ヤンデレハイカラ紳士は、いわくつき令嬢を愛でたくて仕方がない
<お知らせ>
初めましての方も、いつもの方も、ありがとうございます!
こちら、8/21(金)投稿済の短編『いわくつき令嬢は連敗中』のアンサー編(ミツオキ視点)です。
前作未読でも分かる構成にしてますが、一応、読んだ方が2倍楽しめるというか。もし、前作がお気になられた方は、そちらも、是非ともご覧ください。
☆短編『いわくつき令嬢は連敗中』出会い編(ユキコ視点)
〔https://ncode.syosetu.com/n2941mq/〕
※連作短編となりましたので、「大正おキツネ様 異聞『いわくつき令嬢』シリーズ」と冠することにいたしました。
「……お礼参り?」
言われた瞬間、私は目を白黒させた。
色硝子のきらめき映えるアール・ヌーヴォーのランプが品良く妖美に照らす、舶来の調度品が並ぶ洋室で、清楚な振袖を纏った彼女と、英国仕立ての三つ揃いを着た私は、肩を寄せ合って、ソファーに腰掛けていた。
「はい。この御守りのおかげで、きっと、わたくし、貴男に会えたんですもの」
頬をほんのり薔薇色に染めて、嬉しそうに微笑む彼女は、自分の帯に挿していた金糸の梅結びに翡翠の珠と金の稲穂飾りが一連なりになった根付を出して、私に見せた。
私はその根付板の裏側を確認する。
鼈甲で出来た、その裏側には、【彩迦稲荷大明神】という文字と、その神社の【神紋】が刻まれていた。
しかして、稲荷神は、「商売繁盛」「家内安全」のご利益が広く知られているが、実のところ、「縁切り・縁結び」などといったものもある。
「……なるほど」
スッと根付を返しながら、私が険しい顔で頷くと、彼女は困ったように眉を下げた。
「庚興さん……?」
どうやら、彼女には、私が少し怒っているように見えたらしい。
私もハッとして、「いや」とニコリと微笑んだ。
「失敬。私も英国暮らしが長かったからね。あちらで暮らすからには、あちらの宗教の信者にならないと、なかなか……」
「まあ! 庚興さん、キリシタンでしたの!?」
「一応ね」
私がウインクしてみせると、初心な彼女は、根付を帯に挿し直しながら、「あっ」と本当に可愛らしい顔でおどおどする。
怪異を目にしても動じない、凛とした彼女が。
それがゆえに、「不吉な女」「呪われた女」などと心無い悪評を立てられ、98回も縁談がご破算になり、理不尽に婚約破棄され続けた彼女が。
ただ、この私の一挙手一投足にばかり見惚れ、うろたえるのだ。
(上流階級のお仲間からつまはじきされても、気丈に屈しなかったのは、彼女の芯の強さを物語っているが――。なれど、だからこそ、私の前でだけは、普通の少女のように微笑んでほしい)
そう。彼女は、長年つらい思いに耐えてきただけに。
常日頃から表情筋がすっかり強張ってしまって、とかく無表情になりがちであった。ゆえに、並人なら自然とできることも、時にぎこちなく、強がる必要がないとみれば、一転、自責念慮に陥りがちである。
しかして、その奥ゆかしさがために。
彼女は、私が何か言葉をかける前に、己に非があると受け取り、謝って、一歩退いてしまう。
つまり――。
彼女は、えてして中庸が難しいのだ。
されど、そんな彼女が、まったく年相応の無垢な少女らしい顔を私だけに見せてくれると、私は気恥ずかしくなりながらも、実に嬉しくもあって、彼女をトロトロに甘やかしたくなってしまう。
ただ、私達は、まだそこに至るまでの時間が足りていないので。
あまりに手前勝手に暴走して嫌われたくはない、という懼れも拭えない。
「さあらば、そんな私が由緒正しき神社の敷地に足を踏み入れて良いものか、少々迷ったのだよ」
私は、そのまま、彼女の額に、チュッと軽くキスをした。
「そ、そうでしたの……」
やっぱり彼女はまごまごして照れる。
私の唇が触れた場所を、その白魚の指で押さえ、座したまま、心なしか後ずさりする。
おそらく、情に任せた反応をしては「はしたない」と己自身に制限を掛けているのだろう。
それがまた、たまらなく、いとおしい。
大和撫子そのものといってよい子爵令嬢・神宮寺夕紀子は、私、九鬼庚興にとって、かけがえのない女性だ。
なぜなら、私は、ずっと彼女を捜していた。
私の初恋の女性。
My Twin-Flame(=魂の片割れ)。
私と彼女は、【合わせ鏡】という非現実的な呪法で出逢い、幼い頃よりずっと、お互い想い合っていた。
されど、彼女は、そのことをとても気にしていたから。
私は、彼女に、「私は、貴女とは夢で逢った」と明かした。
邪なる道の【合わせ鏡】でなく。
せめて、【夢】なら――。
美しき天の導きだと、いくらか信じられる。
しかして、かつて同い歳であったはずの私達は、その尋常ならざる出逢いのために、悲運な時空のねじれに巻き込まれ、現実には、10歳の年の差が生まれてしまった。
夕紀子は、未だ、瑞々しい咲き初めの牡丹のような17歳。
対する、庚興は、海千山千とも揶揄されがちな27歳。
私は、若くして英国に渡って財を築き、現在は、横浜で蘇芳屋という貿易商の社長を務めている。ゆえに、ひとまず資産だけはある。
それこそ、末端華族なら優に凌駕するほどの財力だ。だからこそ、その力を以て、彼女の家に求婚状を出すことも可能であったのに。
私は一足出遅れた。
私が求婚する前に、彼女は、東京の馬喰町だかにある酉田屋とかいうフザケた成金の跡取り息子と婚約してしまった。
既に婚約者がある令嬢に求婚しては、周囲には、どうにも横恋慕にしか見えない。
相手方がさして財も影響力もない者なら、こちらが金で黙らせたり、権力者に根回しするなどして強制排除できるのだが。
あちらはあちらで舶来品を仕入れていて、なかなかの繁盛店だ。
しかも、業種的に我が蘇芳屋とは競合関係にあるため、それを露骨にやると、我が方が風評被害などに遭いかねず、大損害を被る恐れがある。
また、左様なことをすると、美しく清らかな彼女と、彼女の実家にいらぬ瑕がついてしまう。
(それは困る……! 私は、今度こそ、彼女を幸せにしたいのだ)
そのような訳で。
いつも、夕紀子は買い物の名目で我が蘇芳屋を訪問しては、私は社長として商談をする体で応じる。
しかしながら、夕紀子の侍女・タツも我々の味方であるので。
タツは出しゃばることなく待機室で控え、私は、そのまま夕紀子と商談室で2人きりになる。私達は、ソファーで隣り合いながら、甘く語らい、互いに密なる触れ合いを重ねる。
本日もまた、こうして、2人、秘密の逢瀬を愉しんでいる訳なのだが――。
私は、そっと夕紀子の柔らかく小さな手に触れ、フッと口角を上げた。
「わかった。では、今度一緒に行こう」
「本当ですかっ!?」
「ああ。ちょうど、日本橋の辺りも訪れたいと思っていた」
「日本橋?」
「そう。敵情視察でね」
私の言葉に夕紀子はきょとんとしていた。
「2号店を出したいと思っているんだ。東京に」
「え」
「だって、そうでもしないと。君も毎回わざわざ横浜まで出てくるのは大変だろう?」
「そ、それは……。まあ……」
夕紀子は少し当惑した顔をしている。
もっと喜んでくれると思ったのに。
(……まさか! あの酉田屋の馬鹿息子にバレるのが怖いのか――!?)
私は、ギリと歯を食いしばって、固く拳を握り、ワナワナ震えた。
嫉妬したんだ。
27にもなる男が、17の小僧に――。
アレは馬鹿だが、見目は悪くないし、夕紀子と同い歳だから。
しかし――。
「み、庚興さんがいらっしゃったら、きっと、ご令嬢の皆さん、キャアキャア言って、お店に殺到されますわ!」
「――? うん??」
私は首を傾げた。
夕紀子は顔を真赤にして、必死に訴える。
「わ、わたくしなど、不吉な女ですし、愛想はないし! 正直、食も細いので、鶏ガラみたいな身体で、女人としての魅力もうま味もないと申しますかっ。その……っ、侯爵家や伯爵家のご令嬢の方がもっと――!!」
私は目をぱちくりさせた。
夕紀子はハッと我に返って、「あ。いえ……」と恥ずかしがる。
(もしや、夕紀子も十把一絡げの華族令嬢に、劣等感というか、つがいを盗られるかもしれないと心配して、嫉妬を?)
思うや、私はポッと全身が熱くなり、夕紀子を抱き締めたくなった。
いや。思うより早く、既に手を伸ばして、彼女を引き寄せてしまった。
そうして、本能のままに、チュとそのつややかな唇を奪ってしまう。
「……ンッ」
夕紀子は、目端まで紅に染め、私の腕の中で小さくわなないていた。
緊張しているのだ。
ゆえに、拒むつもりはなくとも、頑なに唇を引き結んでしまう。
だが、私は、そんな無垢な彼女の唇を、何度も優しくねぶり、静かに誘って、その閉じた心の園をこじ開ける。
「――ふ」
「夕紀子……ッ」
徐々に馴れてきた夕紀子は、うっとりし始めたように瞳をとろんとさせ、私が乞うのに応じて、ドキドキと小鳩のような胸を高鳴らせ、淫らな舌遊びに興じていた。
私は愛しい彼女をソファーの座面に押し倒し、その唇から甘い吐息がこぼれるまで、唇で、舌で、また長い指先で、巧みにその女悦を刺激した。
「ああっ……」
「愛している、夕紀子――」
次第に、夕紀子も私もきっちりしていた服装が乱れ、その垣間見える互いの素肌には、じっとりと脂汗が滲んでいた。
夕紀子は我が身を鶏ガラだと卑下したが、娘らしく程よく肉付いた肢体が着物の間に覗くたび、私は、「なんと美しく可憐なのだろう」と一層、暴きたくなってしまった。
そして、きっと、夕紀子も――。
壮健に雄々しく鍛えた私の体躯に、未知なる興奮を覚えたようだった。
次第に私達の距離が近づき、時に淫猥にぴたりと重なると、夕紀子は紅潮しながら震え、高まる愛欲に悶える。
そのなまめかしくも悩ましげに戸惑う姿が、なんともいじらしかった。
そうして、触れ合えば触れ合うほど、匂い立つ甘い花の香に、ますます理性も狂い、道理も遠のく。
タガが外れてしまった私は、ただ1人の男と女として求め合わんと、たいそう気が急いていた。
しかし――。
「ア……。いけません、庚興さんっ。それ以上は……!」
「――ああ」
甚だ恥じらい、恋人から顔を背け、いたずらに貪られまいと落ちかけた着物を押さえる。ささやかに我が身を護る夕紀子に、おのずと愛しさが込み上げてきた。
「そうだね。君は貞淑な女性だった」
されど、その火照る柔肌から湯気立つ様が、彼女の真の心内を物語っていた。
あれは婚約者への操立てではない。
単純に彼女は怖いのだ。
我が本能に従い、恋人である私と、しとどに濡れて、乱れ合うのが。
私は、スッと身を退いた。
(致し方あるまい。彼女はまだ17歳なのだ)
本音を言わせてもらえば、雄としては、このまま、2人、身一つとなって、溶け合うまでつがいを抱き潰したいところであったが――。
流石に、婚前の女性を穢す訳にもいかないので、私も泣く泣く程々のところで止める。
私は、「はあ」と大きな溜息をつきながら、乱れる黒髪を掻き上げる。すると、頬を赤らめた夕紀子も、着崩れた着物を手直ししながら起き上がった。
「庚興さん……?」
「……」
その肩口に庇髪から崩れた髪房がファサリと落ちる。着物の裾から白い襦袢の端がぱらりとはみ出し、にゅっと露になった雪肌、白足袋の脚がのぞく様が、実に煽情的だった。
その17歳とは思えない蠱惑的な姿に、一旦落ち着いたはずの私も、ドクンと胸と下腹が疼く。
「すまない。夕紀子さん。私の方が年嵩であるのに。なんとも童めいて」
「そのようなこと……!」
反論しかけた夕紀子の唇に、私は、そうっと人差し指を当て、その言葉を封じた。私は、夕紀子の頬に触れ、流れるぬばたまの髪を指で梳きながら、クスと苦笑する。
「今は難しくとも。いつか必ず。結婚しよう」
夕紀子は、一等はにかんだようにドキリとした後、ややオロオロして、ゆるゆると茹る面を両手で隠した。
「はい……!」
きっと、恋人に直視されるのが恥ずかしかったのだろう。
「夕紀子……ッ」
嗚呼! 見えていないのに。なんとも可愛い。
これほど愛らしいものが、この世に在って良いものか。
私は静かに夕紀子の両手を取り、その玉の顔を見つめ、また、チュと唇を重ねる。
「やっと出逢えたんだ。私は誰にも君を奪わせない。もう離したくないんだ。決して……!!」
「わたくしもです……!」
じっと見つめ、込み上げてくる想いの丈を囁くや、再び、私達は熱く抱擁する。
この尊い時間が、何よりもいとおしい。
ゆえに――。
私達は、この刻々と進みゆく1分1秒さえも惜しみ、2人、まったりと愛を確かめ合った。彼女の侍女が我が店の手代を通じて、彼女の帰りの刻限を知らせてくるまで――。
しかして、柱時計が無情にもボーンボーンと鳴り、いざ定刻が告げられると、案の定、手代がやってくる。
分かってはいたのに、どうしようもなく淋しく、哀しい。
(そうだ。奪われてなるものか。夕紀子は、私の花嫁だ)
果たして、最後はまた、私達は、その名残惜しきを胸に秘め、最も狂おしく切ない口づけを交わし、この日も泣く泣く別れたのだった。
-◇-◇-◇-
そうして、後日――。
或る晴れた日、私と夕紀子は、例の神社を訪れた。
赤い大鳥居の奥に、やや小さい5連の鳥居が連なる。
大鳥居の両脇には、鍵と珠とを咥えた雌雄の狛狐が。その出入口の最も目立つ位置に「彩迦稲荷大明神」と彫られた石柱が堂々と建つ。
鳥居側には、樹齢300年の大楠のご神木と手水舎が。
神域の最奥には、こぢんまりとした古びた社殿があったが。
社務所は建っておらず、他に参拝客もなかった。
だが、庚興がキリシタンだとすっかり信じ込んだ夕紀子は、私を気遣い、大鳥居の外で待つよう告げて、侍女のタツと2人で、お礼参りに社殿へ向かった。
(――かようなでまかせばかり言っては、異国の神にまで恨まれるかな?)
私はその後ろ姿を見送った後、溜息をつきながら、神域を囲う石塀にもたれていた。
「……おや? 貴方も中にお入りになられたら良かったのに」
すぐ近くで若い男の声が聞こえた。
覚えのある声だ。
私が声の主を振り返ると、そこには、白銀髪に琥珀の瞳をした、白い狩衣姿の端正な若者が立っていた。その狩衣には、同神社の神紋も入っていた。
そして、これは――。
おそらく、そこらの人間には視えていないだろうが。
彼の頭には、白銀毛が密生する大きな三角耳が、その臀部付近からは、上質な襟巻もかくやという滑らかな毛並みの太い狐尾が生えて、風遊ぶように揺れていた。
「……。何だ。君か」
私は半眼になりながら、プイとそっぽ向く。
「最後に会ったのは、私が遠く遥か西方の海を渡る前だったか? まさか、かような巡りで、また君に会うことになるとは。さて、もうどれくらいぶりだか……」
「はあ。もう何十年か……いえ、何百年も昔でしょうね」
白銀髪の狩衣男は、衣の袖で口元を隠しながら、クスクスと笑う。
私はカチンときた。
「おい。まさか、夕紀子に話してはないだろうな?」
「――話す? 何を??」
白銀髪の狩衣男は笑顔ですっとぼける。
「私は、ただ、あのお嬢さんのひたむきな御姿に心打たれ、ちょいと背中を押して差し上げただけですよ」
「それが、あの根付か」
私は苛立ち交じりにフンと鼻息を吹いた。
白銀髪の狩衣男も首を傾げる。
「何をそんなに拗ねてらっしゃるんです?」
「拗ねるというか。ただ面白くないだけだ」
「――面白くない?」
「そうだとも。アレは私の唯一無二の番であるのに。その私を差し置き、貴様が先に、彼女に贈り物をした」
「贈り物など。あれはただの御守りですよ。彼女の願いを遂げさせるために授与したんです。しからば、昨今の女人は、なかなか気難しいのでね。あれぐらい華美にしないと。古臭い御守りのままでは、なかなか日常的に身に着けてくださらない。特に、ご華族様のご令嬢ともなれば――」
「それでも気に入らない。わざわざ装飾品に見える形状にするなど。私こそが真先に彼女をきらびやかに飾り立ててあげたかったのに!」
「そんなことですか。なんとも小僧くさいこと。もう千年近くも生きておられる御方が」
言われ、私はドキリとした。
そう、私が「九鬼庚興」として生きてきたのは、この27年間で間違いないのだが、本当は――。
一方、白銀髪の狩衣男は、口元を隠したまま、クククと笑い続ける。
「なれど、『夢路で逢うた』とは。まこと良い語り口を見つけられたものです。よもや、天の理を歪めてまで、絶えず、己のためだけに干渉し続けたとあらば。さしものあのご令嬢も恐れおののくのでは?」
「仕方あるまい。輪廻転生の周期は限られているのだ。彼女が、また、我が目の届かぬ場所へ逝ってしまう前に。我が元にしかと引き留めておく必要があった」
「おお。こわい。般若は狂える女子が成るものと云われますが。なかなかどうして、殿御のご執心というのも陰湿で凄まじい」
実に痛いところばかり突いてくる。
そう。あの【合わせ鏡】は――。
私が仕掛けた。
噂好きな彼女の学友をそれとなく誘導して。
彼女の性分なら、きっと、亡き母恋しに試すだろうと考えたから。
ただ、成功するかどうかは、五分五分の賭けでもあった。
そして、それだけの時間をかけなければ。
きっと、手に入らないと思った。
だって、君は、「私」を覚えていない。
(そうだ。夕紀子――いや、絢夜瀬。私達は筒井筒の仲であった。あの遠き日の古の京で。だが、君は、私がいたらぬ男であったがために、私より先に……)
「まあ、かように巡り逢えただけでも奇蹟ですから」
白銀髪の狩衣男は飄々と言う。
私は、この流れる水のように捉えどころのない男をギロリと睨んだ。
「サイカ」
「……。何でしょう?」
「君も私も。世に仇なす災いとされて、陰陽師だの僧都だのに調伏されかかったのに。よもや、あの自由気ままだった君の方が自ら稲荷大明神の神使となることを選び、かように、この私を助けてくれるとは。まったく何があるか分からないものだ。さればこそ、この結んだ縁を断ち切ろうとすることがあれば。承知せぬからな」
脅さずにいられなかった。
我が血赤き眼を凶星のように爛々と燃え滾らせて――。
されど、サイカは冷たく笑っていた。
「縁が切れるか切れぬかは、貴方とあのご令嬢次第ですよ。彼女がそう願えば、きっと、そうなるでしょうし、願わなければ、そのままでしょう」
私はムッと眉間に皺を寄せる。
「……ふん。白々しい」
だが、彼の言う通りだ。
なぜなら、私もなかなかの妖力を備えてはいるが。
稲荷神があの守りを彼女に授与しなければ。
きっと、庚興は夕紀子の元へ辿り着けなかった。
神が与えた【神罰】を、取り消せるのも、また神――。
「フフ。白々しい、ですか。それはそうでしょう。私は、元より妖狐。人の世に在った貴方ほど感情が豊かでもなければ、さして未練もこだわりもございません」
「そうか? 夕紀子にあの帯飾りを授与しているだけでも、私には、充分、人間臭く見えるが」
「いえいえ。あれは、単なる経験則ですよ。私もこの御社の神使になって、そこそこ年月を経ているのでね。なれど、所詮、ケモノにすぎない私には、ただ1人の女人を守り、愛し抜くためだけに、その御命を懸け、自ら人間であることを捨てられるなんて。とてもとても――」
思いのほか、研ぎ澄まされた刃のような返しが発せられた。
それは、遠き昔に置き去りにしてきた、私の苦き過去――。
サイカは、ニコリと整いすぎた笑みを浮かべるだけで、それ以上、その話に触れなかった。
ゆえに、私も、フンと高い鼻の頭にかかる黒き前髪を吹き飛ばした。
「君と話していると、どうにも鬱々と病んでくる。捨ててきたものに、今更、捕まりそうだ」
「それでは、我が御社でお祓いしてみます?」
余裕綽々に告げるや、サイカは帯に挿していたらしい閉じた扇子を出して、その先で、トンッ、と私の胸を小突いた。しかして、よくよく見ると、それは扇子ではなく、狛狐が咥えるのとよく似た古鍵であった。
私は少し苛立ちを見せながら、我がネクタイに皺付ける、その古鍵を払い除ける。
「馬鹿なことを。出来ぬと分かって申しているだろう」
「おや、バレていましたか」
サイカはクスッと微笑んで、古鍵をしまう。
「わからいでか。君は私を何だと思っているんだ。人には人の、妖には妖の――依るべき先がある」
私はうんざりしたように彼から顔を背けた。
つつかれたくない肚の内があるのは、お互い様だ。
されど、私と彼が旧知の仲であることには、変わりないのだから。
ひとまず今は味方だと思って、まともに相手にせぬことだ。
ただ、夕紀子には、いらぬ煩悶を抱えて欲しくない。
私がうつむいていると、参拝を終えたらしい夕紀子とタツが、くるりと振り返った。そして、私と目が合い、嬉しそうに手を振る。
私もつられて微笑み、手を振り返したところで、ハッとした。
慌てて背後を確認すると、忽然と、サイカは消えていた。
けれど、どこからともなく、私の頭の中に、あの聞き覚えのある声で思念波が送られてくる。
[フフフ……。いずれにせよ。今は、百鬼夜行も遠き昔。かの酒呑様でさえ、お祀りされる世なのですから。貴方もそろそろ、風雨に散りゆく千古の昔語りなど、どこぞの翁のようにお忘れになられたら?]
[つまり、私のようなものは御伽草子の何某だと?]
こいつは喧嘩を売っているのか?
どんな人間もアヤカシも、世間様から忘れられれば、この世に無いも同じ。
だが、私が彼女を想い続けた時間は、紛れもなく真実だ。
さあらばこそ、私は、その為だけにこの生命を燃やしてきた。
どうせ死して同じ楽土に往けぬなら。
再び、彼女に出逢える時まで、生き永らえて待つしかない、――と。
血の涙を流し続けて、ついぞ、その色に染まってしまった、この双眸に。
耐え難き慟哭のあまり、耳まで達するほどに裂けてしまった、この赤き口に。
愛しきものと一つになれぬなら、その骨の髄まで喰ろうてしまえ、と。
禍々しき声が、延々と脳裏に染み付き、唆し続けた。
その艱難辛苦の末、本神より生まれ出でた瘤が、いつしか鎌刃の如く伸び始めた時も――。
ただ彼女のことだけを想い、最後の理性だけは失うまい、と頑なに堪えていた。
だが、如何なる屈強な黒鉄とて、ぞんざいに放り出されれば、いずれは錆びて朽ちてしまう。
完全に狂ってしまった私に、再び、血の通った人間の心を蘇らせてくれたのは、最初の死から1度目の回帰を遂げた君。だが、それがために君は命を落とした。
2度目の回帰では、君は私を守るために、泣く泣く私から離れ、不幸な生涯を。
そうして、現在、3度目の回帰において、私達は在りし日を彷彿とさせる姿に戻り、とうとう待ち望んだ再会を果たした――――。
そんな途方もない物思いに耽りながら、私は、知らず知らず、固く拳を握り締めていた。
-◇-◇-◇-
そうこうするうちに、夕紀子が無邪気な顔をして、大鳥居をくぐり抜け、パタパタと私の元へ戻ってきた。侍女のタツも彼女を見守るように静かについてくる。
「お待たせしまして申し訳ございません。庚興さん」
「いいや。さして待っていないとも」
私が澄まし顔で笑むと、夕紀子は頬を赤らめつつも、おずっと一瞬躊躇し、仔猫のように小首を傾げた。
「……そうですか? けれど、なんだか、お元気がないような……」
「――!!」
私は目を丸くした。
完全に取り繕ったつもりだったのに。
夕紀子には見抜かれていた。
(ああ……!)
私は感極まって、ピトッと己の額を夕紀子の額にくっつけた。
夕紀子もドキッと下がろうとした。
それを、私が、ぐいと引き留め、ぎゅうっと抱き締める。
「君はどうして、それほど愛らしいんだ」
「え……。あ、あの……ッ?」
うろたえる夕紀子もいとおしい。
私はフッと目を細めると、彼女の額、両の瞼、両頬と――。
順に口づけをし、最後は、深く深く唇を重ねた。
「……!」
タツは「あっ」と驚いて、気まずそうに他所を向いた。
一方、夕紀子は、「ふ……」と恥ずかしそうにしながらも、したたかに私の求めに応じてくれた。とはいえ、やっぱり、そのなよやかな体はうち震えていて。
「……ッ」
「ハ……」
思わずググッとその衣を握り締めると、微かにずれた着物の内側から、かぐわしき芳香が漂った。
艶めくうなじに、未だ雄を知らぬ乙女の、無二の番を恋うる、確かな雌の薫り。
(夕紀子……、夕紀子っ……)
私は、神社の門前であるにも関わらず、また、侍女のタツが控えているのすら忘れて、夕紀子の唇を熱烈に貪った。すると――。
(愛している。夕紀子……ッ)
(……庚興さん……っ)
などと、のぼせる互いの呼ばいまでもが以心伝心するようで――。
私は構わず、淫らな水音でしきりに煽って、夕紀子の唇も舌も吐息もすべて絡め盗った。その声まで奪い去るほどに。息つく暇なく、身も心も痺れて、蜜唾がとろりと溶け合ってゆく。
そうして、私は、愛しき夕紀子を必死に篭絡せしめんとしていたのに。
むしろ、私の方が婀娜めく彼女に悩殺されて。
(ああ! いっそ、一思いに、このまま彼女の操を奪ってしまいたい……!!)
もはや、ここが臥所でなくば、吾が宿でもなく、ただ青天の下であることを口惜しく思ってしまった。
真に欲していたのだ。
私は、私のただ一人の花嫁、夕紀子を。
胸奥より止めどなく溢れる、この如何ともしがたき熱情に。
侍女に見られていようと。
神に視られていようと。
既成事実の名のもとに、彼女のすべてを手に入れることが出来れば――。
そんな私の鬱積した情念に触発されたのか、私の華蓋辺りがじわりと熱くなる。
それは、先にサイカに古鍵で突かれた、あの場所だった。
この性急な青くさい小僧のような私を、あの神使は嘲笑っていたのだろうか。
2人して、ただ官能の口づけに没頭していると、やがて、
ガチッ!
と、硬質な音がして、私の口内に、ぬるりと生温かいものが広がった。
人間であれば「鉄臭い」――と。
むしろ、嫌悪されるソレは、妖鬼には、旨しき甘露と変わらなかった。
しかし――。
(……いや、待て)
「う……」
夕紀子は苦痛に顔を歪めて、ヨロ……と私から離れた。その彼女の紅刷いた唇からは、それに負けずとも劣らぬ赤い雫が鮮やかにしたたっていた。
私はギョッと目を剥いた。
(血――??)
ゆえに、私は慌てて、己の口に節くれだった手をあてがい、あぐ、と軽く指を噛んでみた。しからば、その指の一部に、グサリと針刺した感覚が走り、心底ゾッとした。
(まずい……! 牙が出ていた……!!)
私は、サッと抜いた手で、そのまま、己の前髪をぐしゃりと握り締めた。
わななき、怒り、ギリと歯を食い縛り、酷く動揺する。
今まで、上手く隠して、普通の人間の男のように、恋しい夕紀子を愛でていたはずなのに。
(この私が彼女を傷つけた……!)
見ると、夕紀子は蒼白い顔をしていた。
タツは訳が分からず、おろおろしている。
そして、妖鬼は――。
久方ぶりに口にした【生娘の生き血】に、たちどころに胸がザワザワとなった。
何やらドス黒いものが、フツフツと、私の内部に広がり始めていたのだ。
「……?」
これに何か感づいたらしい夕紀子が、切ない表情をして、きゅっと私に抱き着いた。その小さく柔らかい手で、私の広い背を、ぽんぽん、と叩く。
ちょうど、母が赤子をあやす時のように。
ひたすら慈愛に満ちて、やさしく温かい。
その手のぬくもりが、ポカポカと、まるで、厳冬の東雲に、そっと差し出された温石を彷彿させられるようで――。
(クッ……!)
私は、胸が込み上げて、夕紀子の華奢な身体をぎゅうっと抱き締め返した。
いたずらに彼女の血を啜ってしまわぬように。
口づけたい気持ちを抑えて、ただ、彼女の滑らかな顔に頬擦りした。
(夕紀子……、夕紀子……っ、ああ、私の愛しい女!!)
さながら吉祥天女の如き夕紀子に触れていると、その熱に氷融かされるように、ほっと落ち着く。やがて、私のおどろおどろしい胸騒ぎも徐々に終息を迎え、暴走しかけた妖力も安定したのか、不要な牙もシュンッと引っ込んだ。
ほどなく、私は、ポソッと夕紀子の耳元で囁く。
「ありがとう……!」
「庚興さん……」
夕紀子も、小さくフルフルと首を横に振った。
「わたくし、貴男が如何なる御人でも構いません。ですから、もう、わたくしから離れないで。いえ――。離さないで! わたくしは、ただただ貴男だけの妻になりたいのです」
「ああ……!!」
感極まった私は、涙して、再度、夕紀子に頬擦りした。
「当然だとも。私の妻は、君しかいない!」
告白するや、私達は、ひとしきり見つめ合い、おのずと【誓いの接吻】をした。
それが最も早く、2人の縁を結ぶと、確信できたから。
すると、私の脳裏に、折見たように、
[ああ。やはり、貴方と彼女は、切っても切れぬご縁のようだ。なれど、この地は日本ですので。西洋式は程々に。きちんと三々九度もお忘れなさらないで下さいね]
と、また、あの小賢しい神使の思念波が届いた。
三々九度など。
神前式をおこなわねば出来ぬではないか。
(神域に入れぬ妖鬼に。厭味のつもりか!)
そう一言、文句を言ってやりたくなったものの。
[なに。我が国の 八百万の御神々は、和魂、荒魂、いずれのものも、襟を正しくしてさえいれば、いずれ神として崇められ祀られる。鬼神とて例外ではない。ご自身で悔い改めることを欠かさんと、その理さえ一途に守っていれば。如何なる脛傷お持ちの御方であろうとも、まこと改心せし後は、我等が神域に侵入ることもできましょう]
目には視えぬが。
おそらく、サイカは笑っている。
そして、試しているのだ。
現在の私が、善と悪、どちらに傾いているのか。
[なれど、それに括らなくても、きっと――。貴方がたなら大丈夫。お2人、御手と御手を取り合い、この先ずっと添い遂げられるなら]
[……!?]
[その時こそ、いずれ――。この彩迦稲荷大明神が、貴方がたのご祝言を受け持って差し上げましょう]
[妖鬼の私が、神前で祝言……??]
[いえ。貴方は人間ですよ。それだけ深く人間を愛せるのですから]
[……]
この狐男は、どうにも昔から本当に食えない。
[人道外れてまで、貴方が狂おしく求め続けたものは、やはり尊きものでしたね]
[当たり前だ。千年も時をかけたのだぞ]
そう。
人間であった頃から、ずっと――。
私は彼女を欲していた。
彼女だけが私のすべてであった。
もう二度と、決して。
この手から離さない。
<執筆後記>
当初の予定では、7,000文字くらいに抑えたかったんですが。
なんだか思ったより壮大な感じになってしまいました……。
毎度々々、なんか長すぎて申し訳ありません。
実のところ、このお話、「連載の方に組み込もうかな?」とも考えていたんですけどね。ストーリーもですけど、何より「時系列的にちょっと無理があるな」となって、結局、短編になりました。
また、現在連載中の中編『モブ女学生は落ちぶれヨーコ様を助けたい』は、これら連作のさらに後日譚となっております。
こちらの主人公は紗江という女の子で、ヒーローがおキツネ様ですが。
とはいえ、チョイ役ながら、中~終盤、ちゃんと夕紀子と庚興も出てきますので。(というか、こちらの方で決着がつく感じともいいますか)
気になった方は、是非々々、そちらも併せてご覧ください。
☆連載中編『モブ女学生は落ちぶれヨーコ様を助けたい』
〔https://ncode.syosetu.com/n3042mq/〕
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つたない作品で恐縮ですが、皆様、今後とも、どうぞ、よろしくお願い申し上げます!




