第12話 推しとその日の終わりに
「うぅ~…仕方がないけど凹むー」
宿に帰ってきて、二人に逃げられ少し落ち込んでいたからか、疲労が少し出たのか風呂の準備をした後にそのままベッドにダイブして突っ伏した。悔しい!あの間合いから逃げられるなんて悔しい!
「過ぎたことです。切り替えていきましょう」
「そうだね!そうするよ!」
逃げられた直後は今の俺よりも悔しがっていたユイカちゃんだけど、サッと切り替えて支度を済ませていた。その言葉で一気に覚醒し元気に起き上げる。
「フフッ、夢叶君のそういう所から元気をもらえます」
「ふえ?」
微笑んでいるユイカちゃん。よくわからないけど、笑顔にできているから良しとしよう。俺も元気をもらえてるし。
「ではお先に失礼します」
立ち上がると着替えをもって、お風呂場に入っていった。
ベッドに寝転がり天井を眺める。木の梁が見えて風情があり、落ち着く。
(本当に二人っきりの部屋で一夜を過ごすんだ…)
どこか非現実的な事だと思っていたが、静寂に包まれた時間で突如として実感がわいてきた。この1年、ただただ想い続けていた特別な人と同じ空間にいて話ができる。それだけでも幸せな事なのにその上、その好きな人の事を笑顔にできている。今日の午前中、それどころかアークという異世界に来た時でさえも考えたことがなかったな…。
『漫画の読者と登場人物』─決して交わることのない2人が世界を変え、相まみえる。普通なら叶うはずがない夢。でも誰しもがどこかで渇望していた夢。実現不可能だと思っていた夢が叶っている。実感がわいてくると感極まってしまい視界が霞んだ。気が付いたら少し涙が出てきていた。部屋を照らす灯りが、ぼんやりと優しく包んでくれている。
「嬉しい…これが”幸せ”ってやつなんだね」
ユイカちゃんと出会ってこう思うのは何度目の事だろうか。人間は極度に嬉しいと涙が流れるというが、今それを体験している。お風呂から上がった時にいらぬ心配をされないように涙を拭く。
同じ空間にいられる。今までの人生で一番の幸せだ。だが同時に緊張が高まる。あと数分すれば、お風呂上がりのユイカちゃんが部屋に帰ってくる。着替えも持っていたし…部屋着のユイカちゃんが見れる!!!
「…えっ?その状況で心臓持つ?」
ユイカちゃんの隣で常にドキドキしていた心臓が、今も元気に忙しなく鼓動を奏でる。破裂するのではないかと思うくらい加速しているし、心臓の位置がはっきりわかるし、何よりも全身が熱い。鼓動が全身に響き渡る。緊張で指先が震える。じっとしていられない。
がばっとベッドから起き上がると自然とお風呂場のほうに視線が向いた。
風呂上がりのユイカちゃんを想像…できる。良いのか、悪いのか、俺は想像力や妄想力が豊かだ。ユイカちゃんの様々な衣装、ポーズを脳内で鮮明に一瞬で妄想することができる。ほーら今だって─。
「色っぽいよおぉぉ…」
一瞬で妄想できてしまった。自分の妄想力が憎い。気が付いたら、枕に顔をうずめて手足をばたばた動かし悶えていた。
頭を振り、妄想をかき消す。刺激が強すぎて少しくらくらしてきた。大丈夫…大丈夫なはず。でも今だってお風呂場の扉を凝視してる。目がそらせない。くぎ付けとはこのこと。
しかも入れ替わりで俺が風呂に入り、上がったら部屋着ユイカちゃんと同じ空間にいて、一夜を過ごすことになる。
この精神状態で俺は眠ることができるのか?嬉しさや喜びが絶え間なくあふれ出るけど、この胸のときめきを抱えながら過ごせるのか?
否。
悩む必要などない。ユイカちゃんと同じ部屋にいられるのに何を悩む。ただ緊張して心臓がドキドキしつつも、幸せな感情に全てを委ねるだけだ。
「これが恋なんだな…」
みんなこの感情と向き合いながら過ごしているなんて凄い。尊敬してしまう。俺には初めての経験だから、そんなに好きじゃない根性論に頼るしかない。頑張れ俺。普通に接すればいいのだ。普通ってなんだ…?
落ち着くために目を閉じ、一度深呼吸しようと息吸った瞬間、お風呂場のドアが開いた。
「あがりました」
「…っ!!!」
視線を向けた瞬間、思考が止まった。
白地に朱色の花が描かれた可愛らしいパジャマに着替え、ミニタオルで火照った顔を拭いているユイカちゃんが、そこに立っていた。あまりの可愛さ、美しさに言葉を出すこともできずに見惚れてしまっている。瞬きも忘れて、じっと見ている。心臓がドキッと脈動し、体も心も震えるような感覚が広がっていく。今日だけで何度も体験している、体の中から熱くなる感触を再び味わっている。
ユイカちゃん以外の景色が視界に入らない。家具もベッドも壁も天井もフェードアウトしていく。なんだか不思議な感覚。『恋をしたら周りが見えなくなる』。そういえば恋をした友人が、そんなことを言っていたな。その感覚が完全に理解できた。
生地が薄くなった分、体のラインがうっすらわかるし、お風呂上がりで火照った顔や首筋、艶のあるベリショ…すべてが色っぽくて可愛くて美しい。
語彙力がないから、可愛いや美しいという言葉でしか表すことができないけど、絶対にそんな言葉では足りない。むしろこの世の全ての言葉を使っても、ユイカちゃんの魅力の全てを表すことができないのかもしれない。
そんな中でようやく絞り出した言葉が─
「最高に綺麗でかわいいよぉ~!!」
両手で顔を覆いながら実にシンプルかつ、いつも言っている言葉が漏れ出た。語彙力の無さに嘆きたいところだが、反省する事すらも今はできそうにない。
『最高に綺麗でかわいい』という短い言葉ですらも緊張で唇が震え、少しつっかえた。
息をするのを忘れ、ユイカちゃんに初めて会った時と今と同じ感覚になっている。
想像なんてものを優に超えてくる現実が押し寄せてきた。
視線を戻せば、ユイカちゃんは火照って赤くなっている頬をさらに赤く染めた。目を伏せ、前髪を触り、少し微笑んだ。
「夢叶君は本当に素直ですね…。べ、別に嫌な気分にはなりませんので、その言葉は素直に受け取っておきます」
「本当は気の利いたセリフを言おうと思ってたけど全部吹き飛んじゃった…」
アニメやドラマなんかで、好きな人は輝いて見えるみたいな話があったけどその通りだね。満天の星空のようにユイカちゃんは輝いている。まぶしくて可憐で、心が浄化されるような不思議な感覚。その姿を前にすれば、全ての言葉はするすると口から漏れてしまう。
今日だけでも人生初の感情が多発して、人間として新たな境地へと入って気がする。
「まだ会ったばかりですが、なんとも夢叶君らしいですね。でも、そのままでいてほしいと思っていますよ。気の利いたセリフなど私は求めていませんから。スッと出た、何も飾られていない素直な言葉が好みなので」
少し恥ずかしそうにしながらも目を見返してくれるユイカちゃん。鼓動が加速する。今この瞬間がこの上ない幸せ。人生で一番幸せな空間だ。
これが『恋』─人を好きになるってことなんだね。
「なので!夢叶君はそのままでいいんです!わかりましたね?」
「うん!わかった!」
優しい微笑みに、全身を雷が貫くような衝撃が走った。これからの人生、ユイカちゃんにはすべて素直で誠実でいよう。そう生き方を決めるには十分すぎる言葉だ。
入浴を終え、軽くストレッチをした後に部屋のライトを消してベッドランプをつける。春の夕暮れのような優しい光がぼんやりと周りを照らす。隣のベッドにはユイカちゃん。激動の1日がいよいよ終わる就寝時間。
少し怖い。この瞬間の幸せ夢や幻で、眠ったら目が覚めたら元の世界に戻っていて、いつもの変わらない日常に戻るのかもしれない。日常に戻るのはいいことだ。でも戻りたくない。
まだユイカちゃんの側にいたい。見ていたい。笑顔にしたい。幸せにしたい。我儘な感情が次々と止めどなく溢れてきてしまう。今この瞬間が奇跡で成り立っているのは理解している。でもまだ離れたくない。そう思うと目を閉じるのが、そして目を覚ますのが怖い。
この奇跡の時間に後悔したくないから、胸の内を話すことにした。
体を横向きにしてユイカちゃんを見ると、仰向けで天井をじっと見ていた。何を考え、何を想っているのか。俺には読心術がないからわからないけど、その視線は穏やかで優しい色をしている。寝ている態勢なのに姿勢がいいし。こんな時まで綺麗な姿勢でいるなんて流石だ。
「ねえ、ユイカちゃん」
「ん?なんですか?」
呼びかけると俺の方を向いてくれた。ライトグリーンの瞳と交錯する。
「訳も分からず異世界に召喚されて、ユイカちゃんと出会えて、話ができて、一緒にご飯食べたり、買い物したりこうやって同じ空間に入れて…夢のような時間を過ごせて俺、人生で一番楽しかったし幸せだったよ。ありがとう!」
初めての異世界でも不安なんてなかった。ユイカちゃんが側にいてくれたから、笑顔で楽しみながらこの世界で過ごせている。きっと自分も突然呼び出され困惑していたはずなのに。気持ちの整理だって完全にはできていなかったと思う。そんな中でも不安なんか一切見せずに俺にまで気遣ってくれて、一緒にこの世界を楽しみ、今も同じ空間にいてくれる。ユイカちゃんがいなかったら、こんなに楽しく前向きに過ごす事は出来なかった。心の支えになってくれた。感謝してもしきれない。
俺の言葉を聞いて、少し伏目になり口元まで布団を上げて隠した。そしてまた俺の方をまっすぐ見てくれた。
「お礼を言うのは私も同じです。夢叶君が心の支えになってくれたから安心しましたし、ずっと楽しませようとしてくれたから、心の底からこの世界を楽しむことができました。人生で初めての経験を他の誰でもない、夢叶君と一緒にすることができて嬉しかったです。あなたと出会えてよかった…ありがとうございます」
最高の笑顔を見せてくれたユイカちゃん。世界がまた一段と明るさを増す。この最高に笑顔とこの最高の喜びの気持ちを、俺は一生忘れないだろう。
記憶だけではない。魂にも刻まれた。嬉しくて涙が込み上げてきて、指で涙を拭う。
「フフッ…まだ始まったばかりなのにこれではまるで、最終決戦前の夜みたいですね」
優しい微笑みをくれるユイカちゃん。互いにお礼を言いあって、俺に至っては感極まって少し泣いているし。的確なツッコミに俺も微笑んだ。
「本当にそうだね!」
「でもそういう所が夢叶君のいい所なので、変わらずにいてくださいね」
「うん、任せておいて。俺は変わらないよ、いつまでも」
互いに微笑みあっている。こんな幸せな異世界生活、誰が予想できただろうか。
恋っていいなぁ。
「では寝ましょうか」
「そうしようか」
「おやすみなさい、夢叶君」
「うん。おやすみなさい…ユイカちゃん」
仰向けになりチラッとユイカちゃんを見る。目を閉じ、ゆっくりと呼吸をしている。横から見ると長くきれいなまつ毛がより際立って見える。
好きな人の隣で寝れるなんて、最高に幸せだ。こんな幸福感に包まれながら眠りにつくのは初めて。
明日からが楽しみだ。
だからどうか─。
(この瞬間が幻ではありませんように)
そう願わずにはいられない。
サイド ユイカ
ここまで一途な想いをぶつけられるのは人生で初めてのことでした。
戸惑いはありましたが何よりも喜びの方が大きかったのは、自分自身の事とはいえ驚きです。しかしそれは当然の感情だったのかもしれません。
漫画で知っていた彼は輝いていて。実際に見ればその姿は透き通るようで、安心感があって、優しく包み込んでくれて。
この酷く寂しい世界。大切な人たちの命運を全て背負っている過酷な状況。1人なら神経をすり減らし、常に肩ひじを張って歩みを進め、いつか限界が来ていたかもしれない。そんな理不尽な世界で彼だけは違っていた。
彼がいたから心が軽くなり、より良く事が進んでいる。支え合うということの大切さを、この1日で再確認できました。
過ごしている間、優しく楽しそうな弾ける笑顔を絶やさなかった。言っていることも行動も全て本音なのだとすぐに伝わってきました。隠す気があるのかないのか、私相手にはそんなことが器用にできる人間ではないのか。心情は明快。誠実というか、不器用なほどに真っすぐというか。
数多の戦場を潜り抜けて磨いてきた鑑識眼には自信がありますから、演技かどうかはすぐに判断がつく。
だからこそ気になる。だからこそ受け入れられた。心地が良く、恥ずかしくて、でも嬉しくて。人生で初めての感情も受け入れられました。
お嬢様と会えないのは寂しいですし、運命を背負っていると思うと背筋が伸びる思いです。必ず救ってみせます。
いつも言われている力を入れすぎない、という助言は今は実行できています。
彼が…夢叶君がこの世界にいてくれてよかった。出会えてよかった。ずっと会いたかったから。今日は私の方がいろいろしてもらいました。明日からは私も何か返していければ。人生でこんなことを考えるようになるとは、思いもよりませんでした。
いつか話す時が…今はまだ怖いですが─いつか必ず。
この感情がどうか特別でありますように。
また明日からも楽しみです。
だからどうか─。
(この瞬間が幻でありませんように)
そう願わずにはいられない。




