110ーそこは見ちゃだめ
その日、夜になって皆が寝静まった頃だ。
「え……しゃっしょくなの?」
「だって早い方が良いでしょう? ふふふ」
ふふふじゃないよ。目の前に精霊女王がいた。何処も彼処も真っ白な精霊女王の世界だ。
そこに俺は足を投げ出して座っていた。すぐ後ろでミミが大の字になって眠っている。いつも思うけど、良く起きないな。
俺が寝ているから、きっとまた精神だけ引っ張ってきたのだろう。
「もう、ラウったらお利口さんなんだから」
精霊女王にこうして呼ばれるようになってもう3年だぞ。そりゃ慣れるさ。
「そうね、もう3歳なのね。違うわ、まだ3歳なのよ」
「んー、しょうかな?」
「そうよ。だからあの国に行くのは、もう少し大きくなってからね」
「うん、しょれはまおうにも、いわれたし」
「ふふふ、そうだったわね」
それより、擦り合わせをしておかないと。
「分かっているわよ。魔王のことはまだ秘密なんでしょう?」
「しょうしょう。いちゅも、しぇいれいかいに、いってるってことにしてね」
「ええ、分かっているわよ」
「しょれからぁ」
他に何かあったっけ? 0歳の時から精霊界に来ているって言ったし、しかもちょくちょくって言ってしまったし。他に何かあったっけ?
「魔王のことだけじゃない? ああ、魔王のペットも秘密ね」
「あー、ばっとね」
そういえば、バットはどうしているのかな?
「一緒にいるなのれす!」
パタパタと翼を羽搏かせてやって来た。小さな蝙蝠さん、ではなく。これでも魔族だ。木の下にはぶら下がっているみたいだけど、俺の肩にも普通に止まる。鳥さんみたいにだ。
今もパタパタと、肩に止まりにきた。小さいから可愛いね。喋ると鋭い犬歯が見えるのだけど。
「じゅっと、ろこにいたの?」
「庭にいたなのれすよ。お昼はあんまり動きたくないのれすぅ」
「しょうなの?」
「はいなのれす」
お、良いことを思いついたぞ。バットにあの国を、偵察して来てもらうってどうだ?
「え? この子に?」
「しょうしょう」
「ろこれすか?」
「おとなりの、くになんらけろ」
「えぇー、遠いのれすぅ」
「え、らめ?」
「ちょっと遠すぎるのれす」
「あら、そんなことはないでしょう? だって魔国にだって飛んで帰れるのでしょう?」
「ひとっ飛びなのれすよ!」
なんだ、なら楽勝じゃないか。
「ラウのそばをあまり離れるなと、言われているのれす」
「まおうに?」
「はいなのれす」
なんだよ、魔王って心配性なのか?
それとも、あれか? 俺を見張っていろってことなのか?
「しょ、しょ、しょんなことないなのれす!」
え? 今、露骨に眼を逸らしたよな? そうなのか? 俺を見張っているのか?
こら、魔王! 見張っているのなら、見ているのだろう? 出てこいよ!
「ラウ、それは違うぞ」
ブワッと黒い靄が出て収束したかと思ったら、そこに魔王が立っていた。腰よりも長い真っ黒な髪を靡かせて、黒いマントの様な物を着ている。
いつも城にいる時しか見ていないから、こんな余所行きの魔王は初めてだ。
父もバリトンボイスの良い声だけど、魔王は父よりまだ低い声だ。心を鷲掴みと言うよりも、魂まで持っていかれそうな気さえする。
「あら、いやだわ。来ちゃったの?」
「ラウに誤解されたままというのは、不本意だからな。いや、そんなことはどうでも良いのだけどなッ!」
何を言っているんだ。どっちなんだよ。魔王って時々ツンデレになるな。それ、止めろ。面倒だぞ。
「ラウ、そんな冷たいことをいうでない! ちょっと寂しいなんて思ってないんだからなッ!」
ほら、まただ。それをツンデレっていうんだ。可愛い子がツンデレだとまだ我慢できるけどさ、魔王だろう?
「おう、私は魔王だ。魔族の王だぞ」
そう言いながら胸を張っている。自慢なのかよ。
「ふふふ、それより貴方、ラウを見張っていたのかしら?」
「見張っているのではない。見守っているのだ」
いやいや、良さげな言葉を使っているだけで、やっていることは同じじゃないか。
俺って、精霊女王と魔王にも見られてるのかよ。二人共、止めろよ。
「ええ!? ラウ、私もなの?」
「しょうらね」
「ハハハ、ほら見ろ。ラウが嫌がっているじゃないか」
「まおうもね」
「なにッ!? 私もなのか!?」
「ふたりともね」
俺のプライバシーがないじゃないか。個人情報だだ洩れだ。困ったものだと、思わず短い腕を組む。
「だってぇ、ラウってちょぉーッと眼を離すと、何を仕出かすのか分からないじゃない」
だってぇ、じゃないぞ。プライバシーの侵害だぞ。
「大丈夫よ、トイレやお風呂は見ていないから」
「なにッ!? そうなのか!?」
こら! 魔王はそこも見ているのか?
「そ、そ、そんなことはないぞぅ」
あ、また眼を逸らした。これは見ているな。確信犯だ。
「だってラウの、ムチムチの身体が可愛くてだな」
こら、ムチムチとかいうな。これは立派な幼児体形なんだぞ。
仕方ないんだ。まだ3歳なんだから。せめて、トイレは見るな。
「おう、善処しよう」
善処じゃないっての! 絶対だ。でないともう遊びに行かないぞ。
「ラウッ! 約束しようではないか!」
「じぇったいらよ」
「ああ、絶対だ。男同士の約束だ!」
「ふふふ」
精霊女王も、ふふふじゃないからな。