第6話 空襲警報
美沙子さんと家事を片付けたのは、夕方近くになってからだった。
一息ついたところで、夕飯の準備へ。
ガス台の前でマッチをシュッ。……あ、つかない。
もう一本。……今度はポキッと折れた。
三本目でようやく火がついたけど、後ろから迫る圧。
「光くん?マッチ三本も無駄にして……何様?」
「す、すみません……」
怒られてたら、玄関のほうでガチャッと戸の開く音。
「美沙姉、来てくれてたんだ」
振り返ると、桜さんがキッチンに現れていた。
なんでかちょっとビックリ顔。
「そうなのよ。来たら、いきなりこの子がいて焦ったわ」
美沙子さんが、さっきまで俺の頬を両側からひねってた手を離しながら答える。
「そりゃ焦るよね。今日来てくれるって聞いてなかったし」
桜さんが肩をすくめて笑った。
「じゃあ、お夕飯は美沙姉にお願いしちゃっていい?」
「もちろん。でも今日は光くんに色々教えたから、やってくれるんじゃない?」
「えっ」
「ほら光くん、やるでしょ?」
美沙子さんにニヤッと見られて、即答を強いられる。
「は、はい。やります」
「ほんと? じゃあ今後の当番、ぜーんぶよろしく!」
え?
今、なんか重大なフラグ立てられた?
「大丈夫よ、割と筋いいから」
「ほんとですか?」
「男の子にしてはね」
「うっそ、この変態が?」
桜さんがボソッと吐いた。
「変態?」
「な、なんでもない!」
逃げるようにキッチンを出ていった。
なに今の。
あれ今朝のって、俺だけのせい?
鍵かけとけって、誠一郎さんにいわれてたよね?
もうやめた、あの女に、さん付けはやめた。
……心の中では。
とはいえ、その後の夕飯づくりは三人でやることに。
俺は米研いで、ガス釜で炊く係。
美沙子さんと桜は、配給品で肉じゃがと味噌汁を作ってくれた。
「作るところはしっかり見て、メモ取ってね」
美沙子さんの命令で、火加減見ながらノートを広げる羽目に。
けっこうマジで料理塾みたいになってる。
夕飯の準備がひと段落ついた頃、美沙子さんが帰り支度を始めた。
「もう帰っちゃうんですか!?」
「今日は旦那が戻ってくるの。色々準備しないと」
あっ。
ってことは――残されたのは、俺と桜さんだけ?
いや違った。
桜――だけだった。
誠一郎さんは外で食べてくるらしいし、雪さんはそもそも数日戻らないって。
つまり、残されたのは俺と……桜。
一対一での晩飯が確定した。胃が重い。
ダイニングに移動して、どこ座るかちょっと迷ってたら、
桜が無言で俺の向かいに茶碗を置いた。
はい、そこ座れってことですね。
……沈黙がつらい。
下向いてモソモソ食べてるし。
「美沙子さん、いい人だよね」
思わず話しかけた。
さっきまでつねられてた頬がまだ痛いけど。
「そうよ、美沙姉はずっと家にいてくれてたのよ。
それより……君、高校生って言ってたけど?」
え、そこ食いつくの?
「えーと、小学校が六年で、中学が三年、そのあと高校が三年。
俺はいま高二で、来年卒業って感じ」
「へえ。
いまは小学校が六年、中学が五年。高校はその後よ」
「じゃあ俺、大学生ですって言ってたわけか……そりゃ疑うよな」
「上條さんは? 中学生?」
「女が中学なんて行かないわよ。私は高女の五年」
「こうじょ?」
「高等女学校、知らないの?」
いや、知らないよ……
肩をすくめる桜の髪が、ふわっと揺れた。
「男は中学、女は高女。
高等小学校とか実科に行く人もいるけどね。
君の“高校”って男女一緒なの?」
「うん」
「へー、びっくり」
目が合った。
なんかちょっとだけ、柔らかくなった気がする……と思ったら、またすぐ目逸らされた。
で、風呂。
薪で焚くやつで、準備は桜がやってくれたけど、
やっぱり手順はメモ取らされた。
ちなみに、もともとあったアメリカ式のバスタブは撤去されて、
引っ越してきた時、日本式の風呂に改造されたらしい。
ガスは戦争が始まって以降、使用制限があるからだとか。
「入って来たら殺す」
わりと本気のトーンで言い放って、桜は風呂に入っていった。
俺何もしてないんだけど……
その後は特にすることもなく、歯を磨いて布団に入った。
今日も全身がだるくて、数秒後に意識を手放した。
……で、叩き起こされた。
夜中に響く、サイレンの音。
ウーッ、ウーッ、と延々続く連続音。
「な、なんだ……!?」
戸がバンと開いて、廊下から桜が飛び込んでくる。
茶色いヘルメットを被ってる。
「こらー! 起きろー!」
「な、何!?」
「警戒警報! 空襲だよ、空襲!」
空襲!? まじで!?
「死にたかったら残っててもいいわよ?
爆弾落ちたら向こう三軒両隣もまとめて吹っ飛ぶけど」
さらっと怖いこと言うな、この人。
「で、でもどうすれば……」
「庭に防空壕があるから、そこ」
そのとき、いつの間にか帰って来てた誠一郎さんが登場。
なぜかヘルメットを手にしてた。
「これを持って行きたまえ。英軍の鹵獲品らしいが、良い鉄だ」
「え、英軍!?」
「イギリス軍!」
桜のツッコミが冷たい。
「え、でもアメリカと戦争……?」
誠一郎さんが笑って答える。
「今や、世界中が我が国の敵だ。
唯一の友邦はドイツだが……もうアテにはできないね」
マジかよ。
庭の防空壕はコンクリ製で、天井がめっちゃ低い。
大人は中腰じゃないと入れないサイズ。
三人で潜り込むと、警戒警報が「空襲警報」に切り替わった。
腹に響くような爆音が遠くから聞こえてくる。
「今のは爆弾じゃない。
隅田公園の高射砲だ。敵はもう頭上にいる」
誠一郎さんが、低い声でそう言った。
空襲――リアルに、今。
寒さで震える体を抱えながら、俺はようやく本当に思い知った。
ここは、戦時中の東京なんだ。




