65 諦めない
マーリカは黒竜の前に行くと、キラの視線を背中に感じつつ黒竜を見つめ続けた。
ぐったりとしていた黒竜が、枷を外されて回復したのか、ゆっくりと首を持ち上げる。
先程までの怒りや焦燥感にも似た雰囲気は剥がれ、今は最初の時と同じ様なゆったりとした雰囲気を纏っていた。これなら大丈夫そうだ。
「あの……っ! 突然攻撃をしてきた人がいて、ごめんなさい!」
黒竜に向かって、ぺこりと頭を下げた。
どこまで言葉が通じるのか、頭を下げる意味が竜に伝わるかといったことは一瞬考えたが、マーリカは他の手段を知らない。とにかく真心を込めて伝えれば、伝わるんじゃないか。
そう思い、返事がないこともあり、黒竜に向かって語り続けた。
「さっき、貴方の核についていた枷は外したわ! もう向こう側に帰れると思うから……これ、返します!」
魔魚の核入りの瓶を黒竜の前に差し出すと、黒竜は鼻をクンクンと動かす。
クアア、と切なそうな声を漏らすと、口を小さく開けた。
熱気が籠もる口の中に、瓶をそっと置く。黒竜は口を静かに閉じると、ぷすう、と鼻から蒸気を吐いた。
黒竜の首が後退していく。マーリカを見る目は、穏やかだった。
魔物は、全部が全部人間の敵じゃなかった。ムーンシュタイナー領に落ちてきた黒竜も、枷を取っていたらもしかしたら――。
そんな考えが脳裏をよぎったが、マーリカはムーンシュタイナー領を守る為に黒竜を倒した。その事実は覆されることはなく、マーリカも後悔はしていない。マーリカにとって一番大事なものを守る為に取った行動だからだ。
情に流され魔魚の有効活用を諦めたとして、それが何になる。感傷的になった心を多少は慰めるかもしれないが、それだけだ。
感傷や慰めだけでは、腹は膨れず領地も潤わない。マーリカがどちらの選択をしたところで、黒竜の鱗から生まれた魔魚は、湖が残る限りはきっと生き続けるだろうから。
だったらせめて自分だけでも、魔魚の生命はあの黒竜からもたらされた恩恵だと覚えていたらいい。
自分勝手な理論かもしれない。黒竜の香りが残る魔魚の核を一部返したところで、何もならないかもしれない。だけどそれが選んだ道ならば、目を逸らさずにいるのが自分の責任だ、とマーリカは思った。
黒竜の顔が魔泉につっかえたが、左右に振っていくとやがて全て闇の中に消え――。
「クアアアアアア――……ッ」
何とも物悲しい鳴き声が遠ざかっていくのを、マーリカは泣きそうな思いで聞いた。
「……お嬢、頑張りましたね」
「キラ」
いつの間にかマーリカの後ろにいたキラが、マーリカの肩に優しく手を置く。
キラが、もう片方の手を前に出した。そこには、先程取っておいた核が置かれている。
キラが「すーっ」と息を吸った後、止めた。核が白く光り始める。見る間にぷっくりと膨らんでいくと、中央に光が煌めいた。
数個の聖属性の【マグナム】が無事に完成すると、キラは半分をマーリカに渡す。
「さっき防御の【マグナム】を投げてたら暴発してませんでしたからね」
「ちょっと」
マーリカがむくれると、キラは小さく笑った。
「だから一緒に閉じましょ。これは俺とお嬢の二人が揃わないと成せなかったことですから、きちんと最後まで確認するのが我々の責任でもあります」
キラはいつも、お世辞も慰めも口にしない。見たまま、感じたままを言葉にするから、周りに生意気だの失礼だの言われることも多かったが、そんなキラだからこそマーリカはキラに信頼を寄せた。
令嬢として如何なものかというマーリカの思想や行動も、キラはちゃんと認めてくれた。そんなマーリカを、格好いい、好きだと言ってくれた。
「……ええ、そうね。これは私たちの責任だものね」
マーリカが微笑むと、キラは笑みを返し、マーリカのこめかみにキスを落とす。マーリカはドキドキしながらも、それを嬉しく思った。キラとマーリカの間に齟齬はない。理解者がキラなことが、なによりも幸せだった。
キラが、【マグナム】を持つ手を振りかぶる。
「さ、閉じちゃいましょ」
「――ええ、そうね!」
マーリカも同じ様に【マグナム】を持つ手を振りかぶると、魔泉に向かって勢いよく投げつけた。
ドオオオオンッ! という激しい爆発音と共に、閃光が走る。キラも連続して投げつけると、魔泉がある辺りが白い粒子に包まれ、まるで小さな太陽みたいだ。
もうもうと巻き上がる砂煙とキラキラ輝く粒子が、やがて全て地面に落ちる。
もうそこには、闇の入り口はなかった。魔泉は、完全に塞がれていた。
マーリカはホッとして、笑顔を浮かべる。
「――消えたわね」
「さすが【マグナム】、効果抜群でしたね」
キラが片方の口角を上げた。
「さて……」
術者はどうなったか、と二人が振り向いた途端。
「お嬢っ!」
バリバリバリッ! という耳をつんざくような音と共に、青白い閃光が上空から襲いかかってきた。
「きゃっ!」
「くそっ!」
目を見開き固まっていると、キラがマーリカを腕に抱き、ギリギリで防御魔法を掛ける。
「誰だ!」
キラとマーリカが驚いて辺りを見回すと、先程まで立っていたユーリスたちが地面に転がりうめいているではないか。キラは防御魔法を展開したまま、目を見開いた。
「兄様!? アーガス!」
「キ、キラ……!」
ユーリスが、苦しそうな表情で見る。ガクガクッと時折反応しているところを見ると、先程マーリカたちを襲った雷魔法を受けたらしい。
「へえー。この騎士くん、君のお兄ちゃんなんだあ」
ゆらりと立ち上がったのは、捕まえた筈の術者の男だった。頭から血を流しており、服にも所々血が滲んでいる。ペッと吐き出された唾は、赤かった。
「僕の計画が台無しだよ」
男が、憎悪に満ちた顔でキラを睨みつける。キラの横にいるマーリカに気付くと、「お前はあっちに行ってろ!」と指を向ける。
ドン! と突き飛ばされた感覚が襲いかかり、マーリカは後方に転がり腰を激しく打った。
「いっ!」
「お嬢!」
「お前は僕の相手してよ。あんた敵将でしょ? 実験失敗したら、アルムに怒られちゃうもん。でも敵将の首を取っていけば、多分許してくれるしさあ」
ギラギラした目で、男はヘラヘラと笑い続ける。壊れた人形みたいで、不気味だった。
「アルム……帝国の第四皇子の名だな」
キラが言うと、男は手を打って頷いた。
「そうだよー! 君、物知りだね!」
「ということは、あんたはセルム、帝国の第五皇子だ」
「大正解!」
セルムと呼ばれた男は、パチパチとわざとらしい拍手をする。そして、すっと手を伸ばした。
「全ての光を呑み込め――チムノ!」
「なっ!?」
キラの驚愕の声を最後に、真っ暗な半球が瞬時に二人を呑み込む。
「キラ!」
急いで起き上がり闇の壁に手をつくと、それは物理的な壁だった。マーリカは拳で叩きながら「キラ! キラ!」と大切な唯一の名を叫ぶ。
「マーリカ嬢! これは闇魔法だ……っ」
兵たちが持ってきた回復薬を飲み動ける様になったユーリスが、よたよたしながらマーリカの元へやってきた。
「闇魔法!? どんなものです!?」
「これはチムノといって、この中では闇属性以外の使用ができなくなる呪文なんだ!」
「え……っ」
そんな魔法があるのか。マーリカが目を瞠っていると、ユーリスが悔しそうに闇の壁を叩く。
「キラは精霊の御子と呼ばれて複数属性を扱えるが、闇属性だけは苦手なんだ! 祖先の精霊が聖属性だったという伝承が残っているが、恐らくはそれが原因じゃないかと……!」
ユーリスの言葉を聞いたマーリカは、顔面蒼白になった。相手は闇魔法の使い手だ。キラが、「かなりの術者」だと言っていたから、実力は相当なものだろう。
「マーリカ嬢! 聖属性の【マグナム】なら、この壁を破れるかもしれない! 頼む、作ってはもらえないか……!」
今にも泣き出しそうなユーリスに頭を下げられたが、マーリカは首を横に振るしか出来なかった。
「さっき……さっき、核を黒竜に返してしまってもうないの……!」
「ああ……なんということだ……っ!」
ユーリスががくりと肩を落とすと、目頭に手を当て男泣きに泣き始める。
「通常の聖魔法では、通用しない……! こんな真っ黒なもの、見たことがないんだ……!」
「ユーリス様……!」
どうしよう、このままではキラが死んでしまう。こんなすぐ近くにいるのに、この向こうにいるのに。
そして、マーリカはハッと気付いた。
マーリカは、魔法はろくに唱えられない。だけど、属性を注ぐことだけなら出来る。
そして、マーリカの魔力は爆発する。いつでも。
ぐっと唇を噛むと、マーリカは両手を闇の壁にくっつけた。
「マ、マーリカ嬢?」
「ユーリス様。この壁に、私の魔力を注ぎ込みます!」
「え!?」
「きっとキラは懸命に戦ってます。だから私も、諦めずに戦うんです!」
「マーリカ嬢……」
危ないので離れて下さい。マーリカはそう伝えると、目の前の闇に集中し始めた。




