番外編 侯爵
昔から、無表情だとか、顔が怖いだとか、何を考えているかわからん、などと周りから言われて育った。
自分でもそう思うが、侯爵家を継ぐのだからその方が都合がいいとも思っていた。
腹の探り合いなどしたいとも思わないが、相手が探りにくいと感じるのならば、それは確実に自分の武器となる。
心底そう思っていたし、実際そういう場面に出くわすことが多かった。
だから、それが良いことだと疑わず、むしろ自分の誇りでもあったのだ。
侯爵家を継ぐために、幼い頃から決められていた伯爵家の一人娘を嫁として迎え入れた。その代わり、弟が伯爵家へ養子に出され、そちらの家を継ぐことになっている。
妻となった女性は、あまり口数が多くないところが好ましく、一緒に暮らしていて心地いい存在となった。侯爵家の当主となる手続きが滞りなく済んだころ、先代である両親は王都から少し離れた領地へ居住地を変えた。
広くなった侯爵家の屋敷は、妻が先頭に立ち整えていった。高位の貴族として恥じぬよう、日々流行を追い侯爵家の威信を保たなければならなかったからだ。
私は、執務に追われた。父から引き継いだ資料や手続き書類を何度も読み込み、王政を支えるため、領民を支えるため、できる限り手を尽くそうとしていた。
慌ただしくも充実した日々を過ごしていると、妻の懐妊が報告された。
あまりに驚いて、そのとき屋敷に来ていた宝石商に、赤子に必要な身の回りものの用意を頼みそうになったほどだ。
妻には、「体を大事にするように」と伝え、執事や侍女たちに必要なものをすぐに揃えるように指示を出した。
生まれてきた子は、自分に似た銀髪の女の子だった。
あまりの小ささに傷つけてしまうのではと、触れることさえ恐ろしく感じた。
守らなければ、この子を。
妻は、産後の肥立ちが悪く、回復に時間がかかっているようだった。
ここで無理をして、取り返しがつかないほど体調を崩させるわけにはいかない。屋敷の仕事の采配をある程度執事や長く屋敷に使える侍女に割り振り、妻を休ませることにした。
自分は顔が怖いとよく言われる。
あの小さな娘には、きっととても怖いのではないだろうか。
そう考え、寝ている時を見計らっては、様子を見に行った。
日に日にふくふくと成長する娘は、何にも代えがたく、これこそが女神の与えた奇跡の存在だと感じた。
守らなければならない。
大切に、守らなければ・・・。
娘は日々成長していき、這うようになり、立ち上がれるようになり、楽しそうに言葉を発するようになっていった。
それに妻と喜びつつ過ごしていると、医者から妻の体調が芳しくなく、次の子を望むのは難しいと告げられた。お産は何かと難しいと聞く。そういったこともよくあることだろう。妻はそれを心苦しく思ったようだが、妻も子も今生きているのだから、それで自分はよかった。
娘も3歳になり、少々表情は少ないが、それを差し引いても途方もない愛らしさを備え成長していた。
そんな折、執事に問いかけられた。
「旦那さま、アイリーンさまのご教育はどうなされますか。アイリーンさまをこの侯爵家のご息女。跡取りとしてお育てになられますか?それとも、嫁ぎ先を探し、養子を迎えられますか?」
娘の嫁ぎ先・・・だと?
あの娘を手放すというのか?
そんなこと、絶対に無理だと思った。ずっとこの屋敷に居て欲しい。花の盛りにどこかへ嫁ぐなど、とても耐えられそうにない。
「・・・・跡取りとして育てる」
気づけばそう答えてしまっていた。
穏やかで口数が少ない子供に育った娘は、とても愛おしく、しかし自分の顔が怖いとわかっているので、あまり目を合わせないよう気を付けた。
ただ、跡取りになるというのならば、大事なことを伝えなくてはいけない。
貴族は腹の探り合いだ、特に感情を表に出さないよう言って聞かせなければ。
この子を守るために。
そう固く、決意した。
それから心地よい日々だった。
娘は覚えが良く、つけた教師たちもその成果を報告してくれた。
幼いにも関わらず、テーブルマナーもよくできている。
食事中は、無駄なおしゃべりをすることもない。
何も問題なく過ごせていると思っていた。
だが、娘が10歳になった頃、屋敷に頻繁に遊びに来る弟に言われた。
「兄上、アイリーンは人形だね。何を聞いても、ろくに返事が返ってこない」
確かに娘は人形のように愛らしいが、何を言っている?
「兄上そっくりだ。子どもなのに何を考えているのか、全く分からないよ」
肩をすくめ、こちらを馬鹿にするように大げさに言う弟の態度はいつものことなので気にならない。
だが、気にかかることを言われた。
(ろくに返事が返ってこないだと?)
娘とは、毎日夕食で顔を合わせてる。
「今日の勉強は終わったか」と聞けば「はい」と答え、「感情を表に出さないよう気をつけなさい」と言えば「はい」と答えている。
「・・・お前の聞き方に問題があったんじゃないか?」
そう尋ね返せば、弟は何を言ってるんだと憤慨した。
「オレは好きな食べ物や欲しいものを聞いただけさ!アイリーンはなんて答えたと思う?『特にありません。』だ」
私は何を言われているかわからなかった。
好きな食べ物?
欲しいもの?
そんなこと、今まで娘に尋ねたことはない。
食事は十分取っていると報告を受けている。
必要な衣服、装飾、本、教師、侍女・・・・・・、不足なく与えている。
だから今まで、尋ねることはしなかった。
娘がどう感じて生きているのか。
弟が散々文句を言って、満足したのか帰っていく。
それを見送った後、気づけば娘の部屋へ向かっていた。この時間なら語学の勉強をしているはずだ。
屋敷の奥、庭を見渡すことのできる、母がとても気に入っていた部屋が見えてきた。
語学教師が男であるため、部屋のドアは開け放たれている。
部屋の壁際に侍女が椅子に座り待機しているのが見えた。侍女が私に気づいて腰を上げようとするので、手で制する。娘の邪魔をしたいわけでない。なら、何をしに来たのかと言われてもわからない。教師を疑っているわけでもないし、娘が怠惰に過ごしてるなどとも思ってはいない。ただ、何かに駆り立てられるようにここに来てしまっただけだ。
ドアからは娘の後ろ姿しか見えないが、大人でも難しい発音の古語を正確に発音していた。
幼い愛らしい声が、年老いた学者の声に習って、本を音読している。
自分が10歳の時、こんなことをできただろうか。
いや、跡取りとしての教育はあったが、他の貴族の子息と遊ぶ時間もあった気がする。
私はその足で、妻のいる部屋へ向かった。
妻はカウチに座り、侍女たちと刺繍をしていた。
突然の当主の訪問に、侍女たちは急ぎ立ち上がり、壁までさがる。
作業を中断させたことを悪いと感じはしたが、今はそれどころではなかった。
「教えてくれ。お前は10歳の時、何をしていた?」
妻は驚いた顔をした後、刺繍をサイドテーブルに置いて私の方を向いた。
「わたくしは、侯爵家に嫁ぐための淑女教育を受けていました」
その言葉にホッとする。やはりおかしなことなど・・・・。
「ただ、それは週に5日ほどです。あとの2日は、自由に過ごしていました」
息がのどに詰まる。
(・・・・自由、に。)
「アイリーンは、週に7日勉強しているな」
私の言葉に妻は「はい」と頷いた。
「2日の自由を与えるべきか?」
縋るように尋ねると、妻は目を見開いた。
「お待ちください・・・・跡取り教育に必要な勉強だから、毎日させていたのではないのですか?侯爵家の跡取りとは、そういうものなのではないのですか?」
妻の震える声に、私は喉が熱くなった。
「必要だと・・・思っていた。だが、私は、アイリーンの好きなものも欲しいものも知らない」
穏やかで静かな表情しか知らない。
妻も言葉数は多くないが、好ましいもの、苦手なものは口に出して伝えてくる。
だが、まだ10歳の子供が、何も伝えてこないのはおかしい。
気づいた時には、もう遅かった。
娘には、好きなものもなければ、欲しいものもなかった。
そういう感情が、無くなってしまったのだ。
自分は違った。
他人からは無感情に見えても、好きなものや欲しいものもあったし、気に入らないことや腹立たしいこともあったのだから。
それから、週に2日自由を与えても、娘はその時間を自主的な勉強の時間にしか使わなかった。
私は、娘の感情を取り戻すため、10歳の子どもが喜ぶと思いつくことを次々与えた。
街へ連れ出したり、乗馬や子供だけのお茶会にも参加させた。が、娘はそれを楽しむことはなかった。
全てを跡取り教育の一環だと認識して、過ごしていたのだ。
勉強だと思っているから、楽しもうとするわけがなかった。
とても真面目に素直に取り組む娘が、痛々しい。
違うのだ。
そんな風に育てたいだなんて思ってなかった。
幸せになってほしかっただけなのだ。
そんな矢先、再び奇跡が起きた。
妻が男児を出産したのだ。
妻はよく頑張ってくれた。
その上、娘の時よりも産後の肥立ちはよく、これも幸いなことだった。
侯爵家に新しい子供が生まれたことで、屋敷の中も活気づき、ホッと安心した。
これでやっと、娘を跡取りという重圧から解放できる。
きっと感情を取り戻してくれる。
そう信じていた。
だが、娘に良い変化はなかった。
それどころか、ぼんやりと庭を見つめている時間が増えたと、侍女から報告された。
妻に14歳の頃、どんな風に過ごしていたか尋ねたら、婚約者である自分と月に一度お茶会をしていた、と伝えられハッとした。
娘にはまだ、そういった相手を用意していない。
婿養子にと、貴族の次男、三男は調査してきたが、爵位を継ぐ者は調べてこなかった。
調べた中には、娘の婿に良さそうな者もいた。確か、伯爵家の三男で剣術に秀でており、今では神殿に騎士見習いとして配属している者だ。頭もよく、気が回り、穏やかな性格だと聞く。親は三男を跡取りにしてもいいと考えていたらしいが、「兄上たちの方が優秀だ」と言って揉め事が起こる前に、さっさと国の騎士団に入隊したらしい。そういう判断力に、自分も惹き付けられた。その親もきっとそうだろう。
だが、それも白紙だ。
爵位を持つ、未婚で婚約者のいないものを今から探さねばならない。
それも、急ぎで、だ。
同年代はどうか、年上は、年下は。
問題のある人物ではないが、年上となると、一癖二癖あるものもいた。
だが、領地の経営など問題なければ、娘と合わせてみた。
しかし、結果は振るわなかった。
誰一人、娘の感情を動かすものはいなかった。
娘は、自分が失敗していると思っているのか、「申し訳ありません」と謝ってくる。
お前に悪いところなどあるわけない。
悪いのは、父親としてお前を守れなかった私だ。
日に日に、娘を見ると罪悪感に苦しくなる。
どうしたら、娘は幸せになれる?
どうしたら、感情を取り戻すことが出来る?
だって、幼い頃の娘は笑っていたのだ。
床を這い、カウチの座面に手をついて立ち、自分のいる世界を見渡して・・・・。
「旦那さま、アイリーンさまに神殿からの招集令状が来ております」
その言葉に、そういえばそんな制度もあったと思い出した。聖なる巫女の候補生を国中から募る制度だ。貴族の令嬢でその招集に応じるものはそう多くない。中には神殿への寄進の一環で行かせる家もなくはないが・・・・。
最初は行かせるつもりなどなかった。候補生になれば3年も神殿で暮らすことになる。その間、余程のことがなければ、帰宅することはできない。それに、自分が耐えられないと思ったからだ。
だが・・・・。
思い切って妻に意見を聞いたところ、「環境を変えることは、良いかもしれませんね」と言ってくれた。その言葉に大切な娘を、神殿に預けることを決意した。
平民の中にも神力を持つ者はいて、候補生のほとんどは平民だ。その平民の中で、娘の様子を報告してくれる者を探した。月に一度の報告で、それなりに良い額提示すれば喜んで引き受けてくれた。ただし、娘や周りに気づかれたら報酬はなくなる旨も伝えておく。補佐官を務めるものにも、伝手を探し、同じ依頼をした。
報告書の中で、娘は穏やかに過ごしていた。
平民に交じり、掃除や炊事、洗濯をしているそうだが、嫌がる様子もなくとても真面目に取り組んでいるという。
癒しの法術も使えるようになり、病院へ奉仕活動にも参加しているようだ。
しばらくは、特に変化のない報告書だったが、ある日を境に娘は変わった。平民の候補生の一人に、強い拒絶を示したというのだ。
その候補生は平民にもかかわらず、娘に近いほどの神力を持ち、法術に長けているらしい。つまり、娘にとって、初めてのライバルなのだろう。
(そうか・・・そうか・・・・。)
目に涙がにじんだ。神殿に行かせたことは間違ってなかったのだ。娘は感情を取り戻し始めている。
その姿をこの目で見ることができないことは、つらく苦しいが、娘が幸せであればそれでいい。
その報告書を、いつも執務室の机に広げて置き、幾度となく読み返してはアイリーンの幸せを祈った。
そんな日々の中、つい先日も屋敷の執務室に押し掛け、いつものように散々文句を言っていた弟が、外国から密輸された違法な薬物を神殿に持ち込んだことで、国の騎士団に拘束されたと聞いた。急ぎ詳細を調べれば、その毒を神殿にいる娘に渡したのだという。
一体どういうつもりだったのかと、怒りを抱えて面会に行けば、弟は私を睨みつけて叫んだ。
「兄上にはわからないさ!侯爵家を継ぐことが出来なかった、オレとアイリーンの気持ちなんて!」
返事が出来なかった。
侯爵家を弟が継ぎたがっていたのは知っている。だが、弟には向いていないこともまた事実だった。だから、それに関しては、自分で何とかしろとしか思わない。
だが、侯爵家を継ぐことが出来なかった娘の気持ちと言われて、意味が分からなかった。違う、跡取り教育のせいで娘は、感情を失って・・・・だから・・・。
(いや、跡取りでなくなってから、ぼんやりと庭を見つめている時間が増えたと、侍女が・・・。)
もしかして、娘は私の跡を継ぎたかったのか?
だから、文句も言わず、休みもなく勉強し続けていたのか?
(アイリーンは感情がなかったんじゃない・・・・私が気づいてあげられなかっただけだ。あの子には、ちゃんと大切なものがあったのか。)
呆然とした気持ちで家に帰り、妻に事の顛末を話した。妻も驚き涙を零しながら、私とともに、娘を思いやれなかった罪を背負うと言ってくれた。
それからどれほど経っただろう。
神殿から書簡が届いた。
そこには、娘が次代の聖なる巫女に選ばれたと書かれていた。
つまり、候補生の任期の3年を終えても、娘は屋敷に戻らない。
娘は、ここに戻ってこない・・・。
ふと、娘が生まれたばかりの頃を思い出した。
あまりの小ささに傷つけてしまうのではと、触れることさえ恐ろしく、そして強く思ったのだ。
何にも代えがたいこの娘は、女神の与えた奇跡の存在だと。
私がこの子を守らなければ、と。
こんなにも愛らしい子が、私の娘なのだ、と。
私は執務室に閉じこもり、ひとり声を殺して泣いた。
それから何日経ったかわからない。すぐだったかもしれないし、ひと月経ってしまっていたかもしれない。ただただ執務に打ち込んでいると、娘の報告書が送られてきた。
そこには、次代の聖なる巫女に指名され、喜び涙を流す娘の様子が書かれていた。
(そうか、それほどまで好きなものに出会ったのか。)
あの娘が、人前で感情を露わにするほどに・・・・。
ならば、いつまでも向き合わないわけにはいかない。
せめて、祝いの言葉を。
侯爵家の当主として、娘の親として。
家紋の入った便箋を取り出し、ペン先にインクを付けた。
書きだそうとすれば涙がこぼれ、書き進めても涙が落ちる。
娘とはいつも、確認のようなやり取りしかしてこなかった。
自分自身も、特に娘に伝えたいことなどないと感じていた。
それはもしかしたら、ずっとそばに置いておけると思っていたからかもしれない。
実際、文字にしてしまったら伝えたいことが溢れ出て止まらなかった。
私の大切な娘よ。どうか幸せに。
だが、少しでも辛いことがあったなら、いつでも帰ってこい。
ずっと待っているから。
領内の治水工事のための陳情書よりも厚くなった手紙を執事に渡す。
「これを神殿のアイリーンに届けてくれ」
執事はとても嬉しそうな顔で「はい!」と返事をすると、仕事を放って部屋を出ていってしまった。
廊下から「誰か!神殿に至急使いだ!大至急だ!」と叫ぶ声がする。
その様子に頬が緩み、そっと音を立てて笑った。
娘が聖なる巫女として立つ祭典では、侯爵家から盛大に援助をしよう。
神殿に恩を売っておけば、聖なる巫女の里帰り・・・いや、うちの屋敷から通うというのも、押し通せるかもしれないな。
そんな風に思いを馳せながら。




