第5話 メイドさん
朝ごはんのあと、桜さんが家を出ていった。
セーラー服に、下はもんぺ。
チェックのマフラーを首に巻き、座布団みたいなのと鞄を肩から斜めがけしている。
なんだか不思議な格好だけど、たぶんこれがこの時代の「通学スタイル」なんだろう。
そのあと、誠一郎さんもコートを羽織って出勤していった。
洗い物を終えた雪さんは、しばらくしてキッチンから出てくると、帆布のリュックを背負って階段を下りてきた。
「今日は桜さんが早めに帰ってきますので、それまで留守番お願いします。
夕食はあの子が作りますが、お昼は棚にあるパンを食べていてくださいね」
え、ちょっと待って。
留守番って、俺ひとりでこの家を守るってこと?
まさか、そんなつもりじゃなかったんだけど……。
「はい、あの……どちらへ?」
「実家の浦和に、しばらく行ってきます」
そう言って、雪さんはあっさりと出かけてしまった。
家に取り残された俺は、しかたなく誠一郎さんが置いていった新聞を手に取った。
中身は当然ながら、昭和二十年の戦争の話ばかり。
気が滅入る内容だったので、ラジオのスイッチも切ってしまう。
しん……とした空間。
キッチンの水道から、ぽたっ……ぽたっ……と水滴が落ちる音がやけに大きく聞こえた。
――ガチャガチャ!
いきなり玄関で鍵の音がして、俺は椅子から跳ね上がった。
「なんで鍵あいてるの?」
慌てて玄関に駆けつけると、そこには若い女の人が立っていた。
紺色のワンピースに、下はもんぺ姿。脱いだコートを片手に持っている。
「……あなた誰?」
俺をじろっと睨みながらそう言うと、そのまま上がり込んできた。
怖っ……!
「は、早瀬光です!しょ、書生です!」
「書生?そんな話聞いてないけど?……怪しいな」
彼女は有無を言わさず、俺の襟首を掴んで廊下へ連れて行く。
え、ちょ、えっ!?
黒電話の前で壁に押しつけられ、彼女は左手で受話器を取り上げると、ダイヤルをぐるぐる回し始めた。
「……お仕事中にすみません。電気工学部の上條教授のお宅で……あ、はい……お願い致します」
しばらく沈黙が続き、突然、声のトーンが跳ね上がった。
「あっ、先生!……はい、美沙子です。そうですそうです!えっ!?
ええ、そう言ってますけど……そうなんですか!私、びっくりしちゃいました~!」
“美沙子”と名乗った彼女は、チラリと俺を見て、ニヤッと笑った。
「なるほどー……はい、じゃあいろいろ教えておきます。もちろんです」
そう言って電話を切ると、俺の襟首をようやく離した。
「ひ・か・る・くーん。ほんとに書生さんなのね、ごめんね、疑っちゃって。
勉強は教えられないけど、家のことは任せて。あと――」
急に顔つきが変わる。
「“未来から来た話を聞いておくように”って言われたけど、どういうこと?」
「え、えぇと……」
あまりにも唐突な質問に口ごもる俺。
だけど美沙子さんは、それを遮って笑った。
「ま、いいわ。お昼ごはんの時にでも聞く。今は仕事始めたいし」
そう言うと、隣の部屋に入ってノートと鉛筆を持ってきた。
俺に手渡して、やや得意げな表情で言い放つ。
「一回しか言わないから、ちゃんとメモ取ってよね」
そのあと美沙子さんは、紺のワンピースの上に白い前掛けをつけて戻ってきた。
……うん、どう見てもメイドさんだ。
洗濯物の入った籠を抱えて、俺にもついてくるように言い、庭の奥へ。
そこには屋根の下に、薄緑色の四角い機械が置いてあった。
「これ……洗濯機、ですか?」
「そうよ。珍しいでしょ? 冬は特に助かるの」
……確かに珍しいけど、多分俺が思ってる「珍しさ」とは違う。
「まずは、スフの物を別に取る」
「スフ……?」
何それ、と聞く暇もなく、俺はとにかくノートにメモ。
下着や靴下を選び出す美沙子さん。
「洗濯板で、汚れたとこを中心にさっと洗うのよ」
そう言って、タライに水を張り、洗濯板を俺に渡してきた。
冷たい水に手を突っ込みながら、見よう見まねでゴシゴシ。
「ちがーう!そんな強くやったら痛むの!こう!」
洗濯物を取り上げ、実演してくれる美沙子さん。
その後、洗濯機に残りの洗濯物を入れ、得意げに「すごいでしょ?」と笑う。
さらには、電気掃除機まで登場。
「他では見たことないでしょ」とドヤ顔されながら、家中の掃除も俺がやらされるハメに。
──そして、昼。
「パンがあるって言われたんですけど……」
「温かいものの方がいいでしょ?」
ということで、白米と味噌汁と漬物の昼ごはん。
なんか懐かしい味がした。
食事をしながら、昨日起こったことを話すと、美沙子さんは神妙な顔で聞いてくれていた……が。
「未来から来たっていうか……それ、死んでるんじゃないの?」
……ぶふっ!!
あやうく味噌汁を吹くとこだった。
「そ、そうなんですか!?」
「うーん、でも足あるから幽霊じゃなさそうね。
まあ、洗濯と掃除はできるし、私はどっちでもいいかな」
この人、怖い。
「遅れたけど自己紹介ね。川島美沙子です。去年結婚して、お暇もらってたんだけど、
和ちゃんが奥様と疎開するってことで、週二だけ来てるの。今日は特別。よろしくね」
「は、はい。こちらこそ……」
「じゃ、次!今日お肉の配給があるから買ってきて。
終わったら、ご飯の残りでお煎餅と糊作って、洗濯物が乾いたらアイロン。いい?」
「……はいっ」
こうして、俺の昭和二十年家事地獄がはじまった。
だけど――どこかで、俺は少しずつこの家の一員になっていく自分を感じていた。




