第9話 帰りのバス
程なくして家に戻ると、
桜の叔母さん、清水さんが玄関で待っていた。
「皆さんお疲れ様!
お腹空いたでしょう、ほらほら早く上がって」
にこやかな顔で、清水さんが中学生たちを招き入れる。
ふすまを全部取り払った広い客間。
わいわいガヤガヤ、にぎやかな声が響いた。
俺もそれについて上がろうとした。
「光さんはこちらでお願いしますね」
奥から出てきたのは、桜の母親――雪さんだった。
いつの間にか野良着を脱ぎ、白い割烹着に着替えていた。
「はい」
言われるままに、俺は台所の隣の小部屋へ。
出されたのは白いご飯に豚汁、漬物。
どれも飾り気はないけど、うまそうだと思った。
頭を下げて席につき、いただきますと箸を取る。
……と、隣の部屋の笑い声が一段と賑やかになった。
ああ、たぶん桜が呼びに行った別の班が来たんだな――そう思った。
しばらくして、桜がその騒がしい部屋を抜けて入ってきた。
「ふぅ……」
大きく息をついた桜は、ほっとした表情だった。
俺と桜は、黙々と昼食を口に運んだ。
やがて俺のほうが先に食べ終わった頃、雪さんが言った。
「午後の畑仕事はもういいですから、
この荷物を持って早めに浅草の家に戻ってください」
「え、でもまだ全部終わってないんじゃ……」
湯飲みを置いて返す。
「中学生の皆さんにお願いできますから大丈夫。
夕方になると駅の周りで、警察が買い出しの取締りをしてますので」
「取締り……ですか?」
「他はともかく、お米の移動は禁止なの」
と、桜がご飯を食べながら口を挟んだ。
「うちは買い出しではないですけれど、捕まるといろいろ面倒ですしね」
そう言って、雪さんは畳の上に広げた荷物を手際よくリュックに詰めていく。
米、味噌、大根、卵、野菜……
全部布袋に入れられた食料品だった。
リュックは二つ。
どちらもパンパンに膨らんでいる。
「光さんの方、重くなってしまったけど大丈夫かしら」
「平気です。バスと電車だけですし」
「では、お願いしますね」
桜も食べ終え、そっと席を立って部屋を出ていった。
隣の部屋は、まだ騒がしい。
俺はお茶をもう一杯もらって、のんびり待っていた。
しばらくして、桜が戻ってきた。
長押にかけてあったマフラーを取り、帰り支度を始める。
慌ててお茶を飲み干し、俺もリュックを手に取った。
……重い。思わずたじろぐ。
でも顔には出さず、ぐっと背負い直す。
「桜さん、忘れ物ですよ」
雪さんが文庫本を二冊、手渡した。
「あっ」
桜はあからさまに動揺しつつ、本を受け取ると
肩掛けの小さなバッグに押し込んだ。
そのまま俺たちは、雪さんに見送られて家を出る。
数時間前に歩いた、のどかな小道。
桜の後ろを歩く。
太陽は高くなり、気温もぐっと上がっていた。
厚着のままだと、ちょっと暑いくらい。
生垣の角を抜け、街道沿いのバス停へ。
そこには、自転車の若い女性が一人。
カーキ色の服。。
彼女はバス停の看板に何かの張り紙をしていた。
「橋が落ちた、んですか?」
桜が声をかける。
「ええ、完全に落ちたわけじゃないけど、
とてもバスは通れそうもなくて」
「……確かにあの橋、壊れそうだったけど。
え、じゃあ本当に今日は、バス来ないの?」
張り紙を食い入るように見ながら、桜が言う。
「たぶん無理だと思います。
私は先に行かないといけないので、これで」
女性は帆布の鞄の位置を直すと、自転車にまたがり西へ走っていった。
たぶん、この先の停留所にも同じ張り紙をしていくのだろう。
残された俺たちは、呆然とその場に立ち尽くした。