第3話 最悪の出会い
うなずいた男に促されて、俺は夜道を歩きはじめた。
「私は上條誠一郎。本郷の大学で工学を教えている。君は?」
「早瀬光です。高校二年です」
「……失礼かもしれないが、高校生には見えないね」
俺はちょっとだけ笑った。
「朝も言われました。それって、そんなに子供っぽいって意味ですか?」
「いや、そういうわけではないが……何かが違う気がする。あとで詳しく聞こう」
そのとき、ふと我に返る。
「今って、何年何月何日ですか?」
我ながらアホみたいな質問だと思ったけど、確認せずにはいられなかった。
「昭和二十年一月九日だ。西暦で言えば、1945年だね」
「……1945年、昭和二十年」
頭がぐらっとして、また倒れそうになった。
「ここだ」
数分歩いたところで、真っ暗な通りの先に、ぽつんと洋館が現れた。
白い壁が、周りの木造家屋の中でひときわ目立ってる。
誠一郎さんが門を開けて、俺を中へと案内する。
玄関のドアを開けると、中から出てきたのは三十代くらいの女性だった。凛とした雰囲気で、昔から美人だったに違いない、って感じ。
誠一郎さんがコートを脱いで渡しながら言う。
「早瀬光君だ。事前に話ができずにすまないが、今日からうちで世話をすることになっている」
「まあ、それはまた急な話ですね」
「詳しい事情はあとで話す。空いてる女中部屋を用意してくれないか? ああ、その前に、何か食事を」
誠一郎さんが俺の方を向いた。
「光君、妻の雪だ」
「上條雪です。よろしくお願いしますね」
「よ、よろしくお願いします。あ、あの、水……水って、もらえますか?」
のどがカラカラだった。
ダイニングに通されて、水を一気に飲み干す。
そのあと出てきたお茶漬けは、インスタントなんかじゃなかった。
焼き魚が乗った麦飯に、出汁がたっぷりかけてある。
一瞬で食べ終わって、体の芯まであったまった。
「多めに盛ったつもりでしたけど……まだありますよ?」
「く、ください!」
目を見開いて言った俺に、雪さんがちょっと笑う。
「朝から何も食べてなかったらしい」
誠一郎さんが苦笑いしながら言った。
おかわりも食べ終わると、誠一郎さんが俺に声をかける。
「ところで光君、あのスマホを見せてもらえないか?」
雪さんは食器を下げて、キッチンへ。
「はい、どうぞ」
俺はポケットからスマホを取り出して、パスコードも教えた。
「今晩、少し借りてもいいかな? もちろん明日の朝には返す」
「はい。ただ……」
「ん?」
「メッセンジャーとか、連絡先は……見ないでもらえると助かります。別に困るような内容じゃないんですけど、プライベートというか……ちょっと恥ずかしいので」
誠一郎さんはくすっと笑った。
「わかった、約束しよう。これと、これだろうか?」
画面のアイコンを指差す。
「え、は、はい……!」
何の説明もなしにスマホを使いこなす誠一郎さんに、今度は俺のほうがびっくりしてしまった。
「この画面、圧力を検知してるのかな?」
「すみません、俺、全然わかんないです」
スマホがどう動いてるのかなんて、考えたことなかった。なのに、申し訳ない気持ちになった。
「こちらへどうぞ」
雪さんが戻ってきて、俺を案内してくれる。
誠一郎さんはもうどこかへ行ってしまったらしい。
キッチンの奥に並ぶ二つの扉。
雪さんは手前の部屋を開けて、電気をつけてくれた。
三畳くらいの小部屋。ベッドと小さな机、椅子。
小さな窓には厚手のカーテンがかかってる。
「右隣の部屋は使ってますから、間違えないでくださいね。鍵はかかってますけど」
「はい」
「お手洗いは廊下を突き当たりまで行って、右側です」
「わかりました」
ちょっと姿勢を正して返事する。
「お布団と枕、シーツは先週干したばかりです。寝巻きはそこに。主人の古いものですけれど」
視線の先には、畳まれた浴衣のような寝間着。
俺の全身をちらっと見て、雪さんが微笑んだ。
「丈は大丈夫そうね。お水もここに置いてあります。詳しい話は明日にしましょう」
「ありがとうございます」
体の奥のほうから、疲れがどっとにじみ出る。
「かなりお疲れの様子。朝ご飯は起こしたほうがいいかしら?」
「お願いします!」
「わかりました。おやすみなさい」
雪さんが微笑んで、部屋を出ていく。
「はい、あの、いろいろありがとうございました!」
慌てて頭を下げると、やさしく笑い返してくれた。
部屋にひとり。
大きな安堵の息が、勝手に漏れた。
とりあえずベッドに腰かけて、浴衣に着替える。
布団に潜り込むと、寒さもやわらいでくる。
心も、少し落ち着いてきた。
とんでもない一日だった。
天井を見上げて、思い返す。
遅刻しかけて、不発弾に巻き込まれて。
知らない兵隊さんの上に落っこちて。
飲まず食わずで、気がつけば昭和二十年をさまよって。
偶然出会った人に助けられて、ご飯まで食べさせてもらって……。
……もう無理だ。
思考の途中で電池切れ。
俺の意識は、闇の中にすーっと沈んでいった。
――どれくらい眠ったんだろう。
ふと目を開けると、見慣れない天井がそこにあった。
「……夢じゃなかったか」
外の光はわからない。カーテンが分厚いせいだ。
でも、たぶんまだ夜中だろう。音が何もない。
「……トイレ、トイレ……」
もぞもぞと布団を抜け出して、寒い部屋から静かに出る。
雪さんが言ってた通り、突き当たりを右――。
ドアを開けた。
……その瞬間。
「え!?」
「あ!?」
俺の目が冴えた。
そこにいたのは――
洋式便座に座るショートカットの女の子。
半纏を羽織って、こっちを見てる。
お互い、目が合ったまま固まる。
「…………!?!?!?」
少女の目がまんまるになって、顔が真っ赤になった。
いや、俺も変な声が出そうになって――
「ギャーーーーーーーー!!!!!」
早朝の静寂を突き破って、絶叫が響きわたった。




