68 勝者
キラが閉じ込められたチムノは、術者を気絶させれば解除出来る。
敵とはいえ、友好国の皇子だ。こちらを殺しにきているセルムだったが、逆の場合は外交的にも問題があり過ぎる。つまり、元々キラはセルムを殺すつもりはない。
それを本人に悟らせない為に、「殺られろ」などの脅し文句を使った。その甲斐あって、セルムがキラを見る眼差しには恐怖の色が浮かんでいる。
ざまあみろ、とキラは小声でひとりごちた。
「ひ、ひいいいっ!」
血と涙でぐしゃぐしゃになった顔を引き攣らせ、セルムが目を閉じる。キラは思い切り拳を振りかぶると、顎を正面から殴打した。
ゴキン! と嫌な音が空間に鳴り響く。
「……くは……っ!」
殴られた直後、セルムが一瞬白目を剥いた。だが、気を失うほどではなかったらしい。子供みたいな情けない泣き声をあげて、一目散に逃げ始めた。
「う、うわああああん!」
「くそ! 待て!」
「や、野蛮! こいつ頭おかしいよおお!」
どっちがだ、と再び頭痛を覚える。だがまあ言っても無駄だろう、と何も言わないことにした。
「チッ」
舌打ちだけは当然の如くしたが。
キラの拳は当然痛かったが、きっと殴られたことなんてなかったセルムは、身体的だけでなく精神的にも相当痛かっただろう。
「うわあああん! アルムうう!」
それにしても、しぶとい。そしてうるさい。
ゼエゼエと肩で息をしながら近付こうとしたが、「ぎゃああああ!」という叫びと共に、セルムが闇の中に四つん這いで逃げていってしまった。
「……くっ!」
追いかけたいが、身体が思うように動いてくれない。キラは片膝を付き、一旦属性を注ぐのを止めて息を整える。
今キラが使っている魔力は、キラの生命そのものだ。むやみやたらに使えば、例え外に出られたとしても先は短くなる。
キラは、マーリカと生きる為に努力してきた。それをこんな奴に邪魔されるなど、冗談ではなかった。
あと一撃で倒せる様、気力と体力を少しでも取り戻せる様、落ち着いて息を整える。
すると、その時。
ズウウゥン……ッ! という振動が、全方から鳴り響いてきた。
「……ん?」
聞き覚えのあり過ぎる振動に、キラの片眉が上がる。
「な、なあに……!?」
闇の奥から、怯え切ったセルムの声が聞こえてきた。
再び、ズウウゥン……ッ! という爆発音が響いてくる。パラパラ、と頭上から黒い破片が落ちてきた。キラは顔に振ってきたそれらを叩くと、檻の天井を見上げる。――光だ。光が天から差し込んでいるのだ。
「これは……!」
「な、なんでえ……ええっ!?」
闇の中に隠れた筈のセルムの顔が、僅かばかりだが浮かび上がる。
「……お嬢?」
一体どういうことだ、と驚愕に目を見開いた。これは多分、マーリカが外側から爆破させているのだろう。だが、魔魚の核は全て黒竜に返してしまった筈だ。
するともう一度、今度はもう少し近くからドウウウンッ! という爆発音と振動が伝わってくる。バラバラッと頭上から破片が降り注ぎ、キラは咄嗟に腕で目を庇った。
「ぎゃあああ! なに!? なんなの!?」
相変わらず騒々し過ぎるセルムが、何故かキラの足元に這いずってくる。こいつアホか、とキラは冷めた目線を足元のバカ皇子に落とした。
「……はあ」
こんなのと死闘を繰り広げたのかと思うと、そこはかとない侘しさを感じる。
またもやドウウウンッ! と闇の檻が震えると、側面にビキキッ! と大きな亀裂が入った。
「やだあああっ! なに! こわあいいっ!」
ヒシ、とセルムに左足にしがみつかれてしまい、キラのこめかみに青筋が立つ。うざい。うざい以外の何ものでもない。
キラは静かに右足をそっと持ち上げ、人の足に抱きつき怯えているバカ皇子の首の後ろに狙いを定めた。
「……キラ――!」
マーリカのキラを呼ぶ必死な声が、微かだが聞こえてきた。
「お嬢……全く、貴女って人は」
知らず、キラの顔に笑みが浮かぶ。不思議と活力が湧いてくるのは、すぐそこに愛する人が自分の為に戦っているからだろうか。
生命の炎を使っていないと今にも倒れそうだったが、あと一発、物理だけなら。
もう一度、ドウウンッ! という振動が襲いかかってきた。更に日の光が差込み、「キラ!」と叫ぶマーリカの声はもうすぐそこにある。
今だ! とキラはセルムの頭頂の髪を鷲掴みにすると、「ひえっ!?」と驚いているセルムの首の後ろに渾身の膝蹴りを入れた。
「かは……っ!」
手を離すと、セルムがゆっくりと前に倒れていく。
どちゃり、と力が抜けた物体が地面に倒れる音がした直後、サアア、とキラたちを囲っていた闇の檻が晴れていった。術者の気絶により、術が解除されたのだ。
「キラ! ああ、キラ、よかった!」
声が聞こえて、マーリカのいる方を振り返ろうとする。
だが、全身の力が抜けてしまい、目線も焦点が合わず、その場で倒れてしまった。
頭を打ちそうだ。ぼんやりとそんなことを思っていたら、キラの頭をガバッと支える温もりを感じる。
「おじょ……」
視界も思考もぼんやりしてしまい、マーリカの無事な姿を今すぐに確認したいのに、それが叶わない。
「キラ! まさか、魔力枯渇してしまったの!?」
マーリカの泣き声が、すぐ傍から聞こえてきた。元気そうでよかった。キラはもう答えることが出来なくて、意識が深いところへとゆっくり沈んでいく――筈だった。
「わっ! 私に任せなさい! ムーンシュタイナーの民は、逞しいんだからっ!」
何を任されたつもりなんだろう、なんて可笑しく思っていると、ふにゃり、と唇に触れる柔らかい感触がある。そこからぐんぐん流れ込んでくるのは――マーリカの魔力だ。
急激にキラの中に吸い込まれていく魔力はいつもと同じく温かくて元気一杯で、以前から魔力を分けてもらう時に「お嬢らしい」と思っていた。
キラはゆっくりと瞼を開く。まだ闇が全て晴れてないのか、やけに視界が暗いと思ったら。
「――っ!?」
キラは、マーリカにキスをされていたのだ。視界が暗い筈だ。すぐ目の前にマーリカが覆いかぶさっているのだから。
ぎゅっと瞼を瞑っているが、顔が真っ赤になっている。
指を動かしてみると、まだ重くはあるが動かせる様になっていた。キラは右腕をゆっくりと上げると、マーリカの項を引き寄せる。
「んん!?」
マーリカが驚いて目を開けた。身体を後ろに引こうとしたのを感じたので、腕にぐっと力を込めて引き寄せる。
「キラ……っ」
口を開けて話そうとしたマーリカの口を、今度は自ら深く奪っていった。
やがて、キラがマーリカの魔力を存分に吸い取り、起き上がれるほどに回復すると。
「ふええ……っ」
許容量を超えてしまったマーリカが真っ赤になって腰を抜かす中、こちらを照れくさそうにチラチラ見ていた兄や兵たちに指示を出した。
「こいつは帝国メグダボルの第五皇子、セルムだ。今すぐ捕らえ、主犯格である第四皇子アルムの引き渡しを要求する」
キラはマーリカを横抱きにしたまま、すっくと立ち上がる。
「キ、キラ? もう歩けるの……?」
赤味を帯びた金髪があちこちチリチリになっているマーリカが、心配そうにキラに尋ねた。顔は真っ赤なままだ。
マーリカを見下ろしたキラが、貴公子然とした眩い笑みを浮かべる。
「ええ。お嬢のおかげで助かりました」
「へ」
だからこれはご褒美です。
キラは小声で囁くと、今度は魔力交換ではなく、恋人としてのキスを遠慮なくマーリカに与えたのだった。




