66 闇の中のキラ
キラの視界から、全ての色が消えた。
「えっ!?」
辺りを見回しても、何ひとつ目に映らない。自分がここに存在しているのかもあやふやになり、キラは知らず拳を握り締めた。手のひらに自身の爪が食い込む痛みから、生身の身体がここにあると思える。
「お嬢? お嬢、いますか?」
すぐ傍にいた筈のマーリカの存在が、今は感じられない。
返答を待ったが、キラの耳は自分の呼吸音しか捉えなかった。
自分以外の息遣いも衣擦れの音もしないことから、近くにマーリカはおらず、自分だけがこの謎の空間にいるのではと推測する。
とにかく、何も見えないことには対処のしようもない。キラは光魔法を唱えた。だが、何故か反応がない。
「ん……?」
咄嗟に「魔力枯渇か」と疑ったが、先程マーリカから魔力交換してもらい、補給は充分に出来ている。だから、これは魔力枯渇によるものではない。
なら他の属性ならどうだ、と火の魔法を唱えてみるも、結果は同じだった。
自分の手すらも見えない完全な闇に閉じ込められ、キラは自分が焦燥感に襲われつつあることを自覚していた。
マーリカは一体どこにいるのか。彼女は無事でいるのか。いつもおっとりして見える癖に意思が詰まった緑色の瞳の持ち主の姿を、脳裏に思い浮かべる。キラの宝物を。
早く彼女の元へと戻らねばならない。でないと、あの爆弾娘は何をやらかすか分かったものではなかった。特に、キラを助ける為だと。
「くそ、どういうことだ……!?」
すると、どこからともなく、男の声なのに子供っぽいクスクス笑いが響いてくる。
キラは暗闇の中で身構えた。キラ以外の人間がいたらしい。
「あれ、まだ分からないの? 精霊の御子って言っても大したことないんだなあ」
馬鹿にしきった笑い声の主は、帝国メグダボルの第五皇子、セルムだった。
セルムがアハハと続ける。
「この呪文、術者が一緒に中に閉じ込められるのが難点なんだよねえ」
その言葉でピンときた。これは、闇魔法の拘束術のひとつ、チムノだ。
術者と対象者のふたりだけが閉じ込められるこの魔法は、闇魔法使いが敵を閉じ込め倒したい時に使うものだった。術者自身が呪文を解くか、術者の魔力切れ、気絶、または死ぬことで解除される。
檻内部で使用できる魔法は、闇属性のみ。この術を唱えられるのは闇属性が強い者だけな為、大抵は閉じ込められた相手が完膚なきまでに叩きのめされる。
閉じ込めた相手が魔法使いの場合、この檻は非常に有用だ。
きっとセルムは、キラの『精霊の御子』という二つ名から、キラが魔法に特化した者だと思ったのだろう。
だが、キラは魔法だけでなく剣も扱える。悟られない様に腰に手を這わせると、剣の柄に触れた。取り上げられてはいなかったらしい。
「さあて、僕の為にその首を頂戴よ。『精霊の御子』くん」
うふふ、とセルムが笑った。
キラは、静かに鞘から剣を抜いた。
先程のマーリカではないが、物理でボコボコ案も悪くない。
闇魔法しか使えないのは、向こうも同じだ。防御魔法の類も一切使えなくなる為、闇魔法が苦手なキラは物理で対抗するしか術はない。
相手の姿が見えない以上、気配で察知せなばならなかった。
「じゃあいっくよー! 僕はどこにいるでしょうか! ――ディメント!」
セルムが、闇魔法の中でもかなり高位の呪文を唱える。ほぼ無詠唱で唱えていることから、かなり使い慣れた呪文なのだろう。
「うふふ、こんにちは!」
キラの背後に、突然セルムの姿が浮かび上がった。キラは振り向きざま剣で切りつけたが、切っ先は空を切り裂いただけだ。
「残念! 僕は幻だよ!」
ケラケラと笑ったセルムの幻が、キラを指差し闇魔法で襲いかかる。
血に染まった何かの獣の牙が、突如空間に浮き出た。ガチガチ! と激しく歯を鳴らしながら飛んできたと思うと、キラの肩に噛み付く。
「食い千切っちゃえ!」
ガチインッ! と固い音がした。
「わあい! ……あ、あれ?」
折れたのは、牙の方だった。魔魚の鱗の鎧は、こんなものには負けないのだ。
「消えろ!」
キラは剣で牙を上下に真っ二つにすると、最初に声が聞こえた辺りに飛び込み、剣を薙ぎ払う。
「ぎゃっ!」
軽くだが、手応えがあった。
「痛い! 痛いよう!」
セルムが泣き叫ぶと、キラの周りに次々とセラムの幻が現れる。全員がギャアギャアと泣き叫びながらキラを指差すので、かなり鬱陶しかった。
「黙れ!」
キラが剣を振り回しても、セラムの幻たちは消えない。彼らが同時に詠唱すると、闇の中にまた血だらけの牙が数体分浮き上がった。
鎧以外の部分を噛まれたら、さすがに拙い。キラは先手必勝とばかりに牙に切りかかると、次々に真っ二つにしていく。
全ての攻撃を避けるのはキラにも難しく、決して浅くはない噛み傷が増えていった。
「くそう……っ」
このままだと、キラの体力の方が先になくなりそうだ。闇魔法が全く得意でないキラは、闇の攻撃魔法でセルムに攻撃したところで大した傷を負わせることは出来ないだろう。早々に魔力枯渇を起こし、倒れて首を切られるのが早くなるだけだ。
何か方法はないか。キラは必死に考えた。諦めずに考え続ければ、妙案はきっと浮かぶ。マーリカの生き様に学んだ姿勢は、それまで様々なことを諦めかけていたキラにとって、眩いものだった。
「お嬢……」
先程マーリカが言っていたことを思い出す。――そう。発想の転換、だ。だが、何をどうやって。
「なあにぼうっとしてるんだよっ! ほらほら、ドンドンいくよー!」
キラが必死に考えている間にも、セルムの幻は牙を出し続けた。気が付けば、空間はセルムの幻と山の様な牙で覆い尽くされている。悪趣味にもほどがある。
「これだけあったら、さすがの『精霊の御子』も食べられちゃうねえ!」
ケタケタと笑うセルムに、キラは呆れた声で返した。
「首を取るんじゃなかったのか? 食べられたら証明出来ないと思うんだが」
「う……っうるさいうるさい! 僕はお前を倒してアルムにごめんねするんだから!」
ジタバタと地団駄を踏むセルムの幻たちを見て、キラはうんざりする。馬鹿を相手にしているのはつまらない。マーリカくらい自分を振り回す人間の傍にいてこそ、生きていると思えるのだから。
先程のマーリカの発想を思い出す。
防御魔法を【マグナム】に込めて爆発しようなど、まず普通だったら考えないだろう。普通でないのを当たり前に可能にするのが、キラのマーリカの凄いところなのだ。
「――あ」
そこで、はたと気付いた。
チムノの中では、闇の属性以外の魔法は唱えられない。
ここで発想の転換だ。
魔法は唱えず、ただ魔力を注げばいいのではないか。
「……一か八か、やってみようか」
キラの魔力量は少ないが、【マグナム】制作の様にすれば、大きな攻撃魔法を唱えるよりは効率がいい。
「なあにい? 悪あがきはダサいよお!」
「うるさい、ちょっと黙ってろ」
「なんだとー!?」
セルムがぷりぷり怒る声は無視し、キラは手のひらに集中し始める。散々やった作業だから、魔力の移動はもう慣れた。
闇の反対属性は、聖だ。
この闇は、聖属性でなら切り裂けるのではないか。
キラは聖属性の魔力を、剣にゆっくりと慎重に注いでいく。決して魔力枯渇を起こさない様に。
剣が、淡く輝き始めた。
「な、な……!?」
セルム本体の姿が、闇の中に浮かび上がる。幻のセルムとは違い、煤で汚れて顔面も血だらけだ。
「チムノの中では、他の属性は使えない筈だぞっ!」
見るからに慌て始めたセルムに、キラは涼やかな表情で答える。
「正確には、『チムノの中では他の属性の魔法は使えない』だ。不勉強だな、セルム皇子」
「な、なんだとお!」
皆やっちゃえ! というセルムの合図と共に、幻のセルムたちと牙が一斉に襲ってきた。
キラが踊るように回転しながら切り捨てていくと、幻と牙が動きを止め、闇の中に消えていく。
セルムが顔を引き攣らせた。
「え、ちょ、ちょっと……っ」
「俺は魔法は唱えてないぞ」
剣に聖属性の魔力を注ぎ続けているから、少しずつ魔力量は減っていっている。さっさとセルム本体を倒そう。でないと、褐色のでかい男がここぞとばかりにマーリカを掻っ攫っていってしまう。冗談ではなかった。
キラはカチャリと剣を構えた。
「や、やだあっ! 痛いのやだあっ!」
セルム本体がそう言うと、先程よりも大量の牙が闇の中に浮き出て、ガチガチと歯を鳴らし始めた。




