第8話 中学生
「こんにちはー!」
桜が民家の玄関を元気よく開けた。
そのまま中に入っていく。
俺はというと……おずおずと後に続く。
中から、割烹着姿の中年女性が出てきた。
「あらあら桜ちゃん。おじいちゃんと雪さんは畑に……どちら様?」
その人は、俺を見てちょっとびっくりしている。
「先週からお父さんの遠縁でうちに来てる書生の早瀬光君。今日はお父さん来れなくなっちゃったので、荷物持ちなの」
「よ、よろしくお願いします!」
慌てて頭を下げる。
リュックを背負ったままで、ちょっと間抜けだったかもしれない。
「まぁまぁ驚いたわね。こちらこそ、桜の叔母の清水典子です。二人とも疲れたでしょ、早く上がって」
とりあえず、書生ってことで納得してくれたみたいだ。
桜の叔母さん、三十代後半くらいの落ち着いた雰囲気の人だった。
俺たちを和室の居間に案内すると、台所へ。
掘りごたつに入るよう桜に促され、俺も腰を下ろす。
少しして、お茶を持った叔母さんが戻ってきた。
三人分入れて、こたつに腰かける。
「そういえばあの中学生、なんて名前だっけ。今日も勤労奉仕で来てるけど、桜ちゃんにって本置いてったのよ」
桜が飲みかけたお茶を吹き出しかける。
「そこに置いてある本」
言われて部屋の隅を見ると、裏返しの文庫本が二冊。
「思い出した、深澤君。いい子よねぇ、なかなかの美男子だし。あの子、いいんじゃないの?」
「やめてよおばさん!そんなんじゃないんだから!」
桜が顔を赤くして両手を振る。
「私は悪くないと思うけどねぇ、何が気に入らないの?」
「れ、玲子ちゃんにどうぞ!」
「あの子もダメなのよねぇ。今日だって残って手伝ってけって言ったのに」
冗談とも本気ともつかない口調で叔母さんは笑う。
桜はそっぽを向いて、耳まで真っ赤。
俺はというと、お茶を持ったまま、ただ呆然としていた。
「桜ちゃん、お茶飲んだらお昼の準備お願いね。お隣さんの分も頼まれちゃって」
「それと早瀬さん、畑で麦踏み手伝ってくれる?」
「は、はい」
言われるままに、納屋で足袋を渡され、ローファーと履き替える。
でも麦踏ってなんだ?
そのまま叔母さんと一緒に畑へ。
日が昇り始め、少し暖かくなってきた。
畑では、雪と桜のおじいさんらしき人が麦踏み中だった。
初めて聞く「麦踏み」ってのは、芽を出した麦を足で踏む作業だった。
そんなことしたら枯れるだろ……って思ったけど、逆らしい。
寒さに強くして、丈夫に育てるためにやるんだって。
俺は少し離れた場所を任されて、叔母さんに教わりながら作業開始。
足袋のまま麦の茎を踏みながら、カニ歩きで横に進む。
叔母さんはしばらく見てたけど、「はじめてにしては上手よ!」って言って戻っていった。
地味だし単調だけど、意外としんどい作業だ。
汗ばんできた頃、隣の畑に目をやると、学生服の中学生が数人。
同じ作業をしていた。
あれが勤労奉仕ってやつか。
……ってことは、俺と同い年くらい?
端まで踏んで折り返すと、少しずつその中の一人に近づいていく。
「やぁ、ごくろうさん」
いきなり話しかけられてビクッとする。
「あ、どうも」
完全に怪しい返事だった。
「僕は深澤省吾。よろしく!」
こいつが深澤君か。
少し背が高くて、イケメン……かも。
「君は?」
「早瀬光。えっと、中学五年です」
「同い年だね!冬晴れの畑って気持ちいいよね。僕ら、秋からずっと工場だったから、たまに外に出られるとせいせいするよ」
「君も勤労奉仕かい?」
「あ、ええと……中学は休んでて、今は上條さんの家で書生やってて……手伝いに来ただけ」
「へぇ、大変だね。でも頑張ってる。じゃ、次は隣の畑だ。一緒にやろう!」
妙に馴れ馴れしい。
でも……不思議と悪い感じはしなかった。
そうしてまた麦踏み。
深澤と並ぶ形で、同じ作業を続ける。
「次はあっちだ」
深澤が指をさす。
冬晴れの空。
日差しがじんわりと温かい。
額の汗をブレザーの袖でぬぐったそのとき——
「おひるごはんでーす!」
遠くから桜の声。
両手を口にあてて、こっちに響かせている。
「用意ができたので、戻ってくださーい!」
ほかの中学生たちも、談笑しながら戻ってくる。
「桜さん、この前話してた本、持ってきたよ」
深澤が桜に話しかける。
「ありがとう。見ておきますね……あっ、お隣にも声かけないと!」
どこか引きつった笑顔のまま、桜は走っていった。
深澤は、手を振って見送る。
俺のまわりに集まってきた中学生たち。
そのうちの一人が言う。
「深澤、そちらの方は?」
「あぁ、早瀬光君。桜さんの家で書生をしてるんだって。僕らと同い年」
「書生とは珍しい。優秀なんだろうね。坂田実です。よろしく」
恰幅のいい、真面目そうな少年。
他の子たちも順に名前を名乗って、頭を下げてくる。
「は、早瀬です。よろしくお願いします」
俺も慌ててぺこり。
そしてそのまま、彼らと一緒に畑の小道を歩いていった。
足になんか巻いてる、黒い学生服。
まるで別世界のような彼ら。
でも、足袋にブレザーの俺も、似たようなもんかもしれない。
お互いに、妙な格好だって思ってるんだろうな。
じっと見られたけど……まあ、それはお互い様だ。