61 青竜
ぬかるんだ地面に寝そべった青竜は、苦しそうに水を吐く。
口から水が流れ出る度に枷に付けられた赤い魔法陣が光り、湯気が立ち昇った。
キラが、赤い魔法陣を見て目を細める。
「どうもあの魔法陣に命令が刻まれている様ですね」
「キラはあれが読めるの?」
不勉強のマーリカには、文様に何が描かれているかもさっぱり分からない。見たこともない文字が並んでいる様にしか見えなかった。
「見えにくいですが……火の属性の付与、それと見るものに攻撃するといった単純なものみたいです。恐らくですが、必要最小限の枷を付けたんじゃないですかね」
キラの意見に、驚愕の表情で青竜を見上げていたユーリスが頷く。
「自国で魔物同士を戦わせる時にはもっと重厚な枷を付けていた可能性は高いな」
「自分たちの身の安全を考えたなら、そうでしょうね」
魔物に枷を付けて操る方法を実験していたのに、自分たちが襲われては結果も何もないのは確かだ。マーリカもその意見には同意だった。ムーンシュタイナー領に落ちてきた黒竜は、火は吐いたがひと人を直接襲うことはなかったからだ。あの個体は、人への攻撃抑制が刻まれた枷を付けていたという可能性に思い至る。
「つまり、今この子に掛けられている枷は、極簡単なものということかしら?」
「そうだと思います。手間を掛けられなかった可能性も否めませんが、根本には『どうせ他国だし』という考えがあったのは否めないでしょう」
キラの返答に、ユーリスの顔が実に嫌そうに歪んだ。すぐ横に同じ様に身を隠しているアーガスに問いかける。
「アーガス、これまで遭遇した魔物にもあの魔法陣は付いてたか?」
アーガスはこくりと頷いた。
「全ての魔物ではありませんでしたが、何体かは見かけました。ですが考えてみると、属性がその見た目から明確な魔物ばかりだった気がします」
「なるほど。一見何の属性を持っているか分からない魔物より、分かりやすい属性を持つ個体に狙いを定めたということか」
目を細めたままのキラが、魔法陣を凝視する。
「どうもあれは、術者と繋がっているみたいですね」
「繋がっているってどういうこと?」
キラが前方を見据えたまま、答えた。
「術者の魔力が枯渇しない限り、魔法陣が維持されるってことです」
それを聞いたユーリスが、背後の兵を振り返る。
「捕らえられた術者の状況が知りたい。ザッカに連絡を」
「はっ!」
メイテールの討伐隊の兵が、駆け戻っていった。
「これみたいな簡単な魔法陣なら、大して魔力を消費せず大量に作れます。大物に付ける場合は多少魔力は食いますが、術者の魔力枯渇を促すのは難しいですね」
「ということは、術者に術を解除させるか、こちらで強制解除させるかしかないか……!」
苦々しい表情のユーリスに、キラが真剣な眼差しで頷く。
現在青竜が置かれている状況は、マーリカにも理解出来る内容だった。魔術師の魔力を強制的になくす様な魔法は、もしかしたらあるかもしれないが、少なくともマーリカは聞いたことがない。大きな呪文を唱えさせて枯渇させることは可能だが、その場合、こちらに被害が及ぶ可能性は大だ。
わざわざ他国で実験を始めた術者が、簡単に術を解除させるとも思えない。
となると、青竜を枷から解放する方法はただひとつ。
「枷を取りましょう!」
拳を握り締めながらマーリカが言うと、二人が眉間に皺を寄せながらマーリカを振り返った。こうして見ると、色味は違うが雰囲気がよく似ている兄弟だ。
「どうやって?」
「攻撃されたと思って襲ってくるんじゃないか?」
キラが難しそうな顔をする。
「魔法陣を解除するのは至難の業ですよ。どう組み立てていったのかを解き、反対から少しずつ解除していかねばいけません」
「そういうものなの?」
魔法初心者に近いマーリカは単純に考えてしまったが、案外難しいらしい。
「いっそのこと、ひと思いに破壊出来たら楽なのになあ」
はは、と乾いた笑いを浮かべながら、ユーリスが言った。
「……なるほど」
その言葉を聞いたマーリカとキラは顔を見合わせると、大きく頷く。
「爆破しちゃいましょ」
「そうね、そうしましょう」
「は? お前ら何を考えて……」
キラが、手に持っていた火属性の【マグナム】を手のひらの上で軽く投げ、受け止めた。
「なるべく傷つけない様に、【マグナム】の周りに防御魔法を掛けられないかしら?」
「お嬢、いい考えですね」
キラは【マグナム】に手をかざすと、ポウ、と青い光が【マグナム】を覆った。キラは手を大きく振りかぶると、口の中で何かの呪文を詠唱する。
「頼むわよ!」
キラの手から離れた【マグナム】は軽く宙を舞うと、ふわりと風に乗り寝そべった青竜の胸元、心臓の横にある核に付けられた枷の近くまでフヨフヨ漂っていった。
「風魔法か。さすがだな」
ユーリスが感心した様に呟く。キラの様に操作能力に長けた者でないと、こんな技は繰り出せないのだ。とりあえずこれがマーリカだったら、風魔法が辺り一面を襲い滅茶苦茶になるだろう。
じっと見守っていると、青竜が気付く前に【マグナム】が魔法陣の前に到着し――。
キラが人差し指でチョンと宙を突くと、【マグナム】が魔法陣に触れ、ドゥゥンッ! と防御壁内で爆発した。
「どう!?」
魔法陣は壊れただろうか。マーリカが固唾を呑んで見守っていると、だらりとしていた青竜が深海の底の様な深い青の瞳をぱちくりと瞬かせる。「あれ?」という様な雰囲気である。よく見れば、破壊された魔法陣が欠片となって床にパラパラと落ちて消えていっているところだった。
成功したのだ。マーリカは嬉しくなり、思わず小さな拍手をした。
「お嬢! 馬鹿!」
「え?」
キラが慌ててマーリカを引っ張ったが、遅かった。青竜がコチラを見、マーリカと目が合う。
「うわ……っ拙いぞ!」
ユーリスがじりじりと後退った。キラもマーリカの腕を引っ張るが、マーリカは抵抗する。
「待ってキラ。ダメ元で試したいの」
「何を!」
マーリカは、以前黒竜と対峙した。あの時、黒竜にはっきりとした意思を感じた。だから思ったのだ。
もしかしたら竜は、人語を理解出来るのではないかと。
マーリカが声を張り上げる。
「もう縛り付けるものはなくなったわ! おうちに帰れるわよ!」
マーリカの語りかけに、傷だらけの青竜がゆっくりと首をもたげた。
「お嬢!?」
「ほら、聞いてくれているわよ!」
「嘘だろ……っ」
だが、そう言いながらもキラは逃げず、マーリカの隣に立つのだ。いつだって、マーリカを信じてくれるから。
「……防御はかけますよ」
「ええ」
マーリカは笑顔で頷くと、青竜に向かって手を振る。
「おうちはこっちよ!」
クアア、とこれまでと比べ物にならないくらい優しげな鳴き声で応えた青竜は、のそりと身体を起こした。
「こっちこっち!」
「ちょっと待ってお嬢! 俺と手を繋いでってば!」
障害物を避けながらぴょんぴょん跳ねるマーリカの手を、キラが、ようやく掴む。口の中で呟いた後、青い光が二人の身体を包んだ。防御魔法をかけたのだ。
「頑張って! こっちよ!」
「もう……さすがお嬢だよ」
「ほら、キラも手を振って呼んであげて!」
「はいはい」
キラは苦笑すると、マーリカと一緒に「こっちこっち」と手を振りながら、青竜を魔泉まで誘導していった。
ドスン、ドスン、と一歩踏みしめる度に振動が響き渡るが、後を付いてくる青竜の表情はこころなしか明るく見える。
「――さあ、帰るのよ!」
魔泉の前まで来ると、マーリカは魔泉を指差した。
「もう穴が開いていても、好奇心だけで来ちゃだめよ?」
マーリカが子供を注意する様に青竜を諭すと、青竜はまた「クウウ」と小さく鳴く。
そして、魔泉の中へと消えていった。
後ろから距離をおいて付いてきていたユーリスが、唖然とした表情で呟く。
「……まじか」
それを聞いたキラが、くすりと笑った。
「ね? 勝利の女神でしょう?」
なんせやることが破天荒ですから。キラの言葉に、ユーリスは驚いた顔のまま、笑顔で頷いた。
「それよりもキラ! 魔泉を閉じないとよ!」
闇しか映さない魔泉に向かって手を振っていたマーリカの言葉に、キラは「ですね」と懐から聖属性の【マグナム】を取り出す。
「効果があるといいんですが」
そう言った直後、魔泉がある地面に向かって【マグナム】を投げつけた。




