67 生命の炎
聖属性の魔力を注がれて淡く光る剣が、闇を切り裂いていく。
剣が光の弧を描く度に、闇に浮かぶ牙がボロボロとばらけ、闇に溶けていった。それを見て、セルムが地団駄を踏む。
「また全部切っちゃって! 折角出したのにい!」
耳がキンキンした。閉じられた空間だからか、音の反射もあるのだろう。苛ついたキラは、素直に毒づく。
「うるせえな」
「なっ! ぼ、僕は皇子だぞ! 皇子を馬鹿にしちゃいけないんだぞ!」
出来ればあまり構いたくない。どうせなら、キラが何かする度に顔を赤らめたり、恥ずかしそうにチラチラとこちらを見る、キラの大切な可愛い女だけをひたすら愛でていたかった。こんな喚くだけのうるさい小者に、興味はないのだ。
「……はあ」
溜息を吐きながら、牙が消えた瞬間を狙ってセルム本体に切りかかる。
「ぎゃーっ!」
セルムが、大声を上げながら飛び退った。セルムの腕を切りつけたつもりだったが、ふわりとした服に勢いを阻まれ剣先を取られてしまう。深手は負わせられなかった様だ。厄介な服だった。
「ふんっ!」
絡まった剣を力任せに引っ張ると、服が千切れてひらひらと舞う。もう一度、と今度は足を狙い剣を振るうと、「ぎゃんっ!」と叫んだセルムが床に転がった。
これまたふんわりとした下の服の上にじわじわと血が滲み出てきているので、多少は痛手を与えられたらしい。それでも「痛いよお!」と騒いでいるので、うざったい。
特に隠す必要も感じなかったので、キラは心底どうでもいいとでも言わんばかりの冷たい声色で言い放った。
「喚くな、うるさい。さっさと殺られて黙ってくれ」
悪役さながらのキラの台詞に、セルムがやっぱり喚く。
「うわああんっ! こいつやだあっ、なんで剣が光ってるんだよおっ! ええい――ディメント!」
セルムが半泣きの怯えた表情で魔法を唱えると、再びセルムの幻が数体現れた。幻のセルムたちが牙を作り出すと、その隙にセルム本体が闇の奥に隠れる。
暗闇の中から、方向を自ら晒すセルムの声が響いてきた。
「やあい! これで僕がどこにいるかもう分かんないもんね!」
「……はあ」
セルムのあまりにも幼い言動に、キラは「こんなのが皇子かよ」と頭が痛くなる。だが、よく考えてみたら自国の公爵令息だってアホだけで出来た代物だ。国王だって、保身しか考えていない。
どこにでも権力を与えちゃいけない種類の人間はいるのだと、キラは半ば呆れながらに悟った。
キラが考えている間にも、セルムは遠慮なく攻撃を仕掛けてくる。奴の魔力は無尽蔵か、と思わず舌打ちをした。
「いっけえー!」
セルムの合図と共に、牙が一斉にキラに襲いかかってきた。もう幾度も繰り返される同じ攻撃に、いい加減キラもうんざりしてきている。
それに、キラの魔力が尽きる前に、セルム本体を何とかしないとそろそろ拙かった。
牙がキラに噛みつかんと宙を飛んでくる。瞬時に身を躱すと、キラがいた場所に牙がガチイインッ! と噛み付く音が響いた。
「――くっ! きりがないな!」
牙とセルムの幻を切りながら、キラは考える。チムノを継続して発動させていることや、高位の闇魔法であるディメントを連発させていることから、セルムの魔力量はかなり多いらしい。その場合、このまま持久戦に持ち込んだところでキラに勝ち目はない。
何とかして打開策を見出さなければ、いずれキラは魔力枯渇を起こしセルムに殺されてしまう。
「あのヘラヘラした筋肉になんて、絶対渡せるか……っ!」
唇を噛み締めると、セルムの幻を全て切り終わったところで、もう一度セルム本体に切りかかった。
瞬間、くらりと目眩がキラを襲い、一瞬だけ反応が遅れる。
「しまった!」
キラの持つ剣に牙が一斉に襲いかかり、宙に持ち上げられてしまった。剣の柄が、ツルンと手の中から飛び出す。飛んでも跳ねても届かない高さに持っていかれてしまい、キラは思わず歯噛みした。
「やったあ! 皆、やっちゃってえ!」
キラとは対照的に、セルムは大喜びを隠そうともしない。ぴょんぴょん跳ねている姿が、ただひたすらに腹立たしかった。
「よおーし! ディメント!」
セルムは嬉々として魔法を唱えたが、セルムの幻は出てこない。
「――あ、あれ?」
セルムの顔に、焦りが見えた。牙が抱えているキラの剣から、徐々に光が失われていく。クラクラする視界を、幾度も瞬きしながら堪えた。
「え、ええ、なんで!?」
「魔力枯渇だろ」
キラが教えてやると、セルムがアワアワと慌てだす。大技を唱えられるほどの残量がなくなったのだろう。
必死の形相に変わったセルムが、宙に浮いている牙に命じた。
「牙たち! こいつを早くやっちゃって!」
数匹の牙を剣の元に残し、がぱりと口を開けた牙がキラに襲いかかる。
「くそっ!」
横転しながら攻撃を躱すが、剣がないままでは非常に拙い。何か、何か方法はないか――。
その時、キラの脳裏にぽん、と拳を構えたマーリカの姿が浮かび上がった。思い出すのは、勇ましいマーリカの言葉。
『ボコボコにするのよ!』
貴族令嬢とも思えない過激な発言だが、非常に的を射ている。マーリカも、無駄を徹底的に嫌い排除するムーンシュタイナーの民のひとりなのだ。
「く……ふ、あはは……っ」
堪え切れず笑いを漏らした。
「は……? お、お前、頭がおかしい奴なのか……?」
消えゆく明かりの中で、セルムの引き攣った顔が微かに見える。失礼にもほどがあるが、そう思ってもらっても別に構わなかった。
キラは、もうとっくにマーリカに狂っている。どんな手を使ってでも確実に自分のものにする為に、従者としては明らかに越権行為である数々の事柄をこなしてきたのだから。
「ふふ……っええ、お嬢。ぼこぼこにしましょ」
呟きと共に、キラの拳が淡く光り出す。キラの拳を見て、セルムが血相を変えた。
「え……! な、なんだそれ!」
「なに、拳に聖属性を集めただけだ」
さらりとキラは答える。魔力枯渇はもう目前に近付いているが、それはこの男も同様だ。ならば、今ここに浮いている牙さえ何とかしてセルムを倒せば、きっと外に出られる筈。
「いくぞ!」
掛け声と共に、ふらつきそうになる足に力を込め、襲いかかる牙に拳で殴りかかった。キン! という甲高い音が鳴り響き、牙がボロボロと崩れ落ちていく。
「効いた……!」
これならいける。キラは次々に襲いかかってくる牙を拳で破壊していった。
剣を加えていた最後の一体が剣を放り投げ、キラに向かって牙を剥く。キラは拳を振り被り、それを迎え撃った。
ガキイインッ! と音がすると、牙が儚く崩れ落ちていく。
「お嬢、やりましたよ……っ」
その間にも、キラの息はどんどん上がっていく。魔力枯渇が目前に迫っている証拠だった。早く片付けなければ。焦燥感を必死で抑えつける。確実に仕留めるには、焦りは禁物だった。
「――あとはお前だけだ」
くるりと振り返ると、へっぴり腰で床の上を這いずって逃げようとしていたセルムが、恐怖に目を剥く。
「わ、うわあああんっ!」
セルムは腕で頭を庇った。キラは最後の力を振り絞り、セルムに拳を振り翳す。
――だが、その拳がセルムに届くことはなかった。
「ひ……っ……あ、あれ……?」
セルムが、腕の隙間からキラを探す。
「くそ……っあとちょっとで……!」
キラはセルムにあと一歩というところで、地面に倒れてしまっていた。必死で身体を起こそうと力を込めた拳からは、急速に光が失われ始めている。
「へ……っ?」
セラムはキラの姿を見ると、血だらけの顔に勝利の笑みを浮かべた。
「は、はは……っ! やった、僕勝ったよ……っ!」
キラはドサリとその場に倒れる。段々と身体から力が抜けていき、このままでは非常に拙いことは頭では理解しているのに、どうしても身体を動かすことが出来なかった。
意識が、徐々に遠のいていく。
――お嬢……。
緑色の大きな瞳で自分を見つめる頭の中のマーリカの顔は、涙で濡れていた。
泣かないで、すぐ行くから――。
そんなキラの頭上から、セラムが嬉しそうに早口で喋る。
「こいつをやっつけて、あ、そうだ! 外にこいつと一緒にいた女! あいつ見た目だけは悪くなかったから、こいつの首と一緒にアルムに贈ろう!」
失いかけていた意識が、その言葉に反応した。
――贈る、だと?
苛立ちと共に、意識が再浮上していく。
「そうそう、献上ってやつ! うん、あの女ならすぐ泣きそうだし、泣く女が大好きなアルムの好みだ。僕ってやっぱり天才!」
はしゃいだ声を聞いていると、キラの意識の奥に、暖かなゆらぎの炎があることに気付いた。
――これは……。
心の中で、重い手を炎に向かって伸ばす。
ゆっくりと握り締めたその瞬間。
「……お前は絶対許さない……っ!」
「へっ!? えっなんで!?」
キラの拳が、生命を使って再び光を取り戻した。




