は嘘をつかない、ね」
「それが一番愉快ですよね」
確かに帳簿というのは銅貨一枚でも差が出てはならない。
しかし、実際に完璧に間違いのない帳簿なんて無理がある。小さな領地なら出来るかもしれないけれど、大きな領地では無理がある。
突発的な損失や誤差は嫌でも発生する。原因追求は行うけれど、それでもどうしても金貨一枚分は積み重なった結果誤差が出る。
だからこそ何かしらの名目で損失分を計上し辻褄を合わせるのだ。
国は定められた税を期日までに収めれば良い。そこで誤差が生じていてもきちんと結果が出ていれば文句はない。
あまりにも大きな額であれば監査が入るが、侯爵領規模だと金貨十枚までならある程度は見逃される。
「交渉の際に表立っては出せない根回しのためのお金だって必要なのよ。言葉で通じないからお金を使うことも分からないならどうしようもないわね」
物語に出てくる令嬢も最近はつまらない。
感情のない人形のような淡々とした会話。一言話せば一言で返ってくる流れは舞台の劇の方が余程人間味がある。
人の手から生み出されたとは思えない本は購入しなかった。本は高い。好みでは無いものを買うのは本への冒涜だろう。
「物語は綺麗事ばかりよね。羨ましいわ。後暗いことなんてあるに決まっているのに。法を犯さない範囲で悪いことをしているから貴族はバランスが取れているのよ」
家政婦長が見れば怒ること間違いなしだが、スカートの下で足を組み、肩にかかっていた髪の毛を手で払う。
父侯爵によく似ていると言われる暗い灰色の髪の毛。短く切りたいと思うけれど、貴族令嬢は髪の毛を伸ばし美しく手入れをしていることこそ価値がある。
嫌だわ、と零しながらリエットは先程から相槌を打つ男を見る。
「ケンドール。わたくし、この手の本を領地に流通させたくないわ」
「畏まりました。調整しておきましょう」
王都や他領で流行る本は、まず領主の家族が目を通す。その本が果たして領地にとって有益なものなのかを確認するためだ。
王都で人気があろうとも、ガスタール家が「無し」と判断すれば、領地内での流通は禁じられる。
今回の場合は、貴族の領地経営について著しい誤解を招く描写が多かった。それが流通を禁じた理由である。
「わたくしは別に娯楽小説そのものは咎めないわよ。だけどね、これはいけないわ。領地経営は大変なの。そこに携わる多くの人間の仕事への誇りを傷つけ侮辱しているの。だから許さないわ」
広大な領地を持つ侯爵家の娘を主人公にするにしても、関係者をごっそりと省くことは失礼にほかならない。
親と同じ道を歩みたい令嬢だって来ているのだ。
まだ本格的に仕事は出来なくても、少しずつ仕事を教わる姿をリエットは見ている。それらの人々を無かったことにして、一人だけで領地経営をしているみたいな書き方は気に食わない。
だからリエットはその手の本は全て流通をしないと決めた。
「聞いてよケンドール!! 前に話した流通を止めたあの本の作者! 男爵家の娘で、わたくしがこの領で禁じたのを『私が男爵家の娘だから……』とか言って悲劇のヒロインになってましたわ! 久しぶりにお茶会に行ったら悪役令嬢と言われて驚いたわ!」
「何も言わずに撤退してませんよね?」
「もちろんよ! 侯爵家を題目にしながら取材もなされていませんのね? 領地経営には多くの文官や政務官が携わっているのに存在すらさせてないなど、侯爵家への侮辱と受け取りましたわ。我が領地で働く皆のためにも偽りを広める本は困りますのよ。ですので禁じましたわ。これは働くもの達の矜恃を守るため。そもそも、作者名にあなたのお名前はないのだからどこの誰かも知らなかったのに。わたくしを悪役令嬢と侮辱したことについて強く抗議いたしますわね。と言ってきたわよ!」
「お嬢様はご自分の為よりも働く者たちのためにお怒りになったんですよね。まあ、手紙の準備をしておきます。旦那様ともお話して来てくださいね」
「分かっているわよ!」
作者名は本名を伏せていたのだから言わなければ分からなかっただろうに。
承認欲求の強さゆえに認められたくて名乗り出たから露呈した。自業自得でしかない。
当然のように父に報告したリエット。
男爵家に届いた侯爵家からの強い抗議文に、男爵は倒れたという話を聞いた。
普段であれば個人間での諍いに口を出さない王家だが、今回は声明を出すこととなった。
王城にも多くの文官達はいる。様々な役職や役目を持ち、己の仕事に従事しているからこそ、存在しないものとして扱われた本を王立図書館に納めることは致しかねる、と。
本は娯楽小説だろうが学術書だろうが、それこそ王家批判がされているものでも基本的には収容される。
今回の場合だって本来ならば構わなかったのかもしれない。ある一文を記載していていれば、の話だが。
【この話には現実とは異なる描写がなされています】
王政や貴族が舞台の娯楽小説には必ずこの一文を記載することが暗黙の了解となっている。識字率が高くなり、平民でも本を読むようになったがやはり読書は貴族の嗜みである。
世間をまだ知らない無垢な子女が本に影響されることはままある。
だからこそ、現実的では無いことを示す保険の文章が必要なのだ。
あくまでもこの世界は存在しません、と。
その一文が無かったからリエットは厳しく追求したし、王家も「これはちょっとまずいよね」となったのだ。
リエットを悪役令嬢、自分をヒロインのようにするために男爵家の娘は名乗り出た。その結果、王家からダメ出しされた令嬢として名を知られることになった。
何のための作者名なのか。
綺麗に自滅した娘は貴族社会に戻ることは出来ないだろう。
領地で本を流通させるかどうかは領主の采配によるものだ。作者が文句を言える立場ではないのに口にした。しかも、悪者に仕立てあげようとして身分がかなり上の令嬢の名を貶めようとした。
王都で人気が出たのだからそれで満足していればよかったのに、受け入れない領地があることが許せなかったのだろう。
思い上がりにより自滅しただけの話だ。
リエットに非はないし、流通差し止めの理由は至って真っ当だったからだ。
そこで働いている人の存在を蔑ろにしたから。
「ケンドール。あなたも随分とわたくしの補佐に慣れたことだし、お父様の許可も出たわ。結婚式の準備を始めるわよ」
「ようやく……お待たせして申し訳ありませんでした」
「気にしないで。わたくしもまだまだお父様から学ぶことはあるもの。婚約して二年でここまで仕事を覚えたことをお父様は褒めていらしたわ」
リエットの婚約者はずっと愚痴を聞いてくれていたケンドールである。
分家の伯爵家の次男で父が見所があると言って連れて来た。その目は正しく、当主となるリエットの補佐となる為にこの二年間しっかりと務めてくれていた。
リエットにとっては信頼出来る婚約者である。
それにしても、物語を書くのであれば最低限取材をするか、もしくは一文を入れなさいよね。出版社なら知っていたのではないの?
リエットの愚痴を今日も婚約者は聞く。
二人に宛てがわれている部屋には他にも会計官や補佐官などもいるが、皆が穏やかな笑みを浮かべている。
リエットは物語で省略された人々を思って怒るような次期当主だ。彼女の怒りは無下にされた人々を思ってのこと。なんて優しいのだろう。
仕事の手をとめないまま愚痴を零すのを拾い上げるのは彼女の婚約者の仕事だ。
二人の会話はさも音楽のようであり、今日もリエットの執務室は穏やかなのに忙しく過ぎていく。
AI生成が大好きな要素への苛立ちを形にしました。
高位貴族なのに何で領地経営に携わる人がいないの?なんで?
領主一人で仕事出来るわけないやん。
とずーーーーーっと思っていたのですが、なんかもう、虐げられ+仕事押し付けられ系は大抵同じなのを見て、はーーーん!と弾け飛んだ結果です。




