表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/29

第17話 電話

その夜。

夕食を終えて、俺はいつものようにコーヒーを淹れた。

桜は食べ終わったらとっとと自分の部屋に戻っていたから、残っているのは誠一郎さんと俺だけ。


誠一郎さんはダイニングのテーブルで新聞を手に取ろうとしていた。

そのとき、俺はずっと胸に引っかかっていたことを思い切って口にした。


「……あの、自分にも、召集令状って来るんでしょうか?」


誠一郎さんは新聞を半分に折ったまま、少し考えてから答えた。


「それは誰かに言われたのかね?」


「え、えぇと……少し前に桜さんが……。十九になったら軍隊に行くことになるから、志願したほうがいいんじゃないかって……」


「なるほど、そういうことか」


誠一郎さんはうなずいてから、穏やかな口調で続けた。


「結論から言うと、君には今の段階で徴兵通知は来ないよ。通知というのは、本籍地に届くものだからね」


「本籍地……ですか?」


「そうだ。君の本籍地はどこかね?」


「東京、です」


そう答えた俺に、誠一郎さんはちょっと苦笑してみせた。


「まあ、東京だろう。ただし――未来の」


「あっ……!」


「そう。さすがに軍も未来の本籍地にまで徴兵通知は送れない。だから、今のところ君は軍隊に行く必要はないというわけだ」


「そういうことだったんですね……!」


安心したような気持ちと、なぜか少しだけがっかりした気持ちが交じって、俺はちょっと複雑な気分になった。


「とはいえ、いずれ君もどこかで本籍を作らなきゃいけないだろう。その時は、そこに通知が届くことになる。まあ今すぐどうこうじゃないが、いつか考えなければならない問題だ」


誠一郎さんはコーヒーをひと口すすってから、続ける。


「もちろん君が志願すれば軍に入ることもできる。桜の言っていたようにね。志願兵は少なくないから」


「……」


「もっとも、私の見立てでは君はなかなか優秀だ。陸軍士官学校や海軍兵学校に合格して、士官になる道だってあるだろう」


そんなこと言われたのは初めてだった。驚きと戸惑いで、返す言葉が見つからなかった。


「ただ、軍隊に行くだけが国のためとは、私は思わない。そもそも君の国は、今の日本じゃない。未来の日本だろう?」


「それは……そう、です」


「帰りたいかね?」


「もちろんです!」


「どうやったら帰れるんだろうね?」


冗談っぽい口調だったけど、俺にはその問いが刺さった。ずっと考えていた。


「いろいろ考えたんですけど……さっぱり分かりません」


「私もだよ」


誠一郎さんは笑った。


「来たときと同じように、爆発に巻き込まれる……それが鍵だとしたら、空襲が頻発しているこの時代ではチャンスはいくらでもある。あるいは、私のつてを使って、軍の演習場で爆発に巻き込まれる手もある」


「いや、それはちょっと! 危なすぎますって!!」


俺は思わず声を上げた。誠一郎さんはそれを聞いて、腹を抱えて笑い出した。


「ははは、すまんすまん、冗談だ」


でもそのあと、彼は少しだけ真剣な表情になって言った。


「とはいえ、真面目な話として。戻れない可能性も考えておくべきだろう。方法が分からない以上、仮にだが、このまま君がずっとこっちの時代にいるという前提でも、今後を考える必要があると思う」


「……」


「うちに居てもらうのは全く問題ない。むしろ私は助かっている。しかし、君の人生がこのまま停滞してしまうのは良くない」


誠一郎さんは少し考えてから、こう言った。


「こちらで高校――君の時代で言うところの大学に進学してみてはどうか? 理工系の学生であれば、徴兵も猶予される。学費も含めて、必要なことは私がなんとかしよう」


――高校に行く。ここで、進学する。


このままずっと、こっちにいるってことだ。

胸の奥がザワザワして、鼓動が速くなっていく。

俺は……どうするべきなんだろうか。


◆◆



「光〜」


翌朝。

俺がキッチンで皿を洗ってると、久々に聴いた音と一緒に桜がスマホを持ってやってきた。

着信音が鳴りっぱなし……


「スマホ、なんかずっと音がしてるよ。中島悠人って、これなに?」


俺は桜とスマホを交互に見た。

心臓が止まりそうになる。喉がカラカラだ。


「……俺の友達。でも、なんで今……」


震える声でそう答えると、手まで震えてきた。

足も力が入らない。


「へー。友達の名前なんだ。スマホって、これどうなってるの?」


桜の手からスマホを受け取り、耳に当てようとしてやめた。

手が震えてうまく持てない。

スピーカー通話に切り替えて、机の上に置く。


「……おれだけど、悠人?」


十秒くらい、無音。

間違いだったのかと思った瞬間──


『光? ほんとにお前なのか?』


懐かしい声。

中島悠人だ。間違いない。


「そうだけど……」


『お前、今どこで何やってんだよ!』


一瞬だけ迷った。けど、もう黙ってる理由もない。


「浅草にいる。千束町の六丁目」


『じゃなんで家にも帰らない、学校にも来ないんだよ。みんな心配してんだぞ!』


「しょうがないだろ、今は昭和二十年なんだから。行けないんだよ、そっちに」


『……は? つまんねー冗談言ってる場合かよ、お前……』


「冗談言える状況かよ! 一ヶ月も会ってないお前に!」


思わず声が荒くなる。


「行けたら行ってるよ! 俺だって帰りたいよ!

……タイムリープしてるんだよ、俺。昭和二十年に!」


スマホの向こうで、悠人が黙る。


しばらくして、低く、絞り出すような声が返ってきた。


『……本当なのか?』


俺は音声通話をビデオに切り替えた。

画面に、困惑した悠人の顔が映る。

正月会って以来の顔だ。


気持ちが込み上げてくるのをぐっと堪えて、カメラを背面に切り替える。

家の中を写す。

そして、テーブルの上の新聞にズームした。


日付。「昭和二十年二月九日」


「こんなの、お前を騙そうと思えば用意できるんだろうけど。でも、俺がそんなことして、なんの得があるんだよ」


『……だな。ちょっと信じた、かも。……でも、お前どうするんだよ、これから』


「どうもしようがねーよ。帰りたくても帰れないんだよ!」


『……理科の鳩山に聞いてみるか。あいつ、確かオカルトも好きだったし、こういうの詳しそう』


オカルト……これってオカルトなのか?

でも、なぜか少し気が楽になった。

誰かに頼れるってだけで、こんなに違うんだな。


「頼むよ。他に方法が思いつかない」


『わかった。……でも、今回の通話もたまたまだったんだぞ。お前のアイコンが生きてたから、かけたら繋がっただけでさ。次はどうなるか……』


「それでも、頼む」


『あ、ところでさ』


「ん?」


『さっきチラッと映ったセーラー服の子……誰? すげー可愛かったけど、そっちで彼女でもできたのか?』


……うわ。しまった。


俺は慌てて目の前の桜を見た。

笑ってる。

でもちょっと不自然。


そうだよな。スマホが喋ってるだけでも昭和じゃ異常なのに、電話してカメラで映すなんて……説明してなかった。


「そ、それは後で話す。あとでこっちからかけ直す!」


通話を切って、ふーっと息を吐く。


「スマホさ、言ってなかったけど、通話もできるんだ。

話しながら相手の顔も見られるし。……悠人は、中学からの友達で、今も同じ高校。いいやつだよ。今度ちゃんと紹介する」


「……光、もしかしたら、帰れるのかもね」


桜の声が少し震えてる。

笑顔も、なんかぎこちない。


「それは……」


胸がチクっと痛んだ。

鳩山が方法を知ってるとは思えない。

でも、スマホが繋がった。

ってことは、完全に切れたわけじゃない。

帰れる可能性が、少しだけ見えた。


……でも、それって。


「鳩山って、ただの理科教師だよ? 桜のお父さんでもわからなかったのに」


「そ、そうだよね。……でも、よかったじゃない。私、ちょっと疲れたから部屋に戻るね」


桜の背中が、ふっと向こうに消える。

なんだろう。

あの背中、ちょっとだけ……寂しそうだった。


その夜、俺は何度も悠人に電話をかけようとしたけど──

スマホはずっと「圏外」のままだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ