理不尽に婚約破棄宣言された私。何故か第二王子に溺愛されている件
煌めくシャンデリアの下。
王宮の大広間に響き渡ったのは、王太子アルベルト殿下の声だった。
「公爵令嬢エリス・フォン・グランツ! 貴様との婚約を、この場をもって破棄する!」
一瞬にして場の空気が凍りつく。舞踏会を彩っていた音楽さえ止まり、貴族たちの視線が私に突き刺さった。
私はエリス。生まれながらにしてグランツ公爵家の長女として育ち、幼い頃から王太子の婚約者に定められていた。
……少なくとも、表向きはそうだった。
隣に立つのは、子爵令嬢メリッサ。
彼女を腕に抱いたアルベルトは、まるで勝利者のような顔をして言い放つ。
「お前は嫉妬に狂い、メリッサを何度もいじめた。それだけではない、王国の財を私的に流用し、挙げ句の果てには暗殺者まで雇ったと聞く!」
「まあ!」
「なんて恐ろしい……」
会場にざわめきが広がる。
私は深く息を吸い込み、静かに言葉を紡いだ。
「殿下、それらは事実無根です。証拠が――」
「黙れ!」
彼は私の声を遮り、メリッサの手を握りしめる。
その顔は恍惚とした笑みに満ちていた。
「言い訳など聞く耳は持たぬ! 真実の愛を貫く俺とメリッサを妬んだ報いだ。王太子妃の座は、彼女こそがふさわしい!」
……ああ、呆れる。
いじめ? 財の流用? 暗殺者?
そんなもの、すべて作り話に決まっている。
けれど、この場で何を言ったところで、誰も私の言葉には耳を傾けないだろう。
私はただ、冷たい視線を受け止めるしかなかった。
その時だった。
「――くだらない茶番だな」
低く鋭い声が大広間に響いた。
振り向けば、そこに立っていたのは第二王子、カイル殿下。
冷徹無比と噂され、普段は表舞台に姿を見せない彼が、真っ直ぐに私を見据えていた。
「兄上、その言葉に証拠はあるのか?」
「な、何を……」
「俺が調べた限り、グランツ公爵令嬢は数々の功績を残している。隣国との交易路開拓、飢饉対策、学園への資金援助。むしろ彼女がいなければ、この国の基盤は危うかったはずだ」
「そ、そんな……!」
ざわめきがさらに広がる。
カイル殿下は私の前へと歩み寄り、差し伸べた手を向けてきた。
「エリス。俺と来い。今度こそ、誰にも傷つけさせはしない」
突然の言葉に、私は思わず問いかけてしまう。
「……どうして、私なんかを?」
カイル殿下はふっと微笑んだ。
その微笑みは、冷徹と呼ばれる人のものではなく、どこまでも優しい。
「決まっているだろう。俺はずっと、お前を見ていたからだ」
胸がぎゅっと締めつけられる。
どうして……? なんで……?
私は震える手を、彼の掌に重ねていた。
「さあ、ここから出よう。もうここにいる必要はない」
舞踏会のざわめきを背に、私はカイル殿下に導かれ王宮を後にした。
夜風が冷たく、まるで今までの私の人生を洗い流すかのように頬を撫でていく。
「……殿下。助けてくださって、本当にありがとうございます」
深々と頭を下げる私に、彼は少し困ったように眉をひそめた。
「殿下と呼ぶな。俺の名はカイルだ。お前にとってはただの男でいい」
「で、でも……」
「俺はもう決めた。お前を守ると」
その言葉があまりに真っ直ぐで、私は言葉を失った。
ずっと、婚約者という肩書のもとで冷遇されてきた私にとって、それはあまりに強すぎる救いの言葉だった。
◆
しばらくして、私はカイル殿下の計らいで、王都郊外の屋敷へと移り住んだ。
形式上は「追放」されたことになっているが、実際には彼が用意した庇護の場だった。
「ここなら誰の目も気にせず暮らせる。……俺と一緒に、な」
「えっ……い、一緒に!?」
顔が真っ赤になるのを感じる。
彼は平然とした顔で言った。
「当然だろう。俺はお前を守ると言った。だから側にいる」
それからの日々は、不思議なものだった。
朝は一緒に朝食をとり、庭で花を眺め、時には市場に出かける。
けれど、彼は護衛や使用人を大量に引き連れ、庶民生活というより「殿下の溺愛生活」だった。
「エリス、これをやる」
「えっ、こんな高価な髪飾り……!」
「似合うから買った。文句は受け付けない」
「……どうしてそこまでしてくださるのですか?」
「どうして、か。……愚問だな。俺がお前を愛しているからに決まっている」
胸がまた高鳴る。
私なんて、婚約破棄された悪役令嬢なのに。
――どうして、こんなにも。
◆
やがて、王都に驚くべき知らせが流れた。
メリッサが社交界で虚偽の証言をしていたこと、アルベルトが彼女と裏で賄賂を受け取っていたこと……。
全ての証拠が揃い、王国議会で暴かれたのだ。
「すべて、カイル殿下が動いてくださったのですか?」
問いかけると、彼は肩をすくめた。
「俺一人の力じゃない。だが、お前の名誉を守るために動いたのは事実だ」
「……ありがとうございます」
涙がこみ上げる。
誰も信じてくれなかった私を、彼だけが信じてくれた。
◆
数週間後。
王都の大広間には再び貴族たちが集められていた。
だが今回は舞踏会ではない。国王陛下が臨席する「公開裁定の場」である。
ざわめく会場に、緊張した空気が流れる。
壇上に立つのは、失意に沈んだ王太子アルベルトと、青ざめた顔のメリッサ。
その対面には私とカイル殿下が並んでいた。
「アルベルト王太子。お前がエリス嬢を誹謗し、根拠のない罪を着せたことは既に明らかである」
国王の声が響き渡る。
「さらに、メリッサ子爵令嬢と共に裏で商人から賄賂を受け取り、王国の財を横流ししていた事実も確認された」
「そ、そんなはずはありません!」
アルベルトが必死に叫ぶ。
額には脂汗が滲み、声は震えていた。
「私は……私はメリッサを愛していた! すべては彼女を守るためで……!」
「殿下!」
メリッサもまた、涙ながらに叫ぶ。
だがその声はもはや誰の同情も得ない。
会場の人々は冷ややかな視線を二人に向けるばかりだった。
「愛だと?」
低く冷たい声で言葉を挟んだのは、カイル殿下だった。
彼は一歩前に出て、堂々と二人を見下ろす。
「兄上。愛を理由に虚偽をでっち上げ、国を危うくする。そんなもの、ただの自己陶酔だ」
「ち、違う! 俺は真実の愛を――」
「真実の愛ならば、なぜ無実の者を陥れた?」
鋭い問いに、アルベルトは言葉を詰まらせる。
「エリス……! 頼む、助けてくれ!お前は俺の元婚約者だろう!?」
アルベルトは突如として私に跪き、縋りついてきた。
王太子としての威厳などどこにもなく、ただ命乞いをする一人の男にすぎなかった。
「お前なら父上を説得できるだろう!? 俺を救ってくれ! そうすればまた……」
私は静かに首を振った。
「殿下、私はもうあなたの婚約者ではありません。あなたに救いを与える義務も、理由もないのです」
「そ、そんな……」
彼の顔から血の気が引いていく。
メリッサはメリッサで、必死に言い訳を並べ立てていた。
「わ、私は殿下に無理やり……! 殿下が怖くて従うしかなかったのです!」
「何を……裏切るのか、メリッサ!」
二人の醜い争いに、会場の貴族たちは嘲笑を漏らす。
「なるほど、王太子の器ではなかったな」
「悪役令嬢と呼ばれていたエリス嬢の方が、よほど立派ではないか」
そんな囁きが、次々に広がっていく。
カイル殿下はその様子を一瞥すると、冷酷な声で告げた。
「俺の妃を陥れようとした罪――万死に値する」
その言葉に、会場は水を打ったように静まり返る。
冷徹と噂される第二王子の眼差しが、鋭い刃のようにアルベルトとメリッサを貫いていた。
「アルベルト王太子、王位継承権は剥奪。以後は辺境に幽閉とする」
「メリッサ子爵令嬢、爵位を剥奪し、家名も断絶。以後は平民として罪を償うがいい」
国王の宣告が下された瞬間、二人の絶叫が響いた。
「いやだぁぁぁっ!」
「助けて、殿下ぁ!」
だが誰も手を差し伸べることはなかった。
彼らは護衛に引き立てられ、無様に引きずられていった。
残された静寂の中で、私はカイル殿下の手を握った。
彼は微笑み、私の耳元で囁く。
「終わったな、エリス。お前はもう自由だ」
◆
断罪の場が終わった後、私は王城の庭園へと足を運んでいた。
夜風が頬を撫で、花々の香りが漂う静かな場所。
さきほどまでの騒動が嘘のように、世界は落ち着きを取り戻していた。
「――ここにいたか」
低く落ち着いた声が背後から響く。
振り返ると、カイル殿下がゆっくりと歩み寄ってきた。
月明かりに照らされた彼の横顔は、冷徹な裁きを下したときの険しさではなく、穏やかで優しい表情を浮かべていた。
「殿下……」
「もう殿下と呼ぶのはやめろ。お前にはそんな距離は必要ない」
そう言って彼は私の手を取る。
大きくて温かな手。
その温もりが、心の奥底まで溶かしていくようだった。
「俺は、ずっとお前を見ていた。無実の罪を着せられても決して折れず、誇りを守り抜く姿を」
「……私なんて、悪役令嬢と呼ばれていましたのに」
「その強さと気高さを悪役と呼ぶ者がいたなら、それは見る目がなかっただけだ。俺にとっては、誰よりも愛しい存在だ」
胸が締め付けられる。
目の奥が熱くなり、涙が零れそうになる。
「どうして……どうして私なんかを、そこまで……?」
問いかける私に、カイル殿下は微笑んだ。
「簡単なことだ。――お前を愛しているからだ」
その言葉に、堪えていた涙が溢れ出した。
私は思わず顔を伏せるが、カイル殿下はそっと私を抱き寄せる。
広い胸の中で、心臓の音が響いていた。
ああ、これが「愛されている」ということなのだと、やっと理解した。
「ユリウス殿下……」
「カイル、だ」
「……カイル様」
彼は満足そうに目を細め、私の顎をそっと持ち上げた。
視線が絡み合い、距離が縮まる。
そして――唇が重なった。
柔らかく、けれど確かな想いが伝わる口づけ。
世界の音がすべて遠のき、ただ二人の鼓動だけが響いていた。
唇が離れた後、彼は静かに囁く。
「これからは、ずっと俺の隣にいてくれ」
「……はい。私でよろしければ」
涙まじりに微笑むと、彼は再び私を抱きしめた。
もう二度と孤独に震えることはない。
これからは、この人と共に歩んでいける。
――私、なんで愛されてるの?
そんな疑問は、もう抱かない。
だって、答えはひとつしかないのだから。
私は彼に、心から愛されている。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
悪役令嬢ざまぁ&溺愛という王道を書かせていただきましたが、楽しんでいただけたでしょうか?
エリスが幸せを掴む姿を見て「ざまぁスッキリ!」「胸きゅん!」と思っていただけたなら嬉しいです。
また別の物語でもお会いできますように。