第1話 人生最悪な日に推しと出会った
君たちの想像は、夢にまで見る光景は、空を貫く夢想は、大地を震わす創造は─夢か、幻か、それとも─
『今、君には何が見えている?』
見たこともない水平線まで続く雄大な草原。2つの太陽から降り注ぐ光に反射し深緑に輝く草花が生い茂る中に、俺はぽつんと立ちすくんでいた。頬や首に心地の良い風が掠めていく。遠くに山より高く、雲をも突き抜ける“巨大”という言葉でも足りないくらいの大木が見える。空には大陸が浮かび、その周りをドラゴンが悠然と飛び回っている。触れただけですべてを切り裂きそうな鋭い牙とワインレッド色に染まった瞳、時折の咆哮は肌を伝い、内臓を震わせる。
俺はなぜここに…ただ部屋で悲しみに暮れていただけなのに。信じられない光景を受け入れられなくて記憶を遡る。
そう俺はただ─泣いていただけ。
「出版社のバカ!!バカバカバカーーーーーッ!!!うわぁぁぁ……うぅぅ…ぐぅっ…確かに人気なかったけどさ!単行本の売り上げだってじりじり伸びてたんだからもう少しチャンスくれてもよかったじゃんっ!!!」
高校最後の1か月。来月に卒業式を控えた2月。俺、【面影 夢叶】にこの上ない、形もない絶望が襲った。
大好きな漫画【エレクトロン・アカデミー】が打ち切られた。連載されて約1年。あまりにも早く、突然の別れ。
【エレクトロン・アカデミー】─週刊ホップにて連載されていた漫画で、主人公の桜坂君が学園の中で押し寄せてくる謎を解決していく学園サスペンス。解決しては新たな謎を呼ぶ展開や熱いメッセージ性からなる奇怪な言葉遊びで、一見すると読者を選ぶような癖の強い作品。しかし展開としては、個性豊かな登場人物の複雑な心情が織りなす群青劇や主人公と仲間の成長を描いた王道な物語。
最初から人気は低めだったが、ファンの応援でなんとか1周年を迎えられた。壮大な盛り上がりを見せたがその少し後、雲行きが怪しくなる。巻いた展開、なかったことにされた伏線、緩急のないスピード感。焦るファンの続いてほしいという願いは…届かなかった。
サバイバルレースに敗れ、様々な伏線や物語、人間関係を割愛しつつ綺麗な話の畳方で物語に幕を下ろした。打ち切りではあったが本当にきれいな終わり方で感動し涙が止まらなかった。もちろん悲しみの涙も流れた。というかほぼそれが理由で号泣している。現在進行形だ。
個人的に『エレクトロン・アカデミー』の最大の魅力は個性豊かな登場人物だと思う。必ず推しキャラが見つかる!というギャルゲーみたいな評価をファンから得ているし。
そんな俺にも推しがいる。
【星守ユイカ】。
主人公でも正ヒロインでもなく、序盤に主人公の前に立ちふさがる敵役の一人。主要人物からは少し外れたサブキャラだ。敵役であったが色々あって中盤以降には友人ポジになったけど、出番はメインキャラに比べれば少なく、影が薄かった。
正ヒロインであり、世界有数の企業『天上院コーポレーション』の一人娘【天上院 恭子】に仕えるメイドという設定。敬語口調、水色髪ベリショ、高身長、しっかり者で真面目で男嫌いでぱっと見ボーイッシュだけど可愛い物好きで情に厚くて涙もろくて年相応に悩む、最高に可愛らしく魅力的な女の子。
俺はこの子が、大好きだ。推しというか、恋をしている。漫画のキャラ、いわゆる二次元の女の子に俺は恋焦がれている。彼女のためなら何でもしたい。彼女がちらっと話の中に出てきてくれただけでも、ドキドキが止まらなかった。たとえ二次元のキャラであろうと恋をしている相手なので、彼女の事は敬意と親しみを込めて『ユイカちゃん』と呼んでいる。
ユイカちゃんを初めて見た時、見た目や言動が俺の胸に深く刺さって抜けなくなった。時は止まり、全身をエネルギーが駆け巡り続け、周りの音は消え去った。そして徐々に世界が動き出した。漫画の登場人物ではあったが、恋に落ちるとはこういう事なのだと教えてくれた。出会えた事に心から感謝している。
でも連載が終わってしまった以上、彼女とはもう二度と会えない。もう新たな姿は見ることはない。姿も言葉も、あの最高の笑顔も…。その事を理解する度に涙が止めどなく溢れてくる。魂が引き裂かれるような、痛みがない痛みが襲い続ける。何も見たくない。好きだった漫画もアニメもゲームも、嫉妬で気が狂いそうで視界に入れたくない。こんな感覚、人生で味わいたくなかった。
「こんなのってない…サヨナラなんてしたくない…大好きだよ、ユイカちゃんっ!!」
薄暗い部屋の中のベッドの上、とめどなく流れる涙は重力に従い、零れ落ちて枕を濡らしていく。もう二度と会えない。新規のイラストは見られないし、打ち切りだからアニメ化や新たなメディア展開も希望が薄い。心にぽっかり空いた穴に、絶望がひたすら流れ込んだ。
人はたかが漫画のキャラクターと言うかもしれないが、俺にとってはこの上ない生きる希望だった。世界から色がなくなるようで、何に対しても気持ちが入らない。
今日は人生の中で“最悪”の日だ。
絶望に打ちひしがれていた時、涙で歪む視界の異変に気付いた。部屋の真ん中、こぶし大サイズのライトグリーンに輝く光の玉。
「ひょひょえ?」
こんなもの見たことがない。一時間前まで存在していなかったはず。距離をとって様子を見ていた次の瞬間、光の玉から発せられたまばゆい光に飲み込まれ、そして─
今に至る。草原のど真ん中。
「え?待って、異世界…か?まさか…夢ではない、はずだし。いや全然自信がない!夢の中で夢だって認識したことあるし。泣きすぎて寝落ちしたのかな。夢か?」
状況が呑み込めず困惑が止まらない。誰もいないし、不安で独り言が止まらない。普通に考えたらこんな状況は夢だ。悲しみで号泣してそのまま寝落ちからの夢。でも俺は確かに起きていたはず。最終話を見て、ユイカちゃんの最後の姿を見て号泣していた。
土や草のにおい、頬を撫でるそよ風、肌をつんざく2つの太陽からの光。まぎれもなく本当の感覚。何度考え直しても五感の全てが正常に機能していると思わざるを得ない。
「いやいや太陽が複数あるのはおかしい!でも幻日である可能性も…あるか?それにあれドラゴン?世界樹みたいな木に、空に浮かぶ大陸?本物であるはずがないよな?…っん!?」
目に映るもの全てに疑いがかかるが、答えなど出るはずがない。余計に思考が纏まらない。だがその時。突然数メートル先に光の柱が天から伸びた。眩いライトグリーン。自分をこの世界に連れてきた光と全く同じ色…いや、それすらも自信がない。
警戒して近づき観察してみると、光の柱の中に人影のようなシルエットが見えた。
『似てる』
瞬間的に、そして直感的にそう思った。徐々に光が明けていき、シルエットがはっきり見えてくると思わず息を飲む。似ているとかのレベルではない。そのものだ。でもありえない。そんなはずはないのだ。そんな事はわかりつつ思わず、心のどこかで期待してしまっている自分がいる。
「……あぁ…ああっ」
その姿をはっきり確認できたその瞬間、世界の動きが緩やかになった。ゆっくり、ゆっくりと時間が動き出す。
全ての光を反射するような鮮やかな金髪のベリーショート、180くらいの高身長で素晴らしいスタイル、一見ボーイッシュに見えるけどライトグリーンの大きな瞳とそれを縁取る長いまつ毛とシュッと高い鼻立ちの可愛らしい最高に魅力的な女の子。
呼吸をするのを忘れてしまう。全身を衝撃が駆け巡る。世界が揺らぎ、周りの景色から意識が外れ、視界には今は『あの子』にしか写らない。見間違えるわけがない。
「ユイカちゃん…!?」
震える声でその名を呼んだ。ありえないとかどうでもいい。光の柱から出てきたのは間違いなく俺の推しである【星守ユイカ】─ユイカちゃんで間違いなかった。
この世の全ての言葉をもってしても、彼女の全ての魅力を伝えきれる事はないだろう。止まっていた時間が動き出す。
「ん?えっ…!」
周りを確認しきょろきょろした後、視線がぶつかる。まじまじと俺の顔を見て、大きな目をより一層大きく見開いた。なぜか信じられないといったような表情を浮かべた。可愛いし、綺麗な瞳がより一層深みと輝きを増して美しい。うっとりするほどに綺麗だ。声もボイコミのままだ。服装もエレクトロン・アカデミー制服のまま。
夢だろうけどそんな事はどうでもいい。推しを、ユイカちゃんを目の前にしてる。視線が交錯している。その事実だけで嬉しすぎて涙で視界が歪む。泣くな俺!その目にユイカちゃんの姿を焼き付けるんだ。どんなに強く思っても涙が零れ落ち、呼吸が過呼吸気味になる。
この夢のような時間がいつまで続くかわからない。想いを伝えないと。
「ユイカちゃん大好きだよ!!最高にかわいいよ!カッコよくて可愛くて魅力的で最強だよ!!君と出会えて幸せだった。君のおかげで、今日この日まで生きて来れたんだ。生きる希望をくれてありがとう!どうか幸せになってね。愛してる…大好きだ、ユイカちゃん!!」
「っ~…い、いきなり何を言っているんですか!?」
目をまっすぐ見ながら想いを伝えた。言い切った。泣くのをこらえてよく言えた俺。頑張った。気のきいたセリフを言えなかったのはマイナスだけど。
困惑してるけれど少しだけ照れてくれているみたいで、頬をほんのり赤く染めている。可愛い。男嫌いだけど男の俺の言葉に喜んでくれているなんて、嬉しくて仕方がない。なんて幸せなんだろうか。でもつい想いを伝えたけど男嫌いなのに初対面の男から突然想いを叫ばれて迷惑だと思う。それに初対面なのに“ちゃん”付けはあまりにも無礼。気が高ぶって推しに迷惑をかけてしまった。俺はファンの恥さらしだ!謝らなくては。
「いきなりごめんね!初対面の男から突然言われて嫌だったよね。不快な思いをさせてごめん!」
嬉しかったとはいえよくない。想いというのは独りよがりになってはいけない。泣きながら頭を下げて謝る。
「あなた…『面影夢叶』、君ですよね?」
「えっ!?俺の名前を知ってくれてるの!?嬉しすぎる…うぅぅ…」
推しが俺を知ってくれている。嬉しすぎる。でもあり得ないから絶対夢だ。なんていい夢なんだ!今までに1度だってユイカちゃんが夢に出てきてくれたことなんてなかったから、出てきてくれただけでも嬉しいのにさらには名前を呼んでくれるなんて、心臓が飛び跳ねるくらい嬉しい。あらぶった鼓動が全身を揺らすのがわかる。ユイカちゃんの声、めっちゃ綺麗でかわいらしい。目覚ましにしてほしい。嬉しさで涙がまた溢れてきてる。
「こんな事ありえません…」
「ありえないけど嬉しいよ!」
何に困惑しているかわからないけど、困惑しているユイカちゃん可愛い。本編でもたまにこういう顔をしてくれる。ユイカちゃんファンの間でも人気の表情で、好きな表情ランキングで堂々の三位を獲得している。このご尊顔を拝めるなんて幸せすぎる。
でも次の言葉がそれまでの雰囲気を吹き飛ばすことになる。この時の衝撃を俺は一生忘れないだろう。
「だってあなたは─【漫画の登場人物】…なんですから」
「……えっ」
今なんて?俺が『漫画の登場人物』…いやまさか。まぁ夢だしこんなこともあるよね。でも、なぜだろうか。得体の知れない恐怖が全身を包み込み、体の隅々から血の気が引くように芯から冷えていく感覚が襲う。涙に交じり汗が頬を伝う。視界が揺らぐ。
「え…いや…その漫画の登場人物はユイカちゃんの方、だよ。ま、まぁ!夢…だし」
「えっ…」
それを聞いてユイカちゃんも顔を青ざめていた。きっと今の俺も同じような表情を浮かべているのだろう。夢…そう思っていないと心の中で不安が爆発しそうになってしまう。
「俺…漫画で見たからユイカちゃんの事、結構知ってるよ!みんなには恥ずかしいから隠してるけど甘いものが好きで部屋に帰ってからしか食べないとか、朝のサイクリングは好きな数字に合わせてきっかり36分走るとか、泣きませんよって言ったのにべたな感動アニメを見て号泣して次の日に学校行ったらみんなから心配されて花粉症だと誤魔化したり、クールでいようとするけど熱血で仲間想い、信念を持ってるのに自己犠牲しがちで、謝ろうとしたらつい意地張って謝れなくてそんな自分に落ち込んで悩んで…でも最後はちゃんと謝れて。最高にカッコよくて可愛い姿も…」
「最後はあなたの感想じゃないですか!わ、私もゆ…面影君の事はそれなりに知ってます。友達が困ってたら気を遣わせないために偶然を装ってタイミングよく現れて何も知らないふりをして手を貸したり、ブラックコーヒー苦手なのに大人ぶって毎日みんなの前で飲んで、テストで悪い点数だったらこの点数狙ったんだとかわけのわからない言い訳してたり、友達が泣いていたら一晩中付きっきりで側にいて励ましてくれたり、同級生を助けるために自分の時間を後回しにして先生に怒られたり…それに感動アニメの話は面影君も一緒ですよね!あと好きな漫画が打ち切られて部屋で号泣していましたし。私も…漫画で見ました」
「うっ…少し恥ずかしいエピソードまで知られているなんて」
でも全て真実。部屋で号泣していたのはさっきだし。俺の夢ならば俺の事をわかっているユイカちゃんが出ても何もおかしくないのだが、どうしても現実味を帯びてきている。
「でも…夢だよ、ね。こんなにも嬉しいけど、そうに決まってる。漫画の登場人物だなんて言われても…俺は最愛の推しに会えた!会えるはずのないユイカちゃんに会えたんだ!最高に嬉しいけど、悲しい事に叶わないことだから…夢に、決まってるんだ…」
会えた事は人生最大の喜びと言っても過言ではない。夢に決まってる。でも何だろう。この得体の知れない恐怖は。この底知れぬ違和感は。これは本当に夢なのか?
最後まで楽しんで読んでいただけたら幸いです。よろしくお願いします!




