174ー弱っちくはない
だから俺は老師の方が心配だった。
「とうしゃま、ろうしはらいじょぶれしゅか?」
「ああ、ショックは受けておられたがな」
なにしろ、目の前で女性の身体に黒い痣がウネウネと、生きているかのように広がっていったのだ。
呪いの反動なんて見たこともないだろうし、それは驚いただろう。老師はきっとあの女性を助けたかったのだろうし。気にかけていたもの。
「老師はお優しすぎるのよ」
「そうだな、他国の罪人なのに気に掛けておられた」
この世界では自分たちが生きていくために、他国のことなんて構っていられない。
父たちだって自国を守ることで手一杯だ。そんな世界なんだ。他国にお節介をやく余裕なんてどの国にもないんだ。
それにデオレグーノ神王国には、どの国も関わりたくないと思っているから。
「だが、ラウ。老師に師事する話は別だぞ」
「あい」
それは良いんだ。俺だって嬉しいから。自分の知らないことを教わるのは嬉しい。
「くれぐれも、用心するのだぞ」
「え? ろうしにれしゅか?」
「老師といえど、秘密にできることはする方が良い」
「あい、わかりました」
老師を信用していないわけではない。そうではなくて、俺の能力が老師の想像以上だと父は思っているのだろう。
あれだね、俺は隠しているつもりでも、両親にはバレちゃってるってことだね。
この日の会議はその話だけで終わった。
そして何日が過ぎたころに、老師が飄々とやって来た。
「ラウ坊、久しぶりじゃのぅ」
「ろうし、らいじょぶなの?」
相変わらず、母も一緒に庭の四阿でスイーツタイムだ。老師は甘いものが大好きだから。
「なんじゃ、ワシはそう弱っちくないぞ」
「ふふふ、しょうなんらね」
「じゃがのぉ、ちょ~っと可哀そうじゃったのぉ」
ほら、弱っちくないと言いながら、元気がないじゃないか。今日のオヤツを手に持ったまま、シュンと肩を落としている。
あれから、老師は女性の墓を作って埋葬してあげたらしい。無縁仏になってしまうけど、それでも墓石は建ててあげたそうだ。
「あの痣が亡くなっても消えんかったんじゃ」
「え……」
それは酷い。命を奪ったのなら、もう消えるかと思ったのだけど。
「それがのぉ、かわいそうでのぉ」
全身にその痣は浮き出たらしい。女性だから老師はそこまで見ていない。
使用人に頼んで、身体を清めたらしいのだが皆嫌がったそうだ。その痣がうつったら嫌だと、口を揃えて言ったらしい。
「そんなの、うつるわけがないんじゃ」
でも人って未知のものは怖いものだから仕方ない。しかも全身に浮かび上がっている痣なんて、気持ち悪いと思うだろう。
だが、まさか呪いを掛けた反動だなんて言うことはできず。仕方ないからこのまま埋葬するかと諦めていたらしい。
そこで名乗り出てくれた一人の女性がいた。
「まあ、仕方ないと思ってくれたんじゃろう」
「しょうらね」
老師のお付のメイドさんだ。いつもなんやかんやと老師の面倒を見てくれている人らしい。
「まだ若いのにのぉ。ワシに付いたばかりに、嫌なことをさせてしもうたわい」
「わかいの?」
「そうじゃぞ、まだ婚姻もしておらん」
「へえ~」
俺は老師にそんな人が付いているのも知らなかった。
「ふふふ、ラウもそのうち会うわよ」
「しょう?」
「そりゃそうじゃ。ワシの弟子になるのじゃからな」
そうだったよ。すっかり忘れてた。俺は老師に師事するんだった。ちょっぴり楽しみなのだけどね。
「ミミちゃんのことは秘密の方が良いのじゃよな?」
「ええ、もちろんですわ」
「それがのぉ~……」
今日のオヤツを食べていた老師の手が止まった。今日のオヤツはベリーのスコーンだ。甘酸っぱくて紅茶にとっても良くあう。ちなみに老師はもう2個食べている。
その老師が、上目使いに母を見ている。これは、やましいことがあるんだ。
「老師、なんですの?」
「いや、実はのぉ……もうミミちゃんのことは話してしもうたんじゃ」
「そんなことだろうと思いましたわ」
「そうか? それじゃあ、かまわんな!」
「そんなはずないじゃないですか。その子の記憶を消しましょう」
「な、な、なんとぉッ!?」
母がシレッと怖いことを言ったぞ。そんなことができるのか?
「みみはしないみゃ」
「しょれはできるけど、しないの?」
「しょうみゃ」
ええー、精霊さんってそんなこともできるのか?
「リンリンに頼んで消してもらいましょう」
「いやいや、待ってくれ。あの子は喋らんって!」
「そんなこと信用できませんわ」
母の周りの空気が冷たくなってきた。これは真剣に怒っている。激おこまではまだいってないか?
「かーしゃま、らいじょぶれしゅ」
「ラウ、大丈夫じゃないわ」
「ワシが責任を持って秘密にするぞ!」
「まあ、もう話してしまった張本人が何をおっしゃいます?」
「いや……まあ……その……す、す、すまん……」
どんどん声が小さくなっている。それでも手に持ったスコーンは離さない。それどころかこのタイミングで、あ~んと頬張った。
「老師、聞いてらっしゃいますの?」
「ふむふむ、今日も美味いのぉ~」
「老師……」
「はぐッ……ごほん! 聞いておるわい」
あ、お喉を詰まらせちゃったみたいだよ。紅茶の御代わりを入れてあげた方が良いよ。